苦悶
馬車の中で、レティシアは不意に身体が熱を持ち始めたことに困惑した。
城の中では寒くて震えていたのに、今はやけに身体が熱を持って、喉が渇いて仕方がない。なのに、携帯用の袋から水を飲もうとすると、むせてしまって上手く水が喉を通っていかないのだ。
困っていると、それを見かねたアルベールが口移しでレティシアに水を飲ませてくれる。
(水……おいしい……もっと…)
護衛は騎馬で併走しており、マルタンたちは一足先に屋敷に着くように先行していったので、この馬車に乗っているのはアルベールとレティシアの二人だけだ。
他者の目がないおかげで、レティシアも安心して、アルベールの唇に水をねだることが出来た。
「……」
喉が渇きすぎているのか、声がうまく出せなくて、はくはくと口だけ動かすと、それを合図と受け取ったアルベールが口移しに水を飲ませてくれる。
随分と心配させたのだろう。彼の腕はレティシアの身を固く抱いていた。
(……きもち、いい……)
水を飲ませるだけのはずなのに、アルベールの唇が自分に触れる感覚に、身体がぞくっと震えた。
水を飲むとわずかに喉が開いたのか、やっと声が出せるようになってくる。
「ぁ……あつい……」
冷たい水が喉を通っていくのは気持ちいいけれど、身体の熱さは消えなかった。
むしろアルベールの腕の中にいると熱すぎて、頭がとろけてきてしまう。
「レティ、苦しいのかい?」
「へん……おかしいの……」
レティシアの様子を、アルベールは訝しげに見遣って、尋ねてくる。
そんな彼の体臭が気になって、レティシアは彼の胸元でくんと鼻を動かした。
いつもとは違う、汗の臭いを感じる。
きっと自分を探して走り回っていたのだろう。
不思議と彼の汗の臭いが心地よくて、うっとりとしてしまう。このままアルベールの香りに包まれていたい。そんな欲望が心をくすぐる。
ああ、この人が欲しい。欲しい。
(欲しい……なにを……?)
愛しい人を抱きかかえながら、アルベールは彼女の挙動をじっと観察していた。
先ほどからレティシアはやけに水を欲しがっている。どうやら身体が熱いらしく、表情や目元には火照りが見て取れた。
(毒への抵抗で発熱したのか……?)
単なる熱ならば、また魔法で解熱を施せばいいことだが、その前の診断が重要だ。誤った対処は命取りになりかねないので、慎重に考えなくてはならない。
レティシアの目が随分と潤んでいる。
その眼差しや火照った肌、どこか艶めいた仕草はなにかで見た覚えがある。
一挙一動を見つめつつ、アルベールは自分の記憶を浚った。
「……!」
しばし悩んだ結果、ようやく思い当たった事柄にハッとして、アルベールはあわててレティシアの身体を包んでいた毛布を剥ぎとった。魔法で馬車の中を照らし、衣服から肌の出ている部分を中心に、急いで彼女の身体を検分する。
レティシアが身につけているのは肩を出す形のドレスだが、二の腕を隠すようにドレープのついた薄い紗がかかっている。怪しいと睨んで薄布を捲るとまさに疑ったものの痕跡があった。
(経皮薬……!)
二の腕の部分の皮膚にてらりと光る薄い膜が張っている。それはぬめった質感の薬を塗り込まれて、乾いた痕だろう。
(やられた……)
レティシアの腕に付いた薬とポケットチーフで拭い、その臭いを嗅いでアルベールは顔をしかめた。甘い、いやな臭いだ。
これがなんであるかを知っている。
療法士の仕事には、実務の経験が重要だ。
どんな状況で、どんな症状が出たかを知るために、駆け出しの者は様々な現地に赴く。疫病がはびこった村や毒素で汚染された土地、末期の患者ばかりを集めた療養所、時には戦場までも。
軍の取り締まりに同行し、踏み込んだ違法の娼館で一室に閉じ込められてた娘達がこの臭いをさせていたのを、ベテランの療法士がなんであるか教えてくれた。
これは意識を混濁させて、言いなりにするための薬で、娼館では娘を仕込むためによく使われるものだと。何度も使われて脳まで廻りきったらもう手遅れだと彼は言っていた。
その場にいたはもう手の付けようのない症状の娘達ばかりで、たとえ身寄りがあったとしても、山の奥にある戒律の厳しい修道院に併設する療養所に送って余生を過ごさせるか、いっそ治さない方が親切だと教えられた。
(まだ、間に合う)
急いでレティシアの肌を水を付けた布で拭い、更に魔力で表面を洗浄する。
行方が分からなくなったときに塗られていたならば、既にある程度の時間が経っていた。
アルベールは仕方なしに再び口移しで、レティシアの唇に解毒の錠剤をねじ込んだ。
「すまない。触れるよ」
離した唇で婚約者の耳元に囁きかけ、そのままレティシアの身体を強く抱きしめ、治癒魔法を走らせる。
「!」
薬の効果を巡らせて、一刻も早く解毒する。そうしないと彼女はおかしくなってしまう。
焦りつつ、アルベールは全身全霊の力を使った。




