第七話 谷底の水場と聖者の趣味
朝食を終えると、エヴァはシズクを館の横へ連れ出した。大瀑布とは別のところから湧き出したらしい清流が館の脇を流れている。その一部を木と石で作った水路へ取り込み、何本にも分岐させていた。
「まず水だ」
エヴァが上流を指す。
「上から順番に、飲み水、台所、洗濯。間違えるな」
「順番に意味があるのですか」
「汚した水を飲む方へ戻さないためだ。聖者の知識」
一番上には石を積んだ槽があり、中には砂や炭の層が入っていた。そこを通った水が木桶へ落ちている。
「飲むならここ。上流は汚すな」
少し下には屋根付きの調理場があった。石台の脇を細い水路が走り、野菜や魚を洗えるようになっている。さらに水路の一部には、木で組んだ格子枠が沈められていた。中には瓶、壺、野菜の入った籠。
「これは?」
「冷やしてる」
「川で?」
「ああ。ここの水は年中冷たい。飲み物や野菜をここへ入れとけば、外へ置くより長く保つ」
シズクは壺へ触れた。
ひんやりしている。
「保存蔵とは違うのですね」
「魔宝石を使った冷蔵庫は肉とか、もっと長く置くもの用。こっちは水が勝手に冷やすから何も消費しない」
「れいぞうこ?」
「聖者がそう呼ぶ。冷たい蔵だと思っとけ」
その横には、川から直接水を引き込んだ大きな木枠があった。中で魚が泳いでいる。
「魚がいます」
「生け簀」
「いけす?」
「釣った魚を生かしておく場所だ。食う時に必要な分だけ出す」
「逃げませんか」
「横も底も網になってる」
シズクは覗き込んだ。銀色の魚が何匹も、流れに逆らって泳いでいる。
「こうしておけば新鮮なまま食える」
「これも聖者の知識ですか」
「ああ。本人は『僕が考えたわけじゃない』って言うけどな」
さらに下流へ行く。
ごう、ごう、と水の回る音が大きくなった。木製の巨大な槽がある。上が広く、下へいくほど細くなる奇妙な形。横から勢いよく水が入り、中で大きな渦を作っている。そこへ毛布が何枚も入れられ、水に持ち上げられては沈み、揉まれるように回っていた。
シズクは目を丸くした。
「これは……?」
「バルトリ」
「ばるとり?」
「聖者の昔の世界にあった仕組みだ。水の流れだけで布を洗う」
「勝手に洗っています」
「便利だろ」
「魔法ではないのですか」
「木と水だけ」
シズクは槽の中を覗き込んだ。ただ水を流しているのではない。槽の形で水流を渦にして、その力で布を延々と揉み続けている。
「聖者の昔の世界の、何とかいう地方にあったらしい。正確な寸法まで覚えてなかったから、何度も作り直したそうだ」
「それでも作れるのですね」
「聖者はそういう奴だ」
エヴァが棒で毛布を押した。
「今じゃ、ほとんど毎日使う」
「三人しかいないのに?」
「ああ」
「そんなに洗濯物が?」
エヴァの口元が上がった。
シズクはすぐに後悔した。
「俺と聖者が毎日汚すからな」
「……聞かなかったことにします」
「布団もシーツも毛布も、大体毎日だ」
「聞かなかったことにします!」
「見ただろ、昨日の」
「見ましたけれど!」
「汗だの精液だの。俺は潮吹くし、小便も漏らす。むしろ聖者が好きだから、漏らすというより意識して出す。昨日も出してたろ? そういうので俺も寝具もかなり汚れる。精液は乾くと固まる。俺は基本的に最後は精液まみれになる。そうすると、周りのシーツとかも当然精液まみれだ。洗濯しないと使えなくなるんだ。シズクが覗く前は、精液ぶっかけしてたから、見ろこの洗濯物の量!」
シズクは言葉を失った。
「……それは」
「だからバルトリが便利なんだ」
「その便利さは知りたくありませんでした」
「しかも今日はもっと増える」
「……なぜ」
「お前の巫女服」
シズクは振り返った。
「私の?」
「聖者が気に入った」
「なぜ?」
「こすぷれ」
「また知らない言葉が」
「いつもと違う格好をして楽しむ遊びだ。今晩、俺が巫女服を着る」
「本当にやるのですか!」
「楽しそうだからな」
「聖者の趣味に付き合いすぎでは?」
「一年一緒に暮らしてみろ。いろいろ覚えるぞ」
その言葉の意味を、シズクはすぐ知ることになった。
物干し場には、理解できない形の布が大量に干されていた。
黒。
紫。
赤。
白。
小さなもの。
紐ばかりのもの。
胸の形のように丸く縫われたもの。
脚ほど長い布。
シズクは首を傾げた。
「……これは?」
「下着」
「褌ではありません」
「褌もある」
エヴァは黒い小さな布を取った。
「これはパンツ」
「ぱんつ」
「腰に穿く」
「どうやって?」
「ここから脚を入れる」
シズクは真剣に穴を見る。
「結ばないのですか」
「結ばない」
「ずいぶん布が少ないですね」
「これは普通の方だ」
次を見せられる。
後ろ側がほとんど紐しかない。
「Tバック」
「てぃい……?」
「後ろの布が細い」
「なぜ減らすのですか」
「聖者の趣味」
「またですか」
今度は、さらに奇妙なもの。
「Oバック」
「穴が空いています」
「ああ」
「なぜ?」
「聖者の趣味」
「何でもそれで片づけていませんか」
「実際そうだから仕方ない」
エヴァは紫色のものを取った。
二つの丸い布を肩紐と帯でつないでいる。
「ブラジャー」
「これは?」
「胸につける」
「胸に下着を?」
シズクには、その発想自体がなかった。
「胸を支える。揺れにくくなる。形も整う」
「胸は支えるものなのですか」
「俺くらいあると、走る時かなり違うぞ」
エヴァは自分の胸へ手をやった。
「聖者が言うには、身体に合ったものをつけてると形も崩れにくいらしい。大きくなるって話も昔の世界にはあったそうだが、それは怪しいと言ってた」
「エヴァは?」
「昔よりでかくなったな」
「下着のおかげ?」
「さあな。何度も魔物を産んでる経産婦だから、そのせいかもしれん」
シズクの表情が曇る。
「また、そんな話を軽く……」
「今さらだ。あとは毎日、聖者に乳を揉まれている」
エヴァは胸を張った。
「ちなみに卵も産んだことがある」
「卵?」
「ああ」
「エヴァが?」
「俺が」
「人が?」
「俺が」
「どうして!」
「女の腹に卵を植え付ける魔物がいてな。そいつと交尾させられた」
シズクの顔から血の気が引く。
「交尾……」
「ついでに尻にも植え付けられた。オホ声出しながら、いくつも卵を産んだぞ。連続でな」
「ついでって……そんな」
「今となっては貴重な経験だ。卵産んだ女、お前の国にいるか? しかも股と尻から同時にだぞ?」
「いません!」
「なら貴重だ」
「そういう意味ではありません!」
エヴァは声を上げて笑った。
シズクはブラジャーを一つ持ち上げた。
何か変だ。
「エヴァ」
「なんだ」
「これは胸を隠すものなのですよね」
「物による」
「でも、これ……胸の先のところだけ穴が空いています」
エヴァが確認する。
「ああ、それか」
「肝心なところが隠れていません」
「聖者の趣味」
「便利さは?」
「ない」
「即答ですね!」
「これは完全に趣味だ」
シズクは頭を抱えた。
「しかも、一晩に何着も替える時もあるぞ」
「なぜ下着を?」
「それはそれで盛り上がる」
「盛り上がる……」
「黒から赤。白から紫とかな」
「一晩に?」
「ああ」
「洗濯物が多い理由が、どんどん分かってきました」
「だろ?」
「分かりたくありませんでした」
エヴァは赤い細い帯を見せた。
腰へ巻く部分から、何本か細い紐が垂れている。
「これはガーターベルト」
「何をするものですか」
「腰につけて、こっちを吊る」
次に白い長い布。
「ニーソックス」
「これは?」
「脚に履く」
シズクは本気で意味が分からなかった。
「布を、脚へ?」
「ああ。足先から入れて、膝より上まで引き上げる」
「なぜですか」
「寒い時は暖かい」
「ずぼんでよいのでは?」
「それでもいい」
「では、なぜ」
「聖者が好きだから」
「また!」
「膝より上まで覆って、太腿が少し見えるのがいいらしい」
「全部覆えばよいのでは?」
「俺も最初そう言った」
「そうですよね!」
「でも聖者には違うらしい」
「何が違うのですか」
「知らん」
エヴァは笑った。
「ちなみに、ガーターベルトとニーソックスだけの時もある」
シズクは頭の中で組み合わせた。
腰に帯。
そこから垂れる紐。
脚を覆う白い布。
そして。
「……エヴァ」
「なんだ」
「それでは、股のところに布がないのでは?」
「ないな」
「ないのですか!」
「ない方が聖者が喜ぶ時もある」
「なぜ!」
「邪魔になるものがない」
意味を理解して、シズクの顔が真っ赤になった。
「特に外でする時は便利だ」
「なぜ外ですることを前提にするのですか!」
「したくなった場所が外なら、そのままするから」
「館へ戻ってください!」
「遠い時もある」
「我慢してください!」
「俺も聖者もしたいなら、別に我慢する理由がない」
エヴァは指を立てた。
「パンツを穿いてなければすぐ出来る。覚えとくといいぞ」
「絶対に覚えたくありません!」
「知識は持ってて損しない」
「この知識は損する気がします!」
「褌もあるぞ」
その一言だけは、シズクを少し安心させた。
「褌は分かります」
「ああ。さらしと褌でやることもある」
「普通の格好ですね」
「男のふりをしてる女って設定だけどな」
「普通ではありませんでした!」
「聖者のこすぷれの一つだ」
「なぜわざわざ男のふりを」
「それがいいらしい」
シズクは頭痛を覚えた。
さらに布そのものも普通ではなかった。
シズクが白いニーソックスの端へ触れる。
妙に滑らかだ。
柔らかく、指へ吸いつくような手触り。
「これは何の布なのですか」
「魔物の糸」
手を離した。
「魔物?」
「でかい芋虫」
エヴァが両腕を広げた。
「これじゃ全然足りんな。人間くらい一かじりで飲み込む」
「なぜそんな魔物の糸で下着を!」
「肌触りがいいから」
「理由が軽い!」
「聖者が昔の世界の養蚕って知識を使ってる。虫から糸を取って、煮たり洗ったりして布にするんだと」
「その魔物を飼っているのですか」
「さすがにまだ飼ってない。危なすぎる」
「安心しました」
「別の機会に糸を取りに行くぞ」
「私も?」
「シズクの下着も作らなきゃならんだろ」
「褌で結構です!」
「その褌をこの糸で作ればいい」
シズクはもう一度布へ触れた。
悔しいが、本当に肌触りがよい。
「……糸になってしまえば、もう魔物ではない?」
「そうそう」
「でも採りに行く時には、人を一かじりで飲み込む魔物なのですよね」
「そうだ」
「やっぱり嫌です!」
エヴァの笑い声が水場へ響いた。




