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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第二十五章 残党

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第百九十話 元恋人は敵で、今の隣は何なのか

イルゼは、まだ眠っていた。


館の客室では、窓を少しだけ開けて風を通している。墜落時に負った額の傷、右肩の強い打撲、三本の肋骨骨折。普通なら、しばらく寝台から動けない怪我だ。


もっとも、この谷底では普通の治療だけをしているわけではない。


ティセラが寝台の脇で、小さな瓶を光へ透かしていた。


「経過は良好です。呼吸も安定していますし、骨折部の治癒も始まっています。このまま眠らせておけば、明日にはかなり楽になるでしょう」


リーゼは瓶を見る。


「昨日使ったものか」


「はい。聖者から定期採取している原液を希釈したものです」


スージーが猫耳を動かした。


「原液?」


ティセラはいつも通り、何の感情もなく答えた。


「ノアくんの精液です」


スージーの猫耳が直立した。


リーゼは額を押さえた。


「教授。新入りの前でも説明を省略しないその姿勢だけは評価するが、もう少し言い方というものを考えろ」


「事実ですので」


「事実なら何でもそのまま言えばよいというものではない!」


ティセラは不思議そうな顔をした。


「以前、生命の危険がある患者には採取直後の原液を直接使用しています。現在は定期的に採取試験を行い、採取量、保存性、希釈倍率、治癒速度、投与方法について研究しています。イルゼさんは緊急状態ではありませんでしたから、保存していた原液を希釈して使用しました」


スージーは寝台を見る。


「……効いてるのよね?」


「非常によく」


「じゃあ、イルゼなら文句言わないと思う」


リーゼが横を見る。


「分かるのか」


「昔だったらね」


その一言のあと。


スージーの耳が、少しだけ伏せた。


「怪我が治るなら毒じゃない限り飲む女だったから。味がどうとか、原料がどうとか、あんまり気にしないの」


リーゼは眠るイルゼを見る。


「軍人らしいと言えば軍人らしいな」


「そういうところは、たぶん今も変わってない」


また。


昔のイルゼを知っている言葉だった。


リーゼは何も言わなかった。


         ◇


イルゼを眠らせている間に、改めて事情を聞くことになった。


場所は屋根付きのバルコニー。


スージーを中心に、リーゼ、エヴァ、シズク、レティ、アデラ、麗華、ティセラ、それにクロエとアスラたちも集まっている。


スージーはしばらく茶を見ていたが、やがて口を開いた。


「イルゼ・アーベントロート。私と同じ世界の人間。ドイス帝国軍人。今は……ドイス残党ね」


アデラが腕を組む。


「前に話してた連中か」


「そう。戦争に負けてドイスという国そのものは滅びた。でも、軍人や支持者の一部は残った。地下に潜って、資金を集めたり、武器を集めたり、古代遺物を探したりしてる」


レティが言う。


「国を再興するためでござるか」


「それを目指してる連中もいる。イルゼが今どの程度そこへ関わっているのかは、まだ分からない」


リーゼがすぐに聞く。


「昨日の飛行は?」


「知らない。私がイルゼと最後に会ったのは、かなり前だから」


「最後に会った時が、裏切られた時か」


スージーが頷いた。


「そう」


そこから。


少し時間をかけて。


スージーは話した。


最初に会った時、イルゼは軍人を名乗っていなかった。


冒険家。


護衛。


遺跡へ入れる戦闘技能を持った女。


そんな程度だった。


二人で遺跡へ入った。


一度。


二度。


そして、それが当たり前になった。


「私は古代文字を読む。罠を探す。遺跡の構造を考える。イルゼは周囲を警戒して、危ない時には前へ出る。移動に飛行機を使う時は、操縦もほとんどあの人だった」


そこで。


リーゼの顔が少し変わった。


「ほとんど?」


「イルゼ、自分で飛ぶのが好きなのよ」


「軍用機だけではないのか」


「輸送機でも小型機でも、飛べるものなら割と何でも。着陸できる場所がない山の中にも降ろしたし、砂漠の岩場にも降ろした。私は何度も死ぬと思った」


リーゼの眉が上がる。


「無理な着陸をするタイプか」


「する」


「機体を傷める」


「傷める」


「そして本人は、降りられたのだから問題ないと言う」


スージーが。


止まった。


「……何で分かるの?」


リーゼは腕を組んだ。


「昨日の墜落を見れば分かる」


全員がリーゼを見る。


「左翼を地面へ擦って機首を振り、木へ正面から突っ込むのを避けた。その前に一度接地して速度も殺している。エンジンが不調で、片翼も傷んでいた。それでも操縦を最後まで捨てなかった」


スージーの猫耳が動く。


リーゼは続ける。


「墜ちたのではない。最後まで降ろそうとしていた」


少しだけ。


声が違った。


軍人が。


飛行士の仕事を評価している声だった。


エヴァが笑う。


「気に入ったか?」


リーゼが睨む。


「違う!」


「でも腕は認めてんだろ」


「それとこれとは別だ!」


スージーが。


小さく笑った。


「イルゼも同じこと言いそう」


リーゼが止まる。


「……そうなのか」


「うん」


また。


妙なところで。


似ていた。


         ◇


スージーは話を続けた。


冒険を何度もした。


命を預けた。


助けた。


助けられた。


いつの間にか。


恋人になっていた。


ルヴァナが聞く。


「告白とかは?」


ネイラが妹を見る。


「今、そこを聞くの?」


「だって気になるじゃん」


スージーは苦笑した。


「ちゃんとしたのはなかったと思う。気づいたら同じ部屋を取ってたし、旅が終わっても次の仕事まで一緒にいた」


「自然に?」


「まあ」


スージーはそこで茶を飲んだ。


「それくらいには、信用してた」


空気が少し変わる。


「でも、ある宝を見つけた時に全部壊れた」


遺跡の最深部。


二人で辿り着いた。


スージーが遺物を調べようとした。


その背後で。


銃を抜く音がした。


振り向く。


イルゼ。


銃口。


「そこで初めて、自分はドイスの軍人だって言った」


シズクが静かに聞く。


「それまでは、一度も?」


「一度も」


「では、すべて騙されていたのでしょうか」


スージーの表情が。


少し曇る。


「それを聞いた」


リーゼが見る。


「何と答えた」


「全部じゃない、って」


リーゼは露骨に嫌そうな顔をした。


「最悪だな」


スージーが思わず笑った。


「でしょ?」


「ああ。一番処理に困る答えだ」


「そうなのよ」


全部嘘だったなら。


全部捨てられる。


任務だったと言われれば。


敵だったと割り切れる。


だが。


一緒に笑ったことも。


傷ついた時に付き添ったことも。


抱き合ったことも。


全部が嘘ではない。


ただ。


最後にはドイスを選んだ。


「宝を持って逃げた。それ以来、一度も会ってない」


アデラが聞く。


「お前は撃たれなかったのか」


「撃たれてない」


「殺せたんだろ?」


スージーは少し黙る。


「できたと思う」


リーゼがスージーを見る。


「何故、殺さなかった」


「知らない」


即答。


「聞けなかったもの」


         ◇


話が終わって。


しばらく。


誰も口を開かなかった。


最初に口を開いたのはエヴァだった。


「で」


スージーを見る。


「お前、まだ好きなのか?」


「エヴァ!」


リーゼが即座に叫んだ。


スージーも。


「何でそうなるのよ!」


「いや、昨日見てたら」


「怪我人だったから!」


「そうか?」


「そう!」


エヴァは今度。


リーゼを見る。


「大尉は?」


「何がだ」


「気になるか?」


「何が!」


「元恋人」


「小官には関係ない!」


少し。


早かった。


全員。


黙る。


スージーがリーゼを見る。


リーゼも。


言ってから気づいた。


「……何だ」


「別に」


「何だ、その顔は」


「何でもない」


「なら見るな」


「そっちが見てるんでしょ」


「貴様が先に見ただろう!」


麗華が茶を口へ運ぶ。


アデラが小声で聞いた。


「これ、何なんだ?」


麗華も小声だった。


「わたくしに聞かないでくださる?」


レティがさらに小声で加える。


「拙者も分からぬでござる」


エヴァだけは。


完全に分かっている顔だった。


         ◇


午後。


リーゼは墜落現場へ戻った。


目的は機体確認。


ということになっていた。


実際。


必要だった。


燃料。


弾薬。


武装。


搭載物。


そして。


修理できるかどうか。


スージーも付いてきた。


「飛行機、直せそう?」


「まだ分からん」


リーゼは壊れた翼を見る。


「小官の世界の機体とは構造が違う。だが、基本は同じだ。翼で揚力を作り、推進器で前へ進む」


「そこまでなら私も分かる」


「なら手を出すな」


「何でよ」


「考古学者だろう」


「昔、イルゼの飛行機は何度も手伝った」


リーゼの手が止まった。


ほんの一瞬。


「……そうか」


「何、その返事」


「何でもない」


機首を見る。


プロペラ。


エンジン。


翼。


操縦索。


リーゼはしばらく無言で調べる。


やがて。


小さく言った。


「これなら」


「何?」


「時間をかければ、飛ばせるかもしれん」


スージーの猫耳が立った。


「本当?」


「完全修復は無理だ。交換部品がない。ただ、損傷している部分の一部は工作室で代用品を作れる可能性がある」


スージーが嬉しそうな顔をした。


リーゼはそれを見る。


少し。


面白くない。


何故かは。


自分でも分からない。


「嬉しいのか」


「そりゃね。イルゼ、飛べなくなるの一番嫌うから」


「……詳しいな」


「昔の話よ」


「そうか」


また。


それだけ。


スージーがリーゼを見る。


「大尉」


「何だ」


「何か怒ってる?」


「怒っていない」


「本当に?」


「本当だ」


「じゃあ何でプロペラをそんな怖い顔で見てるの」


「これは元からこういう顔だ!」


スージーが笑った。


リーゼはますます不機嫌になった。


         ◇


夕方。


館へ戻ると。


イルゼが起きていた。


まだ寝台からは出ていない。


だが。


上半身を起こしている。


ティセラが横で記録を取っていた。


「安静と言ったはずですが」


「寝すぎた」


「まだ数時間です」


「十分だ」


「十分ではありません」


リーゼが客室へ入る。


「教授の言うことを聞け」


イルゼが見る。


「お前か」


「リーゼロッテ・ヴァイス。帝国航空隊大尉だ。昨日も名乗った」


「覚えている」


イルゼは少し身体を動かし。


顔をしかめた。


「飛行機は?」


リーゼが即座に答える。


「右翼は比較的無事。左翼は翼端と支持部を損傷。プロペラも一枚が曲がっている。エンジンは未分解だが、墜落前から不調だったな」


イルゼの目が。


変わった。


「見たのか」


「ああ」


「修理は」


「可能性はある」


イルゼが。


初めて。


真っ直ぐリーゼを見る。


敵を見る目ではない。


「本当に?」


「小官の世界とは構造が違う。部品もない。元通りにはできん」


一拍。


「だが、飛ばせるところまでは戻せるかもしれない」


イルゼは黙った。


そして。


「そうか」


ほんの少しだけ。


笑った。


「礼を言う」


リーゼが眉を上げる。


「随分素直だな」


「飛行機を直す相手には敬意を払う」


「軍人より飛行機が上か」


「場合による」


リーゼが。


少し笑った。


「そこは同意する」


スージーが扉のところで。


二人を見る。


何だ。


これは。


昨日まで。


知らない同士だった。


一人は。


自分の今の隣にいる航空大尉。


一人は。


自分を裏切った昔の恋人。


普通なら。


もっと険悪になると思っていた。


なのに。


飛行機の話になった途端。


妙に。


話が通じている。


イルゼが聞く。


「お前も飛ぶのか」


リーゼが胸を張る。


「飛行士だと言っただろう」


「どんな機体だ」


「貴様のものより軽い」


「遅そうだな」


リーゼの眉が動く。


「旋回では負けん」


「速度がなければ追いつけん」


「追いつく必要があると思うか?」


「面白い」


「何がだ」


「飛べるようになったら試してみたい」


リーゼが。


一瞬。


黙る。


そして。


「望むところだ」


スージーが。


とうとう言った。


「ねえ」


二人が同時に見る。


「何だ」


「何だ」


スージーの猫耳が寝た。


「何で仲良くなってるの?」


二人。


同時。


「仲良くない」


スージーは頭を抱えた。


そこまで揃うな。


         ◇


夜。


イルゼは再び薬が効いて眠った。


リーゼとスージーは。


廊下を歩いていた。


並んで。


いつものように。


スージーが言う。


「意外だった」


「何が」


「イルゼと大尉」


「小官と?」


「もっと嫌うと思ってた」


リーゼは少し考える。


「嫌いだ」


「即答」


「貴様を騙し、裏切った。ドイス残党でもある。信用する理由はない」


「うん」


「だが」


スージーを見る。


「飛行士としての腕は別だ」


スージーは。


少し笑った。


「イルゼも多分、同じこと言う」


「それは知らん」


「絶対言う」


「何故分かる」


「昔の恋人だから」


リーゼが止まった。


スージーも止まる。


猫耳が。


ぴくり。


「あ」


リーゼ。


「……そうか」


また。


その返事。


スージーが顔を覗き込む。


「大尉」


「何だ」


「もしかして」


「何だ」


「妬いてる?」


リーゼの顔が。


一気に赤くなった。


「誰が!」


声。


大きい。


客室から。


イルゼ。


「……うるさい」


二人。


固まる。


リーゼが客室へ向かって叫ぶ。


「寝ろ!」


「寝ていた」


「なら起きるな!」


「お前が起こした」


「貴様!」


スージーが口元を押さえる。


笑っている。


リーゼが振り返る。


「何がおかしい!」


「いや」


スージーは笑いながら。


リーゼの横へ戻った。


肩が。


少しだけ。


触れる。


「何でもない」


リーゼは離れなかった。


スージーも離れなかった。


そのまま。


二人で歩く。


後ろの部屋には。


昔の恋人。


今の隣には。


何なのか。


まだ名前をつけていない女。


そして。


その二人は。


どちらも軍人で。


どちらも飛行機乗りで。


どうやら。


空の話を始めると。


スージーよりも。


互いの方が。


少しだけ話が通じるらしい。


それが何となく。


面白くなくて。


それ以上に。


少しだけ。


面白かった。

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