レティシアの失態
「レティシア!」
「きゃっ!」
近寄ってきたアルベールは、呆然としながらその場に立つレティシアの両肩を強い力で掴んだ。
「歌ってはダメだ。危ない!」
シャーッッ、と靴下猫が威嚇の声を上げたのと、アルベールの制止はほぼ同時だった。尻尾を大きく膨らませた靴下猫は、明らかにアルベールを敵として攻撃しようとしている。
「え!」
靴下猫が飛びかかってきた途端、アルベールはレティシアの身体を抱き寄せ、二人の周囲にドーム型の障壁を作る。キラキラと輝く防護壁は光の魔術で作られたものだ。かなりの高位魔術だろう。
靴下猫は障壁に弾き返されて、地面に落ち、その場から素早く逃げ去っていった。
「アルベール様、一体どうされたんですか……?」
アルベールの腕に抱きかかえられながら、レティシアは呆然と彼に尋ねかけた。彼が突然に庭から姿を現した時点から、起こる事柄に対して思考がまったく追いついていない。
「レティシア嬢、儀式の聖歌を外で歌ってはいけないと教えられていないだろうか」
レティシアを抱き寄せながら、その肩越しに、アルベールが深い溜め息を吐く。
「あー……そういえば……。司祭様から伺いました」
聖歌の指導担当のグランデル司祭と伴奏役のハリエッタ司祭はかなりの老齢で、穏やかな二人組だ。
聖歌の指導がはじめられたその時に、これは儀式でしか歌わない特別なものだから外で歌ってはいけないよと、レティシアはまるで孫に言い聞かせるように諭されている。だから単純に秘密の歌なのだなと思っていて、これまでは家でも歌うことは特になかった。
「なんだか、つい、気を抜いてしまって」
そういえば歌ってはいけなかったのだ、と今更ながらに気付く。何も考えずに、つい口ずさんでしまっていた。
「そうか……」
ぼんやりとしていたとレティシアが弁明すると、アルベールはもう一度溜め息を吐いた。
「レティシア嬢。まずは庭から踏み込むという無礼を行ったことを謝罪しよう。その上で、そこまでしなくてはならないほどの理由があったことを説明させていただく」
「はい……」
「私は君を訪ねようとこの館の前にやってきたが、その時にあちこちから猫がやってきて、外壁を乗り越えようとしているところに出くわした。同時にあらゆる鳥が一斉にこちらに飛んできているのも発見した。なので外壁から館全体に、動物を弾くための魔力障壁を張って侵入を防いで、この事態の原因を大急ぎで止めに来たんだ。……もしかして君は、歌っている最中や前後に、猫や鳥と触れあいたいと願ったりしなかったか」
「……しました」
図星を突かれて、レティシアは喉をぐっと詰まらせる。アルベールが口にすることには、ものすごく心当たりがあった。
「いいかい。歌には力が宿る。特に儀式の聖歌は特別なものなんだ。教会で歌の練習をしている部屋は、力が外に影響しないように特別な防音壁で覆われている場所なんだよ。つまり、君の力が大量の鳥や猫を呼び寄せた」
「私がですか?」
確かに呼んだが、レティシアとしては目の前にいた小鳥一羽だけのつもりだった。そこまで大掛かりなことをしたつもりは全くない。
「わかった。無自覚なんだね」
レティシアの身体を抱く腕から、ふっと力が抜ける。
「そうか。。君には本当に驚かされる。……そういうところは変わらないな」
肩越しに落ちたアルベールの声には、気が抜けたといった響きがあった。その声で、レティシアもやっと我に返って、自分の立ち位置に気づく。
「あの、アルベール様。もう大丈夫ですから、腕を……」
「ああ、すまない」
離してくれという前に、アルベールはすんなりとレティシアの身体を解放した。こういうところが彼は大変に紳士的だ。
「レティシア嬢、君は今のような力を使ってはいけない。さっきの呼び寄せはかなり目立ったから、教会で問題にされる可能性がある」
「え! じゃあもしかして、これって罰せられることなんですか」
彼の指摘にはサッと血の気が引いた。教会から問題視されて、儀式の乙女役から降ろされてしまっては元も子もない。
「その可能性もあるから、うちからすぐに根回しをする。手順を踏んで、予期せぬことだったと伝えれば、上手く収められるだろう。その代わりに、エルキュールが戻るまで公表しない話は取りやめて、今日中に教会に君との婚約を伝えるよ。君が私の婚約者だと伝えた上で今回のことを説明するから、これは譲歩してくれ」
つまりは侯爵家の名前を使うほどに、大事だということだ。
「わかりました。全てお任せいたします」
「了承してくれてありがとう。では、今日は紹介したい部下を連れてきているんだ。今は門前で待っているだから、中に招き入れてもいいかな。私の遠縁で、親友でもある。私と同い年だから、エルキュールとも同級生だ。教会への手紙の使者に立つのに一番いい」
「はい」
「ありがとう」
アルベールが指示を出すと、彼の家から派遣されてきているメイドがすぐに長身の男性を連れてきた。
彼は肩章のついた白地の上着に、裏地が紅のマントを羽織っている。
スルト侯爵家の私兵団の一員であることはその服装から見て取れた。かつての戦乱で「紅の咆哮」と呼ばれ、国の勝利に貢献し、名をあげた私軍である。
しかし、目の前に現れた彼の髪の色は緑なので、火魔法を持つ人ではないのかもしれない。
(すごく背の高い方……)
兄の身長も抜いているかも知れない、と考えながらレティシアはやってきた人物の姿を見遣った。
「レティシア、私の副官で親友のマルタンだ。紹介させてくれ」
「マルタン・トラバースと申します。以後、お見知りおきを」
「レティシアと申します。マルタン様、よろしくお願いいたします」
マルタンが礼を取るのに合わせて、レティシアも慌てて挨拶を返す。トラバースという家名は、レティシアも聞き覚えがあった。
「君に挨拶をするからと、マルタンが礼服を着てきたのが役に立ったようだ。マルタン、教会へレティシアとの婚約を申し出ることになった。面会を願う手紙の使者に立ってくれ」
「わかった」
アルベールの指示にマルタンはすぐさま応え、二人はレティシアの目の前でこれからの手はずを確認している。
その会話を端から聞くに、アルベールが親友だと言っていたとおり、確かに二人は仲が良さそうだ。
しかし長身のマルタンが隣に立つと、アルベールの姿はやけに若く見える。
(あら……? なんだか……)
先日彼と会ったときも、落ち着いてよく見ると少し童顔気味なのだなと思った覚えはある。とにかく整った容貌であるし、輪郭の整ったやわらかなラインが、彼を若々しく見せるのだろうと思ってはいたのだが。
しかし、同い年であるというマルタンと並ぶアルベールは、彼と比べると随分と少年めいて見える。
もっとも、外見はそうでも、アルベールは教会の大司教へ面会を申し出る文書を、手慣れた様子で書いていく。
その様子はなんとも頼もしい。
(猫や鳥を何匹も呼んだって、私が?)
自分のしでかしたことには、全く実感は湧き上がらない。
知らぬうちにかなりの失敗をしたらしいことにゾッとしながら、レティシアはアルベールがペンを走らす姿を見つめていた。
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続きは明日更新予定です。
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