第九十九話 谷底で暮らす
「ところで」
リーゼは、食後の卓に残っているネイラとルヴァナを見た。
「貴様ら、今どこにいるんだ?」
ルヴァナが首を傾げる。
「ここだけど?」
「そうではない!」
リーゼは指を差した。
「その身体は谷底にある。だが、本当の身体は向こう側にあるのだろう?」
「ああ、そっち?」
「最初からそっちの話だ!」
ネイラが答える。
「本体は、それぞれ家にあります」
「寝ているのか?」
「横になっています」
クロエが補足した。
「完全な睡眠ではない。こちらへ接続している間も、最低限の身体維持は続いている」
アスラも言う。
「だから、何日もこちらへ繋ぎっぱなしにはしない」
リーゼは腕を組んだ。
「そこだ」
全員が見る。
「昨日までは、接続できるかどうかが問題だった。今はもう二人とも普通に歩いて、飯まで食っている」
ルヴァナはまだ食べていた。
「普通にうまいよ」
「それも聞きたい!」
リーゼはルヴァナの皿を指した。
「その飯は、どこへ行くんだ!」
ルヴァナが口を止めた。
「腹?」
「その腹は仮の身体だろう!」
「じゃあ、どこ行くんだろ」
「食べてから疑問に思うな!」
ネイラも自分の腹を見る。
「確かに」
リーゼが勢いよく振り返る。
「姉まで今気づくな!」
クロエは平然としていた。
「処理機構はある」
「あるのか」
「生活用アバターとして作ったからな」
「では、本当に消化する?」
「完全に人間と同じではない」
アスラが続ける。
「味覚、満腹感、喉の渇き、温度感覚。その辺りは本人が自然に生活できる程度に再現している」
ティセラが興味を持つ。
「食べたものは物質として残りますよね?」
「残る」
「では排出も?」
クロエ。
「必要になる」
リーゼが頭を抱えた。
「結局、便所は使うのか!」
ルヴァナが笑う。
「そこ気にするとこ?」
「共同生活では重要だ!」
シズクは真面目に頷いた。
「便所の場所はご案内しておいた方がよいですね」
「お願いします」
ネイラは素直だった。
ルヴァナは少し嫌そうだった。
「アバターでもトイレ行くのかー」
アスラが言う。
「嫌なら食うな」
ルヴァナは皿を見る。
「食う」
「なら行け」
「はい」
リーゼがため息をつく。
「そこは普通なんだな……」
ノアが卓の端から聞いた。
「味はちゃんと分かる?」
ネイラが頷く。
「分かります」
「向こうの身体にも味が伝わってる?」
ネイラは少し目を閉じた。
「……記憶としては共有されています。でも、向こうの舌が味わっているわけではないですね」
クロエが頷く。
「こちら側で得た感覚情報を、本体側の神経へ経験として返している」
リーゼが難しい顔になる。
「つまり」
指を立てる。
「谷底の身体が肉を食う」
「はい」
「味を感じる」
「はい」
「その情報だけが向こうへ送られる」
「大体そうです」
「向こうの腹は膨れない」
「膨れません」
ルヴァナが止まった。
「じゃあ向こうでも飯食わなきゃ駄目?」
「当然だ」
クロエとアスラが同時に言った。
ルヴァナが顔をしかめる。
「二回食うの?」
ネイラが言う。
「こちらで食べる量を減らせばいいでしょう」
「でもこっちの飯うまいじゃん」
エヴァが笑う。
「食える時に食っとけ」
クロエ。
「お前は黙っていろ」
アスラ。
「この娘にそれを教えるな」
エヴァが不満そうだった。
「俺なら食うぞ」
リーゼ。
「貴様は身体そのものが食った分だけでかくなりそうだから参考にならん!」
昨日判明したばかりの話である。
エヴァは肉を食べながら笑った。
「なるかもな」
「否定しろ!」
ティセラはもう記録していた。
「では、アバター側の栄養摂取は、身体維持のために必要なのですか?」
クロエが答える。
「一部は必要だ。全部を電力だけで動かしているわけではない」
アスラも続けた。
「生体に近い部分は、こちらで取り込んだものを使う」
リーゼの眉が上がる。
「生体?」
「全部機械だと思ったか?」
「クロエが作るなら半分くらいはそうだと思っていた!」
「私一人で作ったわけではない」
アスラが少し得意そうに言う。
「私の術式も入っている」
「だから余計に分からんのだ!」
ネイラは自分の手を見る。
指を曲げる。
爪。
皮膚。
関節。
「私も内部構造を見たいです」
クロエが即座に言った。
「自分を分解するな」
「まだ言ってません」
「顔に書いてある」
ルヴァナが姉を見る。
「姉ちゃん、自分まで開ける気?」
「構造は知りたいです」
「怖」
「あなたに言われたくありません」
リーゼが別の疑問を思い出す。
「痛みは?」
ルヴァナが答える。
「あるよ」
「どの程度?」
「普通?」
クロエが言う。
「本体より弱めてある」
ルヴァナが振り返った。
「え、そうなの?」
「初回から本体と同じ感度にするわけがないだろう」
アスラも頷く。
「身体が違う。痛みの出方も違う。慣れるまでは抑える」
ルヴァナが不満そうになる。
「じゃあ、全力で戦った時に危なくない?」
「だから戦うなと言っている」
「でも」
「戦うな」
「はい」
リーゼは笑った。
「母親には弱いな」
「二人いるからめんどいんだよ」
クロエ。
「聞こえている」
アスラ。
「聞こえているぞ」
ルヴァナは目を逸らした。
ティセラが聞く。
「負傷した場合は?」
クロエとアスラが少し真面目になる。
クロエが答えた。
「程度による」
「小さな傷なら?」
「こちらで修復できる」
アスラ。
「生体部分なら私の術式。機械側ならクロエ」
「大きな損傷では?」
「アバターを停止させる」
クロエが言った。
「本体へ戻す」
ティセラ。
「こちら側の身体が死亡した場合は?」
リーゼが教授を見る。
「いきなりそこまで聞くのか」
「重要です」
ネイラも静かに聞いている。
アスラが答えた。
「本体が死ぬわけではない」
シズクが少し安心した。
「では、こちらで大怪我をしても、ご本人は無事なのですね」
クロエがすぐ訂正する。
「完全に無害とは言わない」
シズクが見る。
「違うのですか?」
「感覚同期中に強い損傷を受ければ、精神的な衝撃は本体にも残る」
アスラ。
「痛覚を切れば軽減できるが、最初から切るつもりはない」
リーゼが聞く。
「何故だ?」
クロエ。
「痛みがない身体は危険だ」
ノアが頷いた。
「壊れてても気づけないからね」
「そういうことだ」
ルヴァナが自分の腕を叩いた。
「じゃあ、多少痛い方がいいんだ」
ネイラが妹を見る。
「試すために殴らないでください」
「殴らないって」
エヴァが横から言う。
「俺がやろうか?」
母親二人が同時にエヴァを見る。
「やめろ」
「絶対にやめろ」
「冗談だよ」
リーゼがエヴァを見る。
「半分本気だっただろ」
「ちょっとだけ」
「やめろ!」
シズクが今度は別のことを聞いた。
「眠る必要はあるのでしょうか?」
ネイラとルヴァナも気になったらしい。
クロエが答える。
「アバターそのものは、人間と同じ意味で眠る必要はない」
ルヴァナの顔が明るくなる。
「じゃあ徹夜できる?」
「するな」
「何で!」
アスラが言う。
「本体が休めん」
「でもこっちで寝なければ、向こう寝てれば」
クロエが首を振る。
「完全には分離できない。こちらを動かしている間、向こうの脳も接続処理をしている」
ネイラがすぐ理解する。
「つまり、こちらで二十四時間活動すれば、向こうの身体を横にしていても疲労は溜まる?」
「ああ」
「なら、普通に夜は切った方がいいですね」
「そうだ」
ルヴァナが嫌そうな顔をする。
「寝る時間まで普通なのかー」
リーゼが言う。
「何を期待していた」
「せっかく別の身体なんだから、夜通し遊べるかと」
ネイラ。
「子供ですか」
「成人してるし」
「成人でも子供っぽいです」
「姉ちゃん堅い」
アスラが笑う。
「そこは昔からだ」
ネイラが少し不満そうだった。
「普通です」
シズクが聞く。
「では、こちらで眠ることは?」
アスラが答える。
「できる」
「本体も一緒に?」
「接続を浅くして、こちらを休止状態へ近づけることもできる」
クロエが続ける。
「ただ、最初のうちは夜になったら一度接続を切る」
ネイラが頷く。
「安全確認のためですね」
「そうだ」
ルヴァナ。
「毎晩帰るの?」
「当面はな」
「えー」
アスラが娘を見る。
「何だ」
「せっかく部屋あるのに」
中央の大部屋には、すでに娘二人用の寝台がある。
しかも聖者仕様。
二人で使っても余裕がありすぎる巨大な寝台。
リーゼが思い出す。
「そういえば、あれを用意した意味がまだほとんどないな」
ノアが言う。
「接続したまま寝るようになったら使えるよ」
エヴァ。
「二人で寝ても余裕だぞ」
ルヴァナが笑う。
「でかすぎるって」
ネイラは少し考える。
「でも、こちらでも眠れるようになれば、朝から接続し直す必要がなくなりますね」
クロエ。
「将来的にはな」
アスラも頷く。
「まずは数日、昼間だけ」
ルヴァナ。
「過保護」
「安全管理だ」
二人の母親が同時に答えた。
ルヴァナはもう反論しなかった。
リーゼはさらに尋ねる。
「風呂は?」
シズクがリーゼを見る。
「そこも気になりますか?」
「生活するなら全部確認する!」
ルヴァナ。
「入れるよね?」
クロエ。
「入れる」
ルヴァナの顔が明るくなる。
「露天風呂!」
アスラがすぐ言う。
「走るなよ」
「まだ立ってもないじゃん!」
ネイラが冷静に聞いた。
「水に濡れても機械部分は大丈夫なんですか?」
クロエが少し誇らしそうに答える。
「当然だ」
リーゼ。
「そこはサイバー忍者の技術か」
「水程度で壊れる身体を戦闘用に作ると思うか?」
「そう言われればそうだが」
アスラがネイラを見る。
「術式側も問題ない」
「温度は?」
「分かる」
「熱すぎれば?」
「痛い」
「普通ですね」
リーゼが言う。
「結局、生活感覚はかなり普通に寄せているのだな」
クロエが頷く。
「娘たちが暮らすための身体だからな」
一瞬だけ、皆が静かになった。
戦うためだけの身体ではない。
偵察するためだけでもない。
谷底へ一時的に送り込む端末でもない。
食べる。
歩く。
触る。
風呂に入る。
眠る。
痛ければ痛い。
疲れれば休む。
家族と話す。
そういうことをするための身体だ。
ノアが聞いた。
「じゃあ、一番大事なのは?」
クロエが少し考えた。
「接続を切れば、必ず本体へ戻れること」
アスラも言う。
「それと、こちらの異常を向こうへ持ち込まないこと」
ティセラ。
「安全な切断機構ですね」
「そうだ」
クロエは娘二人を見る。
「だから、自分で切断できるようにもしてある」
ネイラが頷く。
「緊急停止?」
「ああ」
「どうやるんです?」
クロエが説明する。
簡単な身体動作。
短い確認。
本人の意思。
魔術側と電脳側の両方が本人確認を取る。
誤操作で突然切れないようにする。
だが、本当に危険なら本人だけで脱出できる。
ネイラは何度か確認した。
「分かりました」
ルヴァナも聞いていた。
「これやったら、すぐ向こう?」
「そうだ」
「再接続は?」
「こちらの設備を確認してから」
「勝手に戻れない?」
「戻れない」
「ちぇ」
アスラ。
「何を企んでいる」
「別に」
クロエ。
「その顔は何か企んでいる」
「親ってめんどくさ!」
ネイラが言う。
「今さらですね」
一通り確認が終わる。
リーゼは大きな紙へ、今日決まったことを書き出した。
食事は可能。
味覚あり。
こちら側の消化・排出あり。
本体の栄養にはならない。
痛覚あり。ただし当面は弱め。
負傷時は修復可能。
重大な異常なら接続切断。
アバターが致命的損傷を受けても本体まで死亡するわけではない。
ただし精神的衝撃はあり得る。
睡眠に似た休止は可能。
当面は夜ごと接続を切る。
入浴可能。
本人による緊急切断可能。
勝手な再接続は禁止。
最後の一項は、クロエとアスラが強く要求した。
ルヴァナが紙を見る。
「ルール多くない?」
リーゼが答える。
「貴様がいるから増える」
「姉ちゃんもいるじゃん」
ネイラ。
「私は勝手なことをしません」
クロエ。
「工作室」
ネイラが黙る。
ルヴァナが笑った。
「姉ちゃんも一緒じゃん!」
「分解はまだしていません!」
「まだ!」
「その言葉を拾わないでください!」
エヴァが大笑いする。
ノアも笑っていた。
シズクは二人を見ながら言う。
「少し不思議ですね」
リーゼが聞く。
「何がだ?」
「ネイラとルヴァナのお身体は、ここにあります」
「そうだな」
「でも、本当のお身体は遠くにある」
「そうだ」
「それでも、お二人がここにいることに、もう違和感がありません」
ネイラがシズクを見る。
ルヴァナも。
シズクは少し笑った。
「昨日までは、遠くにいる娘さんのお話を聞いていただけでしたのに」
クロエは何も言わなかった。
アスラも。
だが、二人とも娘たちの方を見た。
ルヴァナが軽く笑う。
「じゃあ、もう谷底住民?」
リーゼが即答する。
「まだ仮入居だ!」
「細か!」
「重要だ!」
ネイラが紙を見る。
「では、正式な谷底住民になる条件は?」
リーゼが止まった。
「……何だろうな」
エヴァが言う。
「畑仕事すりゃいいんじゃねえか?」
シズク。
「棒を持って未知のものをつつければ」
ティセラ。
「危険区域の規則を覚えることも必要です」
ノア。
「無理しないこと」
クロエ。
「勝手に設備を分解しないこと」
アスラ。
「勝手に巨大生物へ喧嘩を売らないこと」
ネイラとルヴァナが、それぞれ自分の母親を見る。
「最後の二つ、私たちだけですよね?」
「完全にあたしたち向けじゃん」
リーゼが腕を組んだ。
「自覚があるなら守れ!」
二人の娘は顔を見合わせた。
そして、ほぼ同時に笑った。
身体は仮のもの。
夜になれば、いったん遠い故郷へ戻る。
それでも昼の間は、食べて、歩いて、風呂に入り、母親に怒られ、皆と笑う。
谷底で暮らすという意味では、それで十分始まっていた。




