運命の恋
レティシアの母親・リゼルも【魅了】であり、儀式の乙女になるはずだった。
はずだったというのは、その予定が頓挫したからだ。
強い【魅了】持ちの彼女は下級貴族の出であるが、その美しさが人の心を惹きつけると社交界では有名な存在だったらしい。儀式の乙女に選ばれる前から、かなりの数の求婚者がいたそうだ。
リゼルは山のような求婚の全てを断っていたが、儀式が執り行われる前年に赴いた夜会で男やもめのぼんやりとした子爵と出会った。そのぼんやりとした子爵というのが、レティシア達の父親であるドミニク・サフィール子爵である。
その後、リゼルはすぐに家を出奔し、なにもかもを投げ捨てて、ドミニクと結婚した。
駆け落ちとまでは行かなかったが、リゼルは身一つでこの家にやって来て、このままでは他の人と結婚させられるからと父に泣きついて、全ての反対を押し切ったのだという話をばあやからも聞いている。
「あの時の奥方様は、本当に本当にかわいそうで……あんなに儚げな美しい方が泣き濡れて、必死で旦那様に助けを求めていたのですよ」
その時の母の事情は、父は何も言うことはなかったが、ばあや曰くは「どうやら相当切羽詰まった事情があったらしい」とのことだ。その後に外部から聞きかじった話では、当時のリゼルは王族からも愛妾となるように求められていると噂されていたらしい。
なんにせよ、面目を潰されたと怒った実家からは、彼女はほぼ完全に縁を切られていた。
貴族社会では母の行いは醜聞だが、物語のような運命の恋に身を投じた乙女として、恋愛に夢を描く若い女性の一部ではいまだに憧れられているという。
反面、その行いがあまりにも情熱的であったが故に、レティシアを快く思わない級友たちからは陰口の種にもなっていた。
「身持ちの悪い母親の血を引いている」と囁かれることに本当は反論したくて仕方ないのだが、下手に言い返せば、弾みで手まで出てしまいそうなのでこれはぐっと我慢している。
「でも、お母様のように運命の恋かもしれない。年々似てくるよね、レティシア」
アストリッドの視線が、壁に掛けられたレティシアの母の肖像画に向いた。
その柄は、母の美の信望者だという画家が突然家に押し掛けてきて、勝手に描いて置いていったものだそうだ。
リゼルにはこういう逸話が多い。父と結婚した後もその美を讃える詩が歌われたり、貢ぎ物を捧げられたり、密やかに便宜を図ってもらえたりと色々な事があったそうだ。
だが、彼女は亡くなるまでの一生、ドミニクを深く愛し続けた。
「だけど、アルベール様とは初対面だったし」
「レティシアはそうでも、エルキュールの友達なんだから、あっちはレティシアのこと知ってたんじゃない? っていうか、間違いなくとっくの昔にレティシアのことを調べ上げてあるわよ。スルト侯爵家なら教会にもかなりの寄付もしてるし、儀式の乙女の選定だって王家に報告があるから、侯爵様もアルベール様も知らないわけがないわ。それにアルベール様だって学校の改革で、校舎にも結構来てたよね。そういう時にレティシアの姿は確かめられるから、こっそり見ててもおかしくないわよ。私たちだって、そういう時にアルベール様の姿を見たことがあるじゃない」
「それは……そうだけど」
アストリッドが並べ立てた事柄は、確かにそうかもしれない、と頷けた。
学校に来訪したアルベールの姿を見るために、女子棟の窓に生徒達が鈴なりになるのは毎回のことで、そういった機会にレティシアとアストリッドも彼の姿を遠目に覗き見たことはあるのだ。
「でも、正直すっごく不安」
「なにが?」
「だって私、がさつだもん。確かに礼儀作法は学んでるけど、侯爵家なんてそれじゃ足りないだろうし」
レティシアは背を丸め、自分の膝で頬杖をつき、大仰に溜め息を吐いた。
行儀が悪いことはわかっているが、気心知れたアストリッドの前だからこそこんな拗ね方が出来る。
「婚約が知られた時点でもだけど、その後も私がアルベール様となんて、ちょっとでも失敗したらなんて言われるか想像つくもの」
貧乏貴族が成り上がった。【魅了】の力で絡めとった。スルト侯爵家を思うままにするつもりだ。
度々、教室で自分をあざ笑う侯爵令嬢とその一派の姿が思い出される。そんな彼女たちも、アルベールの姿を見るために窓辺にへばりついていた口だ。
レティシアがアルベールと婚約したと知られれば、彼女たちは嫉妬や偏見から、心ないことをいくらでも言ってくるだろう。それを考えると、気持ちが重くなる。
「大丈夫だよ。レティシアは頑張れる子だもん。私たち……エルキュールのあの特訓についていったおかげで、体力と根性だけはあるじゃない」
拗ねるレティシアの手を取って、アストリッドはそれをぎゅっと強く握りしめた。
あの、というのは幼い頃に二人が受けた、かなり理不尽な体力作りの特訓だ。
おやつを奪われるかくれんぼのみならず、両家の庭を使っての延々とエルキュールに追い回されるゴールのない鬼ごっこや木登り、ジャンプを高く飛ぶ練習など。どう考えても女児がおこなうようなものではない特訓を、両家の親も使用人も、誰も止めてはくれなかった。
特訓時のエルキュールは全く本気を出しておらず、彼にとって妹たちを鍛えることは片手間の遊びでしかなかった。そのためか、普段の彼の猛々しさを知る大人たちには、その過酷さがあまり伝わらなかったらしい。
だが、追い回される二人にとっては、あれはまさに地獄のような特訓だった。
そのおかげでレティシアとアストリッドはつらい時期を乗り越えた同士として固い絆で結ばれているし、二人より遅く生まれたステファンも同じ洗礼を受けているので、この三人の間にはエルキュールの被害者だけがわかるなんともいえない連帯感がある。
「そうだね。その節は、うちの兄が本当にひどいことをして申し訳なく……」
「うん。みんな、被害者だから……。でも、レティシアはそのおかげでダンスも得意じゃない。踊ってるときのレティシア、とっても綺麗よ。本当にレティシアが侯爵夫人になったら、みんな何も言えなくなるんだから、今からそんなに落ち込まないの!」
めっ!とアストリッドは可愛らしい所作で、レティシアを叱ってみせた。
「それに、やっぱりどう考えてもいい話よ。今はとりあえず約束だけで、エルキュールが戻ってきたらもう一度考えていいんでしょ。それってレティシアにすごく譲歩してるよね。婚約も別に当分は伏せておけば問題ないし、いざとなったら公表してからでも、破棄は出来るもの。そうなってもレティシアが聖女になって、女神様が聖女となることを強く望まれたからって言えば傷は付かないはずだよ。前に調べたけど、そう言って聖女になった人がいるって記録があったもの。でも……まあ、元々アルベール様贔屓だからちょっと点数は甘いかも知れないけど、やっぱりいい人なんじゃないかな。スルト侯爵家のおかげで、私たちはいい環境で学べるんだしね。アルベール様が取り入れてくれた情報学とか経済学の授業、私はすごく好き」
「だよね。侯爵様をものすごく尊敬してるものね、私たち」
新しい教育の導入、女性の権利の確立、と現在の王と宰相であるスルト侯爵がこの国に取り入れた新しい施策は、女性の生き方を明るいものに変えてくれた。そのことには二人とも心から感謝をしていて、前から侯爵とアルベールには尊敬の念を抱いていたのだ。
アストリッドの指摘通りに、彼の出した条件はなにもかもがレティシアには都合がいいし、あの時のアルベールには悪い感じは受けなかった。
「失礼します。いらっしゃい、アストリッドさん」
不意にノックの音がして、二人がくつろぐ部屋にステファンが顔を見せる。
「ステファンくん!」
その姿に目を輝かせてアストリッドは立ち上がった。
「わあい! ステファン君だ」
アストリッドがきゃっと近づこうとするのに、ステファンは上手く彼女をいなして、姉の隣に腰を落ち着けた。そして早速彼女の持ち寄りの栗のパイに手を出して、わしわしと食べ始める。
曰く、アストリッドは五歳年下のステファンが「お気に入り」だ。彼女の両親もステファンをかなり気に入っていて、一人娘のアストリッドの婿にと考えているフシがある。
もっとも、アストリッドはいざとなれば自分が爵位を注ぐのだと張り切っているが。女性が爵位を継げるようになったのも、新しい施策の一環だ。
しかし、この家はエルキュールが継承したのだから、次男であるステファンがアストリッドの家に婿入りするのはむしろ願ってもない事柄なので、こちらから頭を下げたいほどであるが、それもエルキュールが五体満足で帰ってこないと話にならない。
レティシアが様子を見る限り、アストリッドが弟を好いているのは本当だとわかるし、そこに恋愛感情らしきものがあるのも確かなので、全てを上手く運ぶためにも兄には無事に戻ってきて欲しいのだ。
「それで、ステファン君はアルベール様に仕えることになるの?」
アストリッドの問いに、姉弟二人は顔を見合わせる。
「多分そうなると思います。兄さんがそうしてくれって手紙で頼んでたので」
「とりあえずは義弟になるから学費とかも普通に援助してくれて……成績とか資質を見て、自分の補佐のなにかしらに取り立てるつもりって言ってたけど」
「僕の出自から考えると破格の話ですね」
国の中枢で政にかかわるところに仕えることになるのだ。文官としてのエリートコースに乗ることになる。
あまりに破格すぎて疑ってしまったが、何の裏もなければ手放しで喜んでいい話なのだ。
「僕より姉さんです。本当に仮の約束でいいんですか?」
パイを咀嚼する合間に、ステファンはポツリとこぼす。
「何?」
「正直、聖女になるよりも、あの方と結婚する方がいい話なんじゃないかなって思いますけど」
「何よ、いきなり。あの時は一緒に助かったって喜んだじゃないの!」
「そうですけど……落ち着いて考えたら、結婚の方が姉さんが幸せになれるんじゃないかと思ったんです」
「違うわよ。私は聖女になるのが夢なんだって前から言ってるじゃない」
思わず拳を握って、レティシアは弟の言に反論した。
それが一番いい道だと思って、これまで頑張って来たのだ。清廉潔白な聖女となれば、男を誑かすなどと指さされることもない。
「まあ、姉さん次第ですけど。考える時間はもらってますしね」
「だから、考える必要もないの! 私は教会に入ります!」
問題はエルキュールの行方だ。兄が帰ってくれば、全てがうまくいくはずなのだから。
「とりあえずは後妻になれとか愛人に斡旋するなんて話から逃れられたのが、一番ありがたいわ」
ホッと息をついて、レティシアは壁にかかった絵を見上げた。
リゼルの肖像画の横には父と前妻である兄の母を描いた絵が飾られている。もしも路頭に迷っていれば、家屋敷も取り上げられて、この絵を持ち出すこともできなかっただろう。
エルキュールが不在のままに、彼の母の絵を手放すような事態に陥らなかったのはアルベールのおかげだ。彼に手を差し伸べてもらえたことはなんともありがたい。
「よかった、私もステファンも家なき子にならなくて」
「そうよね。それは本当に安心した」
今の平穏を改めて口にして、レティシアとアストリッドは二人、わっと抱き合ってた。さしあたっての問題が解決したということにはものすごい開放感がある。
身辺が落ち着いたおかげで、レティシアもステファンも週明けから登校もできる見込みだった。
「じゃあ、また学校で」
その後も様々な事柄を一通りしゃべり倒して、ニコニコと笑いながらアストリッドは帰っていった。
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