第六十一話 二人の忍者は、再会してまず相手を肉ダルマにしようとする
翌朝、クロエは知らない天井の下で目を覚ました。
身体を起こすより先に周囲を確認し、次に自分の状態を確かめる。切断されていた脚は繋がっている。身体を覆う紫色の膜も戻っていたが、背中の太刀は少し離れた場所へ置かれていた。
そして、何より先に気づいたことがある。
「……ネットワークがない」
部屋の反対側にいたリーゼが顔を上げた。
「昨日もそれを言っていたな」
クロエは身体を起こし、周囲を見回した。
「本当に何もないのか。中継網も、広域網も、緊急回線も?」
「少なくとも、小官が知る限り、そのようなものはここにはない」
クロエはしばらく黙った。
「何処の秘境だ」
「谷底だ!」
その横では、ティセラがすでに紙を用意している。
「起きたところで、いくつか確認しても?」
「勝手にしろ」
「昨日、切断された脚から伸びていた細いものは何です?」
「神経ケーブルだ」
ティセラの筆が動く。
「銀髪とは別のものなのですね」
「ああ。髪は外部との接続に使う。切断面から出るものは身体の再接続用だ」
「では、昨日、日光へ髪を広げていたのは――」
クロエが答えようとしたところで、急に顔を上げた。
館のどこかに、覚えのある気配がある。
嫌というほど知っている。
何度も追い、何度も追われ、何度も殺し合った相手のものだった。
「……嘘だろ」
「どうしました?」
クロエは答えず、立ち上がった。
同じ頃、別の部屋でもアスラが目を覚ましていた。
シズクは少し離れたところに座り、エヴァは壁際で腕を組んでいる。
「気分はいかがですか?」
「最悪だ」
アスラは身体を起こし、まず左腕を動かした。
指を握る。
開く。
肩を回す。
問題なく繋がっている。
「……貴様らが繋いだのか?」
エヴァが答える。
「勝手に戻った」
「そうか」
アスラは短く答え、それから動きを止めた。
知っている気配がある。
「まさか」
立ち上がる。
シズクも腰を上げた。
「まだ休んでいた方が――」
「どけ」
「どこへ行くのです?」
「殺す相手がいる」
シズクが困った顔でエヴァを見る。
「元気そうですね」
「そうだな」
二人がそれぞれ部屋を出て、廊下の曲がり角へ来た。
銀髪。
紫髪。
互いの姿を認めた瞬間、二人とも足を止める。
「何で貴様がいる!」
声まで重なった。
リーゼがクロエの後ろから追いつく。
「知り合いなのか?」
「敵だ」
クロエが即答した。
アスラも同時に言う。
「宿敵だ」
そして二人は、ほとんど同時に構えた。
武器は取り上げられている。それでも止める理由にはならないらしい。
クロエがアスラの腕を見る。
「まず両腕を落とす」
アスラはクロエの脚を見る。
「私は脚からだ。貴様は逃げ足だけは速いからな」
「切った部位は離して捨てる」
「当然だ。近くに残せば繋がる」
リーゼが二人を交互に見る。
「待て。何の話をしている?」
クロエは平然と答えた。
「こいつを肉ダルマにする手順だ」
シズクが首を傾げる。
「肉ダルマ、とは?」
アスラが不思議そうにシズクを見る。
「手足を全部なくして、胴と頭だけにすることだ」
「……その意味なのですね」
「他に何がある」
リーゼが額を押さえた。
「いや、今のところ小官たちの知っている意味と同じだ」
「なら問題ないだろう」
「問題しかない!」
しかし、二人の話はそこで終わらなかった。
クロエが薄く笑う。
「動けなくした後は、前より丁寧に神経へ繋いでやる。痛覚も触覚も、まともに考えられなくなるまで感度を引き上げてやる」
アスラも笑った。
「それなら私は、貴様の身体へ術を通してやろう。逃げる手足がなくなったところで、以前より長く責めてやる」
「途中で泣くなよ」
「前に先に泣いたのは貴様だ」
「泣いていない」
「いい声は出していた」
「貴様もだ」
リーゼが片手を上げた。
「待て」
二人が見る。
「今度は『拷問』という言葉の意味を確認したい」
クロエが眉を寄せる。
「何を確認する?」
「相手を苦しめるために、意図的に痛みや苦痛を与える行為、という意味で使っているのか?」
「そうだ」
アスラも頷く。
「同じ意味だ」
リーゼはしばらく黙った。
「言葉が通じているのが、こんなに嫌だったのは初めてだ」
シズクも困った顔で二人を見る。
「お二人とも、本当に仲が悪いのですね」
「当然だ」
また声が揃った。
そこでクロエが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、ネイラはどうしている?」
アスラの表情が少し変わった。
先ほどまで相手の手足をどう切り離すか話していた女と、同じ人物とは思えないほど普通の顔になる。
「元気だ」
「そうか」
「最近、また変な機械を分解していたぞ。戻せるのかと聞いたら、構造は覚えたから問題ないと言っていた」
クロエの口元が僅かに緩む。
「私に似たな」
「そこは認める。あの子は頭がいい。口も達者だがな」
「お前が育てているからだろ」
「何だと」
一瞬、また喧嘩になりそうになったが、今度はアスラが尋ねた。
「ルヴァナは?」
「元気だ」
「力は?」
「また強くなった。先月、庭の石柱を持ち上げた」
アスラが満足そうに笑う。
「私に似たな」
「そこだけは否定しない。考える前に動くところまで似ている」
「良いことだ」
「限度がある」
その会話を聞いていた全員が、黙っていた。
最初に口を開いたのはシズクだった。
「……娘、というのは」
クロエが見る。
「何だ?」
「お二人のお子さん、という意味ですか?」
「そうだが」
アスラも頷いた。
「娘だ」
シズクは一度、リーゼを見る。
リーゼも同じ顔をしている。
「待て待て待て」
「何だ」
「お前たち二人の間に、娘がいるのか?」
クロエが答える。
「二人いる」
「二人!?」
「ネイラとルヴァナだ」
アスラが言った。
リーゼは指を一本立てる。
「確認するぞ。『娘』という言葉は、小官たちの知っている娘と同じ意味なんだな?」
「さっきから何を言っている」
クロエが呆れる。
「親から生まれた女の子だ」
「そういう意味で合っている」
アスラも答えた。
リーゼの指が止まった。
エヴァが笑い始める。
「お前ら、子供までいるのか」
二人が同時にエヴァを見る。
「だから何だ」
「別に」
エヴァは面白そうに二人を見る。
「で、どっちが育ててる?」
「ネイラは私の家だ」
アスラが答えた。
「ルヴァナは私のところにいる」
クロエが続ける。
シズクが尋ねる。
「では、離れて暮らしているのですか?」
「普段はな」
「娘には会わないのです?」
「会う」
二人が即答した。
リーゼが嫌な予感を覚えた顔になる。
「どうやって」
クロエが当然のように答える。
「家へ行く」
「誰の?」
「こいつの」
アスラも言う。
「私もこいつの家へ行く」
「互いの家を知っているのか?」
「娘に会うのに知らない方が不便だろう」
リーゼは黙った。
シズクがさらに聞く。
「訪ねた時は、お子さんに会って、そのまま帰るのですか?」
アスラが首を傾げる。
「飯くらい食う」
クロエも言う。
「遅くなれば泊まる」
「泊まる?」
「部屋は余っている」
「私の家にも、こいつが使う寝具はある」
リーゼが目を閉じた。
ティセラは興味深そうに筆を動かしている。
エヴァだけは、だんだん笑いを堪えきれなくなっていた。
シズクは真面目に確認する。
「つまり、お二人と、ネイラさんと、ルヴァナさんの四人で食事をすることもあるのですか?」
「ある」
「普通にあるな」
「四人で同じ家に泊まることも?」
「ある」
「何度も」
シズクは考え込んだ。
リーゼが代わりに聞いた。
「……『敵』という言葉は?」
クロエが眉を寄せる。
「敵は敵だ」
「宿敵だ」
アスラが続ける。
「互いに殺そうとする相手?」
「そうだ」
「手足を切って肉ダルマにする?」
「今からする」
「拷問もする?」
「当然だ」
「だが、娘が二人いて?」
「いる」
「互いの家を知っていて?」
「知っている」
「家族四人で食事して?」
「する」
「泊まりもする?」
「する」
リーゼは両手で頭を抱えた。
「言葉の意味が全部同じなのに、何一つ分からん!」
軒下から、その騒ぎを聞いていたノアが顔を覗かせた。
中には入らず、いつものように戸口から距離を取っている。
「僕も途中から聞いてたけど……」
エヴァが振り返る。
「聖者、分かるか?」
「いや」
「夫婦みたいなもんか?」
クロエとアスラが同時に叫んだ。
「誰がこいつと!」
「誰がこんな奴と!」
ノアは少し考えた。
「でも、子供がいて、お互いの家を行き来して、一緒にご飯を食べて、泊まることもあるんだよね?」
「そうだ」
「それと敵なのは別だ」
また即答だった。
シズクが小さく言う。
「私たちの知っている『夫婦』と、お二人のところの『夫婦』の意味が違うのでしょうか」
クロエが答える。
「夫婦の意味まで同じだ」
アスラも頷く。
「私たちは夫婦ではない」
「では、恋仲なのでしょうか」
「違う」
「断じて違う」
「でも、娘さんが二人」
「いる」
「家を行き来して」
「する」
「一緒に食事をして」
「する」
「泊まって」
「する」
「そして、会えば殺し合う」
「そうだ」
シズクは黙った。
ティセラも、珍しく筆を止めた。
リーゼはもう質問を諦めかけていた。
エヴァが腹を抱えて笑う。
「駄目だ。聞けば聞くほど分からなくなる」
クロエとアスラだけが、何が分からないのか分からないという顔をしていた。
そして数秒後。
クロエがアスラを見る。
「話は終わったな」
「ああ」
二人が再び構える。
「では、腕から落とす」
「私は脚からだ」
エヴァが二人の間へ入った。
「館でやるな」
「邪魔だ」
「どけ」
クロエの銀髪が伸び、エヴァの腕へ繋がろうとする。
エヴァはそれを指で掴んだ。
「うるさい」
そのまま引き抜く。
クロエが固まった。
「……抜いた?」
「抜けた」
その隣で、アスラが廊下の左右と頭上へ複数の魔法陣を展開した。
「なら先に貴様を――」
「またそれか」
エヴァが身体を捻る。
回し蹴り。
ぱりんっ、ぱりんっ、ぱりんっ。
周囲へ展開された魔法陣が、まとめて砕け散った。
アスラが叫ぶ。
「何故だ!」
「蹴ったからだ」
「それは理由ではない!」
軒下のノアが、困った顔でその光景を見る。
高度な神経接続。
高速展開される魔法陣。
何度も死線を越えてきた二人の忍者。
それを、力任せに全部止めるエヴァ。
「何というか……」
シズクが振り返る。
「聖者?」
「二人の世界は、魔とか機械とかを使って戦う忍びみたいな感じなのに、エヴァだけチカラ・イズ・パワーなんだよね」
「何だそれ」
エヴァが聞く。
「褒めてる」
「ならいい」
リーゼが叫んだ。
「よくない! まずこいつらを止めろ!」
その朝。
谷底の住人たちは、クロエとアスラがただの宿敵ではないことを知った。
互いを殺し。
互いを拷問し。
会えば手足を切ろうとする。
その一方で、二人の間には娘が二人いる。
互いの家へ遊びに行き。
四人で食卓を囲み。
時にはそのまま泊まる。
言葉の意味を間違えているのではないかと何度確認しても、間違っていなかった。
だからこそ。
誰にも、二人の関係が分からなかった。




