第九話 谷底の豊かな土地ほど、油断すると食われる
次は畑だった。
館から見えていたものより、さらに広い。
長い畝。果樹。穀物。
シズクの国にもあるもの。エヴァの国にあったもの。上から落ちてきた荷物の種。聖者が昔の記憶を頼りに育てたもの。様々だった。
エヴァが突然、足元の草を抜いた。
「この土地について一番大事なことだ」
「はい」
「痩せない」
「畑が?」
「畑も森もだ。何度収穫しても、ほとんど土が弱らない」
「それなら、とても豊かな土地なのですね」
「それだけならな」
エヴァが抜いた草を見せた。かなり根が長い。
「これ、昨日抜いた」
「昨日?」
「この場所のをな」
「一日で?」
「ここは、だいたい十倍で育つ」
「十倍……」
「地上で十日なら一日。何月もかかる作物が、何十日かで採れる」
シズクは畑を見渡した。
故郷の干ばつを思い出す。これほどの土地があれば。あの村では誰も飢えなかったかもしれない。自分も生け贄にはされなかったかもしれない。
「それなら、食べ物には困らないのですね」
「俺も最初そう思った」
エヴァは畑の外を指す。赤黒い葉を持つ草が群生している。
「あれ、昨日全部焼いた」
「昨日?」
「触ると皮膚が爛れる毒草だ」
シズクは一歩下がった。
「あっちの黄色い花は二日で種を飛ばす。向こうの蔓は三日放っとくと柵を覆う」
「そんなに……」
「野菜だけが十倍で育つわけじゃない」
エヴァの顔が真面目になる。
「毒草も十倍。雑草も十倍。魔物の種も十倍」
「魔物にも種が?」
「植物みたいな魔物もいる。動く蔓。獣の肉を食う花。種を獣へくっつけて運ばせる奴。地面の下で待つ奴」
エヴァは畝の間に生えていた青い芽を見つけ、短刀で切った。透明な汁が落ちる。土が白く泡立った。
「これは?」
「知らん」
「知らないのですか?」
「昨日はなかった」
シズクはさらに一歩離れた。
「だから、知らないものに勝手に触るな。俺か聖者を呼べ」
「どうやって安全か確かめるのですか」
「少量を分ける。虫や小動物への反応を見る。匂いを見る。魔法で毒を調べる。それでも分からなきゃ触らない」
エヴァは畑を見回した。
「覚えとけ。ここは豊かだ。馬鹿みたいに豊かだ。だから危険なんだ」
「豊かなのに?」
「育てたいものも十倍。育ってほしくないものも十倍。二日さぼれば草だらけ。三日さぼれば、何かに食われる」
「畑が?」
「畑も。俺たちも」
冗談ではなかった。
その後、鍬の使い方を教わった。
シズクは神殿の庭仕事くらいならしたことがあるが、本格的な畑仕事は初めてだった。
鍬を振る。浅い。
「腕だけで振るな」
エヴァが後ろから手を添える。
「腰を使え。土を叩くんじゃない。刃を入れて起こす」
「こう?」
「もう少し脚を開け」
「ずぼんでよかったです」
「だろ?」
二度目は大きく土が返った。
「できました」
「一回な」
「もう少し褒めてください」
「百回出来たら褒める」
「百回……」
「九十九でもいいぞ」
「ほとんど同じです」
エヴァが笑った。




