表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
断章Ⅱ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

75/193

第七十五話 第五管理区域

「本日は、第五管理区域への立入訓練を行います」


朝食の後、ティセラがそう告げた。


リーゼが手を止める。


「第五管理区域?」


「聖者自己処理池及び周辺生物災害監視区域です」


数秒、沈黙があった。


リーゼがゆっくり顔を上げる。


「教授」


「はい」


「その名称で正式登録したのか」


「はい」


「もう少しなかったのか!」


ティセラは眼鏡を直した。


「用途が分からない名称では管理上問題があります」


「分かりすぎるのが問題なんだ!」


クロエが尋ねる。


「自己処理というのは?」


アスラは先に察したらしい。


「聖者が一人で処理する場所だろう」


シズクが少しだけ顔を赤くした。


ティセラは平然としている。


「その通りです。聖者は現在も定期的に使用しています」


リーゼは額を押さえた。


「しかも現役施設か」


「当然です。継続使用されているからこそ管理できます」


「何が当然なんだ……」


今日の参加者はティセラ、リーゼ、シズク、クロエ、アスラの五人だった。


エヴァは同行しない。


ノアも同行しない。


今回はあくまで、新しく区域へ立ち入る者へ対する訓練だった。


ティセラが机へ地図を広げる。


中央に小さな池。


その周囲に三重の円。


さらに観測杭、退避経路、採取地点、風向確認地点まで書き込まれている。


クロエが地図を見る。


「ずいぶん本格的だな」


「公的施設ですから」


リーゼが顔を上げた。


「待て」


「何でしょう」


「公的施設?」


「はい」


ティセラは当然のように答えた。


「聖者個人の私的な場所ではありません。谷底共同体が管理する正式な施設です」


「何故そうなった!」


「周辺環境へ影響が出たからです」


それは分かる。


分かるのが嫌だった。


ティセラは地図の中央を指す。


「聖者が定期的に使用する区域。その周辺に形成された生物災害区域。そして、そこを利用した環境影響監視、研究、試料採取。この三つを一括管理しています」


アスラが聞く。


「管理責任者は?」


「私です」


「聖者は?」


「継続使用者兼、区域内部で長時間作業可能な担当者です」


クロエが少し笑った。


「使用者まで職務欄に入っている」


リーゼが呟く。


「何でこういうところだけ行政がしっかりしてるんだ……」


ティセラは記録簿を開いた。


日付。


使用開始。


使用終了。


気象。


風向。


翌朝の外縁反応。


水質。


植物活動。


動物活動。


採取試料。


全て記録されている。


シズクが覗き込む。


「聖者がいつ使ったかまで書いてあるのですね」


「重要です」


「必要なのですか?」


「非常に」


ティセラは真面目だった。


「使用直後、翌日、三日後、一週間後で、周囲の反応が違います。使用日時が確定しているので、環境変化を比較できます」


クロエが理解する。


「同じ原因物質が、定期的に同じ場所へ追加される」


「はい」


アスラも頷く。


「定点観測には都合がいいな」


「その通りです」


リーゼだけが頭を抱えている。


「言っていることは全部まともなのに、原因を思い出すと全部おかしい」


ティセラはさらに続けた。


「また、比較試験には、他者由来の体液や古い環境物質が混ざっていない試料も必要です」


リーゼが嫌そうな顔をした。


「つまり」


「使用直後の比較的純粋な聖者由来試料を採取します」


「やっぱりそこまで管理しているのか!」


「基準試料がなければ比較できません」


「理屈が正しいのが腹立たしい!」


シズクは地図の中央を見た。


「聖者は、今も普通にそこへ行くのですか?」


「はい」


「危なくないのです?」


「聖者本人は長時間滞在しても、今のところ明確な影響がありません」


アスラが言う。


「原因側だから?」


「仮説としては」


リーゼが低く呟く。


「原因物質を出してる本人だけ防護不要……」


クロエが言う。


「合理的ではある」


「納得するな!」



館の外には、防護装備が並べられていた。


全身を覆う厚手の服。


長靴。


手袋。


顔面を覆う防護面。


口と鼻を覆う濾過具。


さらにティセラが一人ずつ、小型の魔術具を渡していく。


リーゼが見る。


「警報器?」


「周辺魔力と装着者の身体変化を監視します」


クロエが手の中で回す。


「何を検知する?」


「脈拍、体温、魔力循環の乱れを中心に。万能ではありませんので、自覚症状を優先してください」


「警報が鳴れば?」


「撤退」


アスラが聞く。


「採集中なら?」


「捨てて撤退」


「あと少しで観察が終わる場合は?」


「撤退」


リーゼが腕を組む。


「教授自身にも適用するんだな?」


ティセラが一瞬止まった。


リーゼが指を差した。


「今止まった!」


「適用します」


「間があったぞ!」


「管理者ですから」


「普段の教授なら絶対もう一試料取ると言うだろう!」


ティセラは聞かなかったことにした。


シズクが防護服を着ながら聞く。


「棒も持って行ってよいですか?」


全員がシズクを見る。


シズクの横には、いつもの長い棒が置いてある。


ティセラが頷いた。


「推奨します」


リーゼが目を見開いた。


「とうとう正式装備になったのか!」


「未知の生物へ身体を近づけず反応を確認できます。合理的です」


クロエも言う。


「私も持とうかな」


アスラまで一本取る。


「魔術を使う前の確認には便利そうだ」


リーゼが頭を抱えた。


「谷底の科学が棒から始まっている……」



しばらく歩くと、赤く塗られた杭が見えてきた。


一本目。


その先に二本目。


さらに遠くに三本目。


ティセラが止まる。


「ここから外縁管理区域です」


五人の空気が変わった。


ティセラが先頭。


その後ろにリーゼ、シズク。


クロエとアスラが左右を見る。


「私より前へ出ないでください」


ティセラが告げる。


「まず風向を確認します」


細い布を掲げる。


風は館側とは逆方向。


次に空気を採取する。


小さな紙片を露出させ、魔術具へ当てる。


さらに地表の魔力濃度。


周辺植物。


昆虫。


動物の痕跡。


一つずつ確認する。


クロエが尋ねる。


「毎回ここまでやるのか?」


「入るたびに」


「面倒だな」


「面倒だから事故を減らせます」


リーゼが頷く。


「教授が正しい。危険区域では面倒を省くな」


アスラがリーゼを見る。


「新兵なのに詳しいな」


「小官を新兵と呼ぶな!」


ティセラが振り返る。


「今日は新兵です」


「教授まで!」


安全確認が終わる。


「進みます」



最初の異常は、見た目には大したことがなかった。


一本の蔓。


木へ巻き付いている。


ただ、風とは逆方向へ動いていた。


ゆっくり枝を探る。


触れる。


巻き付く。


離れる。


また別の枝へ伸びる。


シズクが棒を構えた。


「突きます?」


「今日は刺激しません」


ティセラは距離を保ったまま記録する。


「外縁蔓類。昨日より西へ約二歩拡大。活動性、やや上昇」


リーゼが聞く。


「昨日も見た?」


「はい」


「昨日より移動している?」


「はい」


「それを平然と言うな」


さらに進む。


小型の獣が二匹いた。


一方がもう一方の周囲を延々と回っている。


離れる。


追う。


また寄る。


通常の求愛にも見える。


だが、止まらない。


ティセラはすぐに進路を変えた。


「迂回します」


クロエが聞く。


「危険?」


「不明です」


「なら倒せば?」


「ここでは戦闘禁止です」


アスラが眉を上げる。


「何故?」


ティセラがアスラの防護服を指した。


「破れます」


アスラが納得した。


「なるほど」


リーゼも言う。


「勝っても防護服に穴が空けば負けだ。この区域では教授に従え」


クロエとアスラの動きが、少し慎重になった。



さらに奥へ進むと、植物の様子がおかしくなってきた。


花の向きが、太陽ではなく獣を追っている。


蔓が、木ではなく動物の通り道へ伸びている。


木の根が、地面を這う小動物へゆっくり寄っていく。


シズクが止まった。


「……植物が、動物を追っています」


「確認しています」


ティセラが答える。


少し先では、低木から伸びた蔓が、小さな獣へ絡みつこうとしていた。


獣が逃げる。


蔓が追う。


リーゼの顔が引きつる。


「植物が動物に何をしようとしている」


ティセラは眼鏡越しに観察する。


「繁殖行動に近い反応が確認されています」


沈黙。


クロエが言った。


「植物が?」


「はい」


アスラが聞く。


「動物へ?」


「はい」


リーゼが両手で顔を覆った。


「生物分類を壊すな!」


クロエとアスラはむしろ興味深そうだった。


「私たちの世界にも特殊な植物はいるが」


「ここまで分類を無視してはいないな」


リーゼが二人を見る。


「貴様らに言われるのか!」


ティセラは記録を続ける。


「この区域では、通常の繁殖対象認識そのものが崩れている可能性があります。対象種ではなく、周辺の生命活動へ反応しているのかもしれません」


「教授」


「はい」


「楽しそうだな」


「研究対象として非常に興味深いです」


「やっぱり!」



もう少し進んだところで、ティセラが全員を止めた。


「ここから中間管理域です」


赤い杭がもう一本ある。


ティセラは警報器を見る。


数値が上がっている。


「滞在時間を短縮します。全員、自覚症状を報告してください」


クロエ。


「異常なし」


アスラ。


「ない」


リーゼ。


「問題なし」


シズクは少し考えた。


「少し、身体が温かい気がします」


ティセラの表情がすぐに変わった。


「いつから?」


「少し前からです」


「呼吸は?」


「普通です」


「眩暈」


「ありません」


「気分の変化は?」


シズクが少し顔を赤くした。


「……何となく、落ち着かない感じが」


リーゼが即座に言った。


「撤退だな」


「はい」


ティセラも迷わなかった。


アスラが驚く。


「もう?」


「もうです」


クロエが奥を見る。


「中央の池はまだ見えていない」


「今日は見る必要がありません」


ティセラは全員へ向き直る。


「訓練の目的は、どこまで行けるか試すことではありません。異常を感じた時に、正しく帰れることです」


リーゼが少し感心する。


「今日の教授は、本当に管理責任者だな」


「いつもです」


「研究対象を前にした時もそれを保て」


「努力します」


「信用できない!」


五人は来た道を戻り始めた。



帰路でも、安全確認は続いた。


行きにはなかった場所に、細い蔓が一本伸びている。


ティセラが止まる。


「全員停止」


シズクが棒を差し出す。


つん。


蔓が一瞬で棒へ絡みついた。


「わっ」


シズクが手を離す。


蔓は棒へ巻き付き、そのまま締め上げている。


ぎし。


ぎし。


リーゼが棒を見る。


「本当に正式装備でいいな、これ」


クロエが頷く。


「身体で試すよりずっといい」


アスラも言う。


「棒、優秀だな」


シズクは少し嬉しそうだった。


「もう一本用意しておきます」


ティセラは蔓の位置を記録する。


「昨日より外側です」


全員の表情が変わった。


リーゼが聞く。


「境界拡大?」


「一本だけでは判断できません。ですが記録対象です」


クロエが赤い杭を見る。


「広がり続けたら?」


「杭を移動し、立入区域を拡大します」


「それでも止まらなければ?」


「聖者と内部対策を行います」


アスラが言う。


「聖者なら長時間入れるからか」


「はい」


リーゼが呟く。


「原因で、継続使用者で、唯一の長時間作業員」


ティセラが訂正する。


「公的施設の内部作業担当者です」


「言い換えてもおかしい!」



外縁を出ても、防護具は外さなかった。


ティセラが準備していた洗浄水を使う。


長靴。


手袋。


背中。


腕。


顔面防護具。


全身を順番に洗う。


さらに魔術で付着物を確認する。


クロエが聞く。


「区域を出てもここまで?」


「区域の外へ持ち出す方が危険です」


アスラが納得した。


「化け物植物園に勝手に生えたら面倒だな」


リーゼが言う。


「教授なら喜ぶぞ」


「喜びません」


ティセラが即答した。


全員がティセラを見る。


ティセラが少し間を置く。


「……管理区域外への拡散は困ります」


リーゼが指を差した。


「研究対象としては喜ぶ顔だったぞ!」



除染が終わると、ティセラは記録簿を開いた。


「本日の訓練は終了です」


クロエが尋ねる。


「中央区域の試料は?」


「今日は採りません」


アスラも聞く。


「聖者由来の基準試料は必要なのだろう?」


「必要です。ただし、採集日は別に設定しています」


リーゼが嫌そうに聞く。


「使用直後?」


「はい」


「使用記録を見て?」


「はい」


「公的施設として?」


「もちろんです」


リーゼは額を押さえた。


「もう何を聞いても驚かないつもりだったんだがな……」


ティセラは淡々と記録する。


『新規立入者三名。リーゼ大尉再訓練一名。シズク再訓練一名』


リーゼが覗き込んだ。


「待て。小官まで再訓練なのか」


「管理者以外は定期再訓練対象です」


「軍人だぞ!」


「第五管理区域の専門資格ではありません」


クロエが笑った。


「新兵だな」


アスラも頷く。


「新兵だ」


リーゼの眉が震えた。


「貴様ら……」


シズクが記録簿の隣にある施設利用表を見る。


そこには、次回のノア使用予定と、その翌朝のティセラによる採取予定が既に記されていた。


「本当に、公的施設なのですね」


ティセラが頷く。


「はい。使う以上は管理します。管理する以上は記録します。危険がある以上は監視します」


その言葉だけなら、何一つおかしくない。


リーゼも認めざるを得なかった。


「……まあ、放っておくよりは絶対にいい」


「そのための施設です」


ティセラは眼鏡を直す。


赤い杭の向こうでは、異常な森が今日も静かに動いている。


聖者だけが長時間入ることのできる区域。


今も聖者自身が継続的に利用し、そのたびに環境が変化し、教授が記録し、境界を監視する。


谷底共同体第五管理区域。


聖者自己処理池及び周辺生物災害監視区域。


正式な、公的施設だった。


リーゼは施設名の書かれた札を見た。


しばらく黙る。


「……やっぱり名称だけは何とかならんのか」


ティセラは即答した。


「分かりやすさを優先しています」


「分かりやすすぎるんだよ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ