第九十一話 大尉は、祝杯の勢いで上官命令をし、蛮族の捕虜となる【一般公開版】
水車が回った。
電気が灯った。
魔力も蓄えられるようになった。
洗濯物は館中に散らばらなくなり、巨大なシーツや毛布をまとめて干せる場所までできた。
さらに、ノアが一人だけ軒下へ離れなくても、風を通しながら全員で食卓を囲める場所まで完成した。
ここしばらく続いていた共同生活の見直しが、ようやく一段落した。
「乾杯!」
エヴァの声とともに、木の杯がぶつかった。
新しくできた屋根付きの食事場所には、いつもより料理が多く並んでいた。
今日は作業ではない。
祝いだった。
ノアも同じ卓についている。
風が抜ける位置を選び、皆とは少しだけ距離を空けているが、以前のように一人だけ軒下の別卓へ行く必要はない。
シズクが嬉しそうに言った。
「聖者も一緒にお食事できますね」
「うん。これ、かなりいいね」
ノアも周囲を見回した。
エヴァが酒を飲みながら笑う。
「最初から作っときゃよかったな」
リーゼがすぐ反応した。
「何を言っている。必要になったから作ったのだ! 二人しかいなかった頃に、この規模の共同食事場所を作ってどうする!」
「聖者と俺で広々使う」
「無駄だ!」
そう言いながら、リーゼも今日は上機嫌だった。
自分たちで測量した。
木を運んだ。
水路を掘った。
水車を作った。
回転を発電へ繋いだ。
館まで電力を引いた。
空いていた大部屋にも用途が決まり始めた。
帝国にあった巨大な工場や発電設備とは比べものにならない。
それでも、自分たちの手で一から積み上げたものだった。
その満足感が、今夜のリーゼにはかなり効いていた。
そこへ酒まで入った。
普段より少し頬が赤い。
声も大きい。
ただし、泥酔しているわけではない。
歩き方は真っすぐ。
受け答えも普通。
自分がどれだけ飲んだかも理解している。
ノアの体質を考えて、酔い潰れるほど飲むような真似もしていない。
それでも、いつもの緊張を飛ばすには十分だった。
エヴァが杯を見た。
「大尉、今日よく飲むな」
「祝いだからな!」
「珍しい」
「小官だって酒くらい飲む!」
「酔ってない?」
「酔っていない!」
リーゼはそう言ってから、少し考えた。
「……少ししか酔っていない!」
「酔ってる奴の訂正だな」
「うるさい!」
ティセラが何か記録しようとした。
リーゼが即座に指を差す。
「教授! 今日くらい記録するな!」
「まだ何も書いていません」
「紙を持った!」
「習慣です」
「置け!」
その夜の宴は、いつもより長く続いた。
やがてシズクとティセラが片付けを始め、クロエとアスラも自分たちの部屋へ戻っていく。
エヴァはまだ酒を飲んでいた。
ノアは先に席を立った。
「僕、そろそろ戻るね」
リーゼがちらりと見る。
「そうか」
それだけ答えた。
だが、ノアが館へ戻ってから少しすると、リーゼも立ち上がった。
エヴァが見る。
「どこ行く」
「寝る!」
「大尉の部屋、そっちじゃねえぞ」
「散歩だ!」
「館の中で?」
「うるさい!」
リーゼは足早に去っていった。
エヴァは杯を傾けながら、その後ろ姿を見送った。
「分かりやすいな」
誰に聞かせるでもなく笑った。
ノアの寝室の扉が、勢いよく開いた。
ノックはなかった。
「蛆虫ー! 今日まで貴様はよく働いた!」
ベッド脇にいたノアが振り返った。
「リーゼ?」
「大尉殿だ!」
「はい、大尉殿」
リーゼは頬を赤くしたまま、堂々と部屋へ入ってくる。
「今夜は小官の命令に従ってもらう!」
ノアは少しだけ表情を改めた。
「その前に確認。リーゼ、自分で分かっててここに来た?」
「当然だ!」
「お酒の勢いだけじゃなく?」
「このために、緊張を飛ばす程度だけ飲んだ!」
「途中でやめたくなったら?」
「命令を撤回する!」
「分かった」
ノアが笑う。
「では、仰せのままに。大尉殿」
リーゼの顔がさらに赤くなる。
「最初からそう言え!」
そこへ廊下から、エヴァの声がした。
「敵国の大尉を捕まえたのか?」
リーゼが振り向く。
「誰が敵国だ!」
「俺の国とお前の帝国、同盟を結んでねえだろ」
「そもそも国同士が接触していない!」
「なら敵かもしれねえ」
「雑すぎる!」
エヴァは悪い笑顔で寝室へ入ってきた。
「じゃあ、俺は蛮族の捕虜役」
「何故増えた!」
「大尉一人だけ楽しそうだから」
リーゼは二人を交互に見る。
酔いはもうかなり醒めていた。
ノアもエヴァも、何も言わずに待っている。
「嫌ならやめるぞ」
エヴァが言った。
リーゼは一度だけ黙り、それから上官の顔を作った。
「……貴様ら。小官の許可なく勝手に始めるな」
「了解」
「仰せのままに、大尉殿」
「その返事だけは妙に息が合うな!」
巨大な聖者仕様の寝台は、三人が乗ってもまだ余裕があった。
その夜、敵国の大尉と蛮族の捕虜二人による、設定だけは物騒な尋問が始まった。
詳細について、翌朝の三人は誰も証言しなかった。
ただしリーゼだけは、戦力評価を誤った、と悔しそうに語った。
翌朝。
シズクが洗濯物集積所へやってきた。
そこへエヴァが、巨大なシーツと毛布を抱えて現れる。
シズクは寝具用の籠を指した。
「こちらへお願いします」
「おう」
どさり、と大量の寝具が入る。
その後ろからリーゼが歩いてきた。
目を合わせない。
シズクが少し首を傾げる。
「リーゼ、おはようございます」
「……おはよう」
「昨日は聖者のところだったのですね」
リーゼが止まった。
「何故分かる!」
シズクは籠を見る。
「寝具が増えましたので」
リーゼも見る。
自分たちが昨夜使った巨大なシーツ。
自分で作らせた。
自分で仕分け方法まで決めた。
その設備へ、自分が汚した寝具が持ち込まれている。
リーゼはしばらく黙った。
「……洗濯物集積所を作っておいてよかったな」
エヴァが即座に笑った。
「自分で活用してるぞ、大尉」
「うるさい!」
シズクがさらに聞く。
「今日は一組でよいのですか?」
リーゼの顔が赤くなる。
エヴァが答えようとする。
リーゼが叫んだ。
「数えるな!」
朝の館に、いつもの声が響いた。
水車も回っている。
洗濯物も増えた。
共同生活は、今日も順調だった。




