第百八十四話 ユニコーンも見ないよね?
キマイラが妊娠していた。
その事実が判明してから数日、館の住人たちの間では、巨大生物たちについて改めて話題になることが増えていた。
黒はいる。最近は妊娠中のキマイラのところへ足繁く通い、食べ物を運んだり、近くで寝そべったりしている。
鵺もいる。
ペガサスもいる。
キマイラは妊娠中なので、森の近くに作った寝床で休んでいる。
そして昼食後。
バルコニーで茶を飲んでいた麗華が、ふと顔を上げた。
「そういえば、ユニコーンも最近お見かけしませんわね?」
レティが首を傾げる。
「言われてみれば、拙者も見ていないでござる」
アデラも少し考えた。
「……そういや、いねえな」
ルヴァナが果物を食べながら、何でもないことのように答えた。
「生んだよ」
三人が止まった。
リーゼも止まった。
スージーの猫耳が、ぴん、と立った。
麗華がゆっくりルヴァナを見る。
「……何を?」
「子供」
「いつですの?」
「ちょっと前」
リーゼが勢いよく立ち上がった。
「待てえええええっ!」
ルヴァナが驚く。
「何!?」
「またか! 何故、小官の知らないところで四メートル級の巨大生物が次々と妊娠したり出産したりしている!」
ルヴァナは本気で不思議そうな顔をした。
「だって大尉、忙しそうだったし」
「報告しろ!」
「何の報告?」
「出産だ!」
「大尉に?」
リーゼが止まった。
確かに、自分へ報告する義務はない。
ルヴァナが首を傾げる。
「大尉、ユニコーンの上官じゃないよね?」
「違う……!」
リーゼはものすごく悔しそうだった。
スージーが笑う。
「そこは認めるのね」
「だが、共同生活圏周辺に存在する大型知性生物の個体数が増えたなら、管理上の情報として共有すべきだろう!」
ティセラが静かに茶を飲みながら言った。
「記録にはありますよ」
リーゼが教授を見る。
「教授!」
「はい」
「貴様も知っていたのか!」
「出産時にも立ち会いました」
リーゼは両手で頭を抱えた。
「また小官だけ知らない!」
スージーがそっと手を上げる。
「私も知らなかった」
リーゼが顔を上げた。
「スージー!」
猫耳が、ぴこ、と動く。
「今回は一緒ね」
「そういう意味ではない!」
◇
レティは、まだ別のところで混乱していた。
「ユニコーン殿は、雌だったのでござるか?」
ルヴァナが答える。
「うん」
「一人称が『僕』でござるが」
「女でも僕って言う人いるじゃん」
「……なるほど」
レティは自分の世界の常識を一つ脇へ置いた。
アデラはもっと単純な疑問を口にした。
「で、何が生まれた?」
「ユニコーン」
「普通だな」
妙な沈黙が落ちた。
全員がアデラを見る。
「何だよ」
リーゼが少し考えてから答えた。
「いや。この谷底で親がユニコーンで、子もユニコーンだったことに、小官も今ちょっと安心した」
スージーも頷く。
「分かる」
麗華も同意した。
「わたくしもですわ」
レティまで深く頷いた。
「親と同じものが生まれる。それだけで安心するようになってしまったでござる」
ルヴァナが笑う。
「みんな基準おかしくなってるって」
「貴様らに言われたくない!」
そこでアデラが、もう一つ気づいた。
「そういや、父親は?」
ルヴァナは即答した。
「黒」
また沈黙が落ちた。
今度は少し長かった。
リーゼがゆっくり聞き返す。
「……黒?」
「うん。黒との子」
麗華も目を瞬く。
「キマイラのお腹の子のお父様も、黒でしたわよね?」
「そうだよ」
アデラが森の方を見る。
「黒、二頭とも相手にしたのか」
ルヴァナが頷く。
「そういうこと」
レティが何とも言えない顔になる。
「黒殿、随分と……その……」
言葉を探している。
エヴァが代わりに言った。
「モテるんだな」
「そういうまとめ方でよいのでござるか!?」
ティセラが淡々と補足した。
「ユニコーンの子の父親が黒であることは確認しています。キマイラの妊娠についても、相手は黒です」
リーゼは額を押さえた。
「そこまで明確なのか……」
「はい」
スージーの猫耳が揺れる。
「今、黒はキマイラの世話をしてるのよね?」
「してるよ」
ルヴァナが答える。
「でも、ユニコーンの子の父親でもあるからね。別にキマイラだけの相手ってわけじゃないよ」
これでようやく、新しく来た三人にも関係が伝わった。
黒。
キマイラのお腹の子の父親。
そして、すでに生まれたユニコーンの子の父親でもある。
リーゼは遠い目をした。
「巨大生物の家族関係まで把握する必要が出てきたのか、小官は……」
スージーが笑う。
「大尉、自分から管理しようとしてるじゃない」
「共同生活圏だからだ!」
◇
結局、ユニコーンの親子を見に行くことになった。
もちろん押しかけない。
大声を出さない。
子供へ触れるのも、母親が許してから。
ティセラが先に念を押す。
「出産後の母子です。興味本位で囲まないようにしてください」
麗華が頷いた。
「当然ですわ」
レティも頷く。
「承知したでござる」
アデラも同じだった。
「遠くから見るだけでもいい」
リーゼはティセラを見る。
「教授」
「はい」
「今回は普通だな?」
ティセラが少し考える。
「何を基準に?」
「そういう返しをするな!」
◇
ユニコーンが休んでいたのは、林の外れにある陽当たりのよい開けた場所だった。
水場にも近い。
柔らかい草と土があり、暑ければすぐ木陰へ入れる。
その中央に、白い巨体が横たわっていた。
四メートル級のユニコーン。
以前は二メートル級の狼を普通に食べていた、あの巨大なユニコーンである。
今は驚くほど静かだった。
その腹の近くで、小さな白いものが動いた。
麗華の目が少し大きくなる。
「まあ……」
レティも思わず声を落とした。
「小さいでござるな」
アデラが横から言う。
「いや、俺たちから見れば、そこまで小さくねえぞ」
母親が四メートル級だから小さく見えるだけだった。
まだ幼いのに、人間の腰よりずっと高い。
長い脚。
真っ白な身体。
ふわふわした毛。
額には、まだ完全に硬くなっていない短く丸みのある角がある。
子ユニコーンは母親の腹へ鼻先を押しつけていた。
母ユニコーンがこちらを見て、目を細める。
「静かにね。まだ寝たばっかりだから」
全員が足を止めた。
レティが小声で返す。
「承知したでござる」
アデラも声を落とす。
「ああ」
麗華は自然に微笑んでいた。
「とても可愛らしいですわ」
ユニコーンは少し嬉しそうに答えた。
「でしょ?」
その言い方は、あまりにも普通の母親だった。
リーゼも思わず肩の力を抜く。
「……平和だ」
スージーが小さく笑った。
「大尉、感動してる?」
「悪いか」
「別に」
猫耳も穏やかに揺れていた。
リーゼは子供をしばらく眺めてから、母ユニコーンへ確認する。
「ところで、その子の父親は黒なんだな?」
ユニコーンは何でもないように頷いた。
「うん。黒との子だよ」
「本人からも確認が取れた……」
リーゼは妙なところで安心した。
母ユニコーンは続ける。
「黒、今はキマイラのところにいるでしょ?」
「ああ」
「お腹大きくなってきたから、あっちについてることが多いんだ」
リーゼは額を押さえる。
「なるほど。黒は自分の子を妊娠しているキマイラの世話をしつつ、こちらにはすでに生まれた自分の子がいる、と」
「そう」
非常に分かりやすい。
分かりやすいのに、情報量が多かった。
◇
子ユニコーンが目を覚ました。
ぱちりと目を開け、まず母親を見る。
次に周囲。
そして、見慣れない人間たち。
麗華を見る。
じっと見る。
麗華も見返す。
少しだけ手を上げた。
「こんにちは」
子ユニコーンは首を傾げる。
それから立とうとした。
脚がぐらつく。
母ユニコーンが身体を寄せて支える。
もう一度。
今度は立った。
レティが小さく声を漏らした。
「おお……」
アデラも感心する。
「強いな」
数歩歩く。
ふらつく。
止まる。
また歩く。
そして、麗華たちの方へ少しずつ近づいてきた。
母ユニコーンは止めない。
麗華がティセラを見る。
ティセラが小さく頷いた。
子供の方から近づいてきている。
なら、そのまま待つ。
子ユニコーンは麗華の前まで来ると、鼻先を伸ばした。
くん、くん、と匂いを嗅ぐ。
麗華は動かない。
そして子供は、麗華の袖へ鼻を押しつけた。
麗華の表情が完全に緩んだ。
「まあ……」
アデラが横からにやりとする。
「麗華、顔」
麗華の表情が一瞬で戻った。
「何ですの」
「いや」
レティも少し笑っている。
「麗華殿にも、そのようなお顔ができるのでござるな」
「できますわ!」
◇
その時、森の方からペガサスがやってきた。
白い翼。
優雅な巨体。
子ユニコーンを見るなり、翼を少し広げた。
「まあ! もう立てるようになったのでございますのね!」
母ユニコーンが答える。
「うん。まだふらふらだけどね」
ペガサスはものすごく嬉しそうだった。
「立派でございますわ!」
レティが横を見る。
「ペガサス殿も知っていたのでござるか」
「もちろんでございますわ」
「拙者には?」
「申し上げておりませんでしたか?」
「聞いていないでござる」
ペガサスは少し考えた。
「では今、申し上げましたわ」
「その理屈はおかしいでござる!」
リーゼが少し離れたところから声を上げた。
「珍しくレティがまともだ!」
「珍しくとは何でござる!」
◇
アデラが母ユニコーンへ聞いた。
「体調はどうだ?」
「大丈夫」
「食えてる?」
「食べてるよ。肉も」
リーゼの眉が少し動いた。
アデラは納得する。
「……まあ、そうだよな」
レティが子供を見る。
「子は?」
「まだ乳だよ」
全員が少し安心した。
レティも頷く。
「そうでござるか」
母ユニコーンは続ける。
「もう少ししたら、柔らかい肉からかな。野菜も食べさせるよ」
リーゼが目を開く。
「肉へ移るのが早くないか?」
「そう?」
ペガサスが上品に言う。
「成長期には、偏りのない食事が大切でございますもの」
リーゼがペガサスを見る。
「何故、神話上の聖獣二頭から妙に現実的な栄養論を聞かされているんだ、小官は」
ペガサスは当然のように答えた。
「健康は騎士道の基本でございますわ」
レティが力強く頷く。
「その通りでござる!」
リーゼが指差した。
「レティ、そちらへ行くな!」
◇
しばらく、皆で母子を眺めた。
子供は少し歩き、疲れると母親へ寄り添って寝る。
それだけだった。
変な声は出さない。
妙な汁も飛ばさない。
電気も出さない。
人間の身体の一部にも似ていない。
腹の内側から何かが突き破って出てくることもない。
ただ、母親と子供がいる。
リーゼはものすごく穏やかな顔になった。
「……普通だ」
スージーが横を見る。
「ユニコーンだけど」
「親と同じ種が生まれて、母親が子供を世話している。父親も黒だとはっきりしている。十分普通だ」
ティセラが言う。
「黒とユニコーン、黒とキマイラという異種間で、どの程度父系形質が――」
リーゼが即座に止めた。
「今日は研究の話をするな」
「まだ途中ですが」
「教授の顔で分かる!」
◇
帰り道。
麗華は何度か後ろを振り返っていた。
レティが気づく。
「気に入ったのでござるか?」
麗華は少し間を置いて答える。
「……可愛らしかったですわ」
アデラが笑う。
「抱きたかった?」
「そんなことは……」
麗華は少し考えた。
「母親の許可があれば、少しくらいは」
「抱きたいんじゃねえか」
「うるさいですわ!」
ルヴァナが笑い始める。
「麗華、めっちゃ普通に好きじゃん」
「可愛らしいものを可愛らしいと言って何が悪いのです!」
リーゼはそんな三人を見ながら、少しだけ安心していた。
キマイラは妊娠中。
その父親は黒。
ユニコーンはすでに出産済み。
その子供の父親も黒。
巨大生物たちにも、それぞれ生活と関係がある。
館へ毎日来るわけではない。
姿を見ないからといって、何か事件が起きているとは限らない。
リーゼはそこまで考えて、ふと足を止めた。
「待て」
スージーが振り返る。
「何?」
リーゼは指を一本立てる。
「黒は今、キマイラと、その腹にいる自分の子の世話をしている」
二本目。
「ユニコーンは、黒との間に生まれた子を育てている」
三本目を立てかけて、周囲を見る。
「では、他に最近見ていない奴はいないだろうな?」
全員が少し考えた。
沈黙。
リーゼの顔がだんだん不安になる。
「おい」
ルヴァナが、何かを思い出したような顔をした。
リーゼが即座に指差す。
「その顔をするな!」
「いや」
「何だ!」
「ちょっと思い出しただけ」
「何を!」
ルヴァナは少し笑った。
「また今度」
リーゼの声が森へ響いた。
「今言ええええええっ!」




