第八十三話 水を吸う木
「部屋そのものは足りる」
リーゼは間取りを見ながら言った。
「だが、何も作らなくていいわけではない」
ノアが頷く。
「うん」
既存の巨大な館は、七人が暮らすには十分広い。
大部屋もある。
空いている部屋もある。
用途を変えれば、研究室も工作室もアバター室も確保できる。
しかし、共同生活用に見直していくと、既存館の外へ新しく必要になるものが多かった。
洗濯物を一度集める場所。
大型の物干し場。
雨を防ぎながら風を通す屋根。
ノアが皆と食事できる半屋外の大きなバルコニー。
水力設備。
水車から館までの設備保護。
場合によっては危険試料庫や魔術設備の一部も、館本体から少し離したい。
さらに既存の大部屋を区画化するための仕切り。
棚。
作業台。
収納。
武器架。
地図を掛ける壁面。
アバター設備を固定する台。
どれも、普通の人間向けの寸法では済まない。
館そのものが聖者仕様だからだ。
エヴァが間取りを覗き込む。
「じゃあ結局、木はいるんだな」
「かなり」
ノアが答える。
リーゼは館の梁を見る。
太い。
長い。
大きい。
シズクが初めてこの館を見た時、自分が小さくなったのかと思ったのも当然だった。
「物干し場まで聖者仕様にする必要はあるのか?」
リーゼが聞く。
ノアは少し考える。
「柱や屋根は、今の館へ繋ぐなら合わせた方が楽だと思う」
クロエも言う。
「強度も取れる」
アスラ。
「ルヴァナが来るなら頑丈な方がいい」
リーゼが見る。
「何でもルヴァナ基準にするな!」
「石柱を持ち上げるぞ」
「聞いた!」
シズクが言う。
「物干し場は大きい方が助かります。シーツや毛布を一度にたくさん干しますから」
エヴァも頷く。
「共同食堂も聖者が普通に座れる高さがいるしな」
リーゼはノアを見る。
「また人間には巨大な椅子になるのか」
「小さい椅子も作ればいいよ」
「最初からそうしてくれ!」
結果。
建材が大量に必要だった。
リーゼは館の壁へ手を当てる。
「なら、やはりこれを取りに行くか」
ノアが見る。
「館の木?」
「ああ」
特殊な木材。
水をよく吸う。
だが、表面に水分が残りにくい。
乾くのが早い。
臭いも残りにくい。
湿気の多い谷底では非常に使いやすい。
既存館のかなりの部分に使われている。
ノアが一人で暮らしていた頃に見つけ、そのまま建築へ利用したものだった。
ティセラが壁を見る。
「以前から採取地を確認したいと思っていました」
クロエも頷く。
「構造材として優秀なら、アバター設備周辺にも使える」
アスラ。
「魔力を強く持たないなら、術式の邪魔にもなりにくい」
リーゼがノアを見る。
「どこにある」
ノアは作成途中の資源地図を見る。
まだ白い場所を指した。
「こっち」
リーゼが止まる。
「また地図の外か!」
「これから描くんだからいいでしょ」
「距離は?」
ノアが考える。
「僕なら二日かからないくらい」
エヴァがすぐ言う。
「俺なら一日」
リーゼは二人を見た。
「今後、距離を『聖者なら』『エヴァなら』で答えるの禁止と言っただろう!」
エヴァ。
「昨日言われたな」
「覚えているなら守れ!」
クロエが言う。
「なら実測すればいい」
リーゼは顔を上げた。
「そうだ」
地図作り。
資源調査。
建材確保。
一度で全部やる。
「行くぞ」
エヴァが笑った。
「全員?」
「可能な限りな。場所を共有するための地図だ。一人だけ知っていても意味がない」
準備を始めた。
リーゼは測量用の縄、杭、記録板。
クロエは距離と高低差の補助計測。
アスラは魔力分布。
ティセラは木と周辺生態の観察。
シズクは食料、水、採集路の確認。それからいつもの長い棒。
エヴァは何も持たずに出ようとした。
リーゼが止める。
「お前は荷物を持て」
「帰りに木持つぞ」
「行きも働け!」
「木持つ方が重い」
「それはそうだが!」
結局、エヴァは大きな背負い籠まで持たされた。
ノアが先導する。
館を出る。
普段使う道。
川。
畑の外。
鶏の木の林を遠くに見る。
そこから、いつもの生活路を外れる。
リーゼは最初の分岐で杭を打った。
「ここから正式に測る」
エヴァが聞く。
「毎回止まるのか?」
「必要なところだけだ」
クロエが言う。
「館からここまでの距離は取れている」
「数字は?」
クロエが答える。
リーゼは自分の測量値と照合した。
ほとんど差がない。
「便利だな」
「使うか?」
「使う。ただし小官の測量も残す」
「何故」
「お前がいない時でも使える記録にするためだ」
クロエが少しだけ笑った。
「合理的だ」
リーゼの顔が明るくなる。
「そうだろう!」
アスラが横から言う。
「魔力測定なら私がいない時はどうする」
リーゼが止まった。
「……教授に引き継げる形にしろ」
「すぐ他人へ回したな」
「共同体とはそういうものだ!」
道は徐々に湿っていった。
地面に苔。
水気。
根。
木々の種類も変わる。
シズクが周囲を見る。
「雨の後でなくても湿っていますね」
ノアが頷く。
「この先に浅い湿地がある」
さらに進むと、白っぽい樹皮の木が増えてきた。
幹は太い。
根元には水。
だが樹皮の表面は乾いて見える。
ノアが一本を指した。
「これ」
リーゼが見上げる。
「館と同じ?」
「同じ」
ティセラが前へ出かける。
その前に、シズクが棒を伸ばした。
「先に確認します」
「お願いします」
棒で幹を突く。
反応なし。
根。
反応なし。
周囲の草。
一本が突然、棒へ噛みついた。
がちん。
シズクが手を離す。
「この草は駄目です」
ティセラがすぐ記録板へ書く。
「近縁種かもしれません」
リーゼが先に言う。
「採らないぞ」
「まだ何も言っていません」
「目が言っている!」
安全を確認してから、木へ近づく。
ノアが水を少しかけた。
水は表面を流れ落ちるより先に、木へ吸い込まれていく。
リーゼが見る。
「吸った」
少し待つ。
濡れた色が薄れていく。
ティセラが触れる。
「完全乾燥ではありません。ただ、表面水分を内部へ早く移動させています」
クロエも木へ触れる。
「内部構造が特殊か」
アスラが魔力を見る。
「強い魔力器官は感じない」
シズクが聞く。
「魔法の木ではないのですか?」
「少なくとも、分かりやすい術式でこうなっているわけではない」
ティセラが続ける。
「組織構造そのものによる可能性があります」
リーゼがノアを見る。
「貴様、これを見つけた時に調べたのか?」
「切った」
「それだけ?」
「使えた」
「研究より先に屋敷を建てるな!」
「住む場所が必要だったから」
リーゼは黙った。
「……それを言われると弱い」
ノアが伐採する木を選ぶ。
全部は取らない。
若い木は残す。
根が湿地の縁を支えている場所も避ける。
「考えているんだな」
リーゼが言う。
「何年も使うなら、取り尽くしたら困るからね」
「地図は作らなかったのに」
「そこはもういいでしょ」
伐採開始。
館に使う規格が大きいため、一本がかなり太い。
さらに長さも必要。
ノアが切り分ける。
エヴァが持ち上げる。
一本。
二本。
三本。
肩へ載せた。
リーゼが止める。
「待て」
「何だ」
「何本持つ気だ」
「持てるだけ」
「それ、館の梁に使う太さだぞ!」
「軽い方だ」
リーゼは遠い目をした。
クロエが言う。
「運べるなら効率がいい」
「だからエヴァを共同体標準にするな!」
アスラは魔術で細い材を浮かせる。
シズクとティセラは枝や試料。
ノアも大材を担ぐ。
リーゼが自分も持とうとした。
エヴァが取り上げる。
「お前は地図」
「小官も運べる!」
「落としたら測り直しだぞ」
リーゼは記録板を見る。
黙った。
「……任せる」
帰る前に、資源地点として正式に記録する。
クロエが距離。
リーゼが方位と道。
アスラが魔力。
ティセラが植生。
シズクが歩きやすさと水場。
ノアが周辺の別経路。
危険植物も書く。
湿地も書く。
搬出しやすい場所も書く。
今までなら、
「館の木を取りに行く場所」
それだけだった。
今日は違う。
誰が見ても、次に辿り着ける。
「建築用特殊木材採取地」
リーゼが記録する。
「湿地林。水場あり。周辺危険植物あり。大型材搬出には複数人必要」
そこまで書いて、エヴァを見る。
三本担いでいる。
リーゼは少し迷った。
追記する。
「ただしエヴァ単独搬出可」
エヴァが笑った。
「だろ?」
「例外として書いただけだ!」
館へ戻る頃には、日が傾いていた。
大きな材木が何本も庭へ並べられる。
今までの館と同じ材。
新しい物干し場。
共同食事場所。
棚。
作業台。
仕切り。
設備架台。
聖者仕様で作れば、普通の人間用より大量に木を使う。
だが、場所は分かった。
道も分かった。
危険も分かった。
リーゼは資源地図へ、新しい印を一つ入れた。
シズクが横から見る。
「次からは地図を見れば行けますね」
「ああ」
クロエも地図を見る。
「娘たちの設備を作る材料も取れる」
アスラが木材を見た。
「ルヴァナが多少暴れても大丈夫そうだ」
リーゼが即座に返す。
「アバター室で暴れさせるな!」
ノアが笑う。
「じゃあ、この木を乾かしながら加工しようか」
リーゼが壁と木材を見る。
大きな屋敷。
大きな部屋。
大きな設備。
聖者仕様だからこそ、作るものも大きくなる。
ただ広いだけだった館を、皆で使う場所へ変えるには、その分だけ材料も必要になる。
「次は水車候補地だ」
リーゼが言った。
エヴァが嫌そうな顔をする。
「また歩くのか?」
「娘を呼ぶための発電所だろう!」
「産業革命もまだやる?」
「当然だ!」
地図には、また一つ資源地点が増えた。
今度は、流れる水を資源へ変える場所を探す番だった。




