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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第三章 世界壁Ⅰ

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第十九話 落ちてきた者たちは、世界壁の底で生き残る

かなり時間が経ってから、二人が帰ってくる。


エヴァが革の鞄をいくつも抱えている。


ノアはもっと大きな荷物。


筒。箱。紙束。工具らしきもの。用途の分からない部品。


それから、エヴァが小さな奇妙な物を机へ置いた。


「これは?」


シズクが見る。


短い筒。


下には握れそうな部分が斜めに伸びている。それだけ。剣の刃もない。槍の穂先もない。弓の弦もない。


どう見ても武器には見えなかった。


「聖者が言うには、銃って奴だろうって」


エヴァが答える。


「これが?」


「ああ」


「武器なのですか?」


「多分な」


「どうやって?」


「火薬を爆ぜさせて、小さい金属をものすごい速さで飛ばす」


シズクはもう一度、小さな道具を見る。信じられない。


「こんなもので?」


「俺も最初に聖者から聞いた時はそう思った」


エヴァは慎重に触れている。


「荷物の中に入ってた。弾とかいうのも一緒にな」


「使えるのですか?」


「分からん」


エヴァは肩をすくめる。


「だが、ここじゃ何でも取っておく」


それはシズクにも分かった。あって困らない。使い方が分からなければ後で考える。それが谷底の暮らしだ。


ほかにも紙、地図、衣類、食料らしきもの、工具、小さな金属部品、何に使うか分からない道具、書類があった。


「字が読めません」


シズクが一枚を見る。


「俺もだ」


エヴァも首を振る。


「聖者は?」


「似た字を知ってるらしいが、全部読めるわけじゃないとさ」


そこへ、長椅子の女が小さく息を漏らした。


二人が振り返る。


女の指が動く。


「エヴァ」


「ああ」


瞼が震える。そしてゆっくり青い目が開いた。


天井。


焦点が合わない。


次にシズク。エヴァ。


開け放した戸の向こう。かなり離れた場所にいる巨大なノア。


女の瞳が一気に覚醒した。


身体を起こそうとする。


「動くな」


エヴァが肩を押さえる。


「離せ!」


言葉は通じた。


女は自分の腰や胸元へ手をやる。何かを探している。


エヴァが机を顎で示した。


「探してるのが、あの妙な武器なら預かってる」


女の目が机へ向く。


一瞬で表情が変わった。


シズクは、そこで初めて本当にあれが武器なのだと理解した。


「触るな」


女が低く言う。


エヴァが笑った。


「使い方も知らんよ」


「……ここはどこだ」


「谷底だ」


「谷底?」


女は周囲を見る。


「機体は」


「北の川に落ちた。かなり壊れてる」


「回収は」


「人間を先に拾った。その後、荷物だけ少し持ってきた」


女の目が鋭くなる。


「勝手に触ったのか」


「死にかけの奴に許可取れって?」


「私物だ」


「ああ。だから捨てずに持ってきた」


「武器まで?」


「使える物かもしれんからな」


女はエヴァを睨んだ。


エヴァは肩をすくめる。


「安心しろ。捕虜扱いなら、こんな丁寧にはやらん」


シズクは嫌な予感を覚えた。


「エヴァ」


「俺は経験者だぞ」


「そこで胸を張らないでください」


「身ぐるみ剥がされる。持ち物は全部取られる。名前より先に身体の値踏みをされる。抵抗すれば殴られる。抵抗しなくても殴られる。そういうのが俺の知ってる捕虜待遇だ」


女の表情が僅かに変わる。


エヴァは笑った。


「ここじゃ先に命を拾って、荷物も拾って、壊れた飛行機まで後で回収してやる。随分人権に配慮してるだろ?」


「人権……?」


シズクには分からない言葉だった。


エヴァも首を傾げる。


「聖者が使う言葉だ。俺も詳しくは知らん」


「知らないのに使っているのですか」


「俺が昔持ってなかったものらしい」


「そういう説明の仕方をしないでください!」


女は明らかに理解が追いついていない顔をしている。


エヴァは、その顔を見るとますます楽しそうになった。


「まあ安心しろ。ここじゃ誰もお前に何かを強制せん」


その一言だけは笑わなかった。


「食うのも、寝るのも、出ていくのも、お前が決めろ。死にそうなら勝手に助けるけどな」


「勝手に?」


「ああ。死人から許可は取れん」


女の視線が険しくなる。


「……貴様は何者だ」


「エヴァ」


「それは名前だ」


「今はそれで足りるだろ」


「正式な名を言え」


エヴァは少し眉を上げた。


「面倒な奴だな」


「名乗れ」


「……エヴァレーナ・アルディシア・ヴァルディア」


その瞬間、女の表情が僅かに変わった。


シズクにも、それだけは分かった。


長い名だった。


エヴァが普段、自分から決して使わない名。


「エヴァレーナ?」


シズクが繰り返す。


エヴァは露骨に嫌そうな顔をした。


「エヴァでいい」


「それが本当のお名前なのですか?」


「エヴァも本当の名前だ」


「では、アルディシアとヴァルディアは?」


「昔の面倒臭い名残だ」


女がエヴァを見つめる。


「ヴァルディア……」


「知ってるのか?」


「いや。だが、その名乗り方は……」


エヴァが鼻で笑う。


「昔は王の娘だった」


女が黙った。


「元王族。戦場で人を率いてた。国が負けて捕まった。色々された。最後に谷へ捨てられた。今は畑を耕して、洗濯して、聖者と寝てる」


女が黙る。


シズクも黙る。


「情報量が多すぎます!」


「正式に答えろと言うから答えただけだ」


「最後の一つは正式な何かなのですか!」


「今の俺を説明するには大事だろ」


「大事ではありません!」


女はエヴァから目を離さない。


「戦場で人を率いていた、と言ったな」


「ああ」


「どれほどの規模を」


「国が違う。説明しても面倒だ」


「なら、なぜ今ここにいる」


エヴァは少し考えた。


「だから国が負けた」


淡々と答える。


「俺は捕まった。色々された。最後に捨てられた。以上」


短すぎる。


シズクは知っている。その「色々」が、三文字で済む内容ではない。


女も何かを察したらしい。


「……色々、とは」


エヴァの口元が上がる。


「詳しく聞きたいか?」


「エヴァ!」


「俺は別に話してもいいぞ。捕虜時代の話なら一晩じゃ足りん」


女の眉間に皺が寄った。


「なぜ笑える」


その問いに、エヴァは一瞬だけ黙った。


「俺の話だからだ」


「何?」


「あいつらが俺にしたことは、あいつらの罪だ。でも、その後どう語るかまで、あいつらに決めさせる気はない」


エヴァは自分の胸を親指で指した。


「泣いて話すのも俺の勝手。笑って話すのも俺の勝手だ」


そして、また笑う。


「俺は笑う方が性に合ってる」


シズクは、それがとてもエヴァらしいと思った。


女は少しだけ見る目を変えた。


エヴァが顎を上げる。


「さて。俺は長ったらしい名まで言った。次はお前だ」


短い沈黙。


女は寝たまま、それでも姿勢だけは正そうとした。


「リーゼロッテ・ヴァイス」


声は弱い。


しかし、はっきりしている。


「帝国航空隊、大尉」


シズクには、最初の名前以外ほとんど意味が分からなかった。


帝国。航空隊。大尉。


どれも、自分の知っている身分や役目の呼び方には当てはまらない。


ただ、リーゼロッテがそれを名乗る時だけ声が硬くなり、寝ている身体で無理にでも背筋を伸ばそうとした。


だから、その言葉が彼女にとって名前と同じくらい大切なものなのだろう。


それだけは分かった。


エヴァは違った。


「大尉、か」


リーゼロッテの目が動く。


「分かるのか」


「全部は分からん。だが、俺が昔いたところにも、戦う奴らをまとめる仕組みがあった。その中で誰が誰を率いるか、立場を示す呼び名もな」


シズクが首を傾げる。


「戦う方々を、まとめる?」


「ああ。大勢で戦う時、全員が好き勝手に動いたら困るだろ」


「それは……そうですね」


「だから、誰が誰の言うことを聞くか決める。こいつの言った“大尉”ってのは、多分その中での立場だ」


シズクはリーゼロッテを改めて見る。


「では、戦う方なのですか?」


リーゼロッテが答える。


「帝国航空隊の士官だ」


また知らない言葉が増えた。


シズクは少し黙った。


「……それは、戦う方という意味ですか?」


リーゼロッテも少し黙った。


エヴァが吹き出した。


「シズクには、その辺から説明しないと通じんぞ」


リーゼロッテは、初めて困惑した顔をした。


「お前は……どこの人間だ」


「私ですか?」


シズクは答える。


「神社で仕えていました」


今度はリーゼロッテが意味を掴めていない顔をした。


エヴァが笑う。


「お互い様だな」


リーゼロッテは苛立ったように息を吐いた。


「ここはどこだ」


今度はシズクが答える。


「谷底です」


「何の谷だ」


シズクは少し考えた。


自分なら、世界の果て。


神の大瀑布。


そう呼ぶ。


エヴァの国なら、魔界大穴。


しかし回収した地図の文字を、ノアが少しだけ読んでいた。


エヴァが言う。


「お前らの言い方なら、ヴェルテンヴァントの下らしいぞ」


リーゼロッテの顔が止まった。


「……何?」


「世界壁だろ?」


「馬鹿な」


身体を起こそうとする。


エヴァが押さえた。


「動くなって言ってるだろ」


「ヴェルテンヴァントの底だと?」


「そうらしい」


「あり得ない」


「俺も一年いるが、生きてる」


「対岸は」


リーゼロッテが即座に聞いた。


「ヴェルテンヴァントの対岸は確認したのか」


「知らん」


「飛行経路は」


「知らん」


「観測記録は」


「知らん」


「機体に記録器具が――」


「だから寝ろ」


「私は帝国の――」


「知らん」


エヴァが少し強く言った。


「今のお前は、死にかけて拾われた女だ」


リーゼロッテの顔が険しくなる。


シズクは十二日前のことを思い出した。


何も分からなかった。怖かった。自分はこの人ほど強くはなかった。ただ泣いた。帰りたいと思った。だからシズクは、リーゼロッテへ静かに言った。


「大丈夫です」


「何がだ」


「私も、ここへ落ちてきました」


リーゼロッテがシズクを見る。


「十二日前です」


「十二……」


「私も最初は何も分かりませんでした。でも、生きています」


シズクは自分の胸へ手を置いた。


リーゼロッテの視線が、開いた戸の向こうへ動く。


ノア。


遥かに大きい。角。人ではない身体。


「……あれは何だ」


シズクは答えた。


「聖者です」


リーゼロッテが無言になった。


数秒。


「……何?」


「聖者です」


エヴァが吹き出した。


「ちなみに俺の男でもある」


「エヴァ!」


「説明は正確にな」


「今はいりません!」


リーゼロッテは、ますます理解できないものを見る顔になった。


エヴァは楽しそうだった。


「安心しろ。あいつは普段、女には近づかん」


「……なぜだ」


「近づくと色々面倒だからだ」


「どういう意味だ」


「そのうち嫌でも分かる」


「エヴァ!」


「おっと」


リーゼロッテは何か言い返そうとした。だが、身体から力が抜けた。目が閉じる。


「エヴァ!」


「大丈夫だ」


エヴァが脈を見る。


「眠っただけだ」


「本当に?」


「ああ」


胸は規則正しく上下している。


シズクは、その動きをしばらく見つめた。


十二日前、自分は拾われた。世界の果てから落ちて。死にかけて。何も知らないまま、エヴァと聖者に助けられた。


今日。今度は自分が、空から落ちてきた誰かを助ける側にいた。


谷底に、また一人。


生き残った女が増えた。

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