教会にて
正式な婚約者として教会、国王、義父となる予定のスルト侯爵に認められて以来、レティシアには護衛がついた。彼らは今のところは決して表に姿を出すことなく、外出の際に影ながらレティシアの姿を見守ってくれている。
登校も今のところは生徒用の巡回乗合馬車を使っているが、なんと、御者の二人ともが護衛役に入れ替わっているそうだ。教会に赴くための地味な馬車も仕立てて貰い、付き添いの侍女という名目で付いてくる女性も退役した女騎士であるという。早逝した兄の母親も女騎士であったので、彼女と面識があるそうだ。行き帰りの馬車の中で兄の母の昔話を聞かせて貰えたのは、レティシアにとっては大きな収穫だった。
教会での稽古の内容は今までとほとんど変わらない。
新たな何かがあるとすれば、おじいちゃん司祭の二人組がレティシアには毎回注意をしてあげなくてはならないと思ったようで、歌の稽古の前に「絶対に外で歌ってはいけないよ」と必ず言い聞かせられるようになったくらいだろう。
ただし、婚約の報告以来、全体的に待遇が少し良くなったとは感じている。
不意に休憩を言い渡されて、ここで待つようにと通された応接室で、お茶と共に教会で売っている焼き菓子を出してもらえたこともそれだ。
(おいしい……)
丸い形のクッキーをポリポリと齧って、レティシアはほっと一息ついた。売上が教会の運営費に回される焼き菓子は、味が良いと評判高い品である。
お茶に茶菓子が付くか付かないかは、一見些細なことのようでいて、実はかなり大きな変化だ。
「よろしいですか」
クッキーの美味しさに感慨に耽っていると、控えめなノックがなされ、部屋の中に儀式の実務役の司祭の一人が入ってきた。
「はい」
「今日は大変に身分の高い方がいらっしゃるのです。特別にお声をかけてもらえるそうですので、ご案内してきました。お目にかかる準備をなさってください」
「は、はい」
レティシアが慌てて席を立つのと、黒衣に身を包んだ女性が部屋の中に通されるのはほぼ同時だった。
喉元までの高い襟で肌を隠す黒いドレスは、配偶者を亡くした女性が身につける風習のあるものだ。頭にはレースのベールを被っていて顔は見えないが、その衣服と装身具からかなり身分の高い女性であることは伺える。
レティシアは顔を伏せ、やってきた女性から声をかけられるのを待った。
「マグダレーナ王姉殿下、こちらの者が次代の儀式の乙女の役を担います」
居並ぶ中で、もっとも位の高い司祭が女性に向けて説明を行う。呼びかけられたその名は、レティシアの全身に緊張を走らせた。
(……あの、王姉殿下!)
自国の王族であり、かつ他国の王族籍も持つ彼女は、現状に置いて国で王妃に次いで身分の高い女性となる。本来、子爵令嬢ごときの身分では、目通りは叶わぬ相手だ。
「顔をお上げなさい。名を述べることを許します」
「ご尊顔を拝せる機会に恵まれて光栄です。レティシア・サフィールと申します」
許しを得て、レティシアが名乗ると、マグダレーナはその姿を頭からつま先まで舐めるように見回した。
「話に聞いていた通り、美しいわね。スルト家との婚約が決まったと聞きました。おめでとう」
「ありがとうございます」
落ち着いた、威厳を感じさせる声色だった。顔の殆どがベールで覆われているが、その唇が深い紅に塗られているのが微かに見える。
「先を越されてしまったわ。侍女を探していたところだったから、本当はあなたに仕えて欲しかったのですよ」
「私を、でございますか」
「ええ。あなたの家族が、私の姪の警護中に襲撃にあって行方が知れないと聞いています。だから、あなたを保護しておきたいと思っていました。【魅了】の力を持っていると、なにかと厄介なことがあるでしょうからね」
「お気にかけていただき、ありがとうございます」
「婚約をされたならなによりでしょう。ここだけの話だけれど……私もあなたと同じ力があるから、気になっていたのですよ」
同じ力とは、当然【魅了】のことだろう。
「そうでございましたか」
レティシアが驚きに目を見張ると、ベールの下でマグダレーナが微笑む気配があった。所作の全てが気品に満ちており、ただ立っているだけで人を圧倒する存在感がある。
「私は夫を早くに亡くして、今度は母国に尽くしたいと考えて、この国に戻ってきました。あなたがスルト侯爵家に嫁ぐならば、これからも縁があるでしょう。また会いましょう」
そう告げて、マグダレーナは踵を返す。
扉が閉められてからようやく、レティシアは大きく息を吐いた。緊張のあまりに、全身が固まってしまっている。
「お言葉をいただけて、よかったですね」
レティシアの様子を見て、部屋に一人だけ残った司祭が微笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「はい。感激いたしました。まさか王姉殿下にお言葉をいただけるなんて、思ってもみないことでしたので」
「とても敬虔な方なのですよ。こうしてたびたび教会にも足を運ばれています。儀式の乙女には選ばれなかった娘や平民で【魅了】の力を得てしまった娘なども引き取られて、自分の侍女にされたりと庇護されておられるのです」
「そうなのですね」
珍しいが故に、他者に知られれば危険にさらされる可能性が高いのがこの能力である。
すぐにも結婚の話などがなければ、身元が確かな人の元で預かってもらえるのは助かるだろう。【魅了】は平民にもまれに出ると聞いたことはあるが、そういう娘ならば尚更ありがたいはずだ。
(もしかして叔父様が言っていた身分の高い方にお仕えするって、王姉殿下のことだったのかしら……)
叔父が口にしていた荒唐無稽な話が、ここに来てようやく頭に蘇る。
頭から嘘だと思いこんで邪険な態度を取ってしまったが、悪かったかも知れない。
もしもまた会うことがあったら尋ねてみようと考えつつ、レティシアは歌の練習を続けるために、練習室に戻った。
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