第三十九話 教授は、聖者がすでに世界を考えていたと知る
「まず、世界について確認したいのですが」
朝食の後。
ティセラは食堂の長机いっぱいに紙を広げた。
エヴァ。シズク。リーゼ。そしてティセラ。
ノアだけは、開け放した扉の向こう。軒下に置いた大きな机へ座っている。女性が四人になった以上、以前よりさらに距離を取るようになった。必要な話には参加する。だが、館の中へ長く留まらない。自分が近くにいるだけで、女たちの身体へ影響を与える。そのことを、ノア自身が、誰より気にしている。
「世界?」
エヴァが聞いた。
「ええ」
ティセラは紙へ大きな円を描こうとして、途中で止めた。
「ですが」
ノアを見る。
「これは、聖者がすでに考えているのですよね」
「考えただけだけどね」
「シズクさんも知っている?」
エヴァが答えた。
「こいつが落ちてきた翌日に俺が説明した」
シズクも頷く。
「はい」
あの日、大瀑布の前で、エヴァが土へ大きな円を描いた。世界そのものが、巨大な断崖に囲まれているのではないか。
エヴァの国では、水のない乾いた断崖、魔界大穴と呼ばれていた。
シズクの国では、そこへ川が流れ込み、世界の果ての、神の大瀑布となる。
上から落ちてくる荷物や生き物には、どちらの地域にも存在しないものがある。ならば、自分たちが「世界」と呼んでいた土地は、本当の世界の、ごく一部分でしかないのではないか。それが、ノアが谷底で考えていたことだった。
ティセラは紙へ四つ書く。
魔界大穴。神の大瀑布。世界壁。牙塔。
リーゼが紙を覗く。
「小官の世界壁も、同じ巨大断崖の一部だと?」
「可能性があります」
「牙塔も?」
「それを確認したいのです」
シズクが首を傾げる。
「牙塔は、山では?」
「巨大な天然岩峰です。ただ」
ティセラは簡単な図を描く。
「巨大断崖の一部が、周囲より突き出していたと仮定すれば」
ノアが外から続けた。
「見る側からは、巨大な塔に見えてもおかしくない」
「はい」
リーゼが二人を見る。
「話が早いな」
エヴァが笑う。
「聖者と教授だしな」
ノアが首を振る。
「僕は教授じゃないよ」
ティセラが真顔で聞いた。
「では聖者は、元の世界では何だったのです?」
「普通の人」
沈黙。
ティセラが、ゆっくり眼鏡を押し上げた。
「普通の人が」
水路。濾過槽。冷蔵設備。水力洗濯装置。農業設備。建物。衛生設備。簡単な機械。
それらを見る。
「これだけの分野を?」
「知ってることを、失敗しながら試しただけだよ」
リーゼが鼻を鳴らした。
「貴様の世界の一般人は信用できん」
「リーゼまで」
ティセラは今度は、五つの名前を書く。
エヴァ、シズク、リーゼ、ティセラ、ノア。
「比較対象は五名です」
シズクが聞いた。
「聖者も?」
「むしろ聖者が重要です」
ティセラはノアを見る。
「私たち四人は、上から物理的に落ちてきました」
「そうだね」
「聖者は?」
「前世で死んで、気づいたらここでオーガだった」
「つまり」
ティセラは紙へ線を引く。
「私たち四人については、同じ巨大世界の遠く離れた地域から落ちてきた可能性がある」
リーゼが頷く。
「聖者の前世だけは、本当に別世界かもしれない」
「はい」
ティセラはきっぱり言った。
「ですから、最初から五つの世界とは呼びません」
エヴァが頭を掻く。
「学者は細かいな」
「正確です」
「それを細かいと言う」
「褒め言葉として受け取ります」
ティセラは項目を書き始めた。
世界の形。天体。魔法。科学。知的種族。人体。生態系。宗教。国家。戦争。武器。出生。性別。婚姻。性行動。
最後まで見たリーゼが。
静かに手を上げた。
「教授」
「はい」
「最後の三つを消せ」
「消しません」
「即答するな!」
エヴァの口元が上がる。
シズクはため息をついた。
「嫌な予感がします」
「出生と性別は社会構造へ直結します」
リーゼ。
「性行動は?」
「当然、文化比較に必要です」
「当然と言うな!」
エヴァが笑う。
「いいじゃねえか」
リーゼ。
「貴様は嬉しそうにするな!」
シズクが静かに言う。
「リーゼ、諦めた方が早いと思います」
リーゼがシズクを見る。
「お前はいつからそんな側になった!」
シズクは少し考え。
「谷底へ来てから?」
「自覚があるのか!」
ノアが外で笑った。
ティセラは筆記具を持ち直す。
「では」
眼鏡の奥が、完全に教授の目になった。
「聖者の仮説が、どこまで成立するか比べてみましょう」




