第百八十七話 魚と蛙と蜥蜴から化繊が採れる
妖精騒ぎが一段落した翌朝。
リーゼは、洗濯干し場に並ぶ衣類を眺めながら、珍しく平穏な気分でいた。
羊のバロメッツからは羊毛が採れる。
綿雲虫からは綿が採れる。
巨大な蚕の繭からは絹が採れる。
ガチョウバロメッツからは羽毛まで採れる。
谷底の衣料事情は、人数が増えた当初に比べればかなり改善していた。
問題があるとすれば。
「種類が増えた分だけ、欲が出てきたな」
ノアが干された布を指で触りながら言った。
リーゼが振り向く。
「欲?」
「もっと薄くて滑りのいい布とか、丈夫な紐とか、濡れても乾きやすい布とか」
「聖者」
リーゼは嫌な顔をした。
「貴様がそういうことを言うと、森から新しい化け物が出てくる気がする」
「僕が作ってるわけじゃないよ」
「分かっている。分かっているのだが、最近は因果関係を疑いたくなる」
スージーの猫耳が揺れた。
「じゃあ探してみる?」
「何故そうなる!」
ティセラは既に採取袋を持っていた。
「衣料素材の多様化は重要です」
「教授まで準備済みか!」
そして。
昼前。
本当に見つかった。
◇
最初は魚だった。
生活用水路から少し離れた、流れの緩い浅瀬。
水草の間に何かが光っている。
シズクが棒を持ったまま足を止めた。
「魚がいます」
エヴァが覗く。
「でかいな」
一メートル近い。
銀色の魚。
ただし泳いでいない。
水の中で尾をゆらゆら動かしてはいるが、一定の範囲から外へ出ない。
リーゼが目を細めた。
「またか」
ティセラがすぐ確認した。
魚の腹の下。
そこから細い緑色の茎が伸び、川底へ繋がっている。
「バロメッツ類ですね」
「魚まで植物に生えるのか!」
魚はリーゼの声に反応して、ぱしゃ、と尾を振った。
その尾びれから。
細いものが流れた。
白銀。
半透明。
水の中でゆらゆらと長く伸びる。
スージーがしゃがみ込む。
「糸?」
シズクが棒の先へ絡める。
魚は嫌がる様子もない。
引く。
するすると取れた。
柔らかい。
細い。
光沢がある。
ノアが指先で触れた。
「……これ、かなりレーヨンっぽいな」
リーゼが聞く。
「レーヨン?」
「僕の前世にあった繊維。元は植物のセルロースを加工して作る。柔らかくて、肌触りがよくて、光沢がある」
リーゼも触る。
確かに。
絹に近い滑らかさがある。
だが絹とは少し違う。
冷たく、柔らかく、身体へ沿うような感触。
クロエが一本取って確認した。
「吸水性が高い。乾燥状態では十分な強度があるが、濡れると少し弱くなる」
ノアが頷いた。
「ますますレーヨンだ」
ティセラは魚を見る。
「組成そのものが聖者の知るレーヨンと同一かは、まだ断定できません」
「そこは調べるとして、呼び名は?」
ルヴァナが即答した。
「レーヨン魚」
リーゼが額を押さえた。
「もう少し考えろ」
「分かりやすいじゃん」
魚が。
ぱしゃ。
尾を振る。
また繊維。
さらさら。
ルヴァナが指差した。
「ほら、レーヨン出した」
「定着させるな!」
◇
採取方法も簡単だった。
成熟すると、尾びれの縁から長い繊維が自然に伸びる。
一定以上伸びると水流に流されるため、その前に巻き取る。
根元を切らなければ、数日でまた伸びる。
魚本体を傷つける必要はない。
シズクが糸を巻きながら言った。
「おとなしいですね」
レーヨン魚は、水面から口だけ出した。
ぱく。
シズクが小さな木の実を落とす。
ぱく。
「かわいいです」
リーゼは魚を見る。
「鳴かない。臭くない。妙な液体を飛ばさない。こちらへ襲いかかってもこない」
少し考え。
「優良生物だ」
スージーが笑った。
「大尉の評価基準が谷底仕様になってる」
ティセラが別個体の茎を確認する。
「若い個体なら可食部も採れそうですね」
リーゼが止まる。
「食うのか」
エヴァはもう期待していた。
「バロメッツだろ?」
夕食。
少量だけ試験調理された若い個体。
味。
甘エビ。
リーゼは箸を止めた。
「魚の姿で甘エビなのか」
エヴァが食べる。
「うまい」
シズクも頷く。
「甘いですね」
リーゼは遠い目をした。
「まあ、バロメッツならそうなるか……」
既に。
蟹。
海老。
タラバガニ。
いろいろ経験している。
魚の見た目で甘エビくらいなら。
かなり普通だった。
◇
二つ目は蛙だった。
翌日。
湿地。
鳴き声。
「けろ」
リーゼが止まる。
「普通だ」
もう一度。
「けろ」
「普通の蛙だ!」
嬉しそうだった。
茂みを開く。
巨大な蛙。
体長七十センチほど。
リーゼの顔から喜びが消えた。
「大きい」
だが谷底基準では、まだ小さい。
蛙は葉の上へ座っている。
動かない。
腹の下。
緑の茎。
地面。
リーゼはため息をついた。
「やはりバロメッツか」
蛙が跳ぼうとする。
びよん。
茎が伸びる。
着地。
びよん。
戻る。
ルヴァナが笑う。
「すご。紐付き蛙」
「本人は真面目に跳んでいる!」
蛙がまた跳ぶ。
びよん。
その時。
後ろ脚の指の間から。
透明な細い糸が伸びた。
葉。
枝。
別の葉。
糸が張られる。
ネイラが触る。
「強い」
引く。
かなり伸びる。
離す。
元へ戻る。
リーゼも試した。
「弾性があるな」
クロエが観察する。
「摩擦にも強い。細さの割に切れにくい」
ノアが苦笑した。
「ナイロンみたいだ」
ルヴァナ。
「じゃあナイロン蛙」
「またそのままか!」
蛙。
「けろ」
リーゼが蛙を見る。
「貴様もそれでいいのか」
「けろ」
「いいらしいぞ」
スージーが言う。
「蛙に確認を取るな」
◇
ナイロン蛙の糸は、レーヨン魚とはまるで違った。
柔らかさよりも強さ。
伸び。
復元性。
水に濡れても扱いやすい。
ノアが何本か束ねる。
「釣り糸、細い縄、網。衣服なら丈夫な部分に混ぜてもいい」
リーゼが引っ張る。
「落下防止用の細索にも使えそうだ。ただし強度試験は必要だな」
クロエが頷く。
「一定太さまで撚れば実用性は高い」
スージーの視線がリーゼへ向く。
「あと、靴下」
リーゼが止まる。
「何故小官を見る」
「ナイロンって聞いたから」
ノアが少し気まずそうに咳払いした。
「僕の前世だと、ストッキングにもよく使われてた」
リーゼはナイロン蛙を見る。
蛙。
「けろ」
「貴様が女性の脚を支えることになるのか……」
「けろ」
「返事をするな!」
夕方。
若い個体の可食部も少量試した。
味。
伊勢海老。
リーゼは目を閉じた。
「蛙なのに」
エヴァが殻もない肉を食べる。
「伊勢海老だな」
「蛙なのに!」
ティセラは記録する。
「バロメッツ類の甲殻類系食味傾向は、今回も維持されています」
「蛙なのに!」
スージーがリーゼを見る。
「三回言った」
「重要だからだ!」
◇
三つ目。
蜥蜴。
場所は乾いた岩場だった。
陽当たりがよい。
石が熱を持っている。
その上。
大きな蜥蜴。
一メートルほど。
茶色と緑。
平たい身体。
目を閉じて日向ぼっこ。
リーゼが警戒する。
「これは少し普通に見える」
エヴァが指差した。
「尻尾」
尻尾。
途中から。
植物の蔓。
岩の隙間へ。
根。
「はい」
リーゼは諦めた。
「バロメッツだ」
蜥蜴は日光を浴びる。
動かない。
しばらく。
表面の鱗が。
ぺり。
浮いた。
リーゼが身構える。
「脱皮か?」
ぺりぺり。
薄い皮膜。
剥がれる。
だが普通の脱皮殻とは違う。
透明。
均一。
丈夫。
細く裂くと。
長い繊維になる。
ノアが触った。
水。
一滴。
落とす。
染み込まない。
玉になる。
「……これはポリエステルっぽい」
リーゼが即座に蜥蜴を見る。
「言うな」
ルヴァナが口を開く。
「ポリエステル蜥蜴」
「分かっていた!」
ルヴァナが笑う。
「だってそれ以外ないじゃん」
ポリエステル蜥蜴は目も開けない。
日向ぼっこを続けている。
皮膜は成熟すると自然に浮き、剥がしても本体に傷は残らない。
薄い。
軽い。
水を吸いにくい。
乾きやすい。
擦れにも強い。
リーゼの目が変わった。
「……待て」
素材を持ち上げる。
「これ、飛行服の裏地に使えるのでは?」
ノアが頷く。
「用途はかなり多いと思う。外衣、作業着、袋、雨具寄りの布にもできるかもしれない」
リーゼがもう一枚を見る。
「乾燥が早いなら洗濯も楽になる」
シズクも嬉しそうだった。
「洗濯物が早く乾くのは助かります」
リーゼは強く頷く。
「非常に重要だ」
スージーが笑う。
「急に評価が上がった」
「性能がいいものは評価する!」
そして。
例によって。
食べた。
味。
シャコ。
リーゼは蜥蜴と皿を交互に見る。
「……これは何となく分かる」
スージーが驚く。
「分かるの?」
「外側が硬そうだからだ!」
「理由が雑」
「魚が甘エビで蛙が伊勢海老よりは納得できる!」
◇
数日後。
館の作業場には。
三種類の新しい素材が並んでいた。
レーヨン魚。
柔らかい光沢繊維。
吸水性に優れ、肌触りがよい。
ナイロン蛙。
透明で強靱な弾性繊維。
水に強く、細い糸でも切れにくい。
ポリエステル蜥蜴。
薄く丈夫で、水を吸いにくく、乾燥が早い皮膜繊維。
ただし。
クロエの分析では。
「聖者の前世に存在したレーヨン、ナイロン、ポリエステルと、完全に同一の化学物質とは限らない」
ノアも頷いた。
「だから正式には“レーヨン様繊維”“ナイロン様繊維”“ポリエステル様繊維”かな」
ルヴァナが嫌そうな顔をした。
「長い」
「研究記録では必要だよ」
「普段はレーヨン魚、ナイロン蛙、ポリエステル蜥蜴でよくない?」
ティセラが記録板へ書く。
「通称として採用しましょう」
リーゼが止める間もなかった。
「教授!」
「識別性は高いです」
「学者が雑な名前へお墨付きを与えるな!」
しかし。
名前は。
もう定着した。
◇
試作した布が、数日後にできた。
レーヨン魚の繊維を主体にした薄い布は、するりと柔らかい。
ナイロン蛙の糸を混ぜたものは、引っ張っても裂けにくい。
ポリエステル蜥蜴を混ぜた布は、洗って干すと驚くほど早く乾いた。
シズクが乾いた布を取り込む。
「これは便利です」
リーゼも認めざるを得なかった。
「かなり便利だ」
ノアが言う。
「これで衣類の選択肢は増えそうだね」
エヴァが布を触る。
「丈夫なら何でもいい」
麗華はレーヨン様の布を指先で確かめる。
「こちらは、きちんと仕立てればかなり美しい衣装になりそうですわ」
レティはナイロン様の糸を引く。
「弓弦には使えるでござるか?」
リーゼが即座に答える。
「試験してからだ。強いからといって、いきなり武器へ使うな」
アデラもポリエステル様の布を見る。
「雨具には良さそうだな」
「それも試験だ!」
スージーが横から言った。
「大尉、楽しそうね」
リーゼは反射的に否定しようとした。
だが。
目の前。
三種類。
使える。
変な声。
なし。
悪臭。
なし。
白い液体。
なし。
人間の身体を思わせる形状。
なし。
糸。
布。
実用品。
さらに。
食べれば。
甘エビ。
伊勢海老。
シャコ。
リーゼは少し考えた。
「……かなり優良な生物では?」
スージーが笑った。
「ついにバロメッツを褒めた」
「元から羊の方も評価している!」
遠く。
水辺。
ぱしゃ。
レーヨン魚。
湿地。
「けろ」
ナイロン蛙。
岩場。
ぺり。
ポリエステル蜥蜴。
リーゼは三方向を見た。
「谷底は、どうして化学工業まで生き物で代替し始めるんだ……」
ノアが答える。
「僕にも分からない」
ティセラが記録板を閉じた。
「ですが、衣料資源としては非常に有望です」
リーゼはため息をついた。
「頭のおかしい生態なのに、性能だけはいい」
それだけは。
今回も。
谷底のいつもの法則だった。
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