第七十六話 返ってきた銃
拳銃が見つかったのは、エヴァの部屋を掃除していた時だった。
エヴァの部屋にある物は、大きく分ければ二種類しかない。
大量の下着と衣装。
それから、谷底で拾ってきた剣や短剣、斧などの物理武器だ。
「これ、もう入らねえな」
エヴァが衣装の山から一枚の下着を引っ張り出した。
かなり大きい。
しかし胸へ当ててみると、明らかに足りない。
「前は着られたんだけどな」
「またですか」
シズクが言った。
リーゼの顔が少し曇る。
それを見たクロエが、すぐに察した。
「ああ。アキレスと亀か」
「今はその話をするな」
アスラも意味を理解している。
「リーゼが少し進むと、シズクも進み、エヴァはさらに先へ行くやつだな」
「説明するな!」
エヴァは気にせず、その下着をクロエとアスラへ差し出した。
「お前ら、いるか?」
「使える」
クロエが受け取る。
アスラも確認した。
「私もいけそうだな」
リーゼが三人を見る。
「……やっぱりお前ら、そっち側だろ」
「何の話だ?」
「何でもない!」
今日はそこを掘り下げる日ではない。
問題は、その下にあった。
エヴァが剣の束を持ち上げる。
がたっ。
奥から何かが落ちた。
ごとん。
小さな金属音。
全員が見る。
黒い、小さな金属製の物体だった。
リーゼが固まった。
エヴァも止まる。
シズクが目を丸くする。
ノアが部屋の入口から覗き込み、
「あ」
と声を漏らした。
一方、ティセラ、クロエ、アスラは、それが何なのかすぐには分からない。
リーゼがゆっくり拾い上げた。
埃を払う。
見る。
もう一度見る。
「……小官の拳銃だ」
エヴァが言った。
「ああ。そういや、あったな」
リーゼが振り向く。
「忘れていたのか!」
「忘れてた」
シズクも申し訳なさそうに頷く。
「私もです」
ノアも苦笑した。
「僕も完全に忘れてた」
リーゼは三人を見る。
「何故、貴様ら全員忘れている!」
クロエが拳銃を覗き込んだ。
「待て。お前、拳銃を持っていたのか?」
アスラも同じように見る。
「初めて見たぞ」
「貴様らは知らなくて当然だ! 小官より後に来ただろう!」
ティセラも興味深そうに身を乗り出す。
「これがリーゼ大尉の文明圏の携帯火器ですか」
「そうだ」
クロエが首を傾げた。
「随分、普通だな」
リーゼの眉が動く。
「普通?」
「銃という概念自体は私たちの世界にもある」
「あるのか」
「ある」
アスラも頷いた。
「ただし、私たちが日常的に見るものとはかなり違うな」
リーゼが拳銃を少し持ち上げる。
「どう違う?」
クロエが指を折る。
「サイバー制御式」
アスラが続ける。
「魔術式」
クロエがさらに言う。
「あと成人忍者関係なら、エロ拷問用」
リーゼが止まった。
「最後の一つは銃に必要なのか?」
二人が同時に答えた。
「必要だ」
「必要だな」
「何でそこだけ息が合うんだ!」
クロエは拳銃を観察する。
「これは?」
「火薬の燃焼で弾丸を飛ばす」
「それだけ?」
「それだけとは何だ!」
アスラも興味深そうに覗き込む。
「魔術補助は?」
「ない」
「照準補正は?」
「ない」
クロエ。
「演算補助は?」
「ない!」
「身体情報との連動は?」
「ない!」
「自動追尾は?」
「ない!」
リーゼの声がだんだん大きくなる。
「人間が狙って、人間が撃つんだ!」
クロエとアスラは少し考えた。
クロエが言う。
「古典的だな」
リーゼの顔が引きつった。
「小官の世界では現役兵器だ!」
そして。
少し間を置いた。
リーゼは拳銃を見る。
「……小官も忘れていたが」
それが一番悲しかった。
世界壁。
墜落。
谷底。
巨大生物。
魔法。
聖者。
巨大芋虫。
空を飛ぶ化け物。
三メートルの子ブタ。
乳で人を殺せる牛。
忍者まで二人増えた。
いろいろありすぎた。
帝国航空隊大尉が、自分の拳銃を忘れる程度には。
状態を確認すると、試射くらいならできそうだった。
弾薬には限りがある。
無駄撃ちはできない。
だが、せっかく返ってきたのだから、一度くらい使ってみようという話になった。
館から十分離れた場所へ移動する。
土を背にして木の板を立て、中央へ丸い的を描いた。
リーゼが拳銃を構える。
その瞬間だけは、顔が完全に軍人へ戻った。
「いいか。小官より前へ出るな。発砲音も大きい」
「はい」
シズクが素直に返事をする。
リーゼは呼吸を整えた。
構える。
狙う。
撃つ。
乾いた音が谷底へ響いた。
的を見る。
中央近く。
リーゼの口元が上がった。
もう一発。
今度は、ほとんど中央。
「ふっ」
エヴァが嫌そうな顔をする。
「大尉」
「何だ」
「もう顔がうるさい」
「何を言っている」
完全に頭へ乗っていた。
久しぶりに撃った。
だが、腕は鈍っていない。
二発とも良好。
リーゼは拳銃を下ろし、胸を張った。
「身体が覚えているというやつだな」
シズクが拍手する。
「すごいです」
「そうだろう!」
さらに胸を張る。
「この射撃技能に実戦経験まで加味されれば、帰還後の評価も――」
エヴァが言った。
「始まったぞ」
「小官は航空隊大尉だ。戦時中なら昇進の機会も――」
「始まったな」
「少佐も夢ではないかもしれん」
エヴァが吹き出した。
「二発当てただけで出世した!」
「二発だけで評価されるわけではない!」
シズクは素直に感心している。
リーゼはますます調子に乗った。
ティセラが的を見る。
「比較してよいですか?」
「拳銃の弾は有限だぞ」
「使いません」
ティセラが杖を向けた。
軽く魔法を放つ。
ぱしっ。
的の中心に穴が開いた。
そのまま木板を貫通している。
リーゼの笑顔が止まった。
ティセラが穴を見る。
「少し強すぎました」
「……少し?」
「では、もっと弱めればよいですね」
「そこを研究するな」
次にアスラが前へ出た。
「私もやろう」
リーゼが嫌な予感を覚える。
「的当てだぞ」
「分かっている」
アスラの前に魔法陣が浮かぶ。
光る。
一瞬。
どんっ。
的が砕けた。
木片がばらばらと地面へ落ちる。
沈黙。
アスラが言った。
「中心には当たった」
リーゼの眉が震える。
「的そのものを破壊するな!」
「中心も破壊している」
「そういう競技ではない!」
「難しいな」
「難しくない!」
新しい的を作った。
今度はクロエが前へ出る。
「私は壊さないようにする」
「本当だろうな」
クロエが的を見る。
瞳の奥で細かな光が走る。
距離。
角度。
風。
標的の材質。
自分の立ち位置。
瞬時に計算しているらしい。
「補正終了」
「何のだ」
クロエが指先を向けた。
ばちっ。
細い電気が走る。
的の中心に小さな焦げ穴。
そのまま貫通。
さらに後ろへ置いてあった板にも穴が開いた。
クロエが確認する。
「貫通」
リーゼが俯いた。
「見れば分かる」
「電力を落とした方がよかったか?」
「もういい」
「計算し直せるぞ」
「もういいと言っている!」
エヴァが前へ出ようとした。
リーゼが顔を上げる。
「……貴様も何かやるのか」
エヴァは自分の拳を見る。
次に的を見る。
そしてリーゼを見る。
少し考えた。
「やめとく」
「何故だ」
「大尉が悲しくなるから」
「悲しくなっている前提で話すな!」
「じゃあ殴るぞ?」
「やめろ!」
「ほら」
「何が『ほら』だ!」
エヴァは肩をすくめる。
「俺まで的壊したら、本当に拳銃が可哀想だろ」
「拳銃ではなく小官を哀れむな!」
否定した。
否定したが。
ティセラの魔法。
アスラの魔法陣。
クロエの電撃。
どれも弾薬を消費していない。
そこまで考えてしまった。
リーゼは考えるのをやめた。
最後にシズクが拳銃を持った。
「私も、ですか?」
「経験としてな」
リーゼが横へ立つ。
ようやくまともな射撃訓練だった。
「両手で持て。そうだ。力を入れすぎるな」
「はい」
「腕だけで支えようとするな。姿勢を安定させろ」
「はい」
「的を見る。音に驚いて手を離すなよ」
シズクは緊張した顔で拳銃を構えた。
撃つ。
乾いた音。
身体が少し跳ねる。
弾は的の端近くへ当たった。
シズクが振り返る。
「当たりました!」
リーゼも嬉しくなる。
「初めてなら十分だ!」
もう一度。
今度は少し内側。
「上達しています!」
「そうだ。練習すれば――」
そこでエヴァが言った。
「なあ」
リーゼは振り返る。
「何だ」
「これ、実際誰に効く?」
嫌な予感しかしなかった。
ティセラが真面目に考え始めた。
「拳銃弾程度の威力を想定するなら、私は防御魔法で対処できます」
アスラが続く。
「私は魔法陣がある」
クロエも言う。
「射線は計算できる。撃つ動作も見える。普通に正面から撃たれるなら避ける方が早い」
「貴様らを基準にするな」
エヴァが自分を指差す。
「俺は?」
全員がエヴァを見る。
巨大な身体。
谷底の化け物と正面から殴り合う女。
三メートルの豚の突進を正面から止める女。
クロエが聞いた。
「一発で止まる?」
エヴァが考える。
「止まらねえと思う」
アスラも頷いた。
「私もそう思う」
リーゼの顔が曇る。
ノアも自分を見る。
「僕も、普通の人間よりずっと丈夫だからね」
さらに曇る。
ティセラが分析する。
「急所へ命中すれば話は別ですが、通常の人間を対象にした携帯火器として考えた場合、この場で最も本来想定された効果を受けるのは――」
全員の視線が動いた。
シズクへ。
シズクが自分を指差した。
「私ですか?」
小柄。
普通の人間。
強力な防御魔法なし。
魔法陣なし。
電脳補助なし。
異常な耐久力なし。
怪獣と殴り合う筋肉もない。
リーゼもシズクを見る。
長い沈黙。
「……シズクくらいしか、まともに被害を受けないのか」
シズクが困った顔をする。
「でも、私はリーゼに撃たれる予定はありませんよ?」
「そういう問題ではない!」
エヴァが言った。
「じゃあシズクが持ってれば便利じゃねえか」
リーゼが止まる。
「何?」
「護身用」
クロエも頷く。
「合理的だな。身体能力を補える」
アスラも同意した。
「魔術を使えない者ほど恩恵が大きい」
ティセラまで頷く。
「装備配分として適切です」
リーゼは拳銃を見た。
忘れていた。
ようやく返ってきた。
撃った。
見事に中心へ当てた。
少佐も夢ではないと思った。
その直後。
ティセラには魔法で同じ的を貫通され。
アスラには魔法陣で的そのものを破壊され。
クロエにはサイバーな計算の末に電撃で貫通され。
エヴァには、
悲しくなるからやめておく。
と気を遣われた。
そして最後には。
シズクに渡した方が有効活用できるのではないかと言われている。
リーゼは拳銃を胸へ抱えた。
「これは小官のだ」
エヴァが言う。
「誰も取らねえよ」
「小官の拳銃だ」
「分かったって」
「帝国航空隊大尉リーゼの拳銃だ!」
クロエが小声でアスラへ言う。
「かなり悲しくなっているな」
「ああ」
「聞こえているぞ!」
シズクがそっと言った。
「私は、とても頼もしい武器だと思います」
リーゼがシズクを見る。
少しだけ目に光が戻る。
「本当か?」
「はい。私なら撃たれたら大変です」
リーゼの顔から光が消えた。
「結局お前にしか効かないという確認になった!」
「そういう意味では……」
拳銃を持つ。
中心へ当てられる。
帝国では立派な武器である。
それなのに。
この谷底では、持っていてまともに困るのがシズクくらいしかいない。
リーゼの肩が震えた。
「うがあああっ!」
大尉の絶叫が谷底へ響いた。
忘れられていた拳銃は、ようやく帰ってきた。
ただし。
帰ってきた先が、あまりにも悪かった。




