36.冷徹を以て
目的地との距離は近い。足音、装備の接触音の残響は無い。切迫した空気は走り抜けた後の喘鳴すらも許さず、吐く事を意識した呼吸で心拍を整え、音を殺して周囲への警戒を継続する。
僕の視界、区画の分岐右側に敵影は無い。クロガネの索敵通り『安全』だと判断可能だろう。……それでも、『最悪』は常に想定しなければならない。
「………。(”…一手戻る。通ってきた廊下横に身体を隠せるスペースがある”)」
地下拠点も表層と大差なく、多くの区画分岐の連なる構造となっている。巡回する兵士と対峙した時、『見つかる事』が最も厄介で恐れるべき瞬間だ。
応援を呼ばれれば数的有利に持ち込まれ、僕達の逃げ道は無くなってしまう。それを防ぐ為に戦闘に縺れ込み、逃走経路を確保したとしても、瞬く間に情報は地下居住区へと行き着くだろう。
「━━僕の考えはこうだ」
手短に、迅速に。一手前の空間に身体を屈めて、二人に『作戦』を説明する。今に限ってはトクサはなるべく庇護の対象として考え、『スオウ』主体にに動いてもらう。だからこそ、僕の提示した作戦は━━━
「………『騙し討ち』か。良いのか?本当に」
『近接戦闘に持ち込み、応援を呼ばれる前に討つ事』だった。
スオウはまだ、受け取り方によっては第8戦獣調教班。班長である僕に振り回され、当事者側に立たされてしまった者だ。彼女の性格ならば、そんな僕に対して腸を煮やしても誰も変だとは思わないだろう。
…なら、スオウ自身の手で僕を殺そうと、彼女が周辺を探し回っても可笑しくない。『掃き溜め』であるからこそ、別の自由があるからだ。
「君にしか頼めない。また『汚れ仕事』になるが……」
「気にするな。この手の仕事なら、大得意だ」
呟いた彼女は、手元に携える得物に目を移す。直後、僕に対してネジが外れたような『笑み』を浮かべる。
狂気ではない。けれども正常でもない。逸脱した在り方の笑顔を前に、身体が僅かに硬直する。
「……ワタシは、あまり善くおもえない。ヒキョウなやり方で、構わないのか?」
一方トクサは、こんな状況下でも善性を貫いている。
僕をみつめる彼女は、起案したモノと対称の、平和的解決を訴え掛けてくる。僕の優しさを疑わないからか、それとも巡回兵に対しての憐れみがあるからか。
━━僕は、首を横に振るう。耳に残るクロガネの言葉が、僕の首を横に振るわせる。
「僕もなるべく正々堂々ではいたいけどね。……そうも言ってられないんだ」
「ならしかたない。静かに、してよう」
窘めるとトクサはすぐに口を紡ぐ。……そう、僕はこれから人を殺す。今は個人の倫理観以上に、戦力と状況から算出される結果が重要だ。巡回する兵士に見つからない可能性は無い。
スオウの立場を用いたとしても、繋がりを模索されれば捕えられる。残り僅かの距離、クロガネのバックアップは命綱だったが、既にそれは途絶している。
「(………何故、こんなにも怯えている。かつての仲間だからか?今更、人を殺す事に……何故僕は躊躇っている?)」
”………悪にすらなりきれない半端者……”
「……しゃんとしろよ。作戦考えたんなら責任は持て。班長はこれからアタシを使って、責任で人を殺すんだ」
いつの間にか呆然としていた僕を、片腕で強く掴むスオウ。手は全く震えておらず、『人の命を摘む事に対して何の躊躇も抱いていない』と、彼女の瞳は豪語している。肩の圧迫感と痛みは、なまじ少女の物とは思えない程に力強かった。
「……あぁ。頼んだぞ」
「そうだ。……トクサを守るなら、それくらいの眼はしてくんねーとな」
…どんな眼に見えているのやら。そんな少し不貞腐れた考えが脳裏を過ったのを最後に、僕はトクサに覆い被さる形で、第8班の拠点から持ち出した資材防護用のカバーを被る。
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数分後、音がした。
僕達しか動いていなかった廊下に、凄惨とも無情とも言える音が、少しだけ。カバー越しに聞こえるその音は、とても命が潰えた事を知らせる音だとは思えなかった。
脆く、粗末で、雑草が刈り取られる様に。蟻を潰すように。僕はトクサの手を取ったが為に、何人かの未来を奪った。
「━━━すまない」
自己満足の憐憫に強張る腕を、トクサもまた憐れみの目を以て、そっと添える。……善性が残ったまま下す残酷な方法は、これからも僕を、何度と無く葛藤させるだろう。
忘れてはならない。僕は人をこれからも殺し続ける。彼女を空まで連れていくその時まで、僕は………
「終わった。……使えそうなモン持ってきた。
分担して仕舞うぞ。装備だとか道具…その辺り関係は班長、水分と食糧、嗜好品はトクサ。それ以外のモンはアタシが。急げ」
━━淡々と、戻ってきたスオウは告げる。皮膚の汚れはあれど、衣服に返り血の類いはない。最初の面影は既に消え、その姿は此程なく頼もしかった。
指示通りに背負っている鞄を開き、彼女の持ってきた巡回兵…アマテラスの携行鞄を開く。幾つかの予備弾薬と刀身保護のコーティング剤。煙草や携帯食糧はトクサに渡し、布地のハンカチや鋼細工、望遠鏡の類いはスオウへと分配する。
目的地との距離、約50m。足音、装備の接触音の残響は無い。事を終えた以上は、進むだけだった。




