第二十一話 谷底の新人
翌朝。
シズクは、リーゼが強いものだと思っていた。エヴァと同じくらい。少なくとも、それに近いくらい。何しろ軍人である。戦う者をまとめる立場。しかも空を飛ぶ。シズクの中では、すでにかなり恐ろしい人物になっていた。
その認識は。結界の見回りに出たところで崩れた。
「待て」
後ろから声がした。
エヴァが振り返る。
「何だ」
「少し、速度を落とせ」
リーゼが息を切らしていた。
「もう疲れたのか?」
「負傷明けだ!」
「昨日、もう大丈夫だと言ったろ」
「歩けるという意味だ!」
シズクはリーゼを見る。
「大丈夫ですか?」
「問題ない」
「息が荒いですが」
「問題ない!」
エヴァが笑う。
「シズクよりは速いな」
「比較対象がおかしい!」
「私ですか?」
「お前は十二日前まで神社にいただけだろう!」
「はい」
「私は航空兵だ!」
胸を張る。あまり胸はない。シズクは見ないようにした。
エヴァが言う。
「航空兵って、身体は鍛えないのか?」
「鍛える。だが貴様の基準がおかしい」
リーゼは腕を捲った。細い。しかし筋肉はしっかりついている。
「飛行には持久力も必要だ。墜落時の脱出、野営、長距離行軍の訓練も受ける」
「じゃあ走れるだろ」
「貴様は馬か何かか!」
「人間だ」
「嘘をつけ!」
シズクは思わず言った。
「私も最初、エヴァは普通の人間ではないのかと思いました」
「シズク?」
「今も少し思っています」
「おい」
リーゼが初めて、シズクへ同意するように頷いた。
「お前とは話が合いそうだ」
見回りの途中、エヴァが結界の外に獣の足跡を見つけた。
「リーゼ。これ分かるか?」
リーゼはしゃがんだ。急に表情が変わる。
「四足。体重はそれなりにある。爪が出ている。ここで一度止まっているな」
シズクが目を丸くした。
リーゼは周囲も見る。
「風上から近づいている。こちらの臭いを取ろうとした可能性がある」
エヴァも少し感心した。
「分かるじゃないか」
「軍人を何だと思っている」
「空飛んでる奴」
「地上に降りることもある!」
野営の知識。方角。水の探し方。火の起こし方。足跡。簡単な罠。食べられそうな植物を勝手に食べない。そこまでは、リーゼもかなり知っていた。
ただし、谷底では。
「この足跡なら大型の肉食獣だ」
リーゼが言う。
エヴァが首を振る。
「六本脚だぞ」
「……何?」
「ほら、こっちにも二つある」
リーゼが固まった。
「なぜ六本ある」
「そういう獣だから」
「そんな獣はいない」
「いる」
「我が国にはいない!」
「ここにはいる」
さらに先、大きな花が動いた。
リーゼが反射的に身構える。
花弁が開く。中に牙があった。
リーゼが三歩下がった。
「何だあれは!」
「花」
「花に牙があるか!」
「ここにはある」
リーゼはしばらく黙った。
それから。
「拳銃を返せ」
「駄目だ」
「今すぐ返せ!」
シズクは少し嬉しくなった。
十二日前、同じような顔を、自分もしていた気がする。
軍人でも。空を飛べても。
谷底では、新人なのだ。




