第八十二話 欲しい部屋
館を見直す。
そう決めたところで、リーゼは最初の前提から修正することになった。
「待て。部屋そのものは、余っているではないか」
居間の長机には、館の大雑把な間取りが広げられている。
ノアが一人で暮らし始め、その後エヴァと二人で使っていた館は、最初から普通の人間向けではなかった。
聖者仕様。
障子も大きい。
鴨居も高い。
畳も広い。
梁も太い。
座卓も椅子も大きい。
一室そのものが、人間基準では妙に広い。
シズクが初めて目を覚ました時、自分が小さくなったのではなく、館全体が巨大な何者かのために作られていると感じたほどだった。
だから、七人になった今でも、単純に寝るだけなら部屋は足りている。
むしろ余っている部屋すらある。
リーゼは間取りを睨んだ。
「なら何故、こんなに物が各所へ散っているんだ」
エヴァが答えた。
「広いから」
リーゼが顔を上げた。
「広さを収納の代わりに使うな!」
「置けるから置いてただけだぞ」
「それをやめるという話だ!」
ノアも苦笑している。
「最初は僕とエヴァだけだったからね。空いている部屋に置けば困らなかった」
「二人ならな!」
リーゼは炭を持ち直した。
「では、部屋を増やす前に、今ある部屋を何に使うか決めるぞ」
最初に見たのはエヴァだった。
「お前からだ」
「衣装部屋」
「まだ聞いていない!」
「欲しい部屋だろ?」
「そうだが!」
エヴァの旧個室については、全員もう知っている。
この前掃除したばかりだった。
大量の下着。
大量のコスプレ衣装。
普段着。
以前は着られたが、今では胸が入らなくなった服。
谷底で拾ってきた剣。
短剣。
斧。
その他、本人も由来を忘れかけている物理武器。
そして、その奥からリーゼの拳銃まで出てきた。
寝室と呼ぶ方がおかしい。
「エヴァの部屋は、正式に衣装室へ変更する」
「おう」
「ただし武器は出す」
「何でだ」
「小官の拳銃が武器の山から出てきたばかりだろうが!」
「見つかったからいいだろ」
「よくない!」
リーゼは別の大部屋を指した。
「ここを共用武器庫にする」
ノアが間取りを見る。
「広すぎない?」
「貴様らの武器を全部出したら、そうでもない気がしてきた」
エヴァが腕を組む。
「俺の剣だけでも結構あるぞ」
「何本ある」
「知らん」
「だから武器庫が必要なんだ!」
武器庫には、誰の物か。
普段使うのか。
予備なのか。
拾得物なのか。
最低限分かるようにする。
リーゼはそこまで決めた。
「小官は今の個室を使う。それと、装備保管場所」
エヴァがすぐ口を挟む。
「拳銃用」
「そうだ!」
「今度はなくすなよ」
「誰のせいだ!」
シズクが少し笑う。
リーゼはさらに間取りの一角を指した。
「それと、地図と記録を置く部屋が欲しい」
クロエが顔を上げる。
「大部屋一つ?」
「今後も谷底を調べるなら、そのくらい使う。壁へ大判地図を貼る。測量記録、資源情報、危険区域、施設配置をここへ集める」
ティセラが言う。
「第五管理区域や植物園の参照用資料も置けますね」
「全部持ち込むなよ」
「参照用だけです」
「ならいい」
エヴァが笑う。
「役所みたいだな」
「役所ではない!」
クロエが平然と言う。
「地図がある。記録がある。物資管理もする」
アスラも頷く。
「役所だな」
「貴様らまで言うな!」
シズクが真面目に聞いた。
「では、リーゼがお役人なのですか?」
「小官は帝国航空隊大尉だ!」
地図・記録室。
名前だけは決まった。
次はシズク。
「私は今の部屋で十分です」
「本当に?」
「はい。ただ、裁縫や補修をする場所があると助かります」
それは全員納得した。
今のシズクの個室には、いつの間にか布が集まる。
破れた服。
ほつれた下着。
寝具。
エヴァの衣装。
拾った布。
補修待ちのもの。
乾いた洗濯物。
「大部屋を一つ、衣類作業用にするか」
リーゼが言う。
シズクが頷く。
「洗濯物を畳んだり、補修したりできます。針や糸もまとめて置けます」
エヴァが間取りを覗き込む。
「俺の衣装室の隣がいい」
シズクが即答した。
「持ち込みやすさだけで決めないでください」
「便利だろ」
「私には不便です」
「駄目か」
「駄目です」
次はティセラ。
「教授」
「研究室が必要です」
「それは分かっている」
「標本庫も」
リーゼが止まる。
「一室では駄目か?」
「危険です」
「何が」
ティセラは淡々と指を折る。
「通常試料。魔力反応を示す試料。生体試料。危険植物由来試料。第五管理区域由来試料。比較基準試料。これらを全部同じ部屋へ置くべきではありません」
リーゼは黙った。
言っていることは正しい。
「……研究室。通常試料庫。危険試料庫」
「ありがとうございます」
「教授だけ三部屋ではないか!」
「この館の一室は広いので、通常試料庫は区画分けでも構いません」
リーゼが止まる。
「最初からそう言え!」
「聞かれませんでしたので」
「聖者みたいなことを言うな!」
ノアが笑った。
ティセラ自身の個室は今のままでいい。
本人にとって、寝る場所より研究場所の方が重要らしい。
「教授らしいな」
「褒め言葉として受け取ります」
次はクロエ。
「お前は?」
「電装工作室」
即答だった。
「条件は?」
「乾燥していること。水場から離れていること。精密部品を置けること。金属加工もできること。娘たちのアバター設備へ接続しやすいこと」
リーゼは館の間取りを見る。
聖者仕様の大部屋なら、工作台を何台置いても余裕がある。
問題は広さではない。
湿気。
水。
配線。
安全性。
「この部屋は?」
ノアが指す。
「外壁側。窓も大きい。水場から離れてる」
クロエが少し考える。
「使える」
「決まり」
アスラはすぐ隣の部屋を指された。
「私はそこは嫌だ」
リーゼが見る。
「何故」
「クロエの工作室の隣だろう」
クロエも言う。
「私も嫌だ」
「何故だ!」
クロエ。
「磁場と魔術干渉」
アスラ。
「私も同じだ」
リーゼは少し安心した。
「一応、技術的理由なのだな」
二人が同時に言う。
「それだけではない」
「それだけではないな」
「余計なことを足すな!」
アスラが欲しいのは魔術工房。
床へ大きな術式を描ける。
魔力を溜められる。
事故時に館本体へ影響を広げにくい。
外へ直接出られる。
館の空き部屋の中から、庭へ近い大部屋が候補になった。
リーゼが間取りへ書く。
クロエ電装工作室。
そこから少し離して、アスラ魔術工房。
そこで止まった。
「娘二人のアバター設備は?」
クロエとアスラが同時に答える。
「私が管理する」
「私が管理する」
リーゼは目を閉じた。
「だろうと思った」
電力。
演算。
神経接続。
魔力供給。
遠隔接続術式。
両方の技術が必要になる。
ノアが間取りを見る。
「だったら、真ん中に置く?」
「真ん中?」
「工作室と魔術工房の間にある大部屋を、娘たち用の設備室にする。どっちからも線を引けるようにする」
クロエとアスラが黙った。
珍しく、すぐには反論しない。
クロエが先に頷く。
「合理的だ」
アスラも頷いた。
「それならいい」
リーゼが書く。
クロエ電装工作室。
娘二人のアバター室。
アスラ魔術工房。
三つの部屋は少し離れているが、既存の廊下と床下を使えば接続できる。
シズクが笑った。
「まだ来ていないのに、もうお部屋ができますね」
アスラがすぐ言う。
「ルヴァナ側は壁を補強しろ」
リーゼが顔を上げる。
「何故だ」
クロエが答えた。
「力が強い」
「どのくらい」
「先月、庭の石柱を持ち上げた」
リーゼは黙った。
アスラが満足そうに胸を張る。
「私に似たな」
「そこを喜ぶのか」
クロエも続ける。
「ネイラ側には大きな机」
「勉強机か?」
「分解用」
「何を分解する」
「目についた機械」
リーゼが二人を見る。
「清楚な委員長系の娘だったはずでは?」
「それと分解癖は別だ」
「別なのか……」
アスラも嬉しそうに言う。
「あの子は頭がいい。構造を一度覚えれば戻せる」
クロエも頷く。
「私に似たな」
娘の話になると、二人とも妙に素直だった。
リーゼは間取りを見直す。
「ところで、貴様ら自身の個室は本当に二つ必要か?」
二人の表情が即座に戻った。
「必要だ」
「いる」
「互いの部屋へ泊まりに行くことが多いだろう!」
クロエ。
「相手の部屋へ忍び込むから意味がある」
アスラ。
「最初から同室では襲撃にならん」
「エロ拷問のためだけに、大部屋を二つ専有するな!」
「個室は個室だ」
「重要だな」
「そこでだけ息を合わせるな!」
ティセラが眼鏡を直した。
「そもそも、個室と寝室を同じものとして考えない方がよいのでは?」
リーゼが見る。
「どういう意味だ」
「館は十分広い。各自の個室は、私物を置く、一人で過ごす、着替える、休むための場所として残す。一方で、実際の就寝場所は現在かなり流動的です」
リーゼは黙った。
確かにそうだった。
エヴァは基本的にノアの部屋。
リーゼやティセラがノアのところへ行く夜は、エヴァが別へ行く場合も、そのまま混ざる場合もある。
シズクは自室だけでなくリーゼの部屋へ来る。
ノアとエヴァを覗き、そのまま一緒にいることもある。
クロエとアスラは、それぞれ自室があるのに、互いの部屋へ入り浸る。
「……一人一寝室という考え方が、もう実態と合っていないな」
「はい」
リーゼは頷いた。
「個室は残す。ただし寝床は固定しない」
エヴァが言う。
「最初からそうだったぞ」
「貴様は最初から何も考えていない!」
最後にノア。
「聖者は?」
「今の部屋でいいよ」
「それだけか」
「うん」
全員がノアを見る。
ノアが困った。
「何?」
リーゼが指を折る。
「木工道具」
「物置と軒下」
「水路用の工具」
「水場の近く」
「農具」
「畑の小屋」
「館の修理道具」
「僕の部屋と廊下の箱と、たぶん倉庫にも」
「工作室を使え!」
「分かった」
既存の大部屋を一つ、ノアの工作・修繕室へ変更する。
道具をまとめる。
材料も置く。
水路。
木工。
館の修理。
細かな加工。
全部ここを基点にする。
リーゼは間取りを眺めた。
新築する部屋は、思っていたより少ない。
館が巨大だからだ。
必要なのは、空間そのものではない。
用途を決めること。
物をまとめること。
危険なものを分けること。
仕事をする場所を決めること。
ただし、それでも既存館だけでは足りないものがある。
大型物干し場。
洗濯物集積所。
屋根付きで風の通る共同食事場所。
水力設備。
館外へ出した方が安全な設備。
そういう場所は新しく作る必要がある。
シズクが間取りを見ながら言った。
「館は広いのに、今まで広さを上手く使っていなかったのですね」
エヴァが笑う。
「使ってたぞ。物置くのに」
リーゼが叫ぶ。
「それを上手く使っていないと言うんだ!」
大きな館は、狭くなったわけではない。
ただ、二人暮らしのやり方では、もう広さを扱いきれなくなっていた。
今度は、皆で使うために整理する。
それだけで、同じ館が別の建物のように見え始めていた。




