第三十七話 牙塔から落ちてきた教授は、何匹に食べられたのか
女が目を覚ましたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
最初に指が動いた。次に眉が寄る。そして目が開く。
淡い緑色。
「……ここは」
シズクがすぐに身を乗り出した。
「起きました?」
女がシズクを見る。
エヴァを見る。
リーゼを見る。
最後に、少し離れた戸口にいるノアを見る。
目を細める。
そして。
自分の服を見る。
「……私の服は?」
最初の質問がそれだった。
リーゼが答えた。
「溶けた」
「なるほど」
「納得するのか!?」
女は身体を起こそうとして、顔をしかめた。
「無理をしないでください」
シズクが身体を支える。
「かなり弱っています」
「そのようですね」
エヴァが温かい椀を差し出す。
「飲め」
女が中を見る。
「これは?」
「薬湯」
「成分は?」
エヴァが止まった。
シズクが答える。
「薬草を煮たものです」
「どの薬草を?」
今度はシズクが止まる。
リーゼが眉を上げた。
「……その確認は正しい」
「リーゼが味方になりました」
「当然だ! 口に入れるものの中身くらい確認する!」
戸口からノアが使った薬草を一つずつ説明した。女は静かに聞き。ようやく椀へ口をつけた。
一口。
「……問題ありません」
「よかったです」
しばらくして、顔色が少し戻る。
エヴァが腕を組んだ。
「名前は?」
女は椀を膝へ置く。姿勢を整えた。
「ティセラ・アルクノート」
眼鏡を直す。
「王立魔法学院、魔法科学科教授です」
リーゼが反応した。
「教授?」
「ええ」
「教師か?」
「研究と教育の両方を行っています」
シズクが首を傾げる。
「魔法科学?」
「魔法現象を、観測し、記録し、再現可能な法則として解析する学問です」
リーゼの表情が変わった。
「科学?」
「ええ」
「魔法なのに?」
ティセラが首を傾げる。
「何かおかしいですか?」
「そこが一番おかしい!」
「変な方ですね」
「貴様に言われたくない!」
互いの自己紹介を終える。
シズク。
神の大瀑布から落とされた巫女。
エヴァ。
魔界大穴へ捨てられた元王族。
リーゼ。
世界壁を飛行機で越えようとして墜落した帝国航空隊大尉。
ノア。
谷底に暮らすオーガの聖者。
途中から。ティセラは眼鏡を外して布で拭き始めていた。
「……少し待ってください」
「何だ?」
リーゼが聞く。
「皆さん」
ティセラは順番に顔を見る。
「それぞれ、違う場所から落ちてきたのですか?」
「ああ」
エヴァが答える。
「なのに同じ谷底へ?」
「そうらしい」
ティセラは黙った。やがて指を空中へ走らせる。淡い光が残った。
リーゼが目を見開く。
「何だそれは!」
「簡易描画術式です」
「魔法か!?」
「説明中なので静かにしてください」
「貴様!」
ティセラは構わず、光で巨大な盆地のような形を描いた。
「私のいた地域には」
その一端、高く尖った線。
「牙塔があります」
シズクが聞く。
「牙塔?」
「巨大な絶壁と岩峰からなる山塊です。塔と呼ばれていますが、人工物ではありません」
リーゼが身を乗り出した。
「高さは?」
「正確には未測定です」
ノアも興味を示す。
「そこに登ったの?」
「はい」
「どうして?」
ティセラは当然のように答えた。
「最高点付近に未観測領域があるからです」
沈黙。
エヴァが言った。
「馬鹿だな」
ティセラの眉が動く。
「学術的探究です」
「死にかけてるじゃないか」
「研究には危険が伴います」
リーゼが頷く。
「その考え方は分からなくもない」
シズクが二人を見る。
「分かってはいけないところでは?」
ティセラは続けた。
「最高点には、ほぼ到達しました」
「ほぼ?」
「峰で足場が崩れました」
全員が黙る。
「そのまま滑落しました」
シズクが聞く。
「それで、この谷底まで?」
「途中までは記憶があります」
ティセラは淡々としている。
「落下中、飛竜に丸呑みにされました」
リーゼの顔が引きつった。
「……飛竜」
「その後、飛竜ごとさらに大型の竜種に捕食されたようです」
エヴァの口元が上がる。
「その後も?」
「衝撃を数回感じました」
ノアが聞く。
「つまり、捕食した生き物ごと別の生き物に?」
「可能性は高いでしょう」
シズクが言った。
「入れ子ですね」
リーゼが頭を抱える。
「人間を入れ子の人形みたいに言うな」
ノアが反応した。
「マトリョーシカみたいな?」
リーゼの顔が上がった。
「貴様も知っているのか!」
「うん」
「そうか!」
また、機嫌がよくなる。
エヴァが呆れた。
「お前、聖者と共通知識を見つけるたび嬉しそうだな」
「うるさい!」
ティセラだけが首を傾げる。
「まとりょーしか?」
「今はいい」
リーゼが即答する。
ティセラは少し考え。
「ともかく」
眼鏡を直した。
「最低でも二度。おそらく三度以上は、大型生物による捕食を受けています」
リーゼが顔をしかめた。
「それで何故、貴様だけ無傷なんだ」
ティセラは自分の眼鏡へ触れた。
「それについては」
少し誇らしげに。
「説明できます」




