第百八十五話 妖精は水辺ごとに故郷を作る
「今言ええええええっ!」
ユニコーンの親子を見て館へ戻る途中、リーゼの声が森へ響いた。
ルヴァナは少しだけ肩をすくめる。
「いや、大したことじゃないって。そういや、まだ見せてなかったなーって思い出しただけ」
「だから何をだ!」
「水車とバルトリ」
リーゼが止まった。
「設備がどうした?」
「そこに妖精住んでるじゃん」
今度は全員が止まった。
麗華が、ゆっくりルヴァナを見る。
「……妖精?」
「うん。こんくらいの」
ルヴァナは手のひらを広げた。
「手のひらサイズ」
レティの目が輝く。
「妖精がいるのでござるか!」
アデラは別のところを気にした。
「住んでるって、巣でもあるのか?」
「巣っていうか、村?」
「村?」
「水車のところは小さい田舎の村。バルトリのところは北の方っぽい村。あと、生け簀と水槌ポンプのところにもいるよ」
リーゼの眉間に皺が寄る。
「待て。増えたぞ」
「四か所あるし」
「何故最初に二か所しか言わなかった!」
「水車とバルトリ思い出したら、他も思い出した」
「順番に記憶を掘り起こすな!」
ネイラが、妹の隣で静かに補足した。
「私も見たことがあります。危険性は今のところ確認されていません。人間の生活設備に近い場所を好むようです」
リーゼがネイラを見る。
「貴様も知っていたのか」
「はい」
「クロエは?」
「知っている」
「アスラは?」
「もちろんだ」
「教授!」
ティセラは少し考えてから答えた。
「観察記録はあります」
リーゼは額を押さえた。
「また小官だけ知らない案件か……」
スージーが肩へ手を置く。
「私も全部は知らないわよ」
「スージー……!」
「そんなに嬉しそうな顔しないで」
◇
最初に向かったのは水車だった。
水路から引いた水が木製の大きな羽根板へ落ち、からん、ことん、と一定の調子で水車を回している。
その仕組み自体は、もう誰にとっても見慣れたものだった。
だが、その足元。
水車から少し離れた水際に、小さな世界があった。
細い畦。
浅い水田。
小さな稲。
茅葺き屋根の家。
竹垣。
石を積んだ祠。
小さな木橋。
畑の隅には、柿に似た実をつける木まである。
全部が、人間用のものをそのまま縮めたような大きさだった。
そこを歩いている者たちも、小さい。
人の姿。
薄い羽。
着物のような衣服。
大きさは、ルヴァナが言った通り手のひらほど。
シズクが足を止めた。
「……これは」
誰より先に反応した。
レティも、周囲を見回す。
「拙者の故郷とも少し似ているでござるな」
シズクは小さく頷いた。
「私のいた場所とも似ています。ただ、同じではありません」
自分の村ではない。
自分が仕えていた神社でもない。
けれど。
田。
畦。
水。
茅葺き。
小さな祠。
夕暮れに煙が立てば、そのままどこかで見た故郷になりそうだった。
小さな家の戸が開いた。
妖精が一人、出てくる。
こちらを見る。
「また大きいの来た」
ルヴァナが手を振った。
「やっほー」
「黒い大きいの」
「その呼び方やめない?」
麗華が少し驚く。
「お知り合いですの?」
「何回か来てるし」
妖精は麗華を見る。
次にアデラ。
レティ。
シズク。
そして言った。
「増えた」
リーゼが腕を組む。
「お前たちは、ここで何をしている?」
妖精が首を傾げた。
「住んでる」
「それは見れば分かる。何故、この形にした?」
妖精は小さな村を振り返った。
「水があるから」
「水があると、こうなるのか?」
「こうすると落ち着く」
シズクの表情が少し柔らかくなった。
「分かる気がします」
妖精も頷く。
「でしょ」
ティセラが記録板を取り出した。
リーゼが横から見る。
「教授。今日は捕獲なしだぞ」
「しません」
「解剖も」
「しません」
「村ごと持ち帰るのも」
ティセラが一瞬だけ止まった。
「しません」
「今、考えただろう!」
◇
次はバルトリだった。
水流を木製槽へ勢いよく流し込み、内部に強い渦を作る洗濯設備。
ごう、ごう、と水が回り、大きな布や寝具を放り込めば、水の力だけで揉み洗いしてくれる。谷底の生活設備の中でも、利用頻度の高いものだった。0
その周囲にも。
村があった。
ただし、水車の村とはまるで違う。
丸太を組んだ小さな家。
急な屋根。
屋根の上には草。
木製の柵。
小さな薪小屋。
苔むした石。
細い針葉樹。
水路に架かる小さな木橋。
窓辺には小さな赤い花。
手のひらサイズの妖精たちは、厚手の服を着ていた。
毛糸の帽子。
小さな上着。
編み物。
金髪や赤毛が目立つ。
レティが感心する。
「先ほどとは、まるで違うでござる」
麗華も頷いた。
「同じ妖精というには、暮らし方まで違いますのね」
ノアが少し離れたところから景色を眺めた。
「僕の前世でいうなら、北欧の田舎っぽいな」
リーゼが振り返る。
「やはりそう見えるか」
「完全に同じじゃないけどね。草屋根とか丸太小屋とか、この感じはかなり近い」
バルトリの縁に妖精が一人座っていた。
足をぶらぶらさせながら、渦を眺めている。
リーゼが聞いた。
「それを毎日見ているのか?」
「うん」
「洗濯機だぞ」
「ぐるぐるする」
「するな」
「音もいい」
ごおおお。
ざばざば。
渦。
洗濯物。
回転。
妖精は満足そうだった。
「落ち着く」
リーゼは少し考えた。
「……まあ、本人が落ち着くならいい」
スージーの猫耳が動く。
「大尉、かなり妖精には甘いね」
「危害を加えてこない相手へ喧嘩を売る理由がない!」
ルヴァナが笑う。
「第五の植物にはすぐ焼けって言うのに」
「比較対象がおかしい!」
◇
三か所目。
生け簀。
川から直接水を引いた木製の囲いの中では、釣った魚が生きたまま泳いでいる。
必要な分だけ取り出せるので、冷蔵とは別の意味で重要な食料設備だった。1
その川岸。
今度は。
小さな桟橋があった。
木造の小屋。
板張りの家。
屋根付きの小さな物置。
桟橋には、手のひらほどの妖精用の椅子が並ぶ。
壁には小さな釣竿。
浮き。
網。
籠。
小さな木舟。
さらに。
一軒だけ。
看板まで出ていた。
文字は読めない。
だが。
何の店かは。
なんとなく分かる。
スージーの猫耳が立つ。
「釣具屋?」
ノアが周囲を見る。
「アメリカの湖畔にある釣り村というか、フィッシングキャンプみたいだな……」
アデラが聞く。
「アメリカ?」
「僕の前世にあった国」
「また聖者の前世か」
桟橋。
妖精。
何人も。
小さな帽子。
袖をまくった服。
一人は椅子へ座って。
釣竿を握っている。
糸。
水。
ぽちゃん。
アデラが。
少し嬉しそうになった。
「ちゃんと釣りしてるな」
その直後。
浮き。
沈む。
妖精が立つ。
「来た!」
周囲の妖精。
一斉に。
「来た!」
竿。
しなる。
ものすごく。
しなる。
レティが心配する。
「大丈夫でござるか?」
妖精が。
踏ん張る。
「でかい!」
「どれほどでござる?」
水面。
ばしゃっ。
魚。
十センチほど。
人間から見れば。
小魚。
妖精から見れば。
巨大魚。
妖精たち。
大騒ぎ。
「引け!」
「網!」
「そっち!」
三人。
四人。
五人。
桟橋を走る。
網。
入れる。
魚。
ばしゃばしゃ。
ついに。
小さな桟橋へ。
どん。
妖精たち。
歓声。
「大物!」
「今日一!」
「写真!」
リーゼが止まった。
「写真?」
妖精が何かを構える。
小箱。
一瞬。
ぱっ。
光。
リーゼの目が見開く。
ノアも驚いた。
「そこまで再現するの?」
ルヴァナが笑う。
「ここ、結構本格的だよ」
アデラが桟橋を見た。
「俺、ちょっと混ざりたい」
妖精たちが。
一斉に。
アデラを見る。
自分たち。
手のひらサイズ。
アデラ。
人間。
釣竿。
妖精用。
沈黙。
アデラが察した。
「……無理か」
一人の妖精が言った。
「でっかい竿ない」
「そうだよな」
少し。
寂しそうだった。
◇
最後。
水槌ポンプ。
水が流れる。
弁が閉じる。
圧力が上がる。
ばん。
水が押し上げられる。
しばらくすると。
また。
ばん。
リーゼにとっては、何度も点検した見慣れた設備だった。
ところが。
その周囲。
今まで意識して見ていなかった場所へ目を向ける。
リーゼは。
黙った。
ノアも。
黙った。
シズクは。
首を傾げた。
「こちらも日本のように見えます」
確かに。
日本。
ただし。
水車の妖精村とは。
違う。
瓦屋根。
木造家屋。
一部にはトタン。
小さな商店。
軒先の琺瑯看板。
用水路。
コンクリート風の小さな橋。
小さな電柱。
細い電線。
赤い丸い郵便箱。
田んぼ。
畑。
道端には小さな地蔵。
さらに。
小さなバス停。
ノアが。
ものすごく。
微妙な顔をした。
「……昭和だ」
リーゼが聞く。
「ショウワ?」
「僕の前世の日本にあった時代」
シズクが景色を見る。
「私の国と似ていますが、知らないものが多いです」
「ずっと後の時代だからね」
水車側。
シズクが知るものに近い。
こちら。
ノアが知る日本の昔。
だが。
ノアにとっても。
自分が生きた時代より。
さらに昔。
昭和の農村。
そんな風景。
水槌ポンプ。
ばん。
その音に合わせるように。
小さな商店の戸が開く。
妖精のおばあさんらしい個体が顔を出した。
「また鳴ってるねえ」
ノアが。
思わず笑った。
「ポンプだからね」
「元気でいいねえ」
ばん。
「今日も元気だ」
リーゼが。
水槌ポンプを見る。
「設備の稼働音を生き物の健康みたいに扱うのか」
ノアが答える。
「でも、ちょっと分かる」
「聖者まで!」
道の向こう。
小さな妖精の子供たちが走っていく。
一人。
紙のようなものを持つ。
一人。
小さな鞄。
一人。
棒。
何をしているのか。
分からない。
でも。
景色として。
妙に完成している。
麗華が言った。
「こちらの方々も、何故この形にしたのかは分からないのですか?」
ルヴァナが頷く。
「前に聞いたけど、水車のとこと同じだったよ」
妖精たちは。
知識として。
昭和を知らない。
アメリカも知らない。
北欧も知らない。
昔の日本も知らない。
ただ。
水のある場所へ来て。
そこが。
落ち着くように。
家を作る。
道を作る。
畑を作る。
桟橋を作る。
それが。
結果として。
どこかの世界の。
どこかの時代の。
原風景になる。
ティセラが記録しながら言った。
「興味深いですね。同一種と思われる妖精が、水利設備ごとに大きく異なる文化景観を形成している」
スージーも周囲を見る。
「模倣じゃないのよね。元になるものがここにないもの」
ノアが小さな電柱を見る。
「少なくとも、僕はこんなの作ってない」
リーゼが言う。
「小官もだ」
シズクも首を振る。
「私も知りません」
ティセラの筆が。
速くなる。
リーゼが。
嫌な予感。
「教授」
「はい」
「妖精を全部集めて比較実験しようとか考えるなよ」
ティセラが。
少し。
黙った。
「教授!」
「自然状態を維持した方が比較には適しています」
「研究を諦めたわけではない!」
◇
館へ戻る頃には。
四つの妖精集落について。
簡単な取り決めができていた。
水車。
日本の古い農村風。
バルトリ。
北欧の農村風。
生け簀。
アメリカの湖畔の釣り村風。
水槌ポンプ。
昭和期日本の農村風。
いずれも。
手のひらサイズ。
人間側は、妖精の家や畑を踏まないよう通路を分ける。
設備を修理する時は。
先に声をかける。
妖精側も。
水路を塞がない。
人間の設備を勝手に改造しない。
生け簀の魚を勝手に全部釣らない。
最後だけ。
アデラが笑った。
「釣ってるじゃねえか」
ルヴァナが答える。
「ちっちゃいのだけね」
リーゼが腕を組む。
「食料管理上、量を把握しておけ」
スージーが横を見る。
「大尉」
「何だ」
「妖精の漁獲量まで管理するの?」
「共同生活圏だぞ!」
「もう完全に住民扱いね」
リーゼが止まった。
少し考える。
そして。
「……住んでいるなら住民だろう」
スージーの猫耳が。
ゆっくり。
上がった。
「そうね」
◇
翌朝。
シズクは水車へ。
洗濯の日には。
スージーがバルトリへ。
アデラは。
生け簀へ行く用事を。
妙に増やした。
レティも。
付き合う。
麗華は。
水槌ポンプ側の小さな商店が気に入ったらしく。
時々。
妖精たちと話している。
そして。
リーゼ。
朝。
点検表。
手。
止まる。
ノアが聞いた。
「どうしたの?」
「いや」
リーゼは。
水利設備一覧を見る。
水車。
バルトリ。
生け簀。
水槌ポンプ。
今まで。
設備名だけだった。
その横へ。
小さく。
書き足す。
『妖精集落あり。踏圧注意』
ノアが。
少し笑う。
リーゼが睨む。
「何だ」
「いや。住民になったんだなと思って」
「最初から住んでいただろう。小官たちが知らなかっただけだ」
それから。
リーゼは。
少し考え。
さらに。
一行。
追加した。
『設備修繕時、事前連絡』
ノアが言った。
「律儀だね」
「勝手に家を壊されたら、小官でも怒る」
遠く。
水槌ポンプ。
ばん。
さらに。
水車。
からん。
ことん。
バルトリ。
ごおお。
川辺。
妖精たちの歓声。
それぞれ。
別の音。
別の景色。
別の暮らし。
谷底には。
世界中から人間が落ちてきた。
文化も。
技術も。
食べ物も。
そして。
何故か。
水辺には。
誰の記憶でもないはずの故郷まで。
少しずつ。
増え始めていた。




