第八十一話 館の中
発電所を作るには、水量と落差を調べなければならない。そのためには川の流れと周囲の高低差を把握する必要があり、さらに水車を置く場所から館まで、どのように電力や魔力を運ぶかも考えなければならない。
そこでリーゼは、館の居間にある長机を占領した。
「まず地図だ。話はそれからだ」
机の上には、全員が持っている記録が集められていた。
ノアが以前から使っていた大雑把な地図。ティセラの生態記録と植物記録。第五管理区域の正式な管理図。クロエが谷底へ来てから記録していた距離や方角。アスラが感じ取った魔力の流れ。シズクが覚えている採集路。そして、リーゼ自身が書き留めていた館周辺の方位と距離の記録。
エヴァだけは手ぶらだった。
リーゼが睨む。
「お前の記録は?」
「頭の中」
「紙にしろ!」
「聞けば教えるぞ」
「だから今日は聞いているんだ!」
エヴァは悪びれず、椅子へ深く座った。
全く地図がないわけではない。
むしろ、妙なところだけ異様に詳しかった。
ティセラが第五管理区域の図面を広げる。
中央の池、その周囲を囲む管理境界。観測杭。風向確認地点。退避経路。試料採取地点。魔力濃度。植物の活動範囲。以前、リーゼ、シズク、クロエ、アスラが立入訓練で歩いた経路まで書き込まれている。
クロエが覗き込んだ。
「ここはそのまま使えるな」
「はい。境界の最新情報だけ更新すれば問題ありません」
アスラも地図を指で追う。
「地下の魔力分布もある程度入っている」
「継続観測していますから」
シズクが言う。
「以前歩いた道も残っていますね」
「訓練経路です」
リーゼは第五管理区域の図面を見たあと、ノアの地図を見る。
館。
川。
森。
そして、
『危ない』
『でかい魚』
『芋虫』
『あまり行かない』
リーゼは長く黙った。
「……何で谷底で一番まともな地図が第五管理区域なんだ」
ティセラが眼鏡を直す。
「公的施設ですから」
「知っている!」
「危険区域ですので、境界と退避経路の把握は必須です」
「それも知っている! 理屈が正しいから余計に腹が立つんだ!」
エヴァが笑った。
「教授が来る前は、俺と聖者だけだったからな。覚えてりゃ困らなかった」
ノアも苦笑する。
「どこに何があるかは、だいたい頭に入ってるからね」
リーゼは二人を見る。
「その運用をやめるために地図を作るんだ!」
最初はノア一人だった。
そこへエヴァが来た。
二人なら、「大きな岩の向こう」「川を上った先」「でかい獣がいる方」で通じる。
それで生活できてしまった。
だが、もう違う。
シズクがいる。
リーゼがいる。
ティセラがいる。
クロエとアスラまでいる。
さらに、クロエとアスラは娘二人のアバターまで呼ぼうとしている。
人数だけではない。
畑。
生け簀。
洗濯場。
保存蔵。
植物園。
第五管理区域。
採集場所。
狩場。
漂着物の回収地点。
生活圏そのものが広がっている。
リーゼは大判の紙を一枚広げた。
「基礎になる地形図を作る。館を基準点にする。主要河川、支流、高低差、崖、森、湿地、岩場、それから実際に歩ける道だ」
クロエが頷く。
「距離と高低差なら私が補助する」
「頼む。ただし基準は統一するぞ」
「当然だ」
アスラも口を挟む。
「地表と地下では魔力の流れが違う。魔力分布は別にした方がいい」
「それも作る」
ティセラが言う。
「生態分布図と植物分布図も分けてください」
リーゼの眉が寄る。
「何故だ」
「植物だけ数日で分布が変わることがあります」
「……分ける」
「ありがとうございます」
シズクも手を上げた。
「普段使う道も、別に書いた方がよいでしょうか」
「必要だ。地図上では近くても、実際には通れない場所があるだろう」
「あります。少し前まで使っていた道に、今は噛む草があります」
エヴァが言う。
「踏めば通れるぞ」
「貴様基準の道を作るな!」
クロエがシズクを見る。
「安全基準はシズクに合わせるのがよさそうだな」
「私ですか?」
アスラも頷く。
「この中では一番普通だ」
シズクは少し困った顔をした。
「最近、普通と言われても安心できなくなってきました」
ノアが笑う。
「シズクが一人で普通に歩けるなら安全。誰かと一緒なら大丈夫なら注意。戦える人が必要なら危険。管理者がいないと入らない場所は管理区域、くらいかな」
「それでいこう」
リーゼが即決した。
エヴァが胸を張る。
「俺なら安全区域をもっと広げられるぞ」
「お前は危険度判定から外す」
「何でだよ」
「三メートルの猪を子ブタと呼ぶ女を基準にできるか!」
「黒より小さいだろ」
「馬と比べるな!」
そこから、谷底にある資源と施設を一つずつ洗い出した。
飲料水の上流。
調理場へ引いている水路。
生け簀。
バルトリ。
畑。
保存蔵。
便所と肥溜め。
化け物植物園。
第五管理区域。
鶏の木がある林。
巨大芋虫の繭を拾う森。
牛が水を飲みに来る場所。
猪の群れ。
巨大魚が遡上する河。
漂着物が集まりやすい河岸。
石材。
魔宝石。
使える木材。
そこでリーゼが館の壁を見た。
「そういえば、この木も資源だな」
ノアが顔を上げる。
「館に使ってるやつ?」
「ああ。水を吸うのに、妙に乾くのが早い。臭いも残りにくい」
「便利だよ」
「どこで採れる?」
ノアは大判の紙の外側を指した。
「こっち」
リーゼが止まった。
「地図の外ではないか」
「まだどこまで描くか決めてなかったから」
「距離は?」
「僕なら二日かからないくらい」
エヴァが言う。
「俺なら一日」
リーゼは二人を交互に見た。
「今後、距離を『聖者なら』『エヴァなら』で答えるのは禁止だ」
「不便だな」
「共同体の地図を作っているんだ!」
クロエが館の壁へ手を当てた。
「だが、この建材は欲しいな。娘二人のアバター設備を置くなら部屋も必要になる」
アスラも周囲を見る。
「電装設備と魔術設備を今の空き部屋へ押し込むのは無理だろうな」
リーゼは答えようとして、居間を見回した。
大きな長机は地図と資料で半分以上埋まっている。
端にはノアの工具。
壁際にはティセラの記録箱。
シズクが補修する布類の籠。
クロエの小さな金属部品。
さらに誰のものか分からない箱まで置かれている。
「……外の地図を作る前に、館の使い方も一度整理した方がいいな」
エヴァが言う。
「俺の部屋ならこの前掃除したぞ」
「知っている」
全員知っていた。
大量の下着と衣装。
剣、短剣、斧などの物理武器。
昔は着られたが今は身体に合わなくなった衣装。
そして、その奥から忘れ去られていたリーゼの拳銃。
だからこそ問題だった。
リーゼが言う。
「エヴァの部屋は、もう寝室扱いをやめる」
「最初から最近は寝てねえぞ」
「知っている。だから正式に用途を変えるんだ」
「衣装部屋」
「即答か」
「もうそうなってるだろ」
「武器は別にする」
エヴァが嫌そうな顔をした。
「何でだよ」
「拳銃が武器の山の奥から出てきたばかりだろうが!」
「見つかったからいいだろ」
「よくない!」
リーゼは紙へ書く。
『エヴァ衣装室』
その隣へ、
『共用武器庫』
と加えた。
「寝る場所は?」
「聖者のところ」
「それも知っている」
「リーゼか教授が聖者んとこに来るなら、俺が別で寝る時もあるし、そのまま一緒の時もある」
「確認しているだけだから詳細を足すな!」
シズクが手を上げた。
「私は自分の部屋以外ですと、リーゼのところで寝ることがあります」
「あるな」
リーゼは普通に頷いた。
「それから、聖者とエヴァを見に行って、そのまま一緒にいることもあります」
リーゼの顔が少し赤くなる。
「シズクまで詳細に申告しなくていい!」
「ですが、部屋の使い方を調べているのでしょう?」
「そうだが!」
クロエが腕を組んだ。
「私とアスラも、寝る場所は固定ではない」
リーゼは二人を見る。
「貴様らについては知っている」
クロエとアスラには別々の部屋がある。
しかし、互いに相手の部屋へ泊まりに行くことが多い。
理由も知っている。
リーゼはできれば考えたくなかった。
「前から思っていたが、貴様らもう同じ部屋でいいのでは?」
「断る」
「断る」
即答だった。
「何故だ!」
クロエが平然と答える。
「相手の部屋へ忍び込むから意味がある」
アスラも頷いた。
「最初から同室では襲撃にならん」
「エロ拷問のために二部屋使うな!」
「必要だ」
「必要だな」
「そこでだけ意見を合わせるな!」
ティセラが眼鏡を直した。
「そもそも、個室と寝室を同一視しなくてもよいのでは?」
リーゼが見る。
「どういう意味だ」
「皆さん、就寝場所がかなり流動的です。個室は私物を置く場所、一人になりたい時に使う場所、着替える場所として確保する。その日の寝床まで固定する必要はありません」
クロエが頷いた。
「合理的だ」
アスラも異論はないらしい。
シズクも頷く。
エヴァは最初からどうでもよさそうだった。
リーゼは少し考えた。
「……そうするか」
個人用の部屋は残す。
ただし、「この人は必ずここで寝る」という部屋ではない。
その方が、今の生活には合っていた。
そこでシズクが言った。
「洗濯の場所も、見直した方がよいと思います」
「バルトリがあるだろう」
「洗うこと自体はできます」
「では何が足りない?」
シズクは居間から廊下を見る。
「洗う前と、洗った後です」
二人暮らしの頃は、洗濯物が出る場所がほとんど一つだった。
今は違う。
ノアとエヴァが使う部屋。
リーゼの部屋。
シズクの部屋。
ティセラの部屋。
クロエの部屋。
アスラの部屋。
その日の組み合わせ次第では、さらに別の場所。
しかも三組、時には四組が、別々の場所でシーツや毛布を盛大に汚す。
寝具だけではない。
寝衣。
下着。
普段着。
リーゼの軍装。
シズクの巫女装束。
ティセラの普段着や研究作業用の衣類。
エヴァが大量に持っている下着とコスプレ衣装。
第五管理区域などで使う防護服。
クロエとアスラの忍装束だけは事情が違った。
クロエの装束は身体表面へ形成されるフィルム状のもの。
アスラの装束も、自身の髪などから形を作る。
脱いで洗濯籠へ放り込むような衣類ではない。
その点では二人は洗濯物を増やしていなかった。
ただし、寝具の方はしっかり増やしていた。
リーゼが二人を見る。
「昨日もか?」
クロエ。
「ああ」
アスラ。
「かなり酷かったな」
「詳しく言うな!」
シズクが続ける。
「今は、汚れた物を集める場所がありません。各部屋からそのまま洗濯場へ持っていっています」
リーゼが理解する。
「洗濯機能ではなく、流れがないのか」
「はい。それに、洗った後の一時置き場も足りません」
「物干しは?」
「足りません」
これも即答だった。
「シーツや毛布をまとめて洗うと、それだけでかなり場所を使います。そこへ服や下着まで干しますので」
エヴァが言う。
「俺の衣装もあるしな」
リーゼが睨む。
「貴様は減らせ」
「嫌だ」
「即答するな!」
クロエが言う。
「娘二人のアバターが動き始めれば、さらに二人分の生活用品が増える」
アスラも頷く。
「服くらいは着せるからな」
リーゼは額を押さえた。
「発電所を作るために地図を作り始めたはずなのに、何故小官は洗濯物の管理を考えているんだ……」
ノアが笑う。
「必要になったからじゃない?」
「それは分かっている!」
リーゼは別の紙へ書き始めた。
汚れ物集積所。
仕分け台。
洗浄待ち置場。
洗浄済み置場。
補修待ち。
返却待ち。
そして、大型の物干し場。
シズクが横から言う。
「雨でも使えるように、屋根があると助かります」
「ただし風は通したいな」
ノアが言った。
その言葉で、シズクがノアを見る。
「でしたら、聖者のお食事の場所も一緒に考えられませんか?」
ノアが首を傾げる。
「僕の?」
「はい」
ノアは体質のため、館の中へ長く留まらないことがある。
特に食事は、軒下や屋外の机で一人で取ることが多い。
戸を開けていれば声は届く。
話もできる。
それでも、全員が同じ卓を囲んでいるわけではない。
シズクは何度もそれを見ていた。
「聖者だけ、外でお食事をすることがありますよね」
「その方が安全だからね」
「完全に離れるのではなく、風が通る場所で少し距離を取るのでは駄目ですか?」
ティセラが考える。
「閉鎖空間に比べれば、かなり滞留を抑えられます」
クロエが言う。
「屋根付きの大きなバルコニーか」
アスラ。
「壁を作らず、風を抜く」
リーゼも紙へ線を引き始める。
「卓そのものを大きくする。聖者の位置と他の者の位置を少し離せるようにして、それでも普通に会話はできる距離にする」
エヴァが嬉しそうに笑った。
「いいじゃねえか。聖者だけ軒下で一人飯ってのも変だったしな」
ノアがエヴァを見る。
「前からそう思ってたの?」
「困ってねえと思ってた」
「困ってはいないけど」
「じゃあ今度は、困ってなくても一緒に食えるようにすればいいだろ」
ノアは少し黙ったあと、笑った。
「そうだね」
リーゼは紙へ、
『半屋外共同食堂』
と書いた。
その横に、
『屋根あり』
『壁なし』
『通風優先』
と加える。
さらに、大型物干し場も同じように屋根を付け、風が抜ける構造にする。
洗濯物を干している横で飯を食うわけにはいかないので、同じ構造思想で別々の場所へ作る。
ノアが館の外を見る。
「そうなると、やっぱり建材がかなりいるね」
クロエが頷く。
「例の木を採りに行く必要がある」
アスラも言う。
「ついでに場所を地図へ入れる」
リーゼは目の前の紙を見た。
発電候補地。
資源地図。
建材。
部屋の再編。
衣装室。
武器庫。
電装工作室。
魔術設備。
娘二人のアバター室。
洗濯物集積所。
大型物干し場。
半屋外共同食堂。
話は、水車一つから恐ろしいほど膨らんでいた。
「……これ、発電所を作るだけの話ではなくなったな」
クロエが答える。
「最初から娘二人をこちらで暮らせるようにする話だ」
アスラも頷く。
「二人だけ増やせば済むわけではない」
ティセラが言う。
「現在の生活設備そのものが、今の人数を前提に作られていません」
シズクも館を見回す。
「必要になるたび、少しずつ足してきましたから」
ノアはしばらく、自分の作った館を見た。
最初は一人の家だった。
エヴァが来て、二人の家になった。
そこから一人ずつ増えた。
暮らせてはいる。
だが、暮らし方そのものは、二人だった頃の名残を大量に残している。
「じゃあ、ちゃんと作り直そうか」
エヴァが聞く。
「館を?」
「全部壊したりはしないよ。今あるものを使いながら、みんなで暮らす場所として整理しよう」
シズクが笑った。
リーゼは大判の地図と、その隣へ増えた改修案を見る。
外の谷底を地図にする。
資源を調べる。
水車を作る。
娘たちを呼ぶ。
そして、自分たちが暮らしている館も、今の人数に合わせて作り替える。
二人だけで始まった生活は、いつの間にか、皆で共有する暮らしへ変わろうとしていた。




