第八十話 産業革命
「まず、水車だ」
翌朝になっても、リーゼは諦めていなかった。
館の居間には大きな板が立てられ、その前にリーゼがいる。手には炭の棒。板には円と棒と矢印が描かれていた。
ノア。
クロエ。
アスラ。
ティセラ。
シズク。
エヴァ。
全員が集められている。
「水流で羽根を回す。その回転を軸へ伝える。ここまではいいな?」
シズクが手を上げた。
「はい。水で回る大きな車輪、ということですね」
「そうだ」
エヴァも頷く。
「回ればいいんだな」
「お前の理解は雑すぎるが、今はそれでいい」
クロエが板を見る。
「回転数は?」
「川を見て決める」
「負荷変動は?」
「それも調べる!」
「電圧制御は?」
リーゼが止まった。
「……そこから先は、発電機を作ってから考える」
クロエが頷く。
「では制御器はこちらで組む」
リーゼが炭を置いた。
「待て」
「何だ」
「今、小官が説明している」
「知っている」
「なら最後まで小官にやらせろ!」
クロエは不思議そうだった。
「効率が悪いだろう」
「効率の話ではない!」
エヴァが笑う。
「昨日から面倒くさいな、お前」
リーゼは無視した。
「いいか。これは文明の発展というものだ。最初から完成品を出してはいけない。水車を作り、改良し、必要なものを一つずつ――」
アスラが手を上げた。
「この軸へ魔法陣を刻めば、回転そのものを魔力へ変換できるぞ」
リーゼのこめかみが動いた。
「後にしろ」
「何故だ」
「今は水車の話だ!」
「だから水車を使う話だろう」
ティセラも板へ近づいた。
「魔力へ変換するなら、この部分へ蓄積用の術式を置いた方が良いですね。回転数が不安定でも、出力を均せます」
「教授!」
「はい?」
「貴様まで入ってくるな!」
「共同設備では?」
「そうだが!」
ノアが横から板を見る。
「でも、魔力と電気を両方取るなら、同じ軸から分けた方が楽かもしれないね」
リーゼはノアを見た。
少し期待した顔だった。
「分かっているな、ノア」
「うん」
「水車から軸を取る。そこまではいい」
「そうだね」
「そして発電機へつなぐ」
「うん」
「そこから電気を取る」
「うん」
リーゼの顔が少し明るくなる。
「そうだ。これだ。順番に積み上げる。まず動力。次に発電。その次に利用先――」
ノアが続けた。
「ただ、発電機の中身は僕も曖昧なんだよね。磁石とコイルを使うのは分かるけど」
リーゼの顔がさらに明るくなった。
「そうだ!」
ノアが少し驚く。
「え?」
「それでいい!」
「何が?」
「その曖昧さだ!」
ノアが困った顔をした。
「褒められてる?」
「小官と同じ高さにいる!」
「それは褒めてない気がするな」
クロエが横から言う。
「磁石なら作れるぞ」
リーゼが固まった。
「……何で」
「身体の補修用に磁性材料を扱う機能がある」
「貴様の身体、何でもありか!」
「何でもではない」
「十分多い!」
アスラも言う。
「磁場なら魔術でも作れる」
リーゼが振り返る。
「お前は黙れ!」
「何故私だけ!」
シズクは二人のやり取りを見ながら、ノアへ小声で尋ねた。
「産業革命とは、こういうものなのですか?」
「たぶん違う」
「そうですよね」
リーゼは一度深呼吸した。
「いいか。小官の世界では、動力を大量に使えるようになることには大きな意味がある。人の手で回していたものを機械が回す。何人も必要だった仕事を、一つの動力で動かす。それが工場になり、鉄道になり、船になり――」
ティセラが頷く。
「つまり、生産力を一段階引き上げる基盤技術?」
リーゼが嬉しそうに指を差した。
「そうだ! そういうことだ教授!」
「ではクロエさんの工作技術を接続すれば、かなり短期間で生産設備まで到達できますね」
リーゼの指が止まった。
クロエが言う。
「加工精度が必要なら私が見る」
アスラ。
「金属を融かすだけなら術式でどうにでもなる」
ティセラ。
「温度管理はこちらでも可能です」
ノア。
「旋盤みたいなものも作れるかもしれないね」
リーゼはその場にしゃがみ込んだ。
エヴァが見下ろす。
「今度は何だ」
「小官が百年かけて積み上げようとしていた文明を、こいつらが一刻で飛び越えていく……」
「便利でいいじゃねえか」
「良くない!」
リーゼが立ち上がった。
「小官にも文明発展の喜びを味わわせろ!」
クロエが首を傾げる。
「わざと不便にするのか?」
「そういう意味ではない!」
アスラも分からない顔をしている。
「完成させられるのなら完成させればいいだろう」
「お前たちは何も分かっていない!」
「何をだ」
「積み重ねだ!」
ティセラが真面目に記録し始めた。
「技術体系の発展そのものに情緒的価値を感じる、と」
「教授、それを記録するな!」
居間に笑い声が広がった。
しかし、結局リーゼの主張にも一理あった。
クロエが発電機を作れるとしても、材料は必要だった。
アスラが魔力変換術式を組めるとしても、設置する場所が必要だった。
ティセラが効率を測れるとしても、元になる水流の条件が分からなければ始まらない。
ノアが言う。
「まず、水車を置ける場所を探そうか」
リーゼはようやく立ち直った。
「そうだ。そこは小官の仕事だ」
クロエがすぐに言う。
「私も行く」
「何故だ!」
「距離と高低差は私の方が正確に測れる」
リーゼは口を閉じた。
アスラも続ける。
「魔力の流れも見る必要がある」
ティセラ。
「周辺生態も確認しないと危険ですね」
エヴァ。
「でかい獣が通る場所に作ったら壊されるぞ」
シズク。
「増水する場所も避けた方がよいと思います」
ノア。
「みんなで見た方がいいね」
リーゼは全員を見た。
一人で産業革命を始めるつもりだった。
気がつけば七人で水車候補地を探す話になっている。
「……ノア」
「うん?」
「小官の出番、残っているよな?」
「地図と測量はリーゼが一番詳しいと思うよ」
リーゼの顔が少し戻った。
「そうか」
「うん」
「ならいい」
エヴァが笑う。
「扱いやすいな」
「聞こえているぞ!」
そこでリーゼは板へ向き直った。
「では最初に、館周辺の地図を出せ」
ノアが止まった。
「地図?」
「そうだ。河川、高低差、既存施設、危険区域が分かるものだ」
ノアは少し考える。
「あるにはあるけど」
「なら早く出せ」
ノアは自分の部屋へ行き、一枚の紙を持って戻ってきた。
リーゼは受け取った。
そこには館らしい四角。
川らしい線。
畑。
森。
滝。
そして何ヶ所かに、
『危ない』
『でかい魚』
『芋虫』
『あまり行かない』
と書かれていた。
リーゼは長い時間、その紙を見た。
ノアが聞く。
「どう?」
リーゼは顔を上げた。
「これは地図ではない!」
ノアは少し困った。
「僕には分かるんだけど」
「貴様にしか分からん!」
クロエが横から覗き込む。
「縮尺は?」
「ない」
「方位は?」
「大体こっちが上流」
アスラ。
「魔力分布は?」
「書いてない」
ティセラ。
「生物圏の境界もありませんね」
エヴァ。
「俺なら歩けば分かるぞ」
リーゼが叫ぶ。
「それを地図にするんだ!」
シズクが紙を覗き込む。
「でも、館から水場へ行く道は分かりますね」
リーゼが見る。
「お前まで擁護するな」
「擁護ではありません」
「では何だ」
「私もこれなら分かります」
リーゼはシズクを見る。
それから地図を見る。
さらにノアを見る。
「二人にしか分からん!」
ノア。
「増えたね」
「喜ぶな!」
クロエが地図の端を指した。
「この『危ない』は何だ?」
ノアが見る。
「ああ。そこは巨大な獣が通る」
エヴァが思い出したように言う。
「たまに三頭くらい来るな」
リーゼが固まる。
「何故それを『危ない』の四文字で済ませる!」
「危ないから」
「そういう問題ではない!」
アスラも別の場所を指す。
「この『芋虫』は?」
シズクが答える。
「人間くらい一口で飲み込める芋虫です」
リーゼ。
「それも芋虫の一言で済ませるな!」
ティセラが眼鏡を直す。
「繭は絹糸資源として有用です」
リーゼはさらに頭を抱えた。
「危険生物と資源情報が同じ紙で雑に共存している!」
クロエが少し考える。
「なら分ければいい」
リーゼが顔を上げる。
「何を」
「基礎地形図。資源図。危険区域図。魔力分布図」
ティセラも頷く。
「生態分布図も必要ですね」
アスラ。
「地下魔力の流れも」
シズク。
「普段歩ける道もあった方がよいです」
エヴァ。
「狩場も書いとけ」
ノア。
「木材を取れる場所も」
リーゼが全員を見る。
少しずつ、顔が軍人へ戻っていく。
「……よし」
炭を持つ。
「全部作る」
エヴァが笑った。
「産業革命より大仕事になってないか?」
リーゼは即答した。
「黙れ!」
発電所を作る話は、まだ始まったばかりだった。
だがその前に。
谷底には、まともな地図が必要だった。




