第二十八話 規律を正すつもりだったのに【一般公開版】
翌朝、リーゼは宣言した。
「この館には生活規則が必要だ」
朝食の席だった。
シズクがパンを食べる。
エヴァも食べる。
ノアは、いつものように遠くの屋外机。
「規則ならあるぞ」
エヴァが言った。
「不十分だ」
「何を追加する」
リーゼは指を一本立てた。
「共有空間では服を着る」
エヴァが首を傾げる。
「何で?」
「そこから説明が必要なのか!?」
二本目。
「夜間は他人の睡眠を妨害するほどの騒音を出さない」
エヴァが首を傾げる。
「魔物が来た時は?」
「そういう話ではない!」
三本目。
「共有設備を使用した者は、自分で後始末をする」
シズクが頷く。
「それは賛成です」
「だろう!」
「特に洗濯物について」
「そこなのか?」
エヴァは不満そうだった。
「面倒だな」
「共同生活には規律が必要だ!」
「俺たち一年これで暮らしてたぞ」
「だからだ!」
リーゼはその日の午前中、木板へ規則を書き出すつもりだった。
問題は、昼前に館へ戻った時に起きた。
甘い匂いがする。焼いたパン。何か煮込んでいる香り。台所からノアの声。そしてエヴァの声。リーゼは入口で止まった。
「……何をしている?」
返事がない。もう少し進む。
そして、止まった。
窓から差し込む午後の光が、石造りの台所を柔らかく照らしていた。
エヴァが機嫌よく鼻歌を歌いながら、まな板の上で野菜を刻んでいた。鍛え上げられた背中に、白いエプロンの紐が一本、きゅっと結ばれている。ただ、それだけだった。
「あなた、もうすぐできるから〜」
エヴァは振り返らずに言った。金の髪を一つに束ね、エプロンの裾が腰のあたりで揺れている。前かがみになるたびに、エプロンの横からこぼれそうな膨らみが、むにゅりと揺れた。
ノアは食卓の椅子に座り、金色の目を細めてその光景を見つめていた。
「おまえ、それで料理してるのか」
「ん? 何が?」
エヴァはきょとんとして振り返った。右手に包丁、左手に人参。裸の肩にエプロンの紐が食い込んでいる。胸元はエプロンから完全にはみ出していて、布地は張り裂けそうにぱんぱんだった。
「エプロンしか、着てないぞ」
「あ」
エヴァは自分の身体を見下ろした。鎖骨も、腹筋も、腿も、何もかもが丸出しだった。途端に、頬がほんのり赤くなる。
「きゃ〜!。すっかり忘れてた〜。朝からずっとこれで〜」
「おまえなあ」
しばらくして。
リーゼは廊下の壁へ背をつけたまま、顔を真っ赤にして俯いていた。
動かない。
シズクが洗濯物を抱えて帰ってきた。
「リーゼ?」
返事がない。
「どうしました?」
リーゼは震える指で台所を示した。
「……あれは何だ」
シズクが覗く。
「ああ」
「ああ、ではない!」
「今日は、新妻裸エプロンぷれいなのですね」
「なぜ理解できる!」
「エヴァから聞いたことがあります」
「聞くな!」
「私から聞いたわけではありません」
「知っていること自体がおかしい!」
リーゼは両手で顔を覆った。
「裸で料理をする必要がどこにある!」
エヴァの声が台所から飛んでくる。
「裸じゃないぞ!」
「ほとんど裸だ!」
「前掛けしてる!」
「それを服とは認めん!」
シズクが少し考える。
「聖者の前の世界では、そういう遊びがあったそうです」
リーゼがゆっくりシズクを見る。
「……遊び」
「はい」
「料理の?」
「違うと思います」
「分かっている!」
台所からノアが申し訳なさそうに言った。
「リーゼ、ごめん。すぐ着替えるから」
「貴様は謝るくらいなら最初から着ろ!」
エヴァが笑う。
「堅いなあ」
「貴様が緩すぎる!」
「俺は昔、服を着る着ないすら自分で決められなかったからな」
リーゼが止まる。
また、突然その話が来る。
エヴァは平然と続けた。
「今は脱ぎたい時に脱ぐ。着たい時に着る。最高だろ?」
リーゼは口を開く。閉じる。何を言えばいい。
その横でシズクは洗濯物を抱え直した。
「エヴァ」
「何だ」
「自由を満喫するのは構いませんが、今日の洗濯は自分でしてください。あと台所と食卓も、綺麗にしておいてくださいね」
「あ」
「私は知りません」
「シズク?」
「自由には責任が伴うのでしょう?」
リーゼが勢いよくシズクを見る。
「そうだ!」
初めて完全な味方を見つけた顔だった。
「それだ! 私が言いたいのは!」
シズクは頷く。
「ですから、規律より洗濯当番を決めましょう」
リーゼの表情が消えた。
「……そこへ戻るのか」
「重要です」
エヴァが笑った。
結局。
リーゼが書こうとしていた館内規則は、その日一文字も進まなかった。




