第三十四話 牙塔の麓では、雄大な自然が今日も何かを食べている
「うがあああっ!」
朝食の席で、リーゼが叫んだ。
シズクは手元の皿を見る。
黒パン。薄く切った燻製肉。葉野菜。卵。
リーゼが作った、さんどいっち。一口食べる。普通に美味しい。
「リーゼのさんどいっち、美味しいですよ?」
「違うだろ!」
向かいではエヴァも同じものを食べていた。
「俺もそう思うぞ。最近は調味料を間違えなくなったしな」
「そこでもない!」
「では何ですか?」
リーゼは両手を卓についた。
「館の規律はどうしたんだ!」
シズクは瞬きをした。
「リーゼが守れていませんよ」
「そうなんだよ!」
即答だった。
リーゼは頭を抱えた。
「この前は当たり前のように館の中を全裸で歩いてしまった! 小官がだぞ! 帝国航空隊大尉の小官がだぞ!」
エヴァがパンを噛みながら言う。
「別に誰も困らなかったぞ」
「小官が困っている!」
「その時は困ってなかったじゃないか」
「後から困ったんだ!」
シズクは汁物を飲む。
「リーゼ、今日も平常運転ですね」
「どこが平常だ!」
開け放した戸の向こう。
館から十分に離れた巨大な机で、一人朝食を取っていたノアがこちらを見た。
「リーゼ、何かあった?」
シズクが答える。
「いつものです」
「いつものではない!」
エヴァが笑う。
「谷底に馴染んだんだろ」
「こんな馴染み方があるか!」
リーゼは勢いよく立ち上がった。
「よし!」
シズクは嫌な予感がした。最近、この館で暮らしていると。誰かが突然「よし」と言った時には、大抵ろくなことにならない。
「弛んだ性根を鍛え直す!」
シズクはエヴァを見る。
「何か言っていますよ」
「ああ」
「聞け!」
リーゼは胸を張った。
「本日は小官が貴様らを鍛えてやる!」
エヴァが首を傾げる。
「俺も?」
「特に貴様だ!」
「何するんだ」
リーゼは大瀑布の方角を指差した。
「滝壺までの行軍とする!」
「何しに?」
「行軍だ!」
「だから何しに行くんだ?」
リーゼが止まった。
「……鍛錬だ」
「目的地に用事は?」
「ない!」
「なら畑やった方がよくないか?」
「軍事訓練とはそういうものではない!」
シズクも手を挙げた。
「洗濯があります」
「帰ってからだ!」
「リーゼの分もありますよ」
「それも帰ってからだ!」
遠くからノアが言った。
「結界の外に出るなら、気をつけてね」
「任せろ!」
リーゼは姿勢を正す。
「本日の指揮は小官が執る! 全員を無事に滝壺まで連れて行き、無事に帰還させる!」
ノアが少し考えた。
「でもリーゼが一番遅いよね」
沈黙。
エヴァが俯いた。肩が震えている。
シズクも口元を手で隠した。
「笑うなあああっ!」
半刻ほど後。
「待てええええっ!」
リーゼは後悔していた。
前方に、エヴァが走っている。速い。
その右脇には、シズクが抱えられていた。荷物のように。
「エヴァ!」
シズクが抗議する。
「私は自分で歩けます!」
「遅い!」
「今日は行軍訓練なのではありませんか!」
「リーゼのな!」
「私まで運ばれる理由になっていません!」
「早く着いた方が楽だろ!」
遥か後ろからリーゼの声。
「貴様らああああっ!」
エヴァが振り返る。
「遅いぞ、大尉殿!」
「上官を置いて行くなあああっ!」
「いつからお前が俺の上官になった!」
「本日の指揮官は小官だ!」
シズクはエヴァの小脇に収まったまま後ろを見る。
「リーゼー。もう少しですよー」
「他人事みたいに言うな!」
「頑張ってくださいー」
「貴様は走ってすらいないだろ!」
エヴァがさらに速度を上げた。距離が開く。
「待てえええっ! 上官を置いて行く者は銃殺刑だあああっ!」
シズクは首を傾げた。
「最近、じゅうさつけいばかり言いますね」
「ああ」
エヴァが答える。
「聖者とのプレイで気に入った言葉らしい」
「なるほど」
後方から。
「やめろおおおおっ!」
「違うそうですよ」
「照れてるだけだ」
「貴様ああああっ!」
リーゼの絶叫は。
大瀑布の轟音にも負けなかった。




