第九十五話 やはり家族だな
妹を呼んだら、起きてすぐ館の外へ走ろうとした
ネイラの最初の接続から、一日。
クロエとアスラは、ほとんど同じ手順をもう一度繰り返していた。
ただし、今日は中央の大部屋にいる人数が一人増えている。
ネイラだった。
昨日使ったアバターへ再接続し、寝台の横に置かれた椅子へ座っている。
一度経験したからか、今日は身体を動かす時の違和感もかなり減っていた。
「昨日よりいいです」
クロエが計器を確認する。
「重心補正を少し変えた」
「足裏も自然になりました」
「視覚は?」
「問題ありません」
アスラが横から言った。
「で、貴様は何故さっきから装置ばかり見ている」
ネイラの視線は、しっかり電装設備へ向いていた。
「見ているだけです」
「触るなよ」
「分かっています」
クロエが言う。
「分解も禁止だ」
「まだ何もしてません」
「しそうだから言っている」
ネイラは少し不満そうだった。
リーゼがそれを見ながら、昨日と同じ感想を抱く。
見た目は本当に落ち着いている。
姿勢もいい。
受け答えも丁寧。
清楚な委員長という説明そのものだった。
その視線が、ずっと機械の接合部を追ってさえいなければ。
「今日は妹を呼ぶのですよね」
シズクが聞いた。
ネイラが頷く。
「はい」
少しだけ声が弾んでいた。
リーゼはそれを聞き逃さなかった。
「やはり楽しみなのだな」
「当然です」
「昨日の貴様は、もっと平然としていたぞ」
「私が来るのと、ルヴァナが来るのは別ですから」
「仲がいいんだな」
ネイラは少し考える。
「普通だと思います」
クロエとアスラが同時にネイラを見た。
リーゼには、その「普通」がどの程度なのか少し気になったが、今は聞かなかった。
もう一つの寝台には、二体目のアバターが横たわっている。
こちらも成人女性の姿。
だが、ネイラ用とは内部設定が少し違った。
アスラが何度も出力系を確認している。
リーゼが聞いた。
「何故、そちらだけそんなに確認する」
「ルヴァナだからだ」
「説明になっていない」
クロエが補足した。
「筋力出力を抑えてある」
「何故だ」
「本体と同じ感覚で動かれたら、最初の一歩で何が壊れるか分からん」
リーゼは黙った。
庭の石柱を一人で持ち上げる娘。
思い出した。
「……抑えておけ」
「そのつもりだ」
アスラは少し不満そうだった。
「本来の力を出せないのは可哀想だがな」
リーゼがアスラを見る。
「接続初日に館を壊すよりいい!」
「館はかなり頑丈だぞ」
「比較対象を館にするな!」
ノアは今日も部屋の端にいる。
窓と扉は開け放たれている。
初回接続なので様子を見るが、長居するつもりはない。
エヴァは壁際で腕を組んでいた。
「ルヴァナって、そんなに強いのか?」
アスラが少し得意そうに答える。
「強いぞ」
クロエ。
「限度はある」
「石柱を持ち上げるのに?」
「まだ私たちの世界の基準だ」
リーゼが叫んだ。
「その世界の基準がおかしい!」
エヴァだけが楽しそうだった。
「力比べできそうだな」
クロエとアスラが同時に言った。
「するな」
「させんぞ」
「何だよ」
「接続試験だ」
「娘を壊す気か」
エヴァは両手を上げた。
「分かったよ」
リーゼが意外そうに見る。
「素直だな」
「母親二人が怖えからな」
クロエとアスラは否定しなかった。
準備が整う。
ネイラが椅子から立った。
「私も近くにいていいですか?」
クロエが頷く。
「もちろんだ」
アスラも。
「むしろ声をかけてやれ」
ネイラは妹の寝台の横へ移動する。
リーゼが計器。
ティセラが魔力測定。
クロエが電装側。
アスラが接続術式。
昨日と同じ配置。
ただ一つ違うのは、ネイラがいることだった。
クロエが言う。
「開始する」
アスラの足元に魔法陣が広がった。
電装設備が動き始める。
蓄積していた電力が流れる。
魔力槽から術式へ魔力が移動する。
リーゼが数値を読む。
「電力、安定」
ティセラ。
「魔力流入も正常です」
クロエの瞳に細かな光が走る。
アスラが目を閉じた。
「経路を開く」
数秒。
昨日より早かった。
クロエが言う。
「捕捉」
アスラも頷く。
「本人確認」
ネイラが寝台の上を見つめる。
クロエ。
「接続する」
アバターの指が動いた。
次に足。
肩。
胸が上下する。
瞼が開く。
その瞬間。
寝台の上の女が勢いよく上半身を起こした。
「うわっ!」
リーゼが身構えた。
ネイラだけは動かなかった。
「ルヴァナ」
「姉ちゃん!」
第一声だった。
ルヴァナは自分の身体を確認するより先に、ネイラへ抱きついた。
「マジでいるじゃん!」
「いますよ」
「やば! 本当に繋がった!」
「ちょっと、まだ身体の確認が――」
「普通に触れる! すご!」
ネイラが抱きつかれたまま、クロエを見る。
「力、抑えてありますよね?」
「ああ」
「よかったです」
ルヴァナが顔を上げた。
「何それ。あたしそんな乱暴じゃないし」
クロエ。
「石柱」
アスラ。
「石柱」
ネイラ。
「石柱」
三人同時だった。
ルヴァナが口を尖らせる。
「あれは持てそうだったから持っただけじゃん」
リーゼが呟いた。
「持てそうでも普通は持たん」
ルヴァナはそこで、ようやく周囲へ視線を向けた。
巨大な寝室。
高い天井。
太い梁。
人間には大きすぎる扉。
大きな窓。
巨大な寝台。
目を丸くする。
「でっか!」
シズクが少し笑った。
「皆さん、最初はそう仰います」
ルヴァナが立ち上がろうとする。
クロエが即座に肩を押さえた。
「待て」
「何?」
「身体確認が先だ」
「動いてるじゃん」
「だから確認する」
「姉ちゃんも普通に立ってるし」
ネイラが言う。
「私は昨日、三歩ずつ確認しました」
ルヴァナが姉を見る。
「マジ?」
「マジです」
「性格出るなー」
「あなたは出すぎです」
アスラが笑った。
「まあ立たせてやれ」
クロエが見る。
「転んだら?」
「受け止める」
「床を壊したら?」
「そこまで出力させていない」
「ならいい」
リーゼが呆れた。
「娘の立ち上がり一つで軍議をするな」
ルヴァナが床へ足をつけた。
立つ。
ネイラよりずっと速い。
一瞬だけ重心がぶれたが、その場で軽く足を踏み替えて修正する。
「おお」
自分の脚を見る。
膝を曲げる。
伸ばす。
その場で小さく跳ぼうとした。
四方向から声が飛んだ。
「跳ぶな!」
「跳ぶな!」
「跳ばないでください!」
「跳ぶなと言っている!」
ルヴァナが止まった。
「え?」
クロエ。
「初日だ」
アスラ。
「出力確認前だ」
ネイラ。
「まず歩いてください」
リーゼ。
「ここは試験室だ!」
ルヴァナが周囲を見る。
「めっちゃ止められるじゃん」
エヴァが笑った。
「俺もさっき止められた」
ルヴァナがエヴァを見る。
そして目が止まった。
大きい。
筋肉。
見るからに強い。
ルヴァナの表情が一気に明るくなる。
「あの人強そう!」
エヴァも同じ顔になった。
「分かるか?」
「分かる!」
クロエとアスラが同時に二人の間へ入った。
「駄目だ」
「今日は駄目だ」
エヴァ。
「まだ何も言ってねえ」
ルヴァナ。
「あたしも!」
リーゼが頭を抱えた。
「会って十秒で意気投合するな!」
シズクが小さく笑う。
「エヴァと似ていますね」
アスラが嬉しそうに言った。
「私にも似ているぞ」
クロエがため息をつく。
「行動する前に考えるところが抜けている」
「それ褒めてないよね、クロエ母さん」
「事実だ」
ルヴァナは今度こそゆっくり歩いた。
一歩。
二歩。
三歩。
「普通」
クロエが聞く。
「足裏は?」
「ある」
「左右差」
「なし」
アスラ。
「魔力感覚は?」
ルヴァナが少し目を閉じる。
「ある。ちょっと変」
「どう変だ」
「自分の身体じゃない感じ。でも動かせる」
ティセラが聞く。
「魔力回路の位置を認識できますか?」
ルヴァナがティセラを見る。
「誰?」
「ティセラです」
「教授だ」
アスラが補足した。
ルヴァナの目が少し輝く。
「教授?」
リーゼが嫌な予感を覚える。
「何故そこで嬉しそうなんだ」
「何か教えてくれそうじゃん」
ティセラが頷く。
「質問には可能な範囲で答えます」
「やった」
リーゼがティセラを見る。
「教授、すぐ餌付けされるな」
「知識の交換です」
「言い方!」
シズクも自己紹介する。
「私はシズクです。よろしくお願いいたします」
「よろしくー。巫女さん?」
シズクが少し驚く。
「分かるのですか?」
「服がそれっぽい」
「あなたの世界にも巫女が?」
クロエが横から言う。
「似た文化はある」
シズクは少し嬉しそうだった。
次はリーゼ。
「リーゼロッテ・ヴァイス。帝国航空隊大尉だ」
ルヴァナが一度止まった。
「長い」
エヴァが大笑いした。
「だろ!」
リーゼが振り返る。
「そこへ食いつくな!」
ルヴァナ。
「リーゼでいい?」
「……もう全員そう呼ぶから好きにしろ」
「よろしく、リーゼ」
「軽いな!」
「よろしく、大尉!」
「急に軍隊っぽくするな!」
次にエヴァ。
「エヴァだ」
「強そうな人」
「おう」
「あとで勝負しよ」
「いいぞ」
「駄目だ!」
クロエ、アスラ、リーゼの声が重なった。
最後。
ルヴァナの視線がノアへ向く。
そして、しばらく上を見る。
ノアは他の者よりかなり大きい。
館の家具が巨大なのも、彼を基準にしているからだ。
黒い角。
金色の目。
オーガの巨体。
ルヴァナが言う。
「うわ」
ノアが少し困る。
「どうも」
「館より理由が分かりやすい」
「何の?」
「家具がでかい理由」
「ああ」
ノアが笑った。
「ノアです。二人からは聖者って呼ばれてる」
ルヴァナはクロエを見る。
「この人が聖者?」
「ああ」
次にアスラを見る。
「例の?」
「例の、が何を指すかによる」
「すごい身体の」
リーゼがむせた。
「どういう説明を娘にしている!」
クロエ。
「事実だ」
アスラ。
「事実だな」
「情報を選べ!」
ノアだけが少し遠い目をしていた。
ルヴァナは気にせず軽く頭を下げる。
「ルヴァナです。母さんたちがお世話になってまーす」
「よろしく」
「あと館でっかい」
「よく言われる」
「外見ていい?」
「身体確認が終わってからね」
ルヴァナが振り返る。
「まだ?」
クロエ。
「まだだ」
「普通に動けるじゃん」
「接続直後に走ろうとした奴の自己評価を信用すると思うか」
「走ってないって」
「顔が走る顔だった」
ネイラが頷く。
「走る顔でした」
「姉ちゃんまで!」
その後も確認は続いた。
視覚。
聴覚。
触覚。
平衡感覚。
魔力感覚。
身体制御。
向こう側の本体との接続。
ネイラの時より手順そのものは早い。
一度成功しているため、クロエとアスラにも余裕がある。
ただしルヴァナ本人がじっとしていない。
「これ何?」
「触るな」
「こっちは?」
「魔力槽だ」
「光ってる」
「だから触るな」
「あっちの部屋は?」
「クロエの工作室です」
ネイラが答えた。
ルヴァナがクロエを見る。
「工作室あるの?」
「ある」
「姉ちゃんもう入った?」
「まだです」
ネイラの声が少し低くなる。
ルヴァナが笑った。
「入りたいんじゃん」
「当然です」
リーゼが姉妹を見る。
「方向は違うが、二人とも落ち着きがないな」
ネイラ。
「私は落ち着いています」
ルヴァナ。
「姉ちゃんは機械見ると駄目じゃん」
「あなたほどではありません」
「じゃあ勝負?」
「何を競うんですか」
二人の会話を聞いていたクロエとアスラが、妙に満足そうだった。
シズクがそれに気づく。
「お二人とも、嬉しそうですね」
クロエが言う。
「そう見えるか?」
「はい」
アスラは否定しなかった。
「二人そろったからな」
ネイラが振り返る。
ルヴァナも。
ほんの少しだけ、部屋が静かになった。
昨日はネイラ一人。
今日は二人。
身体は仮のもの。
本当の娘たちは、遥か向こう側の家にいる。
それでも、ここに二人そろって立っている。
ルヴァナがアスラへ近づいた。
「会いたかった?」
アスラが鼻で笑う。
「別に」
クロエが言う。
「昨日までホームシックだった」
アスラが振り向いた。
「貴様!」
ルヴァナが笑う。
「マジじゃん!」
ネイラも少し笑った。
「やっぱり」
「何がやっぱりだ!」
クロエが追撃する。
「エロ拷問がいつもより荒かった」
リーゼが叫んだ。
「娘の前で報告するな!」
ネイラは平然としている。
ルヴァナも平然としている。
むしろルヴァナが聞いた。
「どっち勝ったの?」
リーゼが固まった。
アスラ。
「決着はついていない」
クロエ。
「次は私が勝つ」
ルヴァナ。
「またやってんじゃん」
ネイラ。
「館を壊さないでくださいね」
リーゼは姉妹を見た。
それから母親二人を見る。
「普通なのか?」
四人がほぼ同時にリーゼを見る。
「何が?」
「何がだ?」
「何がですか?」
「何が?」
リーゼは天井を見た。
「小官が間違っている気がしてきた……」
身体確認が終わる。
接続も安定。
ネイラとルヴァナの二体を同時に動かしても、電力は想定内だった。
魔力消費も問題ない。
クロエが計器を見る。
「二体同時、安定」
アスラも頷く。
「昨日の負荷試験通りだな」
リーゼが少し誇らしげに言う。
「水車も問題ない」
ノアも頷く。
「ここまで来たね」
エヴァが聞く。
「じゃあ今日は二人ともこのまま?」
クロエが答える。
「最初は数時間」
ルヴァナがすぐ抗議する。
「短っ!」
アスラ。
「初日だ」
「姉ちゃん昨日どんくらい?」
「短時間でした」
「じゃあ今日あたしの方が長くできる?」
ネイラが見る。
「何故勝負になるんですか」
「何となく」
クロエが即座に言う。
「時間は二人とも同じにする」
「えー」
「えー、ではない」
シズクが笑う。
「では、その間に館をご案内しましょうか」
ルヴァナの顔が明るくなった。
「行く!」
そして扉へ向かって走り出した。
クロエが銀髪を伸ばす。
アスラが魔法陣を出す。
ネイラが腕を掴む。
三方向から同時に止められた。
ルヴァナだけが、その場で前のめりになっている。
「何!?」
クロエ。
「歩け」
アスラ。
「接続初日だ」
ネイラ。
「さっき言われたでしょう」
ルヴァナは三人を見る。
「過保護じゃない?」
三人が同時に答えた。
「違う」
「違うな」
「違います」
リーゼが笑った。
「やはり家族だな」
今度は誰も否定しなかった。
ルヴァナは渋々歩き始める。
五歩ほど進んだところで、巨大な廊下を見上げた。
その先には、大きな館。
水車。
畑。
生け簀。
鶏のように鳴く木。
巨大な生き物。
地図の空白。
娘二人がまだ知らないものが、いくらでもある。
「ねえ、最初どこ行く?」
ネイラが答えた。
「工作室」
クロエ。
「駄目だ」
ルヴァナ。
「外!」
アスラ。
「走るなよ」
ネイラ。
「では先に工作室を見て、それから外へ」
クロエ。
「勝手に決めるな」
ルヴァナが姉の腕へ絡んだ。
「じゃ、両方!」
二人で廊下を歩いていく。
その後ろを、母親二人が当然のようについていく。
リーゼは四人の背中を見送った。
「……本当に、普通の家族なんだな」
シズクが隣で頷く。
「はい」
前方から、さっそくクロエの声がした。
「ネイラ、そっちは工作室だ。まだ入るな」
「見るだけです」
続いてアスラ。
「ルヴァナ! 廊下で走るな!」
「走ってないって!」
「それは駆け足だ!」
リーゼは訂正した。
「……普通かどうかは、まだ分からんな」
シズクが笑った。
娘二人がそろったことで、巨大な聖者の館はまた一段と賑やかになった。




