第百九十一話 三大巨頭にデリカシーはない
イルゼは、まだ客室で眠っていた。
墜落で負った額の傷、右肩の打撲、三本の肋骨骨折。ティセラが管理している、聖者の精液を原液とした回復薬を薄めて使ったことで治癒は順調に進んでいるが、教授からは今日いっぱい安静と言い渡されている。
本人は目を覚ませば絶対に起き上がろうとする。
だから、眠っている今のうちに話しておこう。
そう考えた者がいた。
一人ではなかった。
朝食を終え、スージーが自分の食器を片づけようとした時だった。
「スージー」
エヴァに呼ばれた。
「何?」
振り返る。
エヴァ。
その隣にルヴァナ。
さらにアデラ。
三人が横一列に並んでいた。
スージーの猫耳が、嫌な予感を察したように伏せる。
「……何、その並び」
「ちょっと聞きたいことがある」
エヴァが言う。
ルヴァナも頷いた。
「うちも」
アデラも腕を組んだ。
「俺もだ」
少し離れたところでは、リーゼが食後の茶を飲んでいる。
シズクは三人を見るなり、洗い物を持ってそっと距離を取った。麗華も自然な動作で席をずらし、レティとネイラも巻き込まれない位置へ移動する。
リーゼが眉を寄せた。
「何故みんな離れる」
シズクが答えた。
「エヴァ、ルヴァナ、アデラが揃っていますので」
「どういう意味だ」
「遠慮を期待できません」
エヴァが振り返る。
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように申しました」
「シズク、お前も強くなったな」
「皆さんのおかげです」
ちっとも嬉しくない成長だった。
◇
エヴァとルヴァナは師弟だった。
少なくとも、ルヴァナ本人はそう思っている。
力仕事、格闘、無茶なことへの対応。最近ではそこへアデラまで加わっている。
三人は館の外で相撲を取る。
最初は、力加減を覚える稽古だった。
今でも建前としてはそうだ。
ただし、誰が一番強いかという話になると建前は消える。
エヴァは二メートル近い巨体。
ルヴァナも大柄で力が強い。
アデラも鍛え抜かれた騎士。
その三人が土俵代わりの地面で押し合っている姿を見て、リーゼはいつからか心の中で彼女たちを三大巨頭と呼ぶようになった。
その三大巨頭が。
今日は恋愛問題へ向かってきた。
リーゼは非常に嫌な予感がした。
そして、その予感は正しかった。
エヴァがスージーを見る。
「結局、お前はどうしたいんだ?」
「……何を?」
「イルゼのことだ」
一切の前置きがなかった。
スージーが額を押さえる。
「朝から聞く?」
「昼なら答えるのか?」
「そういう問題じゃないわよ」
ルヴァナが続ける。
「だって元カノなんでしょ?」
「元恋人ね」
「元相棒でもある」
「そう」
「裏切られた」
「そう」
「でも、昨日はすげえ心配してた」
スージーが猫耳を伏せる。
「怪我人だったからよ」
アデラが言った。
「そこなんだ」
「アデラまで何?」
「怪我人だから助けた。それは分かる。でも、治った後はどうする?」
スージーが止まった。
アデラは悪気なく続ける。
「敵として追い出すのか。昔の相棒として話すのか。恋人に戻りたいのか。分からんから聞いてる」
「だから、何であなたたちに説明しなきゃならないのよ」
「説明しなくてもいいぞ」
エヴァが言った。
声が少し変わった。
さっきまでの面白がっている調子ではない。
「そこは先に言っとく」
スージーがエヴァを見る。
リーゼも茶器を置いた。
◇
エヴァは腕を組んだ。
「俺は、お前らが誰を好きになろうが、誰と付き合おうが、誰と寝ようが、それ自体に口出しする気はねえ」
ルヴァナが横を見る。
「師匠、今日は真面目じゃん」
「今日はな」
「いつもそれくらい――」
「黙れ」
「はい」
エヴァは続けた。
「自分のことは自分で決めろ。人が決めたことには口を出すな。俺はそれでいいと思ってる」
リーゼが静かに聞く。
スージーも何も言わない。
「ふざけてならいい。元恋人が来たぞ、どうすんだとか。三人で付き合えばいいじゃねえかとか。本人も笑ってる範囲なら、好きにふざけりゃいい」
スージーが顔をしかめる。
「後者はふざけすぎでしょ」
「だから、ふざけてならだ」
エヴァは肩をすくめた。
「嫌だって言われたらやめる。それだけだ」
そこから、エヴァは館を見回した。
「でもな。前とは違う」
シズクが少しだけ表情を変えた。
エヴァは言った。
「俺がここへ来た頃は、俺と聖者だけだった。途中からシズクが来て、大尉が来た。そのくらいだった」
「そうですね」
シズクが頷く。
「そん時なら、多少好き勝手やったって大したことにならなかったんだよ。俺と聖者がどこで何しようが、困る奴なんてほとんどいなかった」
シズクが口を開く。
「私は困ったことがあります」
「お前は慣れた」
「慣れたことと困らないことは別です」
「細けえな」
「大事なところです」
リーゼが小さく頷いた。
エヴァは苦笑してから続ける。
「まあ、そういうことだ。今は人数が増えた」
館。
畑。
水場。
仕事場。
食堂。
それぞれを使う人間が増えた。
「前なら二、三人の間だけで済んだことでも、今なら他の奴が困ることがある。飯の時間もある。仕事もある。寝る場所もある。洗濯物だって増える」
リーゼがぼそりと言う。
「そこはかなり増える」
「大尉」
「事実だ」
「後で表出ろ」
「何故だ!」
アデラが笑う。
エヴァも一度だけ笑った。
だが、その後はまた真面目だった。
「俺だって、聖者とする場所は選ぶようになった」
スージーが思わず聞く。
「エヴァが?」
「何だ、その意外そうな顔」
「いや……」
「俺だって共同生活くらい考えるぞ」
ルヴァナが言う。
「師匠、成長したね」
「お前、本当に後で相撲な」
「望むところ」
「それとな」
エヴァは少しだけ肩をすくめた。
「前みたいに、他の奴と気軽に寝ることも減らしてる」
今度はルヴァナが目を丸くする。
「へえ」
「だから、その反応やめろ」
アデラが腕を組んだまま頷く。
「共同生活だからか」
「ああ」
エヴァは簡単に答えた。
「自由にするのと、周りを勝手に巻き込むのは別だろ」
その言葉に。
今度は誰も茶化さなかった。
◇
エヴァがスージーとリーゼを見る。
「だから、今のお前らはちょっと危なそうだ」
スージーの耳が動く。
「私たち?」
「何回かあっただろ」
まずスージー。
「イルゼが墜ちてきた途端、お前は昔の相棒に戻った。介抱して、怪我した場所まで覚えてて、自分でも何でそこまでやってるのか分からなくなってた」
スージーが黙る。
「大尉もだ」
「小官もか」
「スージーがイルゼの話をすると不機嫌になる。だけど、自分が何で不機嫌なのか言わねえ」
リーゼの眉が動いた。
「それは」
「違うなら違うって言え」
「……」
「ほらな」
リーゼが黙った。
エヴァは二人を見る。
「二人だけならな、勝手にぐちゃぐちゃになって覚えろって言ってもいい」
そして、館の客室へ視線を向ける。
「でも、今はイルゼもいる。他にも大勢いる」
クロエ。
アスラ。
娘たち。
アデラ。
レティ。
麗華。
ティセラ。
そして、まだまだ増えた谷底の住人たち。
「本人たちが何をしたいのか分からねえまま、相手の顔色ばっかり見て、周りまで妙な空気に巻き込むのはやめろ」
スージーが少し困った顔をした。
「じゃあ、ちゃんと決めろって?」
「違う」
エヴァは即答した。
「決められないなら、決められないって自分で決めろ」
「……ああ」
ルヴァナが小さく声を出す。
エヴァは指を一本立てた。
「自分のことは自分で決める」
二本目。
「相手に察してもらおうとしない」
三本目。
「相手が決めたことに、気に食わないからって本気で口を出さない」
そして手を下ろす。
「今は保留。それでもいい。嫌なら嫌。好きなら好き。分からんなら分からん。それを自分で言え」
スージーはしばらくエヴァを見ていた。
「……たまにすごくまともよね」
「たまにを付けるな」
リーゼも言う。
「小官も同意する」
「大尉、お前も後で表な」
「だから何故だ!」
◇
真面目な話は終わった。
少なくとも。
エヴァの中では。
だから。
ルヴァナが手を挙げた。
「じゃあ聞いていい?」
エヴァが頷く。
「聞くだけならな」
「スージー」
「何よ」
「結局、イルゼのことどうしたいの?」
「結局そこへ戻るのね!」
ルヴァナは真顔だった。
「だって気になるし」
アデラも頷く。
「俺もだ」
「三人ともデリカシーない!」
エヴァが言う。
「あると思ってたのか?」
「開き直るな!」
スージーは頭を抱えた。
しばらく。
何も言わない。
それでも。
さっきのエヴァの言葉がある。
答えを決めさせられているわけではない。
だから。
スージーは自分で答えた。
「……分からない」
ルヴァナが黙った。
アデラも。
エヴァだけが頷く。
「なら、それでいい」
スージーは少し意外そうに見る。
「それだけ?」
「今はな」
そして。
スージーは自分から続けた。
「許してない。イルゼのことは今でも腹が立つ。騙されてたし、最後は宝を持って逃げたし」
「うん」
「でも、何も感じないかって言われたら、そうでもない」
猫耳が伏せる。
「昨日、怪我してるの見たら放っておけなかった。昔みたいに身体が動いた」
ルヴァナが聞く。
「まだ好き?」
「分からない」
今度は迷わなかった。
「昔は好きだった。すごく好きだった。でも今、それと同じなのかは分からない」
エヴァが頷く。
「じゃあ今はそれでいい」
ルヴァナも、今度は余計なことを言わなかった。
アデラも。
一応。
ここまでは。
◇
アデラがリーゼを見る。
「じゃあ次だ」
リーゼの顔が嫌そうになる。
「何故小官にも来る」
「リーゼは」
一切ためらわず聞いた。
「イルゼとスージーがまた付き合っても平気なのか?」
リーゼが止まった。
スージーも止まる。
エヴァが言う。
「答えたくなきゃ答えなくていいぞ」
「分かっている」
リーゼは茶を見た。
長い。
沈黙。
ルヴァナが待っている。
アデラも待つ。
エヴァだけは、急かさない。
そして。
リーゼが言った。
「……平気ではない」
スージーが顔を上げる。
リーゼは続ける。
「嫌だ」
声は小さかった。
しかし。
はっきりしていた。
「スージーがイルゼと付き合うのは、嫌だ」
スージーの猫耳が立つ。
ルヴァナが思わず、
「おお」
と声を出した。
エヴァが横目で見る。
「黙ってろ」
「はい」
リーゼは顔が赤い。
それでも。
言った。
「ただし」
スージーを見る。
「貴様が自分でそうすると決めたなら、小官が命令して止める話ではない」
エヴァの口元が。
ほんの少し笑った。
リーゼが続ける。
「嫌だとは言う。それくらいは小官の自由だろう」
「ああ」
エヴァが答えた。
「それでいい」
リーゼがスージーを見る。
「だが、最後に決めるのは貴様だ」
スージーは。
しばらく。
何も言わなかった。
それから。
「……分かった」
猫耳が少しだけ上がった。
◇
そこで終われば。
それなりに綺麗だった。
しかし。
三大巨頭だった。
ルヴァナが聞く。
「で、大尉」
「まだ何かあるのか!」
「何で嫌なの?」
リーゼ。
止まる。
スージーも止まる。
エヴァが額を押さえた。
「ルヴァナ」
「いや、だって大事じゃん」
「お前な」
「師匠だって、察してもらおうとするなって言ったじゃん」
エヴァが。
止まった。
「……俺の言葉を俺に使うな」
「でも合ってるでしょ?」
「合ってるのが腹立つな」
アデラがリーゼを見る。
「俺も聞きたい」
リーゼが叫ぶ。
「何故貴様まで!」
アデラは本気で分からない顔だった。
「嫌なら理由があるんだろ?」
「ある!」
「何だ?」
「それを!」
止まる。
リーゼが。
真っ赤になる。
エヴァが言った。
「答えなくてもいいぞ」
助け舟。
リーゼがエヴァを見る。
そして。
スージーを見る。
スージーは。
何も言わない。
待っている。
その顔を見た。
リーゼは。
大きく息を吐いた。
「……好きだからだ」
完全に。
静かになった。
リーゼが一気に言う。
「小官がスージーを好きだから、イルゼと付き合われたら嫌だ! これでいいか!」
ルヴァナ。
「おおー」
アデラ。
「分かりやすい」
エヴァ。
「よし」
リーゼが三人を睨む。
「貴様ら本当に腹立つな!」
エヴァは笑った。
「でも言っただろ」
リーゼを見る。
「そこまででいい」
「……何?」
「好きだって言った。嫌だって言った」
今度はスージーを見る。
「あとはスージーの話だ」
ルヴァナが口を開こうとする。
エヴァが頭を押さえた。
「追い込むな」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる」
「師匠、ひどくない?」
「今は黙れ」
アデラも何か言いたそうだったが。
エヴァが見る。
「アデラも」
「俺もか」
「お前もだ」
「分かった」
そこは。
締めた。
◇
スージーは。
少しの間。
リーゼを見ていた。
「私」
口を開く。
「今、答えなくてもいい?」
リーゼはすぐ頷いた。
「ああ」
「イルゼのこと、まだ整理できてない」
「ああ」
「昔のことも聞きたい。何で私を殺さなかったのかも。何で今もドイスにいるのかも」
「ああ」
「それから決めたい」
リーゼは。
少しだけ。
表情を緩めた。
「それでいい」
スージーが続ける。
「でも」
リーゼを見る。
「リーゼが私を好きって言ってくれたのは」
少しだけ笑う。
「嬉しい」
今度は。
リーゼが完全に止まった。
スージーの猫耳が上がる。
ルヴァナが口を開く。
エヴァが無言で口を塞いだ。
「んー!」
「黙ってろ」
アデラも。
何となく。
黙っている。
リーゼが顔を赤くしたまま言う。
「……そうか」
「うん」
それだけ。
まだ。
何も決まっていない。
でも。
昨日までよりは。
少しだけ。
分かった。
◇
話が終わった後。
エヴァが立ち上がる。
「よし」
ルヴァナの口から手を離す。
「終わり」
ルヴァナが息を吸う。
「師匠ひどい!」
「お前が追撃するからだ」
アデラも立った。
「じゃあ相撲するか」
エヴァを見る。
「さっき表へ出ろと言ってたな」
「言った」
ルヴァナも立つ。
「うちも」
「来い」
三人。
そのまま外へ向かう。
リーゼが背中を見送った。
「……三大巨頭」
スージーが横を見る。
「何それ」
リーゼ。
止まる。
「いや」
「今、三大巨頭って言った?」
「言っていない」
「言った」
「聞き間違いだ」
外から。
ルヴァナの声。
「大尉ー! 三大巨頭ってうちらのことー!?」
リーゼが頭を抱えた。
「何故聞こえている!」
スージーが笑った。
その時。
客室の方から。
低い声。
「……朝から騒がしいな」
二人が止まる。
イルゼだった。
まだ寝台の上。
扉だけが少し開いている。
スージーの猫耳が立った。
リーゼの顔が固まる。
「貴様」
イルゼが眠そうに言う。
「何だ」
「いつから起きていた」
少し考える。
「スージーが、今は決められないと言ったあたりからだ」
リーゼが。
ほんの少しだけ。
安心する。
スージーも。
同じだった。
イルゼはそんな二人を見る。
「それ以前に何を話していた?」
リーゼ。
即答。
「何でもない」
スージーも。
「何でもないわ」
イルゼが目を細める。
「そうか」
二人。
「そうだ」




