第五十七話 世界を分つ谷で、二人の忍者は互いの手足から狙う
世界を分つ谷には、巨大な石橋が架かっていた。
谷の両岸を繋ぐ古い橋で、その遥か下には分かつ河が流れている。
もっとも、橋と呼べる形が残っているのは、もう半分ほどだった。
石橋の中央では、砕けた石が次々と崩れ落ちている。その上で向かい合っている二人の女が、ここまで橋を壊した張本人だった。
一人は銀髪のダークエルフ、クロエ。
褐色の肌、長く尖った耳、細い腰と長い手足を持つ、すらりとした身体つきだった。その細身の身体に対して乳房は非常に大きく、尻も丸く豊かに張っている。
身体を覆う紫色の忍装束は布ではない。術によって皮膚表面へ専用の膜を形成したもので、必要なら町娘、商人、侍女、旅人など、潜入先に合わせて姿を変えることができる。
ただ、どの姿でも、何故か乳房は一房ずつ包まれ、乳輪と乳首とヘソと尻と股間の線も分かりやすい。
何故そういう形なのかと聞かれても、クロエには答えられない。師も先代も、そのまた前の世代も同じような忍装束を使っていたため、忍びとはこういう格好をするものだと思っている。
クロエの武器は、背中に背負った太刀だった。
向かいにいるのは、青い肌をした魔族の女、アスラ。
長い紫髪、尖った耳、黒い眼球の中に浮かぶ白い瞳を持ち、口を開けば舌の先まで細く尖っている。こちらも細身で手足が長く、それでいて非常に大きな乳房と豊かな尻を持つ。
アスラの忍装束も布ではなく、自身の紫髪の一部を術で変質させ、身体の表面へ這わせたものだった。やはり変装用に形を変えることができるが、何故か乳房は一房ずつ包まれ、乳輪と乳首とヘソと尻と股間の線も分かりやすい。
こちらも理由など知らない。昔からそうだった、それだけである。
アスラは両手の鉤爪を構えた。
「まず脚だな」
クロエが背中の太刀を抜くと、アスラも口の端を上げた。
「奇遇だな、私も同じことを考えていた」
「両腕を落としてから脚だと思っていたが、先に脚でもいい」
「首は最後か?」
「貴様は首だけでも魔法陣を出すから面倒だ」
「貴様こそ、頭だけ残しても喋るだろう」
二人にとって、腕や脚を切り落とされる程度では、まだ戦闘不能とは言えなかった。
クロエは重傷を負うか電力を使い果たすと、身体が充電モードへ移行する。その状態で切断された腕や脚、首が近くにあれば、本体と切断部の断面から神経ケーブルが伸び、互いを探して勝手に接続する。
アスラも同じだった。ただし、こちらは電力ではなく魔力を消耗すると回復魔法陣が現れ、切断面から伸びるのも神経ケーブルではなく肉触手である。
だから二人は、相手を本気で無力化しようとすると、とりあえず手足をもいで肉ダルマにしようとする。
そして、落とした手足を遠くへ飛ばす。
そこまでやって、ようやく安心できる。
「行くぞ」
クロエが地面を蹴った。
太刀が横へ走り、アスラの左腕が宙を舞う。
アスラは腕を失ったことなど気にも留めず、残った右手の鉤爪を振るった。クロエが身体を捻ったが避けきれず、右脚が腿から切断される。
「一本ずつだな」
「数えるな」
片脚になったクロエは倒れず、銀髪を石橋へ突き刺して身体を支えた。一方、石の上へ落ちたアスラの腕からは、すでに細い肉触手が伸び始めている。
クロエがその腕を蹴り飛ばそうとした。
「させるか」
アスラが片手で印を切ると、小さな魔法陣が腕の下へ現れ、切断された腕だけが数歩離れた場所へ移動した。
「部位だけ転移させるな」
「貴様が蹴るからだろう」
「だったら自分で持っていろ」
「戦闘中に自分の腕を抱えて走る馬鹿がいるか」
本気で互いを切り刻もうとしているのに、口喧嘩だけは普段と変わらない。
クロエの銀髪が広がり、橋へ設置されていた監視器や警報器へ突き刺さった。
「電脳忍法――潜脳」
瞳の奥を青白い文字列が流れる。
クロエは機械を読む。そこを流れる信号へ入り込み、制御を奪い、必要な情報を自分の神経へ直接流し込む。
そして、アスラの魔法陣さえ、一つの規則を持った情報構造として解析する。
「右から八番目、甘い」
魔法陣が一つ崩れた。
「十五番目もだ」
もう一つ消える。
アスラは、それを見て笑った。
「相変わらず、見つけた穴へすぐ入るな」
「穴を残している方が悪い」
「だから今回は、その入口に仕込んである」
アスラが印を変えた瞬間、クロエの肩が大きく跳ねた。
侵入させた信号を逆に辿り、アスラの術がクロエの神経系へ流れ込んでいる。
「勝手に人の神経へ入るな!」
「貴様が先に私の術式へ潜った!」
「術式と人の神経を一緒にするな!」
「以前は随分喜んでいただろう」
クロエの動きが止まった。
「……何だと?」
アスラは楽しそうに笑う。
「以前、捕らえた時だ。神経へ術を流すたびに声が変わっていただろう」
「貴様!」
「出力を上げたら脚まで震わせて――」
「お前だって、魔核の周りを責めた時に喜んでただろうが!」
今度はアスラが止まった。
「喜んでいない!」
「もっと深くしろと言ったぞ」
「尋問を続けろという意味だ!」
「誰が信じる!」
「貴様こそ、もっと流せと言っただろう!」
「言ってない!」
自分がどう反応したかは徹底的に否定するくせに、相手がどう反応したかは驚くほど詳しく覚えている。
しかも、第三者が相手へ同じことをすれば、本気で怒る。
以前、クロエが別勢力に捕らえられて拷問を受けた時、当時敵対していたアスラは施設へ乗り込み、守備兵を倒してクロエを連れ出した。
逆に、アスラが人間側の対魔部隊へ捕らえられた時は、クロエが助けに来た。
「私が貴様をいたぶるのはいい」
クロエが言った。
「そこは同意する、私が貴様をいたぶるのもいい」
「だが、他の奴がやるのは気に入らない」
「ああ」
「何でだ?」
「知らん」
本人たちにも、理由は分からない。
嫌いで、敵で、殺したい。
だが、他人に殺されるのは許せない。
それで二人の中では成立していた。
「まあいい、今日は私が殺す」
クロエが太刀を構え直す。
「断る、今日は私が貴様を殺す」
アスラの周囲へ何重もの魔法陣が広がった。
銀髪が橋へ走り、紫髪が宙へ舞い上がる。
二人は同時に最大出力を叩き込んだ。
「死ね!」
「貴様がな!」
轟音とともに、残っていた石橋の中央が吹き飛んだ。
クロエとアスラは、互いの攻撃を受けて正反対の方向へ弾き飛ばされる。切断された腕と脚、砕けた石材も巻き込まれ、すべてが谷の中へ落ちていく。
霞の向こうには、分かつ河。
落下を始めた二人は、一瞬だけ互いの顔を見た。
「お前のせいだ!」
「貴様だろうが!」
その怒鳴り声も、やがて深い谷の中へ消えていった。




