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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第一章 世界の果てⅠ

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第三話 国を奪われ、身体を奪われ、それでも【一般公開版】

夕食は、米によく似た穀物を柔らかく煮込んだものだった。白身魚と、細く刻んだ根菜が入っている。神殿で病人へ食べさせる粥に似ていた。


「これを、聖者様が?」


「お前の着ていた服を見て決めた」


「私の衣を見ただけで?」


「白い小袖、帯、草履、髪の結い方。自分が昔いた国に近い文化だろうと言っていた」


「聖者様の国にも、畳や障子があるのですか」


「あったらしい。お前を寝かせた和室も、聖者が自分で造った」


神が自分のために用意した部屋ではなかった。別の世界から来た男が、かつて暮らした故郷を思い出しながら造った部屋だった。


「聖者様は、どこの国から来たのですか」


「国じゃない。別の世界だ」


「別の世界……」


「魂だけがこの世界へ来て、今の身体を得たらしい。転生者というそうだ」


シズクには、神話よりも理解しがたい話だった。


食事を進めながら、シズクはエヴァの過去について尋ねた。


「エヴァは、以前は何をなさっていたのですか」


「王女だ」


「おうじょ……?」


聞いたことのない言葉だった。シズクが首を傾げると、エヴァは少し考えた。


「国を治める王の娘だ。戦では兵を率いた。父や兄たちが死ねば、俺が国を継ぐ立場だった」


シズクは匙を取り落とした。


国を治める血筋。兵を率い、国そのものを受け継ぐ立場。シズクの国には、それに当たる身分も言葉もない。ただ、神殿の長や豪族などとは比べものにならない、いと尊き御方なのだと理解した。


椅子から滑り落ちるように床へ降り、額をつける。


「数々の無礼、どうかお許しくださいませ」


「何をしている」


「そのような尊き御方とは知らず、同じ卓につき、名をお呼びし、その上、世話までさせてしまいました」


「顔を上げろ」


「どうか、命ばかりは」


「なぜ命乞いになる」


エヴァは立ち上がると、シズクの襟首をつかんだ。そのまま片手で軽々と引き起こす。


「俺はもう王女じゃない」


「ですが」


「ここに俺の国はない。お前の神殿もない。俺は王女じゃなく、お前も生け贄じゃない」


エヴァはシズクを椅子へ戻した。足が床につかず、ぶらぶらと宙に浮いた。


「同じ場所へ落とされて、生き残った女同士だ。それで十分だろう」


シズクは目を伏せた。


「エヴァは、なぜ大穴から落とされたのですか」


今度は、エヴァが黙った。


大きな手が、卓の上でゆっくり拳を作る。


「戦に負けた」


声は静かだった。


「国を奪われ、俺は捕虜になった。王の娘だったからな。敵にとっては、殺すより生かしておく方が価値があった」


捕らえられた後、エヴァは幾度となく辱めを受けた。敵兵たちは、彼女を一人の人間として扱おうとはしなかった。


最初は人間の兵たちだった。


エヴァは、心の中で自分の名を繰り返した。


エヴァ。王の娘。兵を率いた者。敵の玩具ではない。


その後は、魔物の群れ、動物だった。


人質の命と引き換えだった


それでも、エヴァは敵の望む言葉を一度も口にしなかった。


許してくださいとは言わなかった。


従いますとも言わなかった。


兵の配置を教えろと迫られても答えなかった。


逃げ延びた者たちの居場所を吐けと言われても、口を閉ざした。


「苦しくは……なかったのですか」


シズクは震える声で尋ねた。


「苦しかったに決まってるだろう」


エヴァは即座に答えた。


「痛かった。怖かった。身体が勝手に震えた。声も出た。泣いたことだってある。何度も気を失ったし、いっそ殺せと思った夜もあった」


それでも、屈するのとは別だとエヴァは言った。


身体を押さえつけられれば、動けない。


耐えきれない苦痛を与えられれば、声も出る。


恐怖に涙が流れることもある。


それは敗北ではない。


「俺の身体をどう扱うかは、鎖を持った連中が決めた」


エヴァは淡々と言った。


「だが、俺があいつらを主人と認めるかどうかは、俺が決める」


敵兵が求めたのは、最後には身体ですらなかった。


彼らが欲しかったのは、エヴァ自身の意思だった。


許してください。


もう逆らいません。


あなた方が主人です。


国などどうでもいい。


その言葉を、エヴァ自身の口から言わせたかった。


だからエヴァは、言わなかった。


頭を下げろと言われても、首が動く限り顔を上げていた。


見物する兵たちの顔を、一人ずつ覚えた。


誰が笑ったか。


誰が命令したか。


誰が酒を飲みながら眺めていたか。


誰が止めようとしなかったか。


全部、覚えた。


「俺を見世物にするなら、俺もお前らを見る。そう決めてた」


声を出せる間は敵を罵った。


声が出なくなれば笑った。


笑う力さえ失えば、心の中で自分の名を繰り返した。


エヴァ。


王の娘。


兵を率いた者。


国を守るために剣を取った者。


敵の玩具ではない。


壊れれば捨てられる物でもない。


「最後の方じゃ、向こうが俺を見るのを嫌がってたよ」


エヴァは薄く笑った。


「何をしても、俺が『はい』と言わんからな」


やがて身体は衰弱し、自力では立てなくなった。


それでも、敵兵が顔を覗き込めば目を開いた。


まだ見ている。


まだ覚えている。


まだ、お前を主人とは呼んでいない。


その目だけは、最後まで変わらなかった。


「最後には、大穴へ捨てられた」


エヴァは言った。


「壊れても屈服しない女なんぞ、見ていて気分が悪かったんだろうさ」


傷だらけの身体で、魔界の大穴へ運ばれた。


断崖の前で、最後にもう一度だけ命を惜しめと言われた。


頭を下げろ。


負けを認めろ。


新しい主人を認めろ。


そうすれば助けてやると。


「俺はもう、まともに声も出なかった」


エヴァは自分の喉へ触れた。


「だから笑ってやった」


その直後、断崖から突き落とされた。


シズクは膝の上で両手を握りしめていた。


「どうして、そこまで……」


「俺が屈したら、あいつらは俺だけじゃなく、俺について戦った兵も、最後まで国に残った民も、皆まとめて屈服させたつもりになる」


エヴァはシズクをまっすぐ見た。


「国は奪われた。身体も好きにされた。それでも、俺が俺であることまで渡す理由はない」


その声には、傷つかなかった者の強がりはなかった。


壊れなかったわけではない。


今でも思い出す夜はある。


触れられることが怖かった時期もあった。


それでも、壊されたままで終わることを拒んだ。


「それで、谷底へ落ちた俺を、聖者が助けた」


「聖者様が」


「ああ」


エヴァの表情が少し和らいだ。


「最初は、目を覚ましてすぐ殴りかかったがな」


「殴りかかったのですか」


「ああ。素手でな」


シズクは目を瞬いた。


つい先ほどまで聞いていた話では、エヴァは自力で立つことさえできないほど傷ついていたはずだ。


だが、そのことを尋ねるより先に、エヴァは話を続けた。


「聖者は殴り返さなかった。傷を治し、飯を食わせ、別の部屋を用意した。俺が自分から手を伸ばすまで、何もしなかった」


エヴァは椀を持ち上げた。


「だから俺は、もう一度、自分の身体を自分のものとして取り戻せた」


その言葉の意味を、シズクはまだ完全には理解できなかった。

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