夜会(1)
夜会に参加する準備のために、その一週間ほど前からレティシアの支度を整えるための侍女たちがサフィール子爵邸に派遣されてきた。
食事と就寝時間の管理で体調を整えるのは勿論、肌の手入れ、髪の手入れも毎日入念に行われ、当日に向けての支度がなされる。
当日はよく睡眠をとった万全の状態で、朝の内から準備開始だ。
風呂に入って身体を磨き上げ、下着を着け、ドレスを着用する準備をしてから髪のセットや化粧を行っていく。小さく手軽に食べられる菓子やサンドイッチなどを摘みながら支度のすべてを行って、夕刻までにレティシアは貴婦人として完璧な状態に仕立て上げられた。
迎えにやってきたアルベールも、口を開けばレティシアを褒めちぎるので、支度に携わったスルト家の侍女達もなんとも誇らしげな顔をしている。
実際、レティシアも自分を鏡で見て、まるで別人のようだと驚いた。
仕立てて貰ったドレスは色もデザインもレティシアにぴったりで、付けていくようにと渡されたネックレスととてもよく合っている。それは仕立て師がやってきた日にアルベールが持ち出したものなのだが、アルベールの母の持ち物だったジュエリーで、せっかくの婚約披露なのでそれをつけるようにと侯爵が取りはからってくれたそうだ。
彼の父がこの婚約を祝っていることをレティシア本人に、そして出席者の一部の分かる者たちに教えるという趣向だろう。
アルベールの婚約者を褒め称える一幕が落ち着くと、二人は馬車に乗り込み、会場へと向かった。
「どうしたかな。緊張している?」
座席の上でもぞもぞとしていると、アルベールが気遣うように尋ねてくる。
「いえ、その、乗り心地がいいなと思って」
照れ隠しでそう答えたが、実際はかなり緊張している。
しかし、乗り心地が良いのも真実だ。
スルト侯爵家の馬車は高級で、動力になんらかの魔法も使われているのか、殆ど揺れを感じない。ドレス姿でも座っていて楽で、通学用に使っている乗り合いの馬車とは大違いなので、レティシアはスルト家の馬車に乗るたびに感動してしまう。
「そうか。私さっきから君に見とれてしまっているよ。こんなに美しい女性が私の婚約者だと言えるかと思うと嬉しくてしょうがない。会場中の男が悔しがるだろうな」
歯の浮くような台詞であるが、どうやらそれは彼の本心からの言葉であるらしい。家からずっと、こんな賞賛の言葉を聞かされているのだ。どうやら自然と口をついて出るらしく、今日のアルベールがかなりの上機嫌であることは、レティシアにも手に取るように分かった。
「君は本当に素敵だ、レティ」
慣れないことであるものの、誉められるのは嬉しい。彼の甘い囁きは、レティシアの心を柔らかくくすぐった。
会場に着き、アルベールのエスコートで馬車を降りた途端、周囲からの視線がレティシアに一斉に注がれた。
アルベール曰く、彼はこれまでの夜会では親族の女性しかエスコートしてこなかったそうだ。他国に嫁ぐ予定がある従姉妹や、伯母の夫が不在のための代わりなど、他者に勘ぐられない、絶対に問題にならない相手を選んできているという。
そんな彼が親族でもない、これまでに夜会に出たことのない女性を伴ったのだから、注目を受けるのも当然だろう。
「行こう、レティ」
彼に導かれ、会場に入る。その際にレティシアの肩書きが子爵令嬢と読み上げられると、近くにいた人々が一瞬ざわめくのが分かった。
その後には、どうやら名前でわかったようであれは次の儀式の乙女かと話す声も聞こえてくる。そんな外野の声はすべて振り切って、アルベールは会場の奥にいる王太子の元へとまっすぐに足を運んだ。
「やあ、従兄弟殿。来たな。麗しい春の女神のエスコートをしてくるとは、なんとも粋なことだ」
王太子は会場全体を見渡せる場所にしつらえられた椅子に腰掛けて、招待客を待ち受けていた。今日は彼の婚約者であるナターリア王女が国内貴族と親交を持つためという目的で、王太子が主催した夜会なのだという。
「本日はお招きいただきありがとうございます、レオナール殿下」
アルベールの挨拶に合わせ、レティシアも王太子の前で顔を伏せると、頭上からすぐに顔を上げるようにと声がかかった。
「そのご令嬢が従兄弟殿の婚約者か。初めて見る顔だ。名前はなんという」
言葉の通り、王太子は興味深そうにレティシアの顔をしげしげと見つめる。
「御前を失礼いたします。レティシア・サフィールと申します」
「聞いたことがある。次の儀式の乙女だな」
「はい」
「では、教会に入る前に、従兄弟殿がこの麗しの令嬢を手折ったか」
レティシアが儀式の乙女であることをわざわざ確認してから、王太子はニヤリと笑った。
「ええ。彼女と巡り会ってしまったら、この美しい人を手の届かぬ山上の百合の花としてしまうことがどうしても出来なくなりました」
「どうやって出会ったのか教えてもらえるか?」
「彼女の兄の捜索の命が私に下されています。そのことを伝えるために、彼女に会いに行きました。元々、彼女の兄とは学友でしたので、幼い頃に面識はありましたが、数年ぶりに会った彼女があまりにも美しくなっていて、すっかりと心奪われてしまいました」
「そうか。妹の近衛の副隊長だったな。つらい思いをさせてしまって申し訳ない」
「殿下、お言葉傷み入ります」
もとより打ち合わせはされていたのだろう。王太子とアルベールは少々芝居がかった会話を流れるように行っていく。
合間に、どうしてレティシアはこれまで夜会に出なかったのかと尋ねられたのには、アルベールに出会うまでは教会に入るつもりでいたので、夜会のような華やかな場所は避けていたのだと答えた。真実ではあるが、もしも夜会で尋ねられたらそう答えるようにとあらかじめ言い含められていた返答である。すると、王太子とアルベールが会話する様を取り巻いて見ていた誰かから、「なんと貞淑な!」と感嘆の声が挙がる。
これは仕込みが行われていたに違いない。【魅了】を持つレティシアを、身持ちの堅い聖女候補だと周囲に印象づけるためだろう。
王太子の面前でレティシアが清い聖女候補だと語られれば、他の者はレティシアを侮辱するなど到底出来なくなる。
「……」
そんな一連のやリとりを、王太子の隣にひっそりと立つ婚約者、他国からきたナターリア王女は黙って見つめていた。
彼女の身につけているドレスは出身国の伝統的なデザインで、実直な作りの分、随分と地味に見えてしまうものである。
首まで詰まった立て襟に、肩の部分がぷくっと膨らんだちょうちん袖、幾重も布を重ねたスカート。細やかな刺繍がされた手の込んだ生地が使われていて、高級なものであることは一目で分かるのだが、若い娘が着るにしては色味が暗く、重たげだ。編み込んだ茶色の髪には、同布の頭巾がかぶせられている。
王女の祖国はここよりも寒い国であるので、肌を出すこと自体が避けられていると学校の授業で習ったことを思い出した。
服装を見る限りでは、よほど彼女の方が貞淑な乙女にみえるだろう。
(……おとなしそうな方)
レティシアよりも三つ年下だと聞いてはいるが、今は黙りこんでいる為もあってかナターリア王女は更に幼く見えた。
言葉がまだ拙いと聞いてはいたが、それにしても王太子が彼女とあまりに言葉を交わさないのが気にかかる。
王太子と彼女が仲睦まじいことを国内に認識させるのも社交において重要だと聞いているが、この調子ではまるで逆効果だろう。
王太子の少し後ろに黙って立つ彼女はより所もなく、随分と寂しげに見えた。
(言葉の問題が大きいわ……でも、臣下からは話しかけられないし)
困ってはいないかと話しかけてみたくなったが、立場を考えると、これはどうにも出来ない事柄だ。
レティシアがやきもきとしつつも、そのままアルベールと王太子が主導で話が続けられ、きりのいいところで二人は御前を辞した。
その後は息つく間もなく、次々と他の者に捕まってしまう。皆が気になる様子でアルベールに声をかけてくるのだ。家格の順で話しかけてくるために、レティシアはかなり高位の貴族への挨拶を連続して行うことになった。
借金をしてでも、父がレティシアに礼儀作法の講師をつけてくれたことにこれほど感謝を覚えたことはない。
挨拶をした中には、アルベールの母方の親族もいて、レティシアが身につけたネックレスが彼の母の形見であることも指摘を受けた。このことは随分と驚かれ、会話をしているだけであっという間に時間が過ぎていった。




