第五十四話 大尉は、寝室でも上官になってしまう【一般公開版】
人数が増えた。最初は。ノア。エヴァ。二人。そこへシズク。リーゼ。ティセラ。五人。
館は大きい。
だが、最初から五人で暮らすために作ったわけではない。
「工房を分けたい」
ノアが言った。
朝食後、机の上には簡単な図面。
現在の工房では。木工。金属加工。魔宝石加工。漂着物の分解。全部を同じ場所でやっている。
「危険だ」
リーゼが即答した。
「魔法実験の横で木屑を飛ばすな」
ティセラ。
「私も賛成です」
エヴァ。
「広くすりゃいいんだろ?」
「雑だ!」
リーゼが図面を指す。
一つ。「木工区画!」 二つ。「金属工作!」
三つ。「魔法研究!」 四つ。「回収品の仮置場!」
ノアが笑った。
「リーゼ、楽しそうだね」
「当然だ!」
リーゼは完全に指揮官の顔になっていた。
「聖者! 支柱はそっちだ!」
「はい、大尉」
「返事が軽い!」
「普通に返しただけだけど」
「もっと真剣に!」
エヴァが笑う。
「女上官だな」
リーゼが振り返る。
「小官は本当に上官だ!」
「寝る時も?」
「何の話だ!」
「聖者、そういうの好きそうだぞ」
ノア。
「エヴァ」
「顔が否定してないぞ」
「作業しよう」
リーゼの顔が、少し赤い。
午前。工房。
午後。便所の増設。
個室を増やす。手洗い用の水。換気口。虫除けの魔宝石。肥溜めへつながる排水。
ティセラは魔宝石を見ながら言う。
「害虫避けは範囲を絞った方がよいでしょう」
ノア。
「どうして?」
「分解に有益な小型生物まで排除する可能性があります」
リーゼ。
「便所に有益な虫がいるのか」
ティセラ。
「います」
リーゼは嫌そうな顔になった。
「便所の話が高度になってきたな」
シズク。
「毎日使いますから」
エヴァ。
「野で尻出すよりいいぞ」
リーゼ。
「比較対象をまともにしろ!」
夕方には、工房の骨組みも、便所の増設部分も、ほぼ形になった。
「明日は屋根かな」
ノアが言う。
リーゼは満足そうだった。
「悪くない」
エヴァ。
「今日は大尉殿がご機嫌だな」
「仕事が予定通りだからだ」
「じゃあ夜も指揮するのか?」
「エヴァ」
「何だ」
「黙れ」
夜だった。
リーゼはノアの寝室の前で、三度深呼吸をした。
軍服ではない。今日は特別にあつらえた濃紺の制服を着ている。上官としての威厳を保つための正装だ。少なくとも、リーゼはそう信じていた。
ノックを三回。間隔は正確に。
「開いてるよ」
リーゼは勢いよく扉を開けた。
「聖者! 今夜は小官の命令に従ってもらう!」
ノアはベッドの端に座ったまま、静かにリーゼを見た。
「大尉殿。命令の内容を聞く前に確認するけど」
「何だ!」
「リーゼ自身が望んでる?」
勢いよく開いた口が、そのまま止まった。
顔が赤くなる。
「……望んでいる」
「途中でやめたくなったら?」
「命令を撤回する」
「分かった」
ノアが立ち上がる。
リーゼは少しだけ安堵し、すぐに指揮官の顔へ戻った。
「では最初の命令だ。扉を閉めろ!」
「仰せのままに、大尉殿」
扉が閉じた。
その後もリーゼは、寝室の中で最後まで上官だったらしい。
ただし、どちらが主導権を握っていたのかについて、翌朝の二人の証言は一致しなかった。
翌朝。
リーゼは、食卓へ来た時から全員と目を合わせなかった。
エヴァ。
「大尉殿」
「殺すぞ」
「まだ何も言ってない」
「言う顔をしている!」
シズク。
「命令する方が落ち着くのですね」
リーゼが顔を上げる。
「何故知っている!」
「聞こえましたので」
「館の壁を厚くしろ!」
ノアが外から答える。
「増築する時に考えとく」
「聖者は答えるな!」
ティセラが紙を取った。
「緊張時に職業的人格へ退避する傾向――」
リーゼが奪う。
「書くな!」
「興味深いですが」
「興味を持つな!」
エヴァ。
「寝室でも大尉か」
「うがあああっ!」
朝の館へ、いつもの叫びが響いた。
ノアだけは、軒下で少し楽しそうに朝食を食べていた。




