第百六十八話 首を落としたら終わりではありませんの?
次は、麗華の世界について話すことになった。
同じ屋根付きバルコニー。
三方には壁がなく、夕方の風が通り抜けている。
聖者も同じ食卓にいた。
皆から少し距離を取り、その日の風向に合わせて卓の端へ座っている。
レティ。
アデラ。
麗華。
今日この谷底へ来た三人も、それぞれ椅子についていた。
先ほどまで。
レティの冒険者ギルド。
レベル。
モンスター。
アデラの騎士。
領土争い。
剣技スキル。
普通の軍馬。
そんな話をしていた。
今度は。
麗華だった。
リーゼが尋ねる。
「麗華の世界にも学校はあるのか」
「ございますわ」
麗華は茶器を置いた。
「貴族の子女が通う学園がございます」
ティセラがすぐに反応した。
「高等教育機関ですか?」
「近いものかと」
「何を教えるのです?」
「礼法、歴史、法律、領地経営、会計、外国語、音楽、舞踏、外交上の作法などですわね」
アデラが頷く。
「その辺なら分かる」
麗華もアデラを見る。
「あなたの世界にも?」
「貴族の子なら似たようなことは学ぶ。俺は騎士家だから、剣や馬の方が多かったけどな」
ティセラは少し不思議そうだった。
「魔法は教えないのですか?」
麗華が止まった。
「……魔法?」
「はい」
「ございませんわ」
ティセラも止まった。
「一切?」
「一切ですわ」
「魔力理論も?」
「ございません」
「術式構築は?」
「ございません!」
「魔法薬――」
リーゼが止めた。
「教授。ないと言っているだろう!」
「学院があるのに魔法を教えないというのが、少し不思議で」
「貴様の学院を基準にするな!」
麗華が小さく息を吐いた。
「学園とは、魔法を学ぶ場所ではございませんわ」
その横で。
クロエが首を傾げた。
「では、エロの五巻は?」
麗華が止まった。
レティも止まった。
アデラも止まった。
「…………何ですの?」
アスラも不思議そうに麗華を見る。
「エロの五巻を学ばなくて、何を学ぶ?」
麗華の眉が跳ねた。
「今、わたくしが説明いたしましたわよね!?」
ネイラが指を折る。
「礼法」
ルヴァナ。
「歴史」
クロエ。
「法律」
アスラ。
「領地経営」
四人が少し考えた。
ルヴァナが言った。
「普通の学校だ」
リーゼが卓を叩いた。
「最初からそう言っている!」
麗華が忍者四人を見る。
「そちらの学園では、本当にその……エロの五巻とやらを学びますの?」
ネイラが答える。
「当然です」
ルヴァナも頷く。
「それ学ばなくて何学ぶの、ってくらい」
「戦闘や忍術ではありませんの!?」
「それもやるよ」
クロエが続けた。
「戦闘、潜入、偽装、拷問耐性、植物対策、エロ拷問」
アスラも頷く。
「必要なものは一通りだ」
麗華は少し黙った。
「……最後の二つだけ、別の学校に分けるべきでは?」
リーゼが強く頷いた。
「小官もそう思う!」
「何故だ」
クロエは本気で分からない顔をしている。
麗華はそれ以上聞くのをやめた。
「世界が違うということにしておきますわ」
リーゼが言った。
「その判断は正しい」
話は。
麗華自身のことへ移った。
シズクが静かに尋ねる。
「麗華さんは、第一王子とは幼い頃から婚約されていたのですよね」
麗華の表情が変わった。
先ほどまでの呆れが消える。
「ええ」
声も少し低くなった。
「幼い頃から、御門雅臣殿下と婚約しておりました」
「王妃になるための教育も?」
「受けておりましたわ」
礼法。
歴史。
領地経営。
外交。
王家の系譜。
王妃として必要になるすべて。
自分の希望だったのかと問われれば。
麗華にも、もう分からない。
物心ついた時には。
そうなるものだと言われていた。
だから。
努力した。
学んだ。
耐えた。
失敗しないように生きてきた。
そして。
結婚を正式に発表するはずだった舞踏会。
その日。
雅臣の隣には。
妹の琴音がいた。
麗華は卓の上へ視線を落とした。
「殿下は、大勢の貴族の前でおっしゃいました」
誰も口を挟まない。
「鷹司麗華。お前との婚約を破棄する、と」
レティの表情も真面目になった。
アデラも腕を組んだまま黙っている。
「わたくしは、その日」
麗華は続けた。
「殿下との結婚を発表するものだと思って、あの舞踏会へ出席したのです」
今着ているドレスを見る。
「これが、その時の服ですわ」
シズクが静かに麗華を見る。
「妹さんは?」
「殿下の腕に縋って泣いていました」
麗華の口元がわずかに歪む。
「泣きたいのはこちらでしたけれど」
誰も笑わなかった。
「それから」
麗華は指を一本立てた。
「琴音へ毒を盛った」
もう一本。
「階段から突き落とした」
もう一本。
「学園で孤立させた」
さらに。
「殿下へ近づく女性へ圧力をかけた」
麗華は手を下ろした。
「身に覚えのない罪を、次々と並べられました」
リーゼが聞く。
「反論は?」
「いたしましたわ」
「聞かれたか?」
麗華は少しだけ笑った。
乾いた笑いだった。
「聞いていただけたように見えました?」
リーゼは黙った。
「証人が出ました」
「証拠も?」
「ええ」
「偽物だった可能性は」
「今となっては分かりませんわ」
麗華の声は落ち着いている。
落ち着きすぎていた。
「ただ」
一度。
言葉を切る。
「誰も、わたくしの側へ立ちませんでした」
それだけは。
まだ痛いらしい。
昨日まで。
笑いかけてきた者。
頭を下げてきた者。
友人だと思っていた者。
教師。
貴族。
誰も。
麗華の目を見なかった。
「その後、捕らえられ」
麗華は淡々と続ける。
「裁判を受けました」
アデラが眉を寄せる。
「まともな裁判だったのか」
「わたくしは、そうは思いません」
「早かった?」
「異常なほど」
リーゼの目が鋭くなる。
「政治的に最初から結論が決まっていた可能性があるな」
「わたくしも、今になってそう思いますわ」
だが。
もう確かめることはできない。
「結果は有罪」
麗華は自分の首へ手を添えた。
「そして」
静かに言った。
「ギロチンで処刑されました」
風が通った。
誰も喋らなかった。
先ほどまで騒がしかった食卓が。
完全に静かになった。
レティが小さく尋ねる。
「……怖くは、なかったのでござるか」
麗華は少し考えた。
「怖かったですわ」
強がらなかった。
「とても」
処刑台。
首を置く場所。
群衆。
木の匂い。
冷たい風。
逃げられない。
誰も助けに来ない。
「最後まで」
麗華の指が、自分の首筋をなぞる。
「何かの間違いで」
声が少しだけ震えた。
「止まるのではないかと思っておりました」
止まらなかった。
「刃が落ちるのを見ました」
シズクが黙って聞いている。
「そこで記憶が途切れます」
麗華は館の食事場所を見る。
「次に目を開けた時には」
今いる場所。
「このバルコニーで寝ておりました」
舞踏会のドレス姿で。
首は繋がっていた。
だから。
麗華自身にも。
何が起きたのか分からない。
「わたくしは」
麗華は静かに言った。
「死んだはずですわ」
重い沈黙が残った。
しばらく。
誰も何も言わなかった。
そして。
クロエが口を開いた。
「……なるほど」
麗華が見る。
クロエは真剣な顔をしていた。
「処刑手順を間違えたんだな」
麗華の眉が動く。
「…………はい?」
クロエが少し申し訳なさそうに言った。
「すまない」
「何がですの?」
「話が楽しくなって、生命維持装置に繋ぐ工程を飛ばして考えてしまった」
沈黙。
リーゼの顔が引きつった。
「おい」
クロエは続けた。
「あれだな。まず生命維持装置に繋いで、感度十万倍にしないとな」
麗華が固まった。
レティも固まった。
アデラも固まった。
アスラが即座に否定する。
「違うだろ」
クロエが見る。
「何が」
「首を落としたなら、首側の舌を肉触手にする」
麗華の目が大きくなる。
アスラは真顔だった。
「それで自分を襲わせるだろ?」
リーゼが両手で顔を覆った。
「始まった……」
麗華が卓へ手を置いた。
「ちょっとお待ちなさい」
ネイラが母二人を見た。
「母さん達」
クロエとアスラが見る。
「何だ」
ネイラは少し困ったように笑った。
「それらは母さん達の時代ですよ」
クロエの眉が動く。
「古いと言いたいのか」
「古いです」
アスラも不満そうだった。
「では今はどうする」
ネイラは当然のように答えた。
「五体を別のところへ繋ぎ直すか」
麗華が止まる。
「ごたい?」
「五体です」
「何の五体ですの?」
ネイラは説明を続けた。
「あるいは、全ての切り口を肉触手にします」
アデラが顔をしかめる。
「待て」
レティも言った。
「待つでござる」
麗華も言った。
「待ちなさい!」
だが。
ルヴァナがさらに割り込んだ。
「違うよ、お姉」
ネイラが見る。
「何が?」
「今なら培養槽で二人にした上で」
ルヴァナは果物を一つ取った。
「片方に襲わせなきゃ」
静寂。
クロエが少し考える。
「なるほど」
アスラも頷く。
「自己対自己か」
ネイラも顎へ手をやった。
「人格差を付けるなら、それもありですね」
「ありではありませんわ!」
麗華の声がバルコニーへ響いた。
クロエたちが一斉に見る。
麗華は立ち上がりかけていた。
「何ですの、その処刑!」
クロエが首を傾げる。
「処刑ではない」
「では何ですの!」
「拷問だ」
「なお悪いですわ!」
アデラが自分の首を指差した。
「お前ら、根本がおかしいぞ」
「何がだ」
アスラが見る。
アデラは言った。
「首を落としたら死ぬだろ!」
レティも勢いよく頷いた。
「そうでござる!」
麗華も自分の首を押さえる。
「当然ですわ!」
三人の声が重なった。
「首を落として生きている前提なの!?」
クロエが答えた。
「生命維持装置に繋げば」
アスラ。
「魔術でも維持できる」
ネイラ。
「現在なら再接続もできます」
ルヴァナ。
「培養槽もあるよ」
新人三人が黙った。
アデラがゆっくり言った。
「俺の世界なら死ぬ」
レティも続く。
「拙者の世界でも死ぬ」
麗華は目を吊り上げる。
「わたくしは実際に死んだはずですわ!」
リーゼの目が少し潤んだ。
スージーが横から見る。
「大尉」
「三人とも普通だ……」
「今そこ?」
「首を落としたら死ぬと言っている」
「普通はそうね」
「三人ともだぞ……!」
「感動するところじゃないわよ」
麗華はまだ忍者四人を睨んでいた。
「そもそも」
指差す。
「肉ダルマとは何ですの!」
リーゼが勢いよく立ち上がった。
「聞くな!」
麗華が振り向く。
「何故ですの!」
「聞かない方がいい!」
「ですが先ほどから何度も――」
「小官を信じろ!」
リーゼの顔は本気だった。
麗華は少し黙った。
「……分かりましたわ」
「よし」
クロエが残念そうに言う。
「説明できるが」
「するな!」
アスラも言った。
「図も描けるぞ」
「もっとするな!」
ネイラが尋ねる。
「教育用資料もありますよ」
「何故持っている!」
ルヴァナが笑う。
「大尉、食いつき良すぎ」
「止めているんだ!」
麗華はこめかみを押さえた。
先ほどまで。
自分の死について話していた。
婚約破棄。
妹。
断罪。
裁判。
処刑。
処刑台で感じた恐怖。
刃が落ちる瞬間。
それを。
真面目に聞いていたはずなのに。
気がつけば。
生命維持装置。
感度十万倍。
肉触手。
切断部位の再接続。
培養槽。
自分を二人にする話になっている。
麗華は静かに尋ねた。
「……皆様」
「何だ」
クロエが答える。
「わたくしの処刑の話をしておりましたわよね?」
「そうだ」
「どこで間違えましたの?」
クロエは少し考えた。
「生命維持装置を入れ忘れたところ」
「そこではありませんわ!」
アスラも考える。
「やはり舌を先に――」
「そこでもありません!」
ネイラ。
「母さん達の方式が古いところでしょうか」
「違います!」
ルヴァナ。
「培養槽が一個しかない場合?」
「設備の話でもありませんわ!」
麗華が両手を卓についた。
「処刑された人間は、そこで終わりですの!」
クロエたちが黙る。
新人三人も黙る。
シズクが小さく頷いた。
「麗華さんの世界では、そうなのですね」
「普通はそうですわ!」
レティも頷いた。
「拙者の世界でも」
アデラも。
「俺のところも」
リーゼが目元を押さえた。
「素晴らしい……」
「大尉」
スージーが苦笑する。
「今度こそ泣いてるわよ」
「泣いていない」
「泣いてる」
「普通が三人もいるんだぞ……」
麗華がリーゼを見る。
「この方は何故、わたくしの死生観で感動していらっしゃるの?」
スージーが答える。
「かなり追い詰められてたからね」
「そういう問題ですの?」
「たぶん」
ノアは少し離れた同じ食卓の端で、困ったように笑っていた。
「まあ」
全員が見る。
「少なくとも、麗華の話を聞く限りでは」
ノアは静かに言った。
「処刑の経緯そのものは、ちゃんと調べた方がよさそうだね」
麗華の表情が少し戻った。
「……ええ」
「もし戻れる方法が見つかった時」
ノアは続ける。
「何が起きていたのか知らないままだと困るでしょ」
麗華は少し黙った。
それから。
「そうですわね」
小さく頷いた。
「わたくしも」
きつい目つきのまま。
「このまま終わるつもりはございませんもの」
アデラが笑う。
「それでいい」
レティも頷く。
「麗華殿らしいでござる」
麗華は二人を見る。
「出会って一日も経っていないのに、何が分かりますの?」
「目を見れば分かる」
アデラが言った。
レティも続ける。
「諦める者の目ではないでござる」
麗華は少しだけ黙った。
そして。
ほんの少し。
笑った。
その横で。
クロエがアスラへ小声で言った。
「やはり生命維持装置からだな」
アスラが首を横に振る。
「舌だ」
ネイラ。
「古いです」
ルヴァナ。
「培養槽」
麗華の眉が跳ねた。
「まだ続けておりますの!?」
リーゼが卓を叩いた。
「貴様らも少しは余韻というものを覚えろおおおっ!」




