第四話 奪われる事、委ねる事【一般公開版】
その夜、シズクはなかなか寝つけなかった。
身体は疲れているのに、頭が妙に冴えている。新しい環境。巨大な館。エヴァという女戦士。そしてまだ見ぬ聖者。
どれほどの時間が経っただろうか。行灯の火も消え、あたりは深い闇に包まれていた。
そのときだった。
遠くで、何か音がしたような気がした。
最初は風かと思った。谷底を吹き抜ける夜風が、壁に反響しているのだと。だが、耳を澄ますと、確かに声がする。低く、くぐもった、それでいて切迫した声。
怖かったが、それ以上に確かめたかった。
シズクは布団から抜け出した。着物の襟を合わせ、音を立てぬように障子を開ける。真っ暗で何も見えない。シズクは足音を忍ばせて廊下を進んだ。
館の奥へ進むにつれて、声ははっきりしてくる。ふたつの声だ。ひとつはエヴァ。もうひとつは、もっと低く、腹の底に響くような声。
廊下の突き当たりに、大きな扉があった。他の扉より頑丈そうで、閂までついている。わずかに開いていた隙間から、橙色の灯りが漏れていた。
足音を忍ばせて近づく。心臓がうるさい。覗いてはいけない。そう思いながら、足は止まらなかった。
シズクは息を殺して、その隙間から中を覗いた。
広い部屋だった。床には分厚い敷物が敷かれ、壁際には大きな寝台がある。その寝台の上で、ふたりの人影が絡み合っていた。
エヴァと、巨大な鬼だった。
エヴァは仰向けに寝かされ、長い四肢を大きく開いている。戦士の身体だ。引き締まった太腿と、鍛え上げられた腕が、橙色の灯りに照らされて汗に光っていた。
鬼の背中は信じられないほど広く、皮膚は赤銅色で、盛り上がった筋肉のひとつひとつがはっきりと見えた。腕はシズクの胴ほども太い。その巨大な身体が、エヴァの上で律動していた。
エヴァの口から漏れるのは、もはや言葉ではなかった。濁った音だけが、喉の奥から絞り出されるように断続的に溢れている。男口調の痕跡はどこにもない。ただ雌として、受け入れるだけの声だった。
何度も達したあとだ。シズクにはなぜか、それがわかった。エヴァの腹は痙攣を繰り返し、腰は小刻みに震え、だらしなく開かれた口の端からは唾液が一筋伝っている。
「ノア……」
かすれた声で、それだけがようやく聞き取れた。
鬼は何も言わない。ただ、ゆっくりと、深く、エヴァの中を確かめるように腰を動かしている。まるで、傷つきやすい宝物を扱うかのような慎重さで。
シズクは、その光景をただ見つめていた。
わかったことがある。
エヴァは、この鬼を信頼している。自分のすべてを預けられるほどに、深く。そして鬼もまた、エヴァの信頼に応えている。優しく、時に激しく、エヴァが求めるままに。
そのときだった。
エヴァの目が、ゆっくりと開かれた。
ついさっきまで快楽に溺れきっていた瞳が、少しずつ焦点を取り戻していく。深い余韻の中から浮上するように、エヴァはゆっくりと瞬きを繰り返した。
そして、その目が障子の隙間を捉えた。
「……シズ……ク…?」
かすれきった声が、シズクの名を呼んだ。
シズクの心臓が凍りついた。逃げようにも、脚が動かない。エヴァの目は、まだ潤み、焦点も完全には定まっていない。それでも、まっすぐにシズクを見ていた。
「見て……たのか……」
エヴァの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。羞恥でも、怒りでもない。どこか照れくさそうな、それでいて受け入れたような笑みだった。
「シズク……」
水たまりの中に横たわったまま、エヴァがかすれた声でシズクの名を呼んだ。その声は、もうほとんど濁った音と見分けがつかないほど掠れている。
「大丈夫……こいつは……俺の男だ……」
その声には、誇りがあった。傷だらけの女戦士が、それでも胸を張って言える、確かな誇りが。
「入って……こいよ……」
エヴァの声は優しかった。戦場で敵と斬り結ぶときとはまったくちがう、仲間に向けるような声だった。
そのとき、ノアもまた振り返った。金色の瞳が、エヴァの視線の先を追い、障子の隙間を捉える。
「シズク、そこにいたんだね」
声は低く、それでいてとても穏やかだった。咎めるような響きは、ひとかけらもない。
「エヴァが呼んでいる。よかったら、入ってきてくれないか」
シズクはおそるおそる部屋の中へ足を踏み入れた。エヴァを支える鬼の肉体の圧倒的な存在感。
「ひっ……」
シズクは反射的に戸を閉めた。逃げなければ。そう思う。だが。膝から力が抜けた。その場へぺたりと座り込む。
「ち、違います……! 私は、その、エヴァが襲われているのかと……!」
言い訳しながら立とうとする。立てない。四つん這いになって逃げようとしても、手足が震えて進めなかった。
背後で、戸が開く音がした。
「シズク」
エヴァの声だった。
少し時間が経っていた。振り向けない。
「申し訳ございません……」
「怒ってない」
エヴァが笑った。
「そんなに震えるな、驚かせたなら、悪かった」
大きな手が、シズクの肩へ置かれた。昼間と同じ手だった。
「少し待ってろ」
「え……?」
「身体がめちゃくちゃだ。あー、股からまだ垂れてくる。ちょっと洗ってくる。そのあと話そう」




