久しぶりの学校
一番早い時刻の便の学生用の乗合馬車を使って、レティシアは校門が開くのとほぼ同時に学校に赴いた。
学校には兄が行方不明となったので、当面は学校を休むと届け出がしてある。
その取り下げと今年の学費納入の手続きを、授業時間になる前に済ませておきたかったのだ。エルキュールの失踪が学費納入の時期と重なっていたために、払い込みは一旦保留にしてあったのだが、これもスルト侯爵家が資金を準備してくれた。
「サフィールさん、いらしたのですか」
「先生、おはようございます」
事務局で手続きを終えた後、復学の挨拶のために担任のもとを訪れると、随分と驚く様子で迎えられた。その上、細かい事情を聞きたいと言われ、レティシアは教頭と担任との二名と、朝から向かい合うことになった。
「兄上が戻られたのですか」
「いえ、そうではなくて……」
この状況をどう説明すべきかと、レティシアは頭を悩ませた。
現時点で話せることは大変に少ないので、仕方なしに、兄はまだ行方不明だが、王家に関わることであるので動向は口外してはならないと言われているといった説明で押し切ることにする。最後に「見通しは明るいということです」と言い切って、にっこりと微笑めばいいとはアルベールからの入れ知恵だ。
「王家に関わる」と言えば、どんな追求からも逃れられるという。
更にレティシアとステファンは後見になると名乗り出てくれた人がいて、兄が戻るまで保護してもらえるという説明も行った。生活も学費もその方の援助があるので、これまでと変わりなく暮らせるとも伝えると、この新たな後見人の話には、教頭がなにやら気にする様子で口を開いた。
「ご婚約か、それともどこかにお仕えでもなさるのかしら」
強い魔力を持っていたり、騎士としての才能が高いなどの何かしらの能力を持つ者は、後の出仕を条件に在学中から援助を受けるケースもある。レティシアも同じように、そういう予定があるのではと勘ぐられるたのだろう。
「それは……」
その問いかけに、レティシアは少し目を伏せて、わざとらしく言葉を濁した。
この仕草でわかるだろう。勝手に察してくれというサインを出すと、教師は踏み込みすぎたことを誤魔化すようにコホンとわざとらしく咳をする。
「実は、あなたのことについて伺いたいというお話が先日あったのです」
「まあ」
驚いた顔をしながら、レティシアは考えを巡らせた。
(伺いたいって一体誰が?)
仕官の際に事前に素行を調べるために、学業成績や人柄などを学校に問い合わせる場合があるとは聞いたことがある。
もっとも、それは王宮騎士団の王子や王女付きの近衛隊というエリート部署の配属候補として選出されたり、大貴族や王族に仕える高級女官に取り立てられる可能性がある場合の話であって、流石に学校側も相応の話でなければ応えないことは確かだ。
大貴族のスルト侯爵家ならばそれをする事も出来るだろうが、アルベールならば教師にこんなことを漏らさせるようなヘマは絶対にしないだろう。
(まさか、叔父様が言ってたことは本当だった……なんてことはないわよね)
ふと、叔父が口にしていた荒唐無稽な話がチラリと頭をよぎる。
身分の高いとある方に仕えるなどと、とんだ与太話だとこれまで頭の中から追い出していた。あの話が本当ならば、大貴族かそれに類する立場の者がレティシアを高級女官として取り立てる前調べを行った可能性はある。
(なんだろう、これ)
微かな不安を覚えつつも、レティシアはしとやかな仕草で小首を傾げてみせた。
「そうでしたか。まったく思いがけないことで驚きました。そのお話はどのようなところからいただいたものでしょうか」
「……いいえ、それは生徒には伏せることになっていますから。でも、いいお話が決まったようで安心しました。あとはお兄様の無事のご帰還を祈るだけですね」
「はい」
返った答えに内心舌打ちをしつつ、レティシアは対面する教師達に微笑みかけた。
(そんなことを人にバラすくらいなら、教えてくれたらいいのに。いやな揺さぶり方だわ)
学校への調査は、公的な機関か身元卑しからぬ人物からの正当な問合せには答えると生徒に明言しているが、当人には問い合わせを受けた事や問合せ元は教えないのが決まりとされている。あくまでも調査段階であるので、のちに仕官することが叶わなかった時に生徒が落胆しないようにとのことで、それには納得がいく。
この場で半端に問い合わせがあったと言われたのは、レティシアが濁した支援者の情報を引き出そうとする手管だろう。こういうやり方をすれば、よりいい話が自分にやってきているのではないかと、細かなことを口にする生徒もいるに違いない。
(そういうのにはひっかかりませんからね!)
伊達に両親に先立たれて、兄弟のみで世を渡ってはいないのだ。どんな落とし穴があるかわからないのだから、たとえ教師相手でも警戒は解かない。
「それでは失礼致します」
教頭の嫌なやり口に、心の中ではかなりモヤモヤとしながら、レティシアは面談室を後にした。
教室に入ると、担任との話が長引いたためか、中にはすでに多くのクラスメイトの姿があった。
扉を開けた途端、アリシア・ラインスター侯爵令嬢の取り巻きの一人がレティシアの姿を見つけ、いじめの首謀者である彼女に注進する。
(やな空気……)
「ごきげんよう」
自分の席に向かうには、どうしてもアリシアたちの前を通る必要がある。
普通に歩き、素知らぬ顔で挨拶をして通り過ぎようとしたが、やはり何事も泣くとはいかないようだ。
「ごきげんよう。退学されたんじゃなかったんですの、サフィールさん」
じっとりとした眼差しでアリシアから見つめられるのに、レティシアは笑みを顔に貼り付けた。
「あら。どうしてでしょう。私は家の都合で、お休みしていただけですので」
「まあ……てっきりもう学校にはいらっしゃらないかと思っていたわ」
「だって、ねえ」
「大変でしょう? この学校に通われるのも」
「では、お兄様が見つかられたの?」
アリシアに追随するように、彼女の取り巻き達がわざとらしくクスクスと笑う。
どうやら借金取りにおしかけられたことはすでに知られているらしい。
「皆様にはご心配をおかけいたしました。兄のことは全く問題はございませんわ。軍に関することは口外を禁じられておりますので、詳しくはお伝えできませんの。ご心配いただきありがとうございます。また今日からよろしくお願いいたします」
仕方なしに、心を無にして、彼女たちに向けてにっこりと笑う。そうして一息に挨拶を終えると、レティシアは足早に自分の席へと向かった。
(嫌な人たち……!)
ずいぶんな言われようだったが、拗れきった状態は手のつけようがない。
聖女となれば、レティシアも社交界とは一線引いた立場になるため、今だけ我慢すればいいと黙っている。
「……」
教室内にはもちろん中立の立場、レティシアに思うところはない同級生もいるのだが、首謀者であるアリシアは身分も高く、教師達からの覚えもいい。そんな彼女の睨みがひどいため、彼女たちもあまり表立ってはレティシアと交流しようとはしてこない。
実際、アリシアに睨まれたら、今後にどんな影響が出るか分からないと思うと、うかつなことは誰も出来ないだろう。
変なとばっちりをかけたら申し訳ないので、レティシアもできるだけ同級生たちには近づかなくなった。
アリシアからの嫌味を言われている最中、他の同級生達は申し訳ないといった眼差しをレティシアに向けているので、これはもう仕方がないと諦めている。
(……私は空気、私は空気)
席について、いつもの心得を胸の内で唱える。
真面目にする、目立たない、個性を消しておとなしくする。それが全てをやり過ごすための、せめてもの出来る事柄だ。
こんなにもレティシアが嫌われている理由だが、以前にアストリッドが彼女のクラスの情報通の子から聞いたことを教えてくれた。
レティシアが儀式の乙女に選ばれたと披露した際に、アリシアの婚約者と仲のいい貴族の子息たちがレティシアの容姿に目を向けて、随分と盛り上がっていたのだという。彼らは、アリシアの兄までも交えたグループで、どこかの家の庭園でのお茶会の際に男ばかりが集まって話していたのだそうだ。
そんなうかつな会話が外に漏れないわけがない。
彼女の婚約者たちが、レティシアならば妻にしてもいい、愛人で囲ってもいいと勝手なことを言っていたのがしっかりと女性たちに伝わったそうで、アリシアはそれから、レティシアをとにかく敵視しているのだという。
元々、派閥に与さないことを生意気だと思われていたところに、それがとどめだったらしい。
自分の婚約者がその話に混じっていたのという他の令嬢も、彼らの会話について知った後は、あれよあれよとアリシアの取り巻きに加わってしまったそうだ。
そんな成り行きでは、もうレティシアの側は何の手の打ちようもない。
ただ、時が過ぎて、卒業が来るのを待つのみだ。教室内の居心地が悪くとも、聖女候補であるのが功を奏してか、具体的に何か手を出されたりはしていないのが幸いだった。
(もっとのびのびと勉強できたら楽なんだけどな)
それよりも、今は未来の聖女となるために、できるだけいろんな事を学んでおきたい。
学校はそれを学べる場所なので、今はやりたいことに邁進したかった。
お読みいただきありがとうございます。
続きは明日更新予定です。
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