第六十五話 敗北を喫して(アルシオンside)
閉ざされた空間。女の子の泣き声。燃え盛る炎。
あれはいつだっただろうか……前にも同じ光景を見た気がする。
デジャブってやつか。俺は夢でも見ているのだろうか。
そうだ。あの時も、誰かを救けに行って、確か幼馴染の────
◇ ◇ ◇
「ここは…………」
幼い頃の微かな記憶を思い出せそうになった時、瑞樹は微睡みの中から覚醒した。
自分が何故このような所で寝ていたのか、覚えている限りの直近の出来事を振り返るために、まず最初にあることをした。
「……ああ、あのミアリムだかミリアムだか……とにかく目的地の倉庫の中か……道理でちょっと暗いはずだ……後ろの方はやけに明るい……ってか暑いが……」
自分の手と腕を、寝たままの姿勢で見上げた。
霊体化しているなら本来の自分の手、していないなら恐らくフレシアのものだろうと、予め二択を想定しておいた状態で、その上で後者であることが断定できた。何故仮面をつけている前提かといえば、朧気な意識の時に聴いた声が彼女のものであり、尚且つ霊体時のやや反響した声とは耳障りが明確に違ったため、仮面を付けていないことはないと確定できたのだ。
また、未だに着たままの防寒装備カロル・プラガシリーズの厚手の袖を見れば、それを着るに値する理由も自ずと理解できた。
パミラーナ大峡谷の極寒の環境を乗り越え、ムスヒという男と共に、丸一日かけてここまでやってきたこと。その行脚の疲労のせいで、到着する頃には猛烈な眠気に襲われ、立っているのもやっとという状態にまでなってしまったこと。
段々とはっきりしてきた意識とともに記憶も真新しくなり、そういえばムスヒはあれからどうしたのだろうと、上体を起こして周りを見渡した。
そして瑞樹は、現状を目の当たりにする。
「魔本が、燃えてる……? おいおいおいおい、これってマズいんじゃないか、ムスヒさ────」
視界の端で、自分と同じように気絶していたように見えた彼の姿は、振り返って正対すると、どう見ても血溜まりの上に倒れているとしか思えない様子だった。
刹那、言いたい事が口に出るより早く、瑞樹は駆け寄って手首と心臓の脈動を測る。
しかし無常にも、指で強く圧迫しても抵抗は一切ない。ムスヒは既に、失血死していたのだ。
それを理解した途端、倒れる直前の記憶が完全に呼び起こされる。
罠を解除してくると言った彼が、暫く経ってから出てきたと思いきや、霊体状態のフレシアの発言を理解していたことで生じた違和感。そこから導き出される、この姿で気絶していた事実の元凶。
「闇夜の影……! そうだ、俺はあいつに……完敗したのか…………手も足も出なかった……くっそ」
攻撃したと思ったら、実像と見紛うほどの虚像だった相手の仮面の能力。明らかに武術の心得がないと放てない、物体を透過する打撃と裏拳の練度。
ギースの時は鼬の最後っ屁と言わんばかりの変身に、自分が油断していたことも含めて出し抜かれはしたが、今回はそれどころか看破も出来ていない状態での、実力と経験の差による完全敗北。
恐らくは組織のボスか、幹部だとしても最上位の実力の持ち主だろうと、瑞樹は直感した。
「すまないムスヒさん……今はちゃんと弔ってやれないや。あんたの悲願、絶対にものにするから」
仮面転生術で魂魄の仮面に変えられるのは、生と死の狭間に立たされた者。五体満足な生者はもちろん、息もしない上に心臓も動かない死者も変えることはできない。
一緒に中に入っていたら、また違った結末もあったかもしれないが、それを後悔しても仕方ない。
瑞樹は彼の遺体を、炎から遠ざけるように入口の隅に移動させる。
そして、いよいよこの魔本倉庫の、更に奥にあるとされる【原典】と呼ばれる魔本を探しに行くのだが、目の前に広がる火の海をどのように突破しようかが、瑞樹の目下の課題である。
奥とは言ってもどれだけ長丁場になるのか、換気できる場所があって一酸化炭素中毒にならない保証はあるのか、肝心の原典が実はなかったりするのではないか、現実的な予想から万が一の可能性まで、できる限りの想定をした上で大いに頭を抱えた。
「何よりタイムリミットがあるかもしれんが……とりあえずは────『ユリイカ』」
困った時の神頼み、ならぬ初代国王頼み。瑞樹は自身の────フレシアの肉体の豊満な胸に手を添えつつ、おまじないの呪文を唱える。
◇ ◇ ◇
(ようやくお目覚めか。ちと長かったのう。寝坊か?)
「いきなり冷やかしかよ」
久しぶりの会話となる開口一番に皮肉めいたことを言い放つ、空中で日光浴でもするかのごとく仰向けに寝転び、仰々しく足を組んで見下ろすような位置で浮いている幽霊は、パトリフィア初代国王のユリイカその人だ。
(ここからも見ておったが……詳しい話はフレシアから聞くといい。お主とも話したがっておったぞ)
「そのつもりだよ。俺の代わりに戦ってくれてたんだからな。それだけで天晴だよ」
言いながら、円卓の一角に座って伏せた状態のフレシアの元に近寄る。彼女の特徴的なポニーテールも、今はお下げのように力なくしなっていた。
「……お疲れ様。よく戦ってくれたな。偉いぞ」
「…………アルくぅううううん!」
瑞樹が後ろから頭を撫でてあげると、フレシアはプロレスラーのごとく彼の腹に抱擁に見せ掛けたタックルを繰り出し、喰らった側の瑞樹も少し呻く。
残念ながらレフェリーがいないため、瑞樹がいくらギブアップのサインを出しても通用しない。
「逃げられちゃった……それに、まともに戦わせてもくれなかったよ。私、まだまだ弱いな……」
「いや、良いんだ。フレシアのせいじゃねぇよ。戦わざるを得なかったのは、俺が奴に不覚をとったからだ。剣技と魔法が混在する世界で、いきなりガチの武術なんだからな。そりゃ初見じゃキツいって」
「アル君……」
(はぁ……お主ら何しに来たんじゃ……)
数日ぶりに騒がしくされたからか、ユリイカの感想にも呆れと諦めが入り交じる。
離れてから立ち上がったフレシアは、円卓の自分の席に座ると、瑞樹が気絶していた間の出来事を分かっている範囲で話し始めた。
◇
「パステトのガブラス……本当に奴はそう名乗ったのか?」
「ええ、間違いないわ。猫のような仮面をしていたから、確実にノクト・アンブラルのメンバーよ。そしてその名前は、クリスさんの言う通りなら……」
「ああ、あいつの因縁の相手ってわけか……道理で強えわけだよ。組織のリーダーみたいだし、尚更な」
理解と納得をした上で、瑞樹はうーんと背伸びをする。
ガブラス本人は、すぐにどうこうするというわけでもなく、あくまで他の構成員に任せたままではあるが、それでも何かしらの準備を水面下で着々と進めている、というのが瑞樹が思う奴の人物観である。
フレシアにさえ野望も目的も特に話さなかった以上、随分と慎重に事を構える性格のようだ。
「いずれまた会うことになるって言うなら、慌てて行動を起こしてくることもなさそうだな。それにしても、アディルケイア帝國……初耳だな。ユリイカは何か知らないか?」
(……悪いが妾も知らぬ。セントラルライン及び王都セントルーク以南のことは凡そ知っておるが、それより北の方だとすると、おそらくかのニグルム樹林を超えた先、ノーザンエンパイアのどこかじゃろうな。妾の時代では、彼の地はヒュムノスと言えど容易に生活出来ぬほど荒れ果てておってな。そこから開拓が進んで大陸の呼び名がそのようになった頃には、この姿でしか居られんくなっての)
「ユリイカが知らないんじゃ、どうしようもないなぁ。もう少し情報が必要だ。それに、今のままじゃ奴には絶対勝てねぇし、力を付けねぇと……」
瑞樹は右手を握り締める。
「私は、ウルティアが今どうしているのかが気になるわ。マギアゼテラの門の目の前までは行ったけど、中には入らずにそのままムスヒさんに着いてきたでしょ。最後に別れた時から数えても、もう三日は会ってないのよ。流石に心配だわ」
「それもそうだな。ヴェネットとクリスが付いているとはいえ、魔術学院へたった一人で留学してるんだもんな。何か変な事に巻き込まれてなきゃいいんだが……」
「やめてよ、縁起でもない。ウルティアに限ってそう何度もろくな目に会うようなことなんて、あっちゃいけないんだよ。私が、守らないと……」
フレシアは机上で組み合わせている両手を、強く握り込む。
お互い、これからどうすればいいのかを曖昧でも決められたような空気を察して、ユリイカはフッとほくそ笑んだ。
そんな時だった。
「お前、弱いよ! ネフィー、お前より、強い!」
三人以外誰も居ないと思われた所に、四人目の人物が現れたのは。
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