第三十八話 魔宝石を知っている教授は、牙塔から落ちてきた
ティセラは眼鏡を外した。
細い銀色の枠。透明な板。見た目だけなら、リーゼの知る眼鏡と、それほど変わらない。
「これが?」
リーゼが聞く。
「ええ」
ティセラは眼鏡を持ち上げる。
「研究者用多重防護眼鏡です」
シズクが首を傾げる。
「眼鏡が身体を守るのですか?」
「正確には、眼鏡そのものではありません」
ティセラは枠を指で示す。
「術式の中枢と、魔力供給用の小型魔宝石が組み込まれています」
シズクの目が少し大きくなった。
「魔宝石?」
「ええ」
「分かるのですか?」
今度はティセラが首を傾げた。
「何をです?」
「魔宝石です」
「当然でしょう」
シズクがエヴァを見る。
「エヴァ」
「ああ」
エヴァも笑う。
「初めてだな」
リーゼが眉を寄せる。
「何がだ」
シズクは少し嬉しそうだった。
「説明しなくても魔宝石が通じる人です」
ティセラがますます分からない顔になる。
「魔宝石を知らない方がいるのですか?」
リーゼが手を挙げた。
「小官の国にはない」
「ない?」
「ああ」
「人工生成品も?」
「そもそも魔法がない!」
ティセラが止まった。
リーゼも止まる。
互いに見る。
「……魔法がない?」
「ない!」
「どうやって生活しているのです?」
「電気だ!」
「電気?」
今度はティセラが分からない。
リーゼの口元が、わずかに上がった。
「ふっ」
エヴァが気づいた。
「嬉しそうだな」
「何がだ!」
「自分だけ分からない側じゃなくなったから」
「うるさい!」
ティセラは眼鏡を掛け直した。
「この防護具には、衝撃、熱、毒性物質、腐食性物質への防御術式があります」
リーゼが寝台脇に置かれた、溶けた服を見る。
「だから服だけ溶けたのか?」
「そのようですね」
「身体全体を守るのに、何故眼鏡なんだ」
「携帯しやすいからです」
「杖では駄目なのか」
「登山中に杖を失う可能性があります」
「指輪は?」
「術式容量が足りません」
「首飾り」
「研究作業中に邪魔です」
リーゼが黙る。
ティセラは続ける。
「眼鏡なら、視力補助と術式演算補助も兼用できます」
リーゼの表情が変わる。
「演算補助?」
「ええ」
「計算を助けるのか?」
「魔力流量、術式強度、角度補正などを」
リーゼが前へ出た。
「見せろ」
「嫌です」
即答だった。
「何故だ!」
「高価です」
「取らん!」
「先ほど銃を没収されたと聞きましたが」
「誰から聞いた!」
エヴァが笑っている。
「俺」
「貴様あああっ!」
◇
しばらくして、ティセラは館の中を見回した。視線が、棚の上で止まった。
冷気を発する魔宝石。
「ああ」
あまりにも普通に言う。
「低温系ですね」
シズクが勢いよく振り返る。
「分かるのですか!」
「ですから、何がです?」
「あれです!」
「低温系魔宝石でしょう?」
「そうです!」
シズクの顔が明るい。
「本当に通じています!」
エヴァも笑った。
「こりゃ便利だ」
ノアも戸口から尋ねた。
「どういう仕組みなの?」
ティセラの目が、初めて大きく変わった。
「仕組み?」
「うん」
「知りたいのですか?」
「もちろん」
「魔宝石を使っているのに?」
ノアは頷いた。
「使い方は分かる。でも、どうして冷えるのかは分からない」
ティセラがゆっくり、眼鏡を押し上げた。
「なるほど」
声が変わる。教授の声になった。
「それなら、説明のしがいがありますね」
リーゼも寄ってくる。
「小官にも分かるように説明しろ」
ティセラが見る。
「魔法が存在しない国の方に?」
「ああ」
「基礎魔力学から必要ですが」
「やれ」
「長くなりますよ」
「構わん」
ノアも楽しそうに言う。
「僕も聞きたい」
ティセラが少しだけ笑った。
「では」
指を上げる。空中へ。光の線が走った。
「まず、魔宝石とは何か、から始めましょう」
シズクは、それを見ながら思った。
今まで、聖者が説明する側だった。リーゼが説明することも増えた。そして今、また一人。
この谷底に、知らない世界を説明できる人が増えた。
その後。
説明の休憩中。
リーゼがティセラを見る。
尖った耳。眼鏡。魔法。教授。
「ところで」
「何でしょう」
「貴様は」
リーゼが指を差した。
「本当にエルフなのか?」
ティセラが自分の耳を触った。
「見れば分かるでしょう」
「本当にいるのかああああっ!」
ティセラが眉を寄せる。
「何がです?」
「エルフが!」
「いますけど」
「御伽話だろおおおおっ!」
「何を言っているのです?」
シズクはリーゼの肩へ手を置いた。
「リーゼ」
「何だ!」
「今日も平常運転ですね」
「うがあああっ!」
第四の漂流者。王立魔法学院教授。魔法科学者。エルフ。
ティセラ・アルクノート。
こうして谷底には、魔法を不思議な力としてではなく、測り、分類し、仕組みを説明する学問として扱う者が。
新たに加わった。




