憧れの人 〜スルト侯爵家へ〜
学校は昼までの授業の日であったので、いつも通りに普通に帰宅して待っているとスルト侯爵家から迎えの馬車がやってきた。
言われていたとおりに制服姿でスルト侯爵家を訪問したが、これはかなり異例だという自覚はレティシアにもある。
本当は侯爵家との縁組みにふさわしい装いを用意できる家の令嬢こそが、この場にいるのがふさわしいのだろう。
(仕方ないわ。それに、まだ本当に結婚すると決まったわけじゃないし)
アストリッドが教えてくれた、聖女になるために婚約を破棄する事例というのは、国に貢献する役目に身を捧げる行いだからと双方共に不利益はないものなのだという。男性側も聖女候補を庇護する目的の婚約だったと公表されば、むしろ評価は高くなるそうだ。
だから、婚約破棄となってもスルト侯爵家には迷惑はかけないで済む。
兄が戻ってきてから、話し合いを行って、聖女になるか結婚するかを正式に決める。教会に挨拶に行く前も、アルベールははじめの約束通りにそうするのでかまわないと言ってくれた。
(……私は、聖女になりたいけれど……)
でも、そんな気持ちもアルベールと語り合うと、少し揺らいでしまう。
先日、彼が運営する療養所でも【魅了】持ちが聖女と同じ仕事を出来るようにしていきたいという展望を語られたときには、そんなことが出来るのかと驚いた。そして、自分と同じような夢を抱いている人がいることに、感動した。
だが、聖女になりたいという思いは捨てきれない。
礼儀作法の個人授業を受けさせて貰うなど、レティシアが聖女になるための様々を父が心配りしてくれた。聖女になりたいと思うのは、そんな父の配慮を無にしたくないという気持ちもある。
一体、どちらを選べばいいのか。
「開門!」
悩みつつ、レティシアが馬車に揺られていると、馬車の外から門番の声が聞こえてくる。
(着いたんだわ)
ハッとして、レティシアは馬車から降り立つ際の振る舞いを頭の中で復習いながら、スッと居住まいを正した。
「……!」
窓から外を覗くと、そこには圧倒されるような豪奢な屋敷があった。
しかも、その前には屋敷の使用人たちと騎士たちが並び立っている。
その中央には、マルタンと執事を従えて、アルベールが待ち構えていた。
(もしかして、屋敷全員でのお出迎え……?)
これは身分の高い者、王族などを出迎える際の儀礼に匹敵する。
(こんなこと、していただいていいの??)
驚きのあまりにぽっかりと開いてしまった口を、レティシアは慌てて片手で押さえた。緊張のあまりに、その手も震えてしまう。
挨拶の手順を頭の中で慌てて復習っていると、外から声がかけられて、馬車の扉が開いた。
「どうぞ、レディ」
馬車から降ろして貰うと、待ち構えていたアルベールが正面からレティシアに微笑みかけてくる。
「よく来てくれた、レティシア嬢」
「アルベール様、このたびはお招きいただきありがとうございます」
まさか、こんな出迎え方をされるとは思ってもみなかった。
緊張しながら、レティシアはまず淑女の礼をおこなった。
差し伸べられた彼の手を取ると、アルベールはそっと顔を近づけて、レティシアに声をかけてくる。
「申し訳ない、レティ。王命で父が急ぎで城に向かうことになったんだ。慌ただしくて申し訳ないが、すぐに父を紹介するよ」
アルベールのエスコートを受けて、レティシアは屋敷に招き入れられる。
扉が閉まった途端、外からわっと歓声めいたものが湧き上がった。若い男性の声なので、並んでいた騎士達だろう。
「……!?」
「はしゃぎすぎだな。私の直属の部下達だ。すまない。屋敷内の者だけなら、こんなことにはならないんだが」
レティシアが背後を気にすると、アルベールが苦笑を浮かべて、説明を行う。
直属というのはきっと、彼が指揮をしている私兵団のことだろう。
「では、今の声は騎士の皆様が?」
「ああ。君を出迎えるのに、私以上に盛り上がっていてね」
「そうなんですか……」
面食らったが、かなり歓迎はされているようで、その点はホッとする。
扉の向こうで騒いだ彼らの楽しげな声色は、アルベールへの好意の表れだ。
(好かれてらっしゃるのね、アルベール様)
安堵を覚えつつ歩いていると、程なく応接室へと招き入れられた。
部屋の中には、アルベールよりも少し背の高い男性の影があった。その姿は、レティシアは紹介を受けずともよく知っている。学校に飾られている彼の肖像画を、長い間幼なじみと共に憧れを抱いて見つめてきていたのだ。
「父上、レティシア嬢をお連れしました」
「我が家によくいらしていただいた。私は当主のヴィルジール・スルト。こちらがお招きしたのに、慌ただしくて申し訳ない」
ヴィルジール・スルト侯爵は、現王の片腕であり、宰相を務める、政の中心にある人物だ。
その人の姿は、レティシアも絵姿で見知っていたものだ。
髪と目の色は父親似とアルベールが言っていたとおりで、炎のような赤い色の髪の毛にはしばみ色の瞳を持つその人は、切れ長の眼で少し冷たい印象を与える顔立ちをしている。アルベールの顔立ちは、きっと母親似なのだろう。
「お招きいただきありがとうございます。レティシア・サフィールと申します」
侯爵の前で、レティシアは制服のスカートをつまみ、カーテシーを行った。略礼服の制服姿では完璧に優雅な貴婦人のお辞儀とは言えないが、それでもきちんとした仕草で挨拶は出来る。
「レティシア嬢。あなたの兄上の話は聞いている。任務とはいえ大変な災難だった。私たちも彼の捜索に力を尽くすことを約束しよう」
「ありがとうございます。アルベール様も、侯爵閣下と同じことをおっしゃってくださいましたので不安はございません。私は兄の生存を信じております」
レティシアの答えに、スルト侯爵は小さく頷く。
「そうか。兄上の留守の間に不都合などはないかな。なにか希望があったら、遠慮なく申し出るように。手配をさせよう」
(この方が侯爵閣下……)
憧れの人を見つめて、レティシアはゴクリとつばを飲み込んだ。
もしかしたら義父になるかも知れないこの男性に今日会えたら、是非言いたいと思っていたことが胸の内にしまい込んである。
「では、侯爵閣下、この機会に一つお願いがございます」
「ほう? 早速なんだろうか」
「レティ?」
「私は閣下にずっとお伝えしたいと願っていたことがございます。今、少しだけお話しさせていただいてよろしいでしょうか。私の親友からも、叶うならばお話させていただくようにと託されて参りました」
「そうか。……あまり時間はとれないが、よいだろうか」
「はい。長くはなりません。私と私の親友は、閣下に御礼を申し上げたいのです」
レティシアは侯爵の顔をしっかりと見据えて、唇を動かした。
「閣下、私たち女性に新しい教育を与えてくださったことに感謝いたします。国王陛下と侯爵閣下が、女性にも男性と同じように学べる環境を作ってくださったおかげで、私たちには様々な道が拓けました。ありがとうございます。直接御礼を申し上げることができたら、どんなによいだろうかとずっと願っておりました。……アルベール様、この機会を与えてくださりありがとうございます」
婚約後の顔合わせとしては突飛な挨拶だろうが、ずっと彼の人に伝えたいと思っていた感謝だ。
「なるほど。そうか」
レティシアが最後に婚約者への礼を付け足すと、侯爵は面白そうに小さく笑いを漏らす。
「それはなによりだ。そう言ってもらえるならば、これまでの苦労の甲斐もあったと感じられる。……アルベール、おまえの言っていたとおりに、向上心のある利発なご令嬢だ」
「はい」
「次の夜会で、おまえの婚約者としてお目見えしよう」
「わかりました」
「レティシア嬢、先ほど息子がお伝えしましたが、王命が下っておりますので、私はこれで失礼して、登城いたします。今日はどうぞゆっくりしていらしてください」
挨拶をして、アルベールの父は部屋からすぐさま立ち去っていく。その背中を、レティシアは満面の笑顔で見送った。
「忙しなくてすまない」
「いえ。憧れの方にお会いできて嬉しかったわ」
慌ただしい会見だったが、言葉を交わせただけでも大満足である。
「……」
「なんでしょうか?」
「なんだか君は、私よりも父に会う方を喜んでいる気がするな」
「それは……侯爵様とは初めてお目にかかったのですもの。アルベール様にはもう何度もお会いしていますから。それよりも次の夜会はいつになるのですか?」
「一月後だね。王太子の主催のものだ。陛下と教会にも伝えてあるから、公表をあまり遅らせるのも良くない。ちょうどいい頃合いだろう」
「はい」
公表についてはもう腹をくくるしかない。アルベールに守られていることが明確に分かれば、対外的には身の安全を図れる。ただし、学校でどんなことを言われるだろうかと考えると、それはゆううつになるのだが。
(嫌みとか色々と言われるだろうな)
「疲れただろう。休憩しようか」
レティシアが小さく溜め息を吐くと、アルベールは気遣う様子で声をかけてくれた。
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