春の女神との邂逅
「私、アルベール様のお母様、アニエス様と何度かお話をさせていただいたことがあるのです」
その女性は、木漏れ日の降る下で優しく微笑んだ。
その姿は今でも脳裏に焼き付いている。
「オレの家に来い」と強引に手を引いた同級生は、いつも通りに制服をほこりまみれにしていて、出迎えた使用人にすぐさま着替えをするようにと追い立てられて姿を消した。
その代わりに、アルベールを家の中へと招いてくれたのが、彼の新しい母であるというこの女性だ。
淡い黄金の髪に、美しいすみれ色の瞳。美しくも完璧な造形で、まるで季節を運ぶ春の女神が地上に舞い降りたかのようだ。
(本当に美しい……)
エルキュール・サフィールが「オレの新しい母上はものすごく美しい」と自慢しているのは、同級生の皆が知るところだ。実母を亡くした彼にとっては義母にあたる女性であるが、家族仲は大変に良好らしく、エルキュールは美しくも優しい新しい母親をとかく自慢としている。
彼が亡くした実母を愛しつつも、この新しい母親を自慢とするのも頷けた。
子どもの目から見ても、彼女はあまりにも美しい。
伝承の女神のようなこの女性の素性については、アルベールは同級生の誰よりも詳しいだろう。
教会と縁深い家柄に生まれたためと、自らも光魔法を身に宿していることもあり、彼女の話は時折耳にすることがあった。
まずはじめに、この女神について教えてくれたのは、母のアニエスだ。
母は光魔法の血筋であるバラデュール侯爵家の出で、その力を引き付いて、自身も光魔法をこの身に強く宿している。二年前までは、アルベールは光魔法の使い方は母に教えて貰っていた。
その教練の合間に、母が強い【魅了】の力を持った儀式の乙女の候補がいたのだと話してくれたのだ。
その女性は儀式の乙女にはならなかったけれど、代わりに今は愛する家族が出来て、幸せに暮らしているはずだと母は微笑みながら教えてくれた。
「私は辞退してしまいましたが、かつては儀式の乙女の候補に選ばれておりました。その折に、通っていた教会で、アニエス様に声をかけていただきましたの。アニエス様からアルベール様のお話も伺いました。とても光の力がお強いと聞いています」
一昨年に母が亡くなり、魔法の訓練を教会で行うようになり、侯爵家の嫡子として社交を行うようになってからは、目の前の女性、リゼル・サフィール子爵夫人の話は他からも耳に入るようになった。
曰く、彼女は儀式の乙女を務める前に男の元へ逃げたのだと。
ふしだらだと嘲る夫人もいれば、愛人にされそうになったのを逃げ出したのだと物知り顔で語る貴族もおり、儀式を放り出すのは無責任だと眉根を寄せる司祭も、あれは彼女の家が悪いのだと同情する様子で話す司祭もいた。
何が真実であるかは、その女性と、彼女の伴侶となった子爵しか分からぬ事だろう。
(母上が話していた方だ……)
強い光魔法の使い手だった母はその影響でいつまでも少女のような姿であったし、生まれつき虚弱であった彼女が亡くなった折には、「光魔法の使い手であるのに」どうしてなのかと囁かれていたことは知っている。
少女のような容姿であった母と添った父も、外野から随分なことを言われていたらしい。
だが、父と母は幼い頃に決められた許嫁ながら、互いに深く愛し合っていたことを自分はよく知っている。自分は愛し合った夫婦に生まれた、幸せな子どもであると分かっている。
実際の、世の真実とはそういうものだ。
そのことを身を持って知っているので、この謎の答えについては、エルキュールの「母上は美しくて優しくて、おやつに焼いてくれる林檎のパイが絶品なんだ」という言葉を信じればよいのだろうと見当を付けている。それがきっと、一番正しい答えなのだ。
「そうでしたか」
「私が教会に行っているときに、アニエス様がいらして、二人で時々お話をしておりましたの。アルベール様がもう三歳になられる間際なのに、すでにとても強い力が出ているとお母様からお伺いしました」
「母が、そんな話をしていたのですか」
「はい。私がいつか聖女になるならば、アルベール様が大きくなったら、治癒を手助けをして欲しいと言っていただきました。なのに私は結局は儀式すら行す、あの時のお約束が守れずにいて、ずっと気になっていましたの。……でも、今はこの子が」
夫人の膝の上には、まだ幼い女の子が抱きかかえられ、楽しそうに笑っている。
その小さな手を彼女はきゅっと握りしめた。
「この子も【魅了】です。私と同じ力を持っています」
「それは……」
自分が聞いていいことなのかと、アルベールは躊躇した。【魅了】であることは、家族以外には隠されるのが普通だ。
しかし相対する女性は、アルベールの惑いを振りきって、言葉を継ぐ。
「とても、とても強い力なのです。この子が次の儀式の乙女に……聖女候補になることは間違いないとすでに教会から言われています」
「そうなのですか」
夫人の行いは醜聞となっているし、儀式の乙女を辞退した女性の子供ならば、普通に考えれば次代の乙女に選出するのは物言いがつくことだろう。なのに、候補になることが間違いないとまで言われるのは、少女が相当に強い力を有しているに違いない。
「ですから、私が果たせなかったお約束はきっと、この子が受け継ぐことになるでしょう」
ここで出会えたのは運命なのかもしれない、と夫人は言った。
確かにこの少女が聖女候補となれば、光魔法を色濃く受け継ぐ自分とは関わりが出てくるはずだ。
「覚えていていただけますか。この子の名はレティシアと言います」
「レティシア」
「あなたにこうしてお会いできてよかった。どうか、この子のことをよろしくお願いいたします」
屋敷の奥からは、赤ん坊の泣く声がした。
この少女には、まだ生まれたばかりの弟がいるのだという。
その年の冬、少女の弟がまだ一歳にも満たぬだろう頃、春の女神のような女性は逝ってしまったのだと聞いた。




