第九十六話 強い女は、大きくなるらしい
「なあ」
リーゼは、庭を見ながら眉を寄せた。
「大きくなってないか?」
隣にいたシズクが自分の胸を見る。
「胸ですか?」
「まずそこを見るな!」
「最近また大きくなりました」
「それも知っている! そうではなく、エヴァだ!」
庭では、ノアとエヴァが向かい合っていた。
二人とも裸だった。
風呂へ行く途中で何故そうなったのか、リーゼには分からない。
エヴァが、
「久しぶりにやるか」
と言い。
ノアが、
「相撲?」
と返し。
そのまま二人とも服を脱いだ。
そこまでは見ていた。
問題は、その後だった。
「はっ!」
エヴァが踏み込む。
ノアも正面から受ける。
大きな身体同士がぶつかり、鈍い音がした。
二人とも動かない。
もう一度。
今度は組み合う。
筋肉が盛り上がる。
足が地面を掴む。
押す。
押し返す。
ノアはオーガだ。
黒い角がある。
身長は二メートルを超える。
肩幅も広い。
腕も太い。
館そのものが彼に合わせて作られているほどの巨体だ。
だが。
リーゼは目を細めた。
エヴァの頭の位置が、妙に高い。
「……やっぱり」
エヴァがノアの肩へ腕を回す。
その姿を横から見る。
「肩、並んでないか?」
ノアとエヴァが裸で相撲を取っている。
しばらく見てから、シズクが首を傾げた。
「……並んでますね」
「そうだろ!」
「前から大きかったですが」
「そこなんだ」
シズクが初めてエヴァを見た時。
エヴァは大きな女だった。
里の男たちより背が高い。
肩幅も広い。
腕には鍛え抜かれた筋肉が浮かび、簡素な上衣から伸びる手足は太く逞しかった。
シズクにとっては、それだけでも十分に大女だった。
だが。
今、目の前にいるエヴァは違う。
「聖者と、あまり変わりませんね」
「だろ?」
ノアが低く腰を落とす。
エヴァも踏ん張る。
しばらく押し合った末。
ずずず。
ノアの足が、少しだけ後ろへ滑った。
リーゼの顔が引きつる。
「待て」
シズク。
「はい?」
「今、聖者を押したぞ」
「押しましたね」
「オーガを?」
「はい」
「裸で?」
シズクは少し考えた。
「服は関係ないのでは?」
「それはそうだ!」
庭の反対側からティセラも来た。
裸で組み合う二人を見る。
そのまま、何故か記録板を取り出した。
リーゼが嫌な顔をする。
「教授」
「はい」
「何を書く気だ」
「体格変化です」
リーゼが止まった。
「やはり気づいていたのか?」
「かなり前から」
「言え!」
ティセラは平然としている。
「胸囲の変化だけだと思っていましたので」
エヴァの胸は確かに大きくなっている。
この前も、衣装の山から古い下着を一枚引っ張り出していた。
かなり大きなものだった。
リーゼからすれば、最初からどう使うのか疑問に思うほどの大きさだった。
それをエヴァが胸へ当てた。
明らかに足りなかった。
「あれ?」
エヴァ自身が首を傾げた。
「前は着られたんだけどな」
その時は、皆、胸がまた成長したのだと思った。
実際、それも間違いではなかった。
だが、ティセラは記録板を見ながら言う。
「腕も太くなっています」
リーゼ。
「筋肉が戻った?」
「それだけではありません」
「骨格も?」
「おそらく」
ティセラは庭の二人を見る。
「肩幅。腕長。脚長。手足の大きさ。身長。すべて少しずつ変化しています」
リーゼが黙る。
「……身長まで?」
「はい」
庭では相撲が続いている。
ノアがエヴァの脇へ入る。
エヴァが腰を落とす。
次の瞬間。
ノアの身体がわずかに浮いた。
「おい!」
リーゼが叫ぶ。
「聖者を持ち上げるな!」
エヴァがノアを下ろす。
「何だよ。相撲だぞ」
「相撲でも二メートル超えのオーガを持ち上げるな!」
ノアは笑っていた。
「エヴァ、前より強くなったよね」
「戻ってきた感じはするな」
リーゼが反応した。
「戻った?」
エヴァが庭から歩いてくる。
裸のまま。
リーゼが指差す。
「服を着ろ!」
「今から風呂だぞ」
「ならせめて布を巻け!」
シズクはすでに気にしていなかった。
ティセラも観察対象としてしか見ていない。
ノアも普通に横へ来る。
二人が並ぶ。
リーゼは改めて見上げた。
やはり。
近い。
ノアには角があるので、頭頂よりさらに高く見える。
体格もオーガらしく非常に大きい。
それでもエヴァは、以前のように「大柄な人間の女」という印象ではなくなっている。
「……エヴァ」
「何だ?」
「本当に大きくなっているぞ」
「そうか?」
「聖者と肩が近い!」
エヴァはノアを見る。
自分を見る。
「まあ、戻ってきたんじゃねえか?」
リーゼが眉を寄せる。
「だから、その『戻った』とは何だ」
エヴァは普通に答えた。
「谷底へ落ちた頃は、長く捕まってたせいで身体がかなり鈍ってたからな」
少し肩を回す。
「ここで食って、寝て、畑やって、魔物とやり合ってるうちに戻ってきてるとは思ってたが、全盛期に近くなってきたな」
リーゼがティセラを見る。
「筋力の話か?」
ティセラはエヴァを見ていた。
「それだけなら、身長までは説明できません」
シズクが思い出したように言う。
「そういえば」
「何だ?」
「黒です」
ノアを二人、縦に置いたくらいの高さがある。初めて聞いた時、リーゼですら馬という認識に少し時間がかかったほどだ。
シズクが言う。
「エヴァは、昔から黒に乗っていたのですよね?」
「ああ」
エヴァが答える。
「俺の馬だからな」
リーゼの顔が変わる。
「待て」
皆がリーゼを見る。
「最初にシズクが会った時のエヴァは、里の男より背が高い程度だったのだろう?」
シズクが頷く。
「はい。とても大きな方だとは思いましたが」
リーゼは当たり前の疑問に辿りつく。
「その体格で、あの馬にどうやって乗る」
沈黙。
シズクも黒を思い描く。
ノアも。
ティセラも。
確かにおかしい。
黒は巨大だ。
ただ跨がるだけでも、人間用の馬とは必要な脚の長さが違う。
地上で軍馬として乗り回すなら、今のエヴァくらいの体格がある方が遥かに自然だった。
リーゼがゆっくりエヴァを見る。
「貴様、谷底へ来た時、本当に小さくなっていたのか?」
エヴァ。
「あー」
少し考える。
「俺が縮んだならな」
「?」
リーゼが完全に止まる。
エヴァは何を不思議がっているのか分からない顔だった。
「ボロボロにされると縮むだろ?」
リーゼの顔が引きつる。
「貴様は風船かー!?」
エヴァが首を傾げた。
「?」
「何故、そこで不思議そうな顔をする!」
ノアも困惑している。
「エヴァの世界では普通なの?」
「普通っていうか」
エヴァは自分の腕を見る。
「弱ると肉が落ちるだろ」
リーゼ。
「それは分かる!」
「身体が鈍る」
「分かる!」
「力が落ちる」
「分かる!」
「小さくなる」
「そこだ!」
エヴァ。
「何が?」
「何故、骨格まで縮む!」
「弱いからじゃねえの?」
「説明になっていない!」
騒ぎを聞きつけて、クロエとアスラもやってきた。
ネイラとルヴァナも一緒だった。
ルヴァナは庭に裸で立っているエヴァとノアを見る。
「何してんの?」
エヴァ。
「相撲」
ルヴァナの顔が明るくなる。
「やりたい!」
クロエとアスラが同時に止めた。
「後だ」
「今は待て」
リーゼが叫ぶ。
「後でもやらせるな!」
ネイラは話の途中から聞いていたらしい。
「エヴァさんが以前より大きくなっている?」
「そうだ」
リーゼが答える。
「胸だけではない。全身だ」
クロエがエヴァを見る。
瞳の奥で何かを計測している。
「確かに、館へ来た当初の記録と現在の比率が合わない」
リーゼが振り返る。
「貴様、記録していたのか」
「視覚記録がある」
「便利だな!」
アスラもエヴァを見る。
「魔力量も以前より高いぞ」
ティセラがすぐ聞く。
「どの程度です?」
二人がその場で情報交換を始める。
エヴァだけが暇そうだった。
シズクが別の記憶を口にした。
「私、以前エヴァに抱えられて走りました」
リーゼ。
「それは何度も見た」
「右脇に」
「見た」
「荷物のように」
リーゼはシズクを見る。
成人女性。
小柄ではあるが、当然それなりの体重はある。
それをエヴァは片腕で脇へ抱え、普通に走る。
しかも速い。
シズクを抱えているから遅い、という走り方ではない。
本当に荷物一個増えただけのように走る。
「……そう考えると、前からおかしいな」
シズクが頷く。
「私は慣れてしまいました」
「慣れるな」
さらにティセラが言う。
「三メートル級の猪を正面から止めたこともあります」
リーゼが顔を向ける。
「そうだった」
巨大な猪。
エヴァは突進してくるその頭を、両手で受け止めた。
足元の土を削りながらも止めた。
あの時も全員、
エヴァだから。
で済ませていた。
ティセラは真面目な顔になった。
「筋肉。骨。腱。皮膚。心肺。回復力」
一つずつエヴァを見る。
「私の常識にある、人間の範囲を大きく外れています」
リーゼが言う。
「それは今さらでは?」
「今までは、エヴァ個人が異常に強いのだと思っていました」
「違うのか?」
「本人の話を前提にすると、別の可能性があります」
皆がエヴァを見る。
エヴァはまだ裸だった。
リーゼがもう諦めた。
「教授、続けろ」
「エヴァの身体は、力を取り戻す過程で、単に筋力を回復しているだけではない」
ティセラは言う。
「身体そのものを、強さに適した大きさへ戻しているのでは?」
リーゼが眉を寄せる。
「強さに適した大きさ?」
エヴァが答えた。
「だから、強くなればでかくなるだろ?」
リーゼ。
「その常識を先に説明しろ!」
エヴァは本当に分からない顔だった。
「説明するようなことか?」
「小官の世界では人間は鍛えても二メートルも三メートルも大きくならん!」
「そうなのか?」
「そうだ!」
シズクが手を上げる。
「私の里でも、強い武人だからといって背丈が伸び続けることはありません」
ティセラ。
「私の世界も同じです」
クロエ。
「私たちの世界でも、身体改造を除けば同じだ」
アスラも頷く。
ネイラ。
「同じです」
ルヴァナ。
「あたしも鍛えたらでかくなるとかないよ」
エヴァが全員を見る。
「へえ」
リーゼが叫んだ。
「『へえ』ではない!」
ノアが少し考えてから聞いた。
「エヴァの国では、強い人ほど大きいの?」
「まあ、だいたい」
「兵士も?」
「強い奴はな」
「王族も?」
「強けりゃ」
「女性も?」
エヴァが首を傾げた。
「何で女だけ別なんだ?」
「いや、確認」
リーゼが額を押さえる。
「なるほど……」
全員が同時に、黒を思い出した。
巨大軍馬。
普通の人間が跨がることを前提としていないような巨体。
エヴァがそれを軍馬として普通に扱っていた。
馬の方がおかしいと思っていた。
だが。
リーゼが呟く。
「違う」
シズクが見る。
「何がです?」
「あの馬だけが巨大なのではない」
皆がリーゼを見る。
「あの世界では、あの馬へ乗るような戦士の方も大きくなるんだ」
エヴァが頷く。
「そりゃそうだろ」
リーゼが頭を抱えた。
「何故、今まで誰もそこを疑問に思わなかった!」
エヴァ。
「聞かれなかったから」
「またそれか!」
ティセラはかなり興奮していた。
「非常に興味深いですね」
「教授が喜び始めた!」
「強さと身体サイズの相関。栄養状態、筋力、魔力、ホルモン、骨格変化、回復速度。どこが主因なのか」
エヴァを見る。
「成長限界は?」
エヴァ。
「知らん」
「全盛期の身長は?」
「測ったことない」
「今より大きかった?」
エヴァは少し考えた。
ノアの横へ立つ。
肩を並べる。
自分の頭の位置を手で示す。
「たぶん、もうちょい?」
リーゼの顔が固まる。
「もうちょい?」
「捕まる前は黒に乗って戦場走り回ってたからな」
ティセラの目が輝いた。
「つまり、現在も完全回復ではない可能性がある?」
「あるかもな」
シズクがエヴァを見上げる。
以前より明らかに高い。
そして、隣には二メートルを超えるノア。
今はほとんど肩を並べている。
シズクが聞いた。
「エヴァは、もっと大きくなるのでしょうか?」
エヴァ。
「さあ?」
リーゼが嫌な予感を覚える。
「黒に普通に乗れる全盛期まで戻るなら?」
エヴァ。
「もうちょいでかくなるかもな」
ルヴァナの目が輝いた。
「いいな!」
リーゼが振り返る。
「真似するな!」
「できないって」
「ならいい!」
クロエが冷静に言う。
「エヴァの衣装室、また全滅するぞ」
全員が止まった。
エヴァも止まる。
「……あ」
シズクが思い出す。
以前着られた下着。
すでに胸だけでなく、身体全体の寸法が合わなくなり始めている。
リーゼが言った。
「衣装、作り直しだな」
エヴァが嫌そうな顔をする。
「面倒だな」
「貴様が大きくなるからだ!」
「俺のせいか?」
「他に誰のせいだ!」
ティセラがすぐ記録板へ書き始める。
「今後、定期的に身長、肩幅、胸囲、上腕囲、大腿囲――」
リーゼ。
「待て」
「はい?」
「胸囲だけ嬉しそうに測らせるなよ」
エヴァが笑う。
「いいぞ」
「やっぱり!」
ノアも笑っている。
シズクは改めて二人を見た。
角のあるオーガ。
そして、その横で肩を並べ始めた元王女。
最初に会った時、エヴァはただの大女に見えた。
今はもう違う。
谷底でよく食べ。
眠り。
畑を耕し。
巨大な魔物と戦い。
毎日のように身体を動かし。
捕虜生活で失っていた強さを取り戻すたびに、身体そのものまで全盛期へ戻っている。
リーゼが最後に確認した。
「つまり」
エヴァを見る。
「貴様の世界では、強くなると大きくなる」
「そうだな」
「弱ると小さくなる」
「そうだな」
「だから巨大な軍馬にも乗れる」
「そうだな」
「そして、貴様はまだ完全な全盛期ではない」
エヴァは少し考えた。
「たぶんな」
リーゼは深く息を吸った。
「最初に言えー!」
「聞かれなかったって」
「うがあああっ!」
朝の館に、いつもの叫びが響いた。
その横でティセラは、エヴァの現在身長を測るための縄を用意していた。
今後どこまで伸びるのか。
誰にもまだ分からなかった。




