第百八十九話 ドイス残党が空から落ちてきた
最初に気づいたのは、リーゼだった。
昼食後。
バルコニーでは、昨日見つかった妖精集落について、まだ話が続いていた。
水車。
バルトリ。
生け簀。
水槌ポンプ。
露天風呂。
用水路。
屋根の寺院。
洗濯干し場の木造アパート。
雨だれでできた、竹の立つ無数の小さな泉。
第五のバリケード。
そして巨対委。
リーゼの設備管理表は、もう設備管理表なのか妖精文化圏分布図なのか分からなくなっていた。
そんな時だった。
遠くから。
低い音。
ぶぶぶぶぶぶ。
リーゼが顔を上げた。
一瞬で表情が変わる。
「飛行機だ」
スージーの猫耳が動いた。
「飛行機?」
「ああ」
リーゼは立ち上がる。
空を見る。
「しかも正常ではない」
ノアもバルコニーの外へ出た。
シズクには、まだ音だけではよく分からない。
レティも空を見る。
アデラはリーゼを見る。
「何で分かる?」
「音が乱れている。回転が一定ではない」
リーゼが指を差す。
「来た!」
森の向こう。
巨大な断崖を背景に。
一機。
飛行機が姿を現した。
片側から黒い煙。
機首が上下している。
高度も低い。
そして。
速い。
リーゼの顔が引きつった。
「馬鹿! 下げすぎだ!」
飛行機。
森の上を抜ける。
翼。
木の先端を掠める。
葉が飛ぶ。
機体が大きく傾く。
「右を上げろ! 右だ!」
当然。
届かない。
だがリーゼは叫ぶ。
飛行機。
一度。
地面すれすれまで落ちる。
跳ねる。
また浮く。
アデラが目を見開く。
「まだ飛ぶのか!?」
「飛んでいるのではない! 墜ちるのを遅らせている!」
次。
左翼。
地面へ接触。
草。
土。
一気に巻き上がる。
機体が横へ回る。
がりがりがりがり。
甲高い音。
そして。
森の手前。
低木を薙ぎ倒して。
止まった。
沈黙。
リーゼが走り出す。
「燃料に火が入る前に操縦者を出すぞ!」
エヴァも続く。
「行くぞ!」
シズクも走りながら棒を拾った。
リーゼが横を見る。
「今回は棒は後だ!」
「分かっています!」
◇
墜落した機体は。
リーゼが谷底へ落ちてきた時に乗っていたものとは違った。
形も。
構造も。
細部も。
明らかに別系統。
だが。
飛行機である。
それだけはリーゼにも分かった。
ノアが少し離れた場所から周囲を見る。
「燃料漏れてる」
「分かっている!」
「火はまだない」
「なら操縦者を先に出す!」
操縦席。
透明板は割れている。
内部。
女。
白い肌。
金に近い淡色の髪。
後ろへまとめている。
飛行服。
軍服。
額から血。
右肩もおかしい。
だが。
意識はある。
リーゼが機体へ近づく。
「聞こえるか!」
女の目が開いた。
薄い色の瞳。
まず。
リーゼ。
じっと見る。
少し眉を寄せる。
「……帝国軍人?」
リーゼが止まった。
「何?」
女は、リーゼの飛行服と立ち方を見る。
「違うな」
「何がだ」
「制服が違う」
「当然だ! 貴様は何者だ!」
その時。
後ろから来たスージーが。
止まった。
本当に。
足が止まった。
猫耳。
ぴんと立つ。
次の瞬間。
伏せる。
顔から。
血の気が引いた。
「……イルゼ」
操縦席の女が。
ゆっくり視線を動かした。
スージーを見る。
沈黙。
そして。
「久しいな」
スージーは何も言わない。
女。
イルゼは。
ほんの少し笑った。
「生きていたか、スージー」
スージーの顔が歪んだ。
「……何で」
一歩。
近づく。
「何で、あんたがここにいるのよ」
「それはこちらの台詞だ」
「答えて」
「墜ちた」
「見れば分かる!」
リーゼが二人を見る。
「知り合いか?」
スージーは答えなかった。
イルゼが答える。
「昔の相棒だ」
スージーの目が鋭くなる。
「昔の恋人で」
一拍。
「私を裏切ったドイス残党よ」
リーゼの顔が変わった。
エヴァも笑みを消した。
アデラが身構える。
レティも手を柄へ添える。
イルゼだけは。
変わらない。
「随分と簡潔にまとめたな」
「間違ってる?」
「いや」
「なら黙って」
◇
イルゼを機体から出さなければならない。
それは。
敵かどうかとは別だった。
リーゼが言う。
「話は後だ。まず出す」
スージーがすぐに動いた。
リーゼより早かった。
操縦席へ手を入れる。
「右肩、動かさないで」
イルゼが見る。
「覚えているのか」
「何を」
「私が右肩を昔から痛めやすいことだ」
スージーの手が。
一瞬。
止まる。
「……黙って」
帯を外す。
身体を支える。
足を抜く。
イルゼが少し顔をしかめた。
スージーがすぐ言う。
「肋骨?」
「おそらく二本」
「左?」
「ああ」
「息して」
イルゼが呼吸する。
浅い。
スージーの猫耳が伏せる。
「三本かもしれない」
リーゼが横から見る。
「何故そこまで分かる」
スージーは答えなかった。
イルゼが答える。
「何度も一緒に怪我をした」
スージーが睨む。
「余計なこと言わないで」
「事実だ」
「今は患者なんだから黙って」
イルゼが。
ほんの少し。
笑った。
「昔と同じだな」
スージーの顔が険しくなる。
「違う」
「そうか?」
「違う!」
リーゼは。
何も言わなかった。
ただ。
見ていた。
スージーがイルゼの身体を支える。
イルゼも。
当たり前のようにスージーへ体重を預ける。
そこだけ。
時間が戻ったようだった。
かつて。
何度も。
二人で遺跡へ入り。
崩落から逃げ。
敵に追われ。
傷を負い。
互いに肩を貸した。
そんな動きだった。
そして。
スージー自身が。
それに気づいた。
ぱっと。
手を離しかける。
イルゼの膝が崩れる。
「っ」
スージー。
反射的に。
また抱える。
「馬鹿!」
「離したのはお前だ」
「倒れるなら言いなさいよ!」
「離す前に聞け」
「……っ!」
リーゼが。
無言で反対側へ入った。
イルゼの腕を取る。
「小官も持つ」
スージーが見る。
「リーゼ」
「何だ」
「……ありがと」
「負傷者を運ぶだけだ」
少し。
声が硬い。
スージーの耳が。
さらに寝た。
◇
飛行機から。
拳銃。
短機関銃。
弾薬。
軍用鞄。
地図。
書類。
いくつかの金属箱。
それらも回収された。
そして。
腕章。
徽章。
スージーには見間違えようがなかった。
ドイス。
かつて戦争を起こした帝国。
敗北後も地下へ潜り。
遺跡や古代の秘宝を狙い。
国の再興を企む者たち。
その残党。
イルゼ・アーベントロート。
ドイス帝国軍人。
そして。
スージーの元相棒。
元恋人。
スージーが。
まだ彼女の正体を知らなかった頃。
何度も一緒に冒険した女。
古代墓地。
密林遺跡。
砂漠の神殿。
沈んだ都市。
雪山の地下聖堂。
命を預けた。
背中を預けた。
同じ焚き火で眠った。
恋人にもなった。
そして。
ある秘宝を巡る冒険で。
イルゼはスージーを裏切った。
宝を奪い。
銃を向け。
そこで初めて。
自分がドイス残党であることを明かした。
それが。
二人の最後だった。
それ以来。
一度も会っていない。
今日までは。
◇
館へ戻る途中。
アデラがイルゼを見る。
「歩けるか?」
「問題ない」
「問題ある歩き方してるぞ」
「戦えないほどではない」
エヴァが少し笑った。
「その言い方は好きだな」
リーゼが即座に言う。
「エヴァ、拾うな」
「何を?」
「気の合いそうな軍人をだ!」
イルゼがエヴァを見る。
二メートル近い。
筋肉。
傷。
歩き方。
「お前も軍人か?」
「昔な」
「兵科は?」
「王女」
イルゼが止まった。
「……兵科を聞いた」
「だから王女だ」
「王族か」
「戦場にも出てた」
イルゼが少し考える。
「なるほど」
リーゼが叫ぶ。
「そこで納得するな!」
◇
一度休憩。
イルゼを座らせる。
ティセラが傷を見る。
スージーも隣。
何故か。
自然に隣。
リーゼは少し離れて立っていた。
ティセラが言う。
「肩は脱臼ではありません。強い打撲。肋骨は三本ですね」
スージーが小さく言う。
「やっぱり」
イルゼが見る。
「まだ分かるか」
「長く一緒にいたから」
「そうだったな」
スージーが唇を噛む。
その言葉を。
肯定してしまった。




