第三十話 世界壁の底で聖者本人に相談した
リーゼはノアと水車の改修をしていた。
屋外。十分な距離。作業時間も決めてある。
リーゼ自身が提案した安全手順だった。
「そこ、もう少し右」
ノアが言う。
「ここか」
「そう」
リーゼが金属部品を固定する。二人で作業を始めてから。思った以上に快適だった。
ノアの説明は通じる。圧力。回転。摩擦。熱。水量。力の伝達。知らない言葉もある。しかし概念を説明されれば理解できる。
ノアも自分が説明するたび、少し嬉しそうにする。それが、困る。
「リーゼ?」
「何だ」
「そこ締めすぎ」
「あ」
力を緩める。
集中しろ。帝国航空隊大尉だ。機械整備中に雑念を抱くな。
「疲れた?」
「問題ない」
「少し休もうか」
「必要ない」
「でも顔赤いよ」
リーゼが工具を落とした。
「これは暑いからだ!」
「今日は涼しいけど」
「うるさい!」
ノアが驚く。
リーゼは頭を抱えた。
違う。この男は何もしていない。距離も守る。必要以上に近づかない。触らない。目線すら気を使う。それなのに。だからこそ、余計に意識する。
「聖者」
「うん」
「質問がある」
「何?」
「貴様は」
止まる。言うのか。言わないのか。
「……エヴァ以外とも関係を持つつもりがあるのか」
ノアが固まった。
リーゼも固まった。
言ってしまった。
「いや、今のは一般論だ!」
「一般論?」
「共同生活上の確認だ!」
「そうなんだ」
「そうだ!」
沈黙。
リーゼの顔がさらに熱くなる。
「……シズクとは?」
「そういう関係じゃないよ」
「だが、あいつは覗いているぞ!」
「知ってる」
ノアは困ったような顔になる。
リーゼは耐えきれなくなった。
「では小官も貴様と関係を持てばいいのか!?」
沈黙。
水車だけが回った。
からからから。
リーゼは自分の口を両手で塞いだ。
ノアがゆっくり言う。
「……そうしたいの?」
「知らん!」
「リーゼ」
「分からんから聞いているんだ!」
完全に小官も消えていた。
「エヴァは好きにしている! シズクは見ている! 私は夜中に偶然見た! 昼間にも見た! 貴様は普段は紳士のように距離を取る! なのにあの女といる時だけ全然違う!」
「うん」
「うん、ではない!」
「ごめん」
「謝るな!」
「じゃあどうすれば」
「私が聞いている!」
「うーん」
ノアは真面目に考えた。
「何もしなくていいと思う」
リーゼが止まる。
「……何?」
「リーゼがしたいと思うまで、何もしなくていい」
「だが身体への影響があるのだろう」
「ある」
「なら、その結果なのかもしれん」
「だからこそ急がない方がいい」
リーゼは黙った。
ノアは続ける。
「僕の近くでそう思うのと、離れている時にもそう思うのか。それを確かめてからでいいよ」
「……貴様は」
リーゼは顔を背ける。
「そういうところが卑怯だ」
「え?」
「何でもない!」
その日の作業は。
予定より早く終わった。




