第百八十八話 四匹とも、黒との子です
妖精が谷底のそこら中に住んでいることが判明してから、二日。
朝食の途中で、ティセラがバルコニーへやってきた。
いつもの記録板を抱えている。
リーゼは、その姿を見た瞬間に少し身構えた。
「教授。何だ」
「報告があります」
リーゼの背筋が伸びた。
報告。
ちゃんと報告。
最近の谷底では、それだけで妙に安心できる言葉だった。
「聞こう」
「キマイラが出産しました」
リーゼは立ち上がった。
だが。
叫ばなかった。
数秒。
じっとティセラを見る。
それから、ゆっくり座り直した。
「……報告された」
スージーの猫耳が動く。
「大尉?」
「今回は小官に報告されたぞ」
「よかったわね」
「よかった!」
ルヴァナがパンを食べながら笑った。
「そこ喜ぶとこ?」
「貴様は黙っていろ! ユニコーンの出産を『生んだよ』で済ませた前科がある!」
「ちゃんと教えたじゃん」
「生んだ後にな!」
麗華がティセラへ尋ねる。
「母子ともに、お身体は大丈夫ですの?」
「問題ありません。キマイラは少し疲れていますが、食欲もあり、出血その他にも異常はありません。子供たちも四匹とも安定しています」
アデラが手を止めた。
「四匹?」
「はい」
レティも驚く。
「四つ子でござるか」
ティセラが頷く。
「結果としては、そうなります」
リーゼの眉が動いた。
「結果としては、とは何だ」
「見た方が早いと思います」
「教授がその言い方をすると不安になる!」
エヴァは気にした様子もなく肉を食べている。
「生きてて元気ならいいだろ」
「それはそうだが!」
ノアが少し離れた席から聞いた。
「黒は?」
「母子の近くにいます。かなり落ち着かないようですが」
エヴァが笑った。
「親父になったからな」
リーゼがすぐ訂正する。
「もう親父だ。ユニコーンとの子もいる」
「ああ、そうだった」
黒は、すでにユニコーンとの間に一匹の子を持っている。
そして今度は、キマイラとの間に四匹。
リーゼは指を折って数えた。
「黒の子が、一気に五匹になったのか……」
ルヴァナが笑う。
「パパ大忙しじゃん」
◇
見に行く人数は絞った。
出産直後である。
ティセラ、リーゼ、スージー、麗華、レティ、アデラ、ルヴァナ。
少し遅れて、ノアとエヴァも様子を見ることになった。
林の近くに作られたキマイラの寝床へ近づくと、最初に見えたのは黒だった。
四メートル級の黒馬。
寝床の入口近くを、行ったり来たりしている。
ぶるるる。
止まる。
中を見る。
また歩く。
ぶるるる。
リーゼが少し驚く。
「黒が落ち着いていない」
スージーの猫耳が前を向く。
「心配なんでしょうね」
ルヴァナが手を振る。
「黒ー」
黒がこちらを見る。
ぶるるる。
それから、また寝床を見る。
アデラが笑った。
「完全に父親だな」
寝床の中から、キマイラの獅子頭が顔を出した。
「ちょっと、静かにして。やっと全員寝たんだから」
言葉は強い。
だが、声はかなり小さい。
普段の獅子頭からは考えにくいほど慎重だった。
山羊頭も顔を出す。
「見たいなら入っていいけど、マジで静かにね。今起きると四匹同時だから」
竜頭が続ける。
「黒も入ってきていいのに。さっきから外でうろうろしてるだけなの」
蛇の尻尾が寝床の端から顔を出した。
「お兄ちゃん、心配性なの。かわいいよねぇ」
黒。
ぶるるる。
リーゼは小声で言った。
「この家族、ちゃんと成立しているんだな……」
スージーが横を見る。
「何だと思ってたの?」
「キマイラだぞ」
「理由になってないわよ」
◇
寝床の奥。
藁。
布。
羽毛。
柔らかな毛布。
その中央に。
四つの包みが並んでいた。
麗華が足を止めた。
「……まあ」
レティも目を見開く。
「これは……」
アデラが少し身を乗り出した。
「四匹、本当にいるな」
四匹とも。
寝ていた。
お包みに包まれて。
すやすやと。
リーゼは最初、そこだけを見ていた。
出産直後の幼獣。
四匹。
無事。
母親も無事。
父親も近くにいる。
素晴らしく平和な光景。
だった。
だが。
一つ。
どうしても気になる。
「……お包みが派手すぎないか?」
ルヴァナが胸を張った。
「かわいくない?」
「貴様か!」
「手伝っただけだって。本人たちの希望も入ってるし」
四匹のお包みは、どれもギャル仕様だった。
黒。
濃い桃色。
紫。
金。
豹柄。
ゼブラ柄。
派手な縁取り。
妙にきらきらした飾り布。
赤ん坊を包むものとしては、圧倒的に主張が強い。
獅子頭が言う。
「地味なのヤじゃん」
山羊頭も頷く。
「初めての服みたいなもんだし、盛らないと」
竜頭は満足そうだった。
「黒い子たちだから、明るい色が映えるのよ」
蛇の尻尾が嬉しそうに言う。
「お兄ちゃんの毛色にも合ってるでしょ?」
リーゼは四匹を見る。
「生後間もないのに、すでに母親の趣味を押しつけられている……」
麗華が静かに訂正する。
「でも、可愛らしいですわ」
リーゼはもう一度見る。
「……それは認める」
◇
問題は。
中身だった。
最初の一匹。
黒い馬体。
小さな蹄。
まだ柔らかな黒毛。
だが。
首から上は。
獅子。
小さな獅子の頭が、派手なお包みからちょこんと出ている。
そして、お包みの後ろから。
細いもの。
蛇。
尻尾の先が、小さな蛇になっている。
その蛇まで寝ていた。
レティが小声で言う。
「黒馬の身体に、獅子の頭……」
ティセラが答える。
「そして蛇尾です」
二匹目。
同じような黒馬の身体。
頭だけが山羊。
まだ小さな角の兆ししかない。
尻尾は、やはり蛇。
三匹目。
黒馬の身体。
竜の頭。
小さな鱗。
まだ短い角。
そして蛇尾。
アデラが三匹を見比べる。
「分かりやすいな」
リーゼも頷いた。
「母親の三つの頭が、一匹ずつ分かれたように見える」
ティセラが記録する。
「現時点では、そのように見えます。ただし成長後の形質については不明です」
「教授、今日は見るだけだぞ」
「分かっています」
問題は。
四匹目。
リーゼが止まった。
「……待て」
レティも目を細める。
麗華は、どう表現すべきか迷っている。
アデラが一番先に言った。
「増えてるな」
増えていた。
キマイラだった。
母親と同じように。
獅子の頭。
山羊の頭。
竜の頭。
蛇の尻尾。
そこまでは分かる。
だが。
さらに。
黒馬の頭。
一つ。
追加。
四つ目の頭として、黒い小さな馬の頭が生えている。
そして後ろ脚。
母親とは違う。
黒い馬の脚。
小さな蹄が、お包みの端から少しだけ見えていた。
リーゼが静かに確認した。
「教授」
「はい」
「これは」
「キマイラ型です」
「それは分かる」
「母体由来の複合形質に、父親である黒の形質が追加されています」
リーゼは四匹目を見る。
獅子頭。
寝ている。
山羊頭。
寝ている。
竜頭。
寝ている。
黒馬頭。
寝ている。
蛇尾。
寝ている。
五か所全部。
静か。
「……全部寝ているな」
「寝ています」
「一匹なのに寝顔が多い」
スージーが吹き出しそうになった。
「大尉、そこ?」
「そこだ!」
◇
麗華は、一匹目の獅子頭の子を見ていた。
小さな鼻が動く。
ふす。
眠ったまま。
その横で蛇の尻尾も、ほんの少し動いた。
麗華の表情が緩む。
「蛇の方も、幼いのですわね」
ティセラが頷く。
「本体と同時に生まれていますから」
レティは山羊頭の子を見る。
「こちらは、黒殿によく似た身体でござる」
アデラは竜頭の子。
「顔だけ見ると怖くなりそうなのに、今は普通に赤ん坊だな」
竜頭が小声で言う。
「でしょ? この子、絶対美人になるわよ」
リーゼが振り返る。
「もう分かるのか?」
「私の子だもの」
「根拠が強いようで弱い!」
獅子頭が一匹目を見る。
「こっちは絶対強くなるし」
山羊頭が二匹目を見る。
「こっちは絶対モテるし」
竜頭が三匹目を見る。
「こっちは絶対エロく――」
リーゼが即座に止める。
「赤ん坊に何を期待している!」
竜頭が不満そうにする。
「将来の話じゃん」
「将来でも今言うな!」
蛇の尻尾は四匹目を見ていた。
「この子、お兄ちゃんの顔あるのいいよねぇ」
確かに。
四匹目だけは。
黒の頭が、そのまま一つ追加されている。
蛇尾は嬉しそうに黒を見る。
「お兄ちゃんと私たち、全部入り」
黒。
ぶるるる。
寝床の入口から、首を伸ばす。
四匹目の黒馬頭が。
ぴく。
目を少し開けた。
黒を見る。
数秒。
また閉じた。
眠る。
蛇尾の声が一段高くなった。
「見た!? 今お兄ちゃん見た!」
獅子頭がすぐ言う。
「声でかい!」
「ごめん!」
山羊頭が笑いを堪える。
「自分で静かにって言ってたのに」
「だって今の絶対パパ分かったじゃん!」
竜頭も黒を見る。
「黒、入ってくればいいのに」
黒は少し迷ってから、ようやく寝床へ入った。
大きな身体をできるだけ低くして、四匹の少し離れたところへ伏せる。
ぶるるる。
今度は小さな声だった。
リーゼはそれを見ていた。
「……やはり父親だな」
◇
ティセラが母体の様子を確認した。
食欲。
水分。
体温。
傷。
すべて問題なし。
四匹も今のところ安定している。
乳を飲む時だけは、一度に四匹では大変らしい。
山羊頭がぼやく。
「いやマジで四匹は多いって」
獅子頭が返す。
「産んだのあたしたちだからね?」
「分かってるって」
竜頭は黒を見る。
「でも黒との子が四匹もできたの、普通に嬉しいけど」
蛇尾もすぐ続く。
「お兄ちゃんの子いっぱいだもんねぇ」
黒。
ぶるるる。
リーゼは遠い目をした。
スージーが気づく。
「どうしたの?」
「いや」
リーゼは四匹を見る。
「ユニコーンとの子が一匹」
指を一本。
「キマイラとの子が四匹」
さらに四本。
「黒の子供、五匹」
「そうね」
「そして四匹目に至っては、母親の全要素に父親の頭まで追加されている」
「そうね」
「遺伝とは何だ」
ティセラが顔を上げた。
リーゼが即座に指を向ける。
「教授には聞いていない!」
「まだ何も言っていません」
「長くなる顔をしていた!」
◇
しばらくすると。
一匹目。
獅子頭の子が目を覚ました。
小さく口を開く。
「みゃ……」
獅子というには弱い。
馬というにも違う。
何とも言えない声。
同時に。
尻尾の蛇も。
「しゃ……」
四匹目。
山羊頭。
起きる。
竜頭。
起きる。
黒馬頭。
起きる。
獅子頭。
まだ寝る。
蛇尾。
起きる。
一匹の中で、起床時間まで揃っていない。
リーゼが頭を抱えた。
「一匹の寝かしつけが五倍面倒ではないか!」
キマイラの四つの人格が。
揃って。
黙った。
母親。
四つの顔。
赤ん坊。
四つの顔と蛇尾。
互いを見る。
山羊頭が小声で言った。
「……確かに」
獅子頭がすぐ返す。
「今気づくな!」
麗華が口元を押さえた。
アデラは完全に笑っている。
レティも肩を震わせた。
リーゼは言った。
「笑い事ではないぞ。母親が四人格、子供まで多頭。夜泣きが頭ごと別だったらどうする!」
竜頭が黒を見る。
「黒もいるし」
蛇尾も頷く。
「お兄ちゃん、よろしくねぇ」
黒が。
ぶるるる。
少し。
困ったように鳴いた。
◇
帰る前。
麗華はもう一度、四匹を眺めた。
派手なお包み。
豹柄。
桃色。
紫。
金。
その中で。
獅子頭の黒馬。
山羊頭の黒馬。
竜頭の黒馬。
そして。
母親のキマイラへ黒馬の頭と馬の後ろ脚まで加わった子。
四匹とも。
また眠り始めていた。
麗華が小さく言う。
「……可愛らしいですわ」
リーゼも頷いた。
「見た目の情報量は多いがな」
レティが言う。
「しかし、黒殿との子であることは、非常に分かりやすいでござる」
アデラが四匹を見る。
「三匹は身体がほぼ黒馬。最後の一匹は親父の頭まで生えてるからな」
ルヴァナが笑った。
「遺伝子、自己主張つよ」
ティセラが何かを書こうとした。
リーゼが見る。
教授の手が止まる。
「……今日は書くだけです」
「ならよし」
寝床の中。
黒が横になっている。
そのすぐ近く。
キマイラ。
その腹のそば。
四つの派手なお包み。
一匹目の蛇尾が、お包みの外へ少しだけ出る。
二匹目の山羊頭が寝返りを打とうとして、包みに阻まれる。
三匹目の竜頭が小さく鼻を鳴らす。
四匹目は、黒馬頭だけが一瞬目を開けて父親を見る。
そして。
また眠った。
リーゼは、今度こそ穏やかに息を吐いた。
「……まあ、元気ならいい」
スージーが笑う。
「大尉、すっかり近所のおばさんみたいになったわね」
リーゼが振り向いた。
「誰がおばさんだ!」
寝床の中から。
獅子頭。
「静かに!」
リーゼは即座に口を閉じた。
「……すまん」
それだけは。
素直に謝った。




