~上層にて~
場面は今一度、上層へと移る。
「あー…クソッ!!!」
華奢な少女の拳が壁を強く打ち付けると、似つかわしくない物騒な音を立てる。音の主であるスオウ自身も、このような形で自らの怒気を発散できるとは思っていない。
器に収まりきらない怒りを理解した所で、大人しくその怒りは鞘に収まる事はなかった。
身体が平静にすぐ馴染む事は無い。頭を抱えるのは勿論、辺りを忙しなく動きながらも床や壁を小突く。かと思えば、テーブルの椅子に乱雑に座ると、大きな溜息を以てやっと一息をつく。
先の一件での結末と、ウスズミとトクサの安否。彼女の情緒を揺さぶる要因は留まる事を知らず、次第にそれは周りへと伝播していく。
「…気持ちは分かるけど、溜め息とか、そういうのやめてくれるか? スオウ」
「お前なぁ…人の心とかねーのかよぉ…。…心配と胸糞悪さでどうにかなりそうなんだよ…。
トクサあ………ちゃんと生きてんだろうなぁ……」
「だから…気持ちは分かるって。第7の連中はキナリ中将が灸を添えてくれたし…。きっと探してくれている。 マイナスな思考は相応の結果を生む。トクサも班長も、ちゃんと生きてるさ」
スオウに忠言するクロガネ。根本的な考えの違いは、大きな確執を生まないまでもスオウの心象を僅かに淀ませる。
『そんな事分かっている』という意思を、言葉ではなく態度で表出するスオウは、机に突っ伏したまま唸り続けており、そんなスオウを目の当たりにしたクロガネの表情にはどっと疲れが溢れた。
「あらあら…貴方がそこまで他人に干渉するなんて珍しいわね?」
「…何が言いたいの?」
「ん~、もっと分かりやすく言おうかしら? …ウスズミ班長の事、そんなに気に入ったのかなーって」
テーブルの一番端に座るリンドウ。カップに注がれた珈琲の黒い水面を見つめながら、クロガネへと問い掛ける。しかしその問い掛けが内包する『からかってやろう』という艶のある気概は、彼にしっかりと届いたようだった。
僅かに赤らめた顔を必死に取り繕いながらも、回答に詰まっていたのを見て、リンドウはくすくすと嗤う。
この空間にトクサがいれば普段通りの『第8』であるのにも関わらず、一人欠けただけで一瞬膨れ上がった和気は、すぐに鳴りを潜めてしまう。ウスズミも加わり、どのような毎日を過ごすのかも彼女達は期待したのかもしれないのに。
「……でも…スオウさんの言う通りです…。…心配です。私も」
『楽しみ』となる些細な可能性を、非合法な事故で潰されたかもしれない。今まで日常だった欠片を失ったかもしれない。…ルリはその重圧に耐えきれそうも無かった。
「本当に無事かどうかなんて分からないんですよ…? 何処まで落ちたかなんて全く想定されてない…。ウスズミ班長もトクサちゃんも、単なる人間なんですよ…? 軽く見積もって何十mって長さを…人間が耐えられると思いますか…?」
塞き止めていた不安の枷が崩された瞬間、それは雪崩を作り、周囲を巻き込む。
不安は伝播する。人から人へ伝わる毎に蓄積する、感情への負荷。スオウを発端にルリに伝播し、ルリが不安の濁流を放出する。クロガネがそれを何とか宥めながら場を取り持ち、リンドウはそれをただ眺めている。
「…リンドウ、どうにかしてくれ。…考えない様にしていたけど……、……っ認める。心配だよ。班長の何処を気に入ったとか具体的には認められないけど…」
脳裏に想起させる彼とのやり取り。まるで人が変わったかのように、唐突に自分の領域へとずかずか入り込んでくるのは疎ましかったが、クロガネ自身の表出する感情を彼は否定することなく受け入れた。
『受容』ではなく、彼にとっては『抱擁』に等しかった。
そして、彼にとって最も嬉しかった事は――――
「……僕と向き合い、『運用』してくれた。”戦術的に”とか”コスト”とかそんな堅苦しい事抜きに…ただ心配なんだ」
忖度無く、自分を信用して『使ってくれた事』だった。
表出した事で、彼も『限度』を迎える一歩手前に直面する。短期間だけであったとしても僅かに開いた心の隙間から吹き付ける風は、彼の脳内で不吉な事を予感させていた。
顔が青ざめると同時に、彼の口からも堪えていた言葉が紡がれる。『心配だ』と。
リンドウは目を丸くさせた。…本当に此処まで他人に干渉し、他人の安否を気遣うクロガネに驚愕していた。ルリも、スオウも、クロガネも。此処に居る全員がトクサとウスズミの心配をしている。
だからこそ、年長者たる彼女は不敵に、ふてぶてしく笑みを浮かべる。
「はーいっ、大丈夫大丈夫っ! クロガネも言ってたでしょ? マイナスに考えればマイナスに歯車が回っちゃう。だから逆。プラスに物事を考えましょっ?
そうね…ありったけの備蓄で『おかえりなさいの会』とか、皆で計画するのはどうかな?帰るべき場所で、皆で二人を迎えましょ?」
『自分が精神的支柱に』と、自らの心配を他所に。
三人の不安を逆に、その心で呑み喰らう。
「…流石だよ、リンドウ」
「いえいえ♪私は年長者ですから。 ━━さぁっ、考えましょ?」
彼女は笑う。不敵に笑う。
二人が戻ってくると、確信して。




