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林檎の甘い香り



 アルベールの説明によると、儀式を行うことは【魅了】の力を全身に通し、自然と力が制御できるように知覚させる効果があるのだという。儀式の乙女役を担った者は、儀式を経ることで、婚姻せずとも力が覚醒するのだそうだ。

 【魅了】であっても力が弱く、縁組みではなく修行での覚醒を望む者は、早い段階で教会に預けられる。その際は数年をかけて、修行によって覚醒し、制御を行う術を覚えるのだという。

 しかし、レティシアの力の強さならば、この場ですぐに教えることが十分に出来るだろうとアルベールは言った。


 「背中に手を回して、抱き寄せさせてもらうよ。身体を近づけたほうが、力を併せやすくなるんだ」

「はい」


 惑いながらも頷くと、アルベールはレティシアの背中に腕をまわし、身体をぐっと抱え込んだ。


(……いい香り)


 アルベールが身にまとう香料だろう。やわらかで、落ち着く森のような香りがレティシアの鼻腔をくすぐる。彼の触れ方はふんわりと優しいし、血縁でもない男性にここまで密着されても、いやな気持ちはしない。


「じゃあ、これから治癒の補助をしてもらうよ」


 アルベールの声が、レティシアの左耳をくすぐった。

 兄と比べてしまっていたのでアルベールはあまり背は高くないと思っていたのだが、男性としては平均的な身長であるし、むしろレティシアとはバランスのよい身長差である。その胸板もレティシアの身体を包み込むには十分なほどに広い。

 背中からは、アルベールの体温が伝わってくる。


(こ、こんなの……していいの?)


 意識してしまうとなんだか恥ずかしくなる密着ぶりだ。


「そんなに緊張しなくて大丈夫。じゃあ、この古い木にしようか。かなり弱っているね」


 アルベールが指し示した先を見て、レティシアはすぐに意識を切り替えた。


「はい。古くて、もう実をつけなくなってしまって」


 キャンディアップルと呼ばれる低樹木は、酸味のある小さな果実をたくさんつけるのが特徴の果樹だ。小さな頃はよくこの木から実をもいで、母とばあやが実を甘く煮てジャムにしたり、パイのフィリングにしたりした。

 この木は父がまだ子供だった頃から庭に植えられていたそうだが、数年前から枝に力がなくなり、枝も殆どが枯れて、昨年はついに実もつけなかった。

 アルベールはその木の幹に触れて、魔力を流し、まずは状態を確かめる。


「この木は一部が枯れて硬化してしまって、新しい芽が育つのが阻害されている状態だね。阻んでいる箇所を取り除いて、芽吹かせれば、まだまだ育つはずだ。そのための治癒に力を貸してもらえるかな」

「貸すって、どうやって?」

「私が行おうとしていることを君が理解して、私の手助けをしたいと願って貰うのが使い方の基本だね。力を同調させるんだ。いいかな。ゆっくりと呼吸をして。気持ちを落ち着けたら、これから私の言うことに答えてみてくれ」


 指示されたとおりに、レティシアはアルベールの腕の中で深く呼吸した。深呼吸をして気持ちが落ち着くと、心が澄んでくる。


「この木は君にとって大切かな」

「はい。ずっと庭にある、大切な、大事な思い出のある木です」

「ならば、この木を助けたい」

「はい」

「この木が元気だった頃を思い出してみてほしい」

「はい……」


 アルベールの問いに答えながら、両親と一緒に小さな実をもいだことを思い起こす。幸せだったあの頃から、この木はずっと自分たちの傍らにあったのだ。


「お母様と一緒に、実をもいで、甘く煮たんです。また花を咲かせて、実をつけて欲しい」

「そうだね。新しい芽が出れば、この木も蘇ることが出来る」


 レティシアの望みを、アルベールは優しい声色で肯定する。


「レティシア嬢……レティと呼んでもいいかな。君は、私を信頼できるかな」


 問われたことをきちんと考えてから、レティシアは頷いた。


「はい」


 彼は自分を助けてくれる人だ。自分たち家族の大事な思い出を守ることにも、手を貸してくれようとしている。


「あなたを信頼しています」


 この人は大丈夫だ。そう感じる。

 自分と通じる思いを、胸の内に抱いている人だ。彼の言葉を聞くほどに、信頼は増している。


 「眼を閉じて、私の声を聞いてくれ。この木にはまだ力が残っている。根から大地の力を吸い込んで、新しい芽を出そうとしている。芽吹いたら、枝が伸びて、緑の葉をつけて、来年の春には小さな花が咲くね。さあ、一緒にその手助けをしよう」


 耳元で囁かれる言葉は甘く、レティシアの心にしみこんでいく。

 レティシアの右手を持ち上げて、アルベールは己の手のひらを上から重ね合わせた。


「この手に助けるための力が宿っている。力を貸してくれ、レティ」


 アルベールの手が重なる箇所が暖かくなっていく。同時に、背中には彼の気配と温もりと心地よさがゆっくりと染みた。


(暖かい……なんだか、気持ちがいい……)


 それはぬるま湯の中に全身が浸かるような心地よさだ。

 重ねられた彼の手のひらから、なにかの力が出て行くのが感じ取れる。


(これが魔力……?)


 魔法を使うときには、手や増幅器となる杖や剣に力を巡らせるのだと、学校の授業では教わっている。魔力は大きければ大きいほど、痺れるような、振動のような感覚が出るという。これまで、レティシアにはその感覚がわからなかったのだが、この手のひら全体の振動がきっと魔力のそれなのだろう。


(これが、力……)


 不意にけいれんするように、意識しないのに腕がビクッと大きく震えた。その瞬間、眩しい光が周囲に放たれる。


「これで治癒完了だ」


 光が途絶えると、アルベールの手が離れ、彼はレティシアから身体を離した。


(なんだか、変……)


 はしたないとは分かっているが、今は彼の身体が自分から離れたことがやけに名残惜しく思えた。


「力を貸してくれてありがとう。レティ。成果を見てもらえるか」


 促されてキャンディアップルの木の側に寄ると、すっかりと枯れてしまったと思っていた枝のあちこちから、新しい芽が出てきているのが見てとれた。


「ここに新しい芽! ここにも!」


 見つけたそれを指さしながら振り返ると、アルベールは優しい眼差しをレティシアに向けてくる。


「まだ生きている部分があったから、そこを治療して、弱っていた箇所が健康になるように補強したんだよ。それで、これまで芽が出るの阻害されていた部分が治ったんだ。この後は水と肥料を与えてきちんと育てれば、しっかりと回復すると思う。君が良ければ、明日にでもうちの庭師をやって来させて、手入れをするよ」

「お願いしてもいいですか」

「もちろん。来年、きちんと花が咲くのを見るまで、責任を持つよ。せっかく治療したんだからね」 

「……ありがとう!」

「君の力が大きいよ。本当は枯れかけていた枝を修復するだけのつもりだったんだ。いきなり芽吹くまで力を付けさせられたのは、君が私の力を強めてくれたおかげだ。これが【魅了】の正しい使い方なんだ。君が信頼した相手には、精霊が強い力を貸してくれる。どうだったかな、レティ。力を使った感想は」


 アルベールから愛称で呼びかけられることに一瞬戸惑う。そういえば、どさくさまぎれに愛称で呼ぶことの許可を取られていた。やけに手際が良くて、なんだかやられてしまった気分になる。 

 しかし、今はそれ以上に、気分は最高に爽快だ。


「すごい……こんなの教会でも教えてもらえなかった。私の手の中に力があったわ」


 光が迸ったそのとき、身体を一気に衝撃めいたものが貫いた。その瞬間がものすごく気持ちよくて、今はなんだか身体全体がふわふわしてしまっている。


(なんて言えばいいのかしら、あれ)


 気持ちがいい。それを口に出すのはなんだか恥ずかしいことのように思えて、レティシアはこの件については細かく考えることを放り出す。


「自分が何かしてるって、初めて感じられたの」


 実際、身体の感覚よりも、今は精神の高揚の方が大きい。はじめて自分も魔法に携われるという実感を得たのだ。こんなに嬉しいことはない。


「悩みも晴れたみたいだね。こういう教え方は、力の相性が良かったためと君の元々の能力が高いから出来ることなんだ。本当は儀式を終えないと難しいから、今回は特別だと思ってくれ」

「はい」


 少しすると、マルタンが教会からの返答の書状を携えて戻ってきた。


「早速会っていただけるそうだから、話をしてくるよ。また二日後くらいに、改めて君と一緒に教会に挨拶に行くことになるから、そのつもりでいてくれ。詳しく決まったら、また連絡するよ。あと、これを受け取ってもらえるかな。君を我が家に招待したい。父に会って欲しいんだ」


 そう言ってアルベールは、侯爵家の紋の入った封書をレティシアに差し出す。


「今、中身を見せていただいていいかしら」

「是非、どうぞ」


 開いてみると、中には一週間後の日付での招待状が入っている


「午後のお茶の招待だよ。学校のある日だから、制服のままで来てもらえるかな」

「はい」


 アルベールの説明に、レティシアはホッと胸を撫で下ろした。アフタヌーン用のドレスは、この家には母が来ていた古いものが残っているだけで、これはレティシアには絶望的に丈が合わない。身につける予定もなかったので、特に新調もしていないため、制服がなければ着ていく服が見つからない事態になるところだった。

 今の学校制度で良かったと思えることの一つが、制服の存在だ。上着のジャケット付きの長い丈のワンピースという制服は、国内では簡易な礼服と見なされる取り決まりとなっている。これは教会に赴く際にも大変に重宝している。


「当日は馬車を寄越すよ」


 教会での弁明の結果はすぐに報告すると言い置き、アルベールは手土産だという菓子と花束を残して、足早に去って行った。

 アルベールと部下達の一行が姿を消した途端、ステファンがひょっこりと姿を現す。曰く、二人の邪魔をしないように、今まで自室でおとなしくしていたそうだ。


「姉さん、アストリッドさんを呼びますか?」


 土産の菓子をみて、ステファンが尋ねてくる。

 スルト侯爵家の菓子をアストリッドが喜んで食べていたので、また貰ったら連絡すると彼女に話をしてあったのだ。


「うーん……これ、アストリッドに届けてあげてきて。そのまま向こうで一緒にいただいてくれば?」


 貰った菓子の箱を、レティシアはそのままステファンに手渡した。


「姉さんは食べないんですか?」

「疲れちゃって、あんまり食欲がないの。うちはまた貰えるだろうし、今日はこのままちょっと休んでるわ」


 心配そうな弟の視線を振り切って、レティシアは自室にあがり、すぐさまベッドに倒れ込んだ。


(なんだろう……この感覚……)


 身体にはまだ、アルベールが魔力を使ったときに駆け抜けたしびれの余韻が残っている。身体中を突き抜いたような感覚が、じわじわとレティシアを苛んでいるのだ。

 目を閉じると、あの感覚とアルベールの香りを思い出してしまう。


「なんなのよ、これぇ〜!」


 レティシアはじたばたと手足を動かして、ベッドの上で悶絶した。 



お読みいただきありがとうございます。


続きは明日更新予定です


面白かったよ、続きが気になると思ってくださった方、是非ブクマや評価(★★★★★)をしていただけると、作者の励みになります。

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