第六十四話 瞬火猫又の暗躍(アルシオンside)
「……よ、ようやく着いたのか……ここが……」
「そう、こここそがマギアゼテラが誇る魔本の一大管理施設。【ミアリム大魔本倉庫】なのだよ」
瑞樹とムスヒの目の前には、倉庫と言うにはあまりに巨大すぎる、荘厳な風体の建築物があった。
マギアゼテラの国境に当たる城壁の外周に沿って少し歩いた後、ひたすらにパミラーナ大峡谷の奥地へと進んで行った先に辿り着いた場所である。国境まではずっと登りだったが、今度は逆に谷底に向かってどんどん下ってここまで来ており、辺りの気温も氷点下は優に超えている。
二日前、正確には昨日の深夜零時頃にムスヒと邂逅し、瑞樹はここまで同行してくれないかと頼まれた。それから、一旦夜が明けてから進行を始めたものの、体感温度を更に下げるような急激な吹雪や、傾斜がきつい氷の坂道、巨大な骨のように見える岩の陸橋など、ほぼ丸腰の男二人での行脚は困難を極め、丸一日費やしてようやく到着したのだ。
そのため、仮眠のために出発前に数時間だけ寝たとはいえ、そこから二十四時間ずっと歩き続けていた瑞樹の眠気は、限界が近づいていた。
「ムスヒ……さん。ちょっと……もう立っていらんねぇ……っすわ…………少し……寝かせてくれ……」
「お、おい、大丈夫かね!? 付き合わせてしまった手前、君の願いは聞いてあげたいが、こんな所で寝てしまっては凍え死んでしまうぞ! 入口まで少し遠いのが小癪だが……せめて風雨の当たらないところまでは我慢できぬか?」
「頑張って……みます」
カロル・プラガシリーズの防寒性能ならば、顔さえ隠せば雪の上にうつ伏せで寝ようが凍えることはまずない。しかし、目的地が正しく目と鼻の先にある現状で、わざわざそんな選択肢を取る必要もないので、ほとんど上の空に近い反応ではあるが、瑞樹はムスヒの提案に納得した。
ミアリム大魔本倉庫は、現在地から入口まで約二百メトルほど離れており、その間には石造りの直線の道が続いている。また、この近辺は道中と違って雪が全く降っておらず、石の道の脇は左右とも窪んでいるが、雪が積もっていない。大峡谷との境目に当たる部分だけ、半円の弧を描く形に石が積まれているが、その中央から少しの石段を登ってしまえば、あとは入口まで一直線に辿り着ける。
そして二人は、ゆっくりと重い足取りで何とか入口の前まで辿り着いた。
「やっと……眠れる……」
「ふぅ……何とか着いたな。見張りも居ないし、多分だがしばらくの間は他に誰も来ないだろう。本当なら中で寝たいだろうが、大量の魔本を保管している都合で罠が多いのだ。そんなに広くはないが、ここなら一応屋根もある。悪いが外で寝ててくれ」
「分かりました……」
「私は、君でも安全に入れるようにするため、先に中に入っているよ。大臣としてここの管理を任されているのでね。心配はいらない。何より──」
「グー……グゴー……」
「──まさか立ったまま寝てしまうとは……本当に申し訳ない。それと、ちょいと失礼。ふんっ!」
目的地に到着し、寝ていい許可も降りたことで一気に睡魔に抗えなくなったのだろう。瑞樹は立ったまま、首が頷くこともなく眠ってしまっていた。
ムスヒもこれには恐縮してしまうが、流石にこのまま放置しておく訳にもいかないので、脇に腕を差し込んで瑞樹の身体を引っ張って、入口側の壁と、入口の脇に向かい合うようにして並んでいる石像との間になんとか移動させてから横に寝かせた。これならば、風向きから見ても顔には当たらず、入口に対して背を向けているので隙間風も来ない。
「これでよし。さてさて、罠の解除をせんとな……」
少し冷えた手を振り叩いた後、ムスヒは倉庫の石扉を開けて中へと入っていった。そして石扉は独りでに閉まり、残響が消えた後には風の音だけが遠くに聞こえている。
(……あの人は、行ったようね……)
少しの静寂の後で、まるで幽体離脱をしたかのように、瑞樹の身体──に隠されている自身の仮面──から抜け出てきたのはフレシアだ。
(ごめんねアル君。私に変身したらあの人びっくりしちゃうから、ずっとこのまま歩いて行くしかなかったんだもんね。それは眠くなって当然だもん。だから、昨日の夜からは話しかけることも出来なかったんだ……気を遣ってくれて、ありがとう)
「…………」
青透明な霊体状態のフレシアは、膝を抱えた姿勢で宙に浮いたまま話す。
(ねぇ……ウルティアは、ちゃんと魔法を勉強してると思う? つい最近まで、血の繋がった姉妹なのにほとんど接点がなくて、どんな風に大きくなったのかも全然知らないからさぁ……何て話しかけたらいいかも分かんないし、今更私がお姉ちゃんっぽく振る舞うのも違う気がするし、どうしたらいいんだろうね)
「…………」
瑞樹は応えない。
寒空の下で寒気を感じないフレシアの独白は続く。
(ねぇ……闇夜の影ってさ、何なんだろうね。何がしたいんだろうね。ウルティアを狙って、殺そうとして、パトリフィアのみんなも巻き込んで……私には分からないよ。あいつら、この世界のどこかでまた何か企んでいるんでしょ? それで悲しむ人が生まれるわけでしょ? ……死にそうな人が居るかもしれないわけでしょ? そんなの、あんまりだよ……)
「…………」
声も段々と小さくなっていき、遂には顔も伏せてしまうフレシア。
ウルティアと再び離れてしまってから数日が過ぎたからか、声色にも寂しさを隠せてはいない。
ただ、この気持ちを紛らわしてくれる正解もない。
故に何も考えないことが一番良いのだと頭では理解しているが、静寂の来ない心拍がそれを許さない。
ギース・サクロムに立ち向かったあの時以上に、自分がこんなにもウルティアを────妹を大切に思っていることに、フレシアは涙を流した。
そうして暫く無言で泣いていると、倉庫の扉が再び開かれた。ムスヒが戻ってきたのだ。
「罠を外してきたぞ! これで原典の元まで安全に行けるから安心せい! ……っと、まだ眠っておったか。失敬失敬。つい興奮してしまってな……」
「…………」
瑞樹はまだ起きない。
(ぐすっ……ほら、アル君起きて! ムスヒさん戻ってきたよ! 早く起きてってば!)
泣きべそかいた顔を拭ったフレシアが、近寄って起きるように諭すが、それでもまだ起きない。
「その通り。早くしなければ、奴らに原典の魔法の深淵を知られてしまうのだ。悪いがもう寝てる時間は────」
「痴漢罪」
「────!?」
瞬間、不用心に近づいてきたムスヒの全身に、巨大な不可視の拳で殴られたような陥没が生まれた直後、真反対の石像に向かって弾き飛ばされる。
(えっ!?)
突然の出来事にフレシアも理解が追いつかず、拭ったばかりの目をもう一度拭い直す。
「よいしょっと。あー大体十分程度か、全然寝れた気がしねぇわ。誰かさんがずっと話しかけてくるからな」
横になった体勢から胡座に座り直すと、少し後ろに倒れてから前傾しつつ交差した足に全体重を乗せ、そのままの勢いで瑞樹は立ち上がった。地面に踏ん張りが効きにくく若干不格好だが、人差し指で鼻の下を擦って誤魔化す。
(ちょっと、それ誰のことよ! っていうか、起きてたなら何ですぐ返事しないのよ! は、恥ずかしいじゃない!)
「背後であんなマジトーンで黄昏れられるこっちの身にもなれ! タイミング計りづれえわ!」
起きるなり早々に言い合いになる瑞樹とフレシア。
そんな二人の喧騒は他所に、殴り飛ばされたムスヒは薄い土煙の中からゆっくりと立ち上がってくる。しかし、傷どころか服が裂けた様子もない。
「貴様……どうして気づいた?」
「簡単さ。霊体の人間の会話に同調できるやつは、この世界じゃ限られてるんだよ。俺か、スプリガンのアホ共か、お前らだけなんだよ、ノクト・アンブラル!」
「ふむ……以後気をつけよう」
否定しない。それだけの事実で、瑞樹は相手の正体を半ば確信した。
今目の前にいる相手は、ヴェネットとクリスの故郷を襲撃し、動物を模した仮面を奪っていった謎の集団ノクト・アンブラルの一員。ギースのような駆け出しのやつか、あるいは幹部に相当するやつかは不明だが、少なくともまた一人、この長旅の途中で再び相見えることとなった。まさか短期間での遭遇になるとは瑞樹すら思いも寄らなかったが、千載一遇の機会を逃すはずもない。
先手の一撃は命中済。仮面のどういう能力でムスヒに成り代わっているかも分からないが、防御しない以上は絶対の自信があるか、正体を隠し通す気か。
ユリイカの力に頼らずとも短時間でそこまで思考を巡らせたところで、瑞樹は駆ける。
間髪入れずに懐からフレシアの仮面を取り出し、即装着。ほんの僅かな時間で、瑞樹の身体はフレシアのものへと変身した。と同時に、四本の剣も左右二振りずつ腰に据えられる。
惜しむらくは、服装が防寒装備のカロル・プラガシリーズのままであること。しかし、防具降臨で衣装替えをするにはやや隙が大きく、追撃の強襲をかけようと言う時には致命的なため、着替えずそのまま抜剣し刺突の構えで突進する。
「ほう、やはり貴様も仮面を持つ者か」
「ここで会ったが一年目だ! 仮面を返しやがれ!」
中距離刺突系剣技、【タウルス】。
同系統のアンタレスとの違いは、剣速と攻撃の柔軟性をあちらに譲る代わりに、一撃の威力に重点を置いた火力特化型であること。
瑞樹は黒鉄紫電・韋駄天を構えながら、まさに衝突する寸前でそれを放つ。
しかし、相手の胸部辺りを狙って放った攻撃は、一切の抵抗も反動もないままムスヒの身体を突き抜ける。
「攻撃に手応えがねぇ……どんな能力だぁ!?」
余りの空振り具合に、そのまま石像に切っ先が激突しそうになる少し手前で、前足を強く踏み込んで留まった。
まるで青透明ではなく、実物と見紛うほど鮮明に映って見える霊体のよう。これが実像ではなく虚像であることが、瑞樹はすぐに理解できなかった。
「そこで踏み留まったのは実に賢明な判断だ。でなければ、自慢のその剣の劣化が早まっていただろう!」
「……っ!」
言うが早いか、ムスヒに化けた相手の反撃が繰り出された。
関節の動きを最小限に抑えた、突き上げるような掌底が韋駄天の刀身にぶつかる。するとその衝撃は刀身でも、それを握る瑞樹の右手でもなく、瑞樹の腹部に減り込むかのように深く浸透した。
「……かはっ!」
耐え切れず唾を吐く。が、まだ血反吐を吐くほど強い衝撃ではないため、一歩だけ後退りしたものの戦えないわけではない。
しかし、瑞樹の記憶はそこで途絶えてしまった。
相手が放った裏拳が、顎先を綺麗にかすめ取り脳震盪を引き起こされ、気絶してしまったからだ。
そうして膝から崩れ落ち、勢いよく前に倒れそうになる寸前で、韋駄天を両手で逆手持ちに切り替えて地面に突き立て、なんとか臨戦態勢を保とうとしている。
だがそうしているのは瑞樹ではなく、彼が気絶したことで意識の主導権が入れ替わったフレシアが、大慌てで行動したからにすぎない。
「ほう、この攻撃を受けてまだ意識を保つとは見事だ。……ヒュムノスの男の方はくたばったようだが」
「だ、まれ……! まだ、負けた、わけじゃ……!」
「その様子だと、長命種のエルフと言えど、人体の急所を突かれて効かないとも限らんようだな。だが、脳を揺らすということは、全身の感覚を狂わせるということ。痩せ我慢もそう長くは保つまい」
「うる、さい! 貴様達は、絶対に、許さ、ない……!」
息も絶え絶えにフレシアは威勢を張るが、相手にとっては何処吹く風。聞く耳すら持たれていない。
「……ここにはあらゆる魔法を綴った、【原典】と呼ばれる魔本があることは既知の事実だろう」
「何の……話……?」
「だがあの愚王曰く、十三冊全ての原典を読み解いた者には、強大な力が与えられるという話だそうだ。無手で事足りる私には無駄でしかないが、そういう事実無根な言い伝えでも、或いはと思って先んじて来てはみたが……どうやら徒労のようだ」
「だから……何を……言ってるの……?」
「奴には悪いが、そのような盲信に付き合うほど私も暇はないのでね。これで失礼するよ」
相手の話す言葉が、剣を支えに立っているだけで精一杯のフレシアにはまるで理解が出来なかった。
そうしてその人物は、ムスヒに成り代わっていた変身を解き、頭から外套を纏った姿を顕にした。
顔を上げたその人物が猫の仮面を付けていることが、フレシアからも見て取れる。
動物を模した仮面。それを認識した瞬間、フレシアの頭にはギースのことが過ぎり、起因してウルティアにされた仕打ちの数々も連想され、終いには煮え滾るような怒りが込み上げてきていた。
「ノクト、アンブラル……!」
「君の故郷の件は済まなかった。我々の組織も軋轢ひとつ無い一枚岩とはいかなくてね。特に彼の処遇については私の責任だ。故に、この手で葬らせてもらった。これで手打ちにしてもらえないだろうか」
「知ったことか! それは贖罪でも何でもない、ただの自己満足だ! 私は……パトリフィアの国民は! 貴様らを絶対に許さない! 今! ここで!」
「もうそれほど叫べるのか。どれ、次はどうかな」
「!」
男女の判断がつかない声音が、周囲の空気よりも冷たく感じられた瞬間、フレシアの脇腹に回し蹴りが深く食い込んでいた。
臓器が圧迫され、肋骨にも衝撃が伝わって何本か折れた感覚の中、彼女の身体は蹴り払われた勢いのまま、開きっぱなしの魔本倉庫の扉から中に向かって蹴り飛ばされてしまう。
痛みを覚えながらも、暗い屋内から明るい入口の方を必死に見ようとすると、外からは見えなかった扉の陰に、血を流した状態の死体が見受けられた。
「くっ!」
衣装、背格好とも間違いなく、ムスヒのものであることは明白だった。人を仮面に変える条件は瑞樹から聞いているため、最早手遅れなのだろうとフレシアは察し、同時に更に怒りが込み上げる。
「ムスヒさんまで……! 貴様らは……本当に……!」
「君達の目的はここの魔本だろう? 丁度良かったではないか。私と戯れていては時間を浪費していたのだから、感謝して欲しいくらいだよ」
「何をふざけたことを────この匂いは……まさか!」
「呑気に私と会話して随分と余裕だな。ここが燃え尽きるまであと数時間……数分……あるいは数秒かもしれんぞ?」
「……ぁぁああああああああああああっっ!」
焦げ臭いと感じた時には、すぐ奥の本棚で火の手が上がっていた。周りをよく見ると一冊二冊ではなく、既に数十数百という魔本の数々が、奥から連なる火の海に飲み込まれている。
仮面の人物に度重なる怒りの感情を抱き続け、ついぞ出したことのない絶叫を上げながら、フレシアは痛む身体に鞭打って起き上がると、自分にはやや重い韋駄天を握り直して突進する。
しかし、待ち構えるはずの相手は彼女に背を向けており、この場を後にしようとしていた。無論、無防備な姿を晒した状態で。
それもそのはずで、魔本倉庫の扉が無情にも独りでに閉まりかけており、今の手負いのフレシアが全力で駆けても確実に間に合わない。
そしてこの分厚い石扉は、一度でも閉まったら最後、フレシアには力ずくでは開けられないだろうとも思い至った。
「貴様ぁ! 逃げるなぁ! 私と戦えぇ!」
「────最後に一つ、もしさっきの彼が目を覚ましたら伝えておいてくれ」
既に相手の顔が見えるかどうかという所まで閉まりかけた時、仮面の人物の声がフレシアの耳に刻み込まれた。
「私は【瞬火猫又】のガブラス。アディルケイア帝國にてまた会おう、と」
仮面の人物────ガブラスの姿は、石扉の施錠とともに完全に見えなくなった。
わずかな差で扉に激突したフレシアは、その反動で持っていた韋駄天が弾け飛ぶも気にせず、両腕を打ち付けて感情を爆発させる。
「私と……戦ってよ……戦いなさいよぉ…………うわぁあああああぁぁ……」
振るう腕からも段々と力が抜けていって、いつしかその場でへたり込んだ時には、とめどないほど大粒の涙を流していた。
「アル君ごめん……私……また勝てなかった……弱いなぁ……自分が、情けないよぉ…………」
煌々と燃える炎に厚着の上から当てられて、汗と涙の入り交じった醜い表情のフレシアの声は、瑞樹には届かなかった。
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