37.乖離
遠くで聞こえていた歯車の音が、今はすぐ近くに聞こえる。ぼーっとする中、それらに集中して聞き始めると、螺旋の行く末を見つめているような不思議な没入感に駆られるようだった。
静かで、穏やかで、何処かギリギリを踏み留まる瀬戸際の中。古びた鋼鉄を背にして、僕はものの見事に草臥れていた。
昇降機へと駆け込む事に全霊を掛け過ぎた。此処まで休息と呼べる時間は殆どなかった。…本来であれば、エレベーターが通電しているか否かを僕は確かめなればならない。
しかし、『班長は休め』とスオウが請け負ってくれたお陰で、今は少しばかり身体を休める事が出来ている。
「(……まだ数分か。彼等を弔う暇は無かった。アマテラスに見つかって、袋の鼠にされるのは時間の問題か……)」
鹵獲したアマテラスの通信器からは、僕達の突破した兵士の応答を願う伝令が聞こえている。……僕達の賭けは、今スオウに託されている。
「クソッ……思ってたより劣化してやがる……!もう一度だ……!」
……敗色濃厚に差し掛かっているにも関わらず、焦る余裕すら残されていない。その現実をただ漠然と受け止め、僕はただ、塵っぽい鉄の中で、天井の薄暗い電球を見つめていた。
「(━━━意識が……)」
包まれる。その一言で表現出来る心地よさが、
僕を何処かへと、ひきあげる。
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「…………俺か」
「おいおい、同じ俺同士だろ?逢丞で構わねーよ」
━━意識が明瞭になると、強い既視感が僕を掴んだ。
整然とは程遠い空間。ヨレて使い古されたフロアベッドには乱雑に私物が並べられ、埃の被ったチェストには古びた雑誌の類いが紐に巻かれている。足元に散見される空き缶にも見覚えは無いのに、それが『アルコール』の類いだと言うことも分かる。……胡蝶の夢での、僕の部屋だった。
部屋の粗雑さに似合わない、少し背伸びをして買ったモノクロのテーブルはやけに片付いており、僕の対面に俺は座っている。
「……何故…此処に?」
「そりゃ、根本は繋がってるみたいだからな。今は俺が僕を引き寄せてるから……まぁ、それが反映されてるって事だろ。
ただ、思考と人格は独立しているらしい。フォルシーの人格のまま俺の思考になったり、その逆もまた然りときた。 覚えてないか?あの気に食わねぇサイコ野郎に銃を突きつけた時。お前も俺にアドバイスをしてくれたんだぞ?」
……僕自身が言ったかどうかに関しては、正直自覚は無かった。あの瞬間、僕の意識は俺の物に置き換わったのだから。
それでも彼の言葉に対して、抵抗無く納得に至った。
「『中途半端』という言葉が唐突に沸いて出てきたのは、アイスケの介入があったのか?」
記憶に新しい僕の中の戸惑いに出てきた言葉について訪ねると、彼は『うわぁ……』と呟いた後に、苦しそうに顔にシワを寄せた。
「……実の所、俺もその辺りはわかんね。けど、俺は立派な人間じゃ無かったのは確かだ。何度自分自身の中途半端を呪ったか、分かったもんじゃねぇ。
…っと、話が逸れちまった。こういう時は手短に…ってな」
居住まいを正す俺は続ける。
「フォルシー。……お前は、立ち向かってくる者達全員を、さっきみたいに殺すのか?」
「………………」
唐突の問い掛けは、僅かな間だけ僕から言葉を奪い去った。
「自分の進む道を阻む障害物として、邪魔者として、敵として……。目的の為に手段を問わず、殺すのか?帰りを待つ何かの為に、国の為に、自分の為に。生き永らえようとするその芽を摘み取るのか?」
━━心が震える。『何を今更言っている?』と、僕の中の琴線が強く打ち鳴らされる。
「…離れようが進もうが、0ではない確率に当たった。平和的な解決が望めない状況の下、僕は使える手札を使った。その犠牲が敵として立ちはだかったかつての同胞だった。
踏み間違える先が奈落である賭け、限りなく短い時間の中、悠長に後悔しろと言いたいのか?」
対面の彼は、ただ静かに首を縦に振った。
「誰だろうと幸せになる権利はある。憎たらしいが、俺を見下してきた奴等にすらそれは存在する権利だ。この世界ではどうなのかは知らんが…それを貫くのが『俺の矜持』だ。
人は斬られれば死ぬ。撃たれれば死ぬ。殴られても蹴られても、焼かれても溺れても、何もしてなくても死ぬ。トクサにも、今回手を下したスオウにも。幸せになる権利はある。……今回言えるのはこれくらいだ。話そうにも、『此処』に留めておくにも時間が限られてるから━━………………」
彼の言葉尻が次第に遠くなる。『待て』『話の途中だ』と叫んだ筈だが、不思議とそれは僕の耳にも届く事は無い。乖離した僕は、既視感の渦巻く空間から引き剥がされていく。
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「(何も知らないだろうっ…思い出す度にむせる他人の臭いを…焦げ付いた機械の臭いが仲間から漂うのをッ・・・!!!)……お前が何を知っているんだ!!」
…………静かな、閉ざされた空間に声が木霊した。
「ウスズミ、また泣いてる。…うなされていた?」
「班長…危なかったな。あと少し早かったら、廊下にエラく響いてたトコロだ。
変に唸り始めた辺りで突貫作業になっちまったが、まぁ下には行く分には持つだろうよ。」
赤茶けた鉄の小部屋。しかし、間違いなく『下降』している事は、肌で感じ取れた。
ゆっくりと、ゆっくりと、決して早く動いている訳では無いが、駆動音と共に昇降機はしっかりと作動していた。濡れた頬を袖で拭い、号泣した後にも似た感覚を正す為に大きく、深呼吸をした。
「━━二人に聞きたい。…僕は君達に『ありがとう』と『すまない』、どちらを言えば良いんだろうな。
…夢ではない、何かを見ていた。その時に強く叱責されて…今、酷く混乱している。」
腰元のポーチから煙草を取り出そうと手が伸びるが、喫煙する気分にはなれなかった。…この現状で吸おうと思える程図太くはないが、もっと根本的な部分で吸いたいと思えなかった。混乱の影響だろうか。
それとは別に、欠落や空虚といった言葉が宛がわれるような喪失感が胸中に残っていて、形となる『回答』がどうしても欲しかった。
「…アタシは別に、どちらも言って欲しくねぇよ。此処に居るのは自分の意思で、班長の案に乗っかったのも自分だ。…でも、感謝されるのは、まぁ、悪くは無いけどな?」
「ワタシも、ウスズミには、謝らないでほしい。…謝るのはワタシ。でも、ワガママだとしても、ウスズミは手をひっぱって、『来い』って言ってくれた。だから、『ありがとう』が欲しい」
僕は俯く。
「━━━━━。…とも」
震えた声で『ありがとう』を呟く。
聞こえたのか、何やらブツブツと言っている。
何故此処まで泣いているのかも分からないが、今だけは彼女達のくれた回答に甘んじて、自分の弱さを反芻しようと、袖で両目と口を覆い隠した。




