第五十五話 教授は、聖者が一人になる場所まで観察してしまう【一般公開版】
館の増築が始まった。
「まだ増やすのですか?」
ティセラが聞いた。
「増やす」
ノアは丸太へ印を付けている。
「今でもかなり大きいと思いますが」
「僕にはね」
「では何故?」
ノアは館を見る。
最初。エヴァ。
次。シズク。リーゼ。ティセラ。
「また誰か落ちてくるかもしれない」
ティセラは、少し黙った。確かに、全員、偶然ここにいる。次がないとは言えない。
増設するもの。客室。ティセラの研究室。医療用の小部屋。資材庫。漂着物の一時保管用土間。浴室周辺も広げる。
「私の研究室まで?」
「必要でしょ」
「かなり」
「なら作る」
リーゼが図面を見る。
「窓は二つ。魔法実験をするなら換気が必要だ」
ティセラ。
「遮蔽結界も欲しいですね」
ノア。
「壁も厚くしよう」
シズク。
「また部屋が増えますね」
エヴァ。
「次は何人来るかな」
リーゼ。
「楽しみにするな!」
その日、ティセラはノアの行動を追った。
木材。工作。畑。水路。結界。工具。保存蔵。
昼食。
また工作。
ノアが、自分だけで谷底生活のすべてをしているわけではない。しかし、ほぼ全部に少しずつ関わっている。
午後。
ノアが、館とは反対方向へ歩き始めた。
ティセラは首を傾げた。
生活圏から外れる。水場からも離れる。畑からも。保存蔵からも。ただし、結界から大きく離れない。
林の中。午後の陽射しが木漏れ日となって落ちる、館からも水場からも離れた一角。
ノアは足を止め、後ろを振り返った。
「ティセラ」
木の陰から白衣の裾が見えている。
しばらくして、ティセラが姿を現した。
「気づいていましたか」
「途中からね」
「ここで何をするのです?」
「一人になる」
「何故です?」
「館にいると、誰かに影響を与えるかもしれないから」
ティセラは眼鏡を押し上げた。
「休息ですか?」
ノアは答えにくそうに視線を逸らす。
その反応だけで、ティセラは理解した。
「ああ」
「分かったなら戻って」
「観察は?」
「私生活です」
「生理現象でしょう?」
「そうだけど、観察しないで」
ティセラは少し考えた。
「何故、相手へ頼まないのです?」
「皆、自分の都合があるから」
「断られたら?」
「自分でどうにかする」
「それだけ?」
「それだけ」
ティセラは、しばらくノアを見る。
「意外です」
「何が?」
「あなたの身体特性を考えると、周囲の女性へ欲求を押しつける方が、生物としては自然です」
ノアの顔が少し真面目になる。
「だからしたくないんだよ」
「逆に?」
「僕の身体が、そういう方向に相手を引っ張るから。だから自分の欲求まで相手へ負担させたくない」
ティセラは紙へ書いた。
『強い身体的欲求と対人的抑制が同時に存在』
ノアが覗く。
「今書く?」
「忘れるので」
「せめて館で書いてよ」
「では、先に戻ります」
「そうして」
歩き出してから、ティセラが振り返った。
「観察対象との適切な距離について、再検討します」
「ぜひそうして」
館へ戻ると、エヴァが木材を運んでいた。
「何してた?」
ティセラ。
「聖者の私生活を観察しようとして、拒否されました」
ノア。
「ティセラ!」
リーゼが即座に振り向く。
「教授! 私生活だ!」
「認識を改めました」
シズクが小さく聞く。
「どこで?」
「場所を聞くな!」
エヴァだけが声を上げて笑った。




