第百六十五話 普通に首を落とされたはずなのに、舞踏会のドレスで食卓にいました
刃が落ちる。
その瞬間まで。
鷹司麗華は、自分に何が起きたのかを覚えていた。
王宮の大広間。
第一王子との結婚を正式に発表するための舞踏会。
磨き上げられた床。
眩い吊り灯。
楽団。
壁際に並ぶ貴族たち。
その中心で。
麗華の婚約者である第一王子、御門雅臣の腕に。
妹の鷹司琴音が縋りついていた。
「お姉様……ごめんなさい……」
琴音は泣いていた。
麗華には、何故泣いているのか分からなかった。
泣きたいのはこちらだった。
その日は。
麗華と雅臣の結婚を発表するための舞踏会だったのだから。
幼い頃から決められた婚約。
王妃となるために受け続けた教育。
礼儀。
歴史。
領地経営。
外交。
舞踏。
茶会。
王家へ嫁ぐ者として必要だと言われたものを、麗華はすべて学んできた。
その結果が。
これだった。
「雅臣殿下」
麗華は感情を抑えた。
「これは、どういうことでございますの?」
雅臣は答えた。
貴族たちが見守る前で。
堂々と。
「鷹司麗華。お前との婚約を破棄する」
麗華は、一瞬。
聞き間違いだと思った。
「……何を、おっしゃっておりますの?」
そこからは。
あまりにも早かった。
琴音への嫌がらせ。
毒殺未遂。
階段から突き落とした。
学園で孤立させた。
第一王子へ近づいた者たちへ圧力をかけた。
聞いたこともない罪が、次々と並べられた。
「お待ちなさい!」
麗華は声を上げた。
「わたくしは、そのようなことをしておりませんわ!」
誰も聞かなかった。
琴音が泣く。
雅臣が怒る。
証人が出てくる。
証拠と称するものまで並ぶ。
昨日まで麗華に頭を下げていた者たちは。
誰も。
麗華の目を見なかった。
捕縛された。
裁判にかけられた。
有罪。
王家への反逆。
第一王子が庇護する女性への殺害未遂。
そして。
断頭刑。
麗華は処刑台へ連れていかれた。
首を固定された。
冷たい風が首筋へ触れた。
最後に見たものは。
処刑台の木目。
最後に聞いたものは。
群衆のざわめき。
そして。
刃が落ちた。
だから。
次に目を開けた時。
麗華は、しばらく動けなかった。
「…………」
風が吹いている。
木の匂い。
鳥の声。
遠くから聞こえる水音。
麗華は瞬きをした。
頭上には屋根があった。
だが。
正面。
右。
左。
三方には壁がない。
外へ大きく張り出した、屋根付きの空間だった。
その先には森と空が見える。
「…………?」
麗華は身体を起こした。
床は木。
近くには食卓。
椅子。
食器や道具を置くための棚。
どうやら食事をする場所らしい。
屋根を支える柱は太い。
館そのものも、妙に大きい。
壁。
扉。
柱。
屋根。
どれも普通の屋敷より余裕がある。
ただし。
食卓や椅子まで馬鹿げて大きいわけではなかった。
卓には高さの違う椅子が混ざっている。
使う者の体格に合わせて調整されているらしい。
「……何ですの、ここは」
麗華は自分の首へ手をやった。
触れる。
ある。
もう一度。
首筋へ指を這わせる。
傷はない。
血もない。
痛みもない。
「…………」
麗華は黙った。
もう一度触った。
「……ありますわね」
当然である。
首はある。
だが。
あるはずがなかった。
「わたくし……」
覚えている。
処刑台。
固定された首。
落ちる刃。
「死んだはずでは?」
答える者はいない。
麗華は自分の身体を見る。
そして。
さらに混乱した。
「……何故、この服ですの?」
ドレスだった。
処刑の日に着せられていた粗末な服ではない。
あの舞踏会。
雅臣との結婚を正式に発表するはずだった、その夜のドレス。
豪奢な刺繍。
宝石。
手袋。
靴。
髪まで。
あの舞踏会の時と同じ形に整えられている。
「どういうことですの……」
処刑までの記憶はある。
なのに。
身体は舞踏会の時へ戻っている。
麗華は立ち上がった。
改めて館を見る。
巨大な丸太を組んだ建物。
平屋。
だが。
普通の人間の屋敷として考えると、随分と大きい。
扉も高い。
柱も太い。
天井にも十分すぎるほど余裕がある。
まるで。
かなり大柄な人間を基準にして建てたような館だった。
「……どなたのお屋敷ですの」
当然。
返事はない。
麗華は食事場所から外へ出た。
森。
道。
畑。
遠くには水の気配。
どこにも見覚えがない。
「まず、ここがどこの領地なのか確認しませんと」
その時だった。
人の声が聞こえた。
複数。
麗華が振り返る。
道の向こうから。
大勢の人間が歩いてきていた。
少なくとも。
最初に麗華の目へ入ったのは、黒髪の女だった。
白と赤を基調とした、見慣れない服。
その近くには。
鎧姿の女。
角を生やし、同じく白と赤の服を着た女。
金髪の女。
さらに何人もいる。
麗華は目を細めた。
「…………」
向こうもこちらに気づいた。
全員が止まる。
リーゼが館の前を見る。
黒髪。
豪華なドレス。
姿勢がいい。
目つきが鋭い。
どう見ても。
高位貴族の令嬢だった。
「……またいるぞ」
スージーの猫耳が立った。
「いるわね」
レティシアも目を丸くした。
「先ほどまではおらなんだな?」
「いなかった」
ネイラが答えた。
ルヴァナが指を折った。
「レティ」
一本。
「アデラ」
二本。
館の前の黒髪令嬢を見る。
三本。
「今日どうなってんの?」
リーゼが空を見た。
「小官を見るな」
「まだ何も言ってないじゃん」
「言う前に止めている!」
麗華は、その騒ぎを冷たい目で見ていた。
シズクが一歩前へ出る。
「こんにちは」
麗華の眉が動いた。
「……ごきげんよう」
会話は通じる。
シズクは少し安心した。
「私はシズクと申します」
麗華はシズクを見る。
黒髪。
黒い瞳。
その点だけなら、見慣れた姿だった。
「鷹司麗華ですわ」
「鷹司麗華さん」
「麗華で結構です」
シズクは軽く頭を下げた。
「麗華さん。私たちは、この館で暮らしています」
麗華が背後の館を見る。
「では、こちらのお屋敷の方ですのね」
「はい」
「でしたら、お伺いしますわ」
麗華は真っ直ぐシズクを見る。
「ここは、どちらですの?」
「谷底です」
「どこの国の?」
「国ではありません」
麗華の眉間に皺が寄った。
「……では、どこの領地ですの?」
「領地でもありません」
「では、どなたの土地ですの?」
シズクが少し困った。
「その説明が、少し難しくて」
麗華は黙った。
そして。
「意味が分かりませんわ」
リーゼが小さく頷いた。
「正常だ」
麗華の視線が飛ぶ。
「何ですの?」
「いや。何でもない」
シズクが話を続けた。
「ただ、麗華さんだけではありません」
「何がですの?」
「今日、突然ここへ来た方が、ほかにも二人います」
麗華の表情が変わった。
「……二人?」
「はい」
レティシアが一歩前へ出た。
「拙者でござる」
麗華が見る。
黒髪。
白と赤の服。
腰には刀。
頭には角。
「……あなたが?」
「左様」
レティシアは軽く胸へ手を置いた。
「拙者、レティシア・ヴァルナー。皆からはレティと呼ばれ始めておる」
ルヴァナが横から言う。
「認めた?」
「認めてはおらぬ!」
レティシアはすぐ麗華へ向き直った。
「ともあれ、拙者も今日、この谷底へ突然飛ばされてきたばかりでござる」
その隣へ。
鎧姿の女も出た。
「俺もだ」
麗華の視線が移る。
「あなたも?」
「ああ」
女は自分の胸を軽く叩いた。
「アデライード・ド・ヴァレーヌ。騎士だ」
少しだけ間を置く。
「こいつらにはアデラって呼ばれてる」
エヴァが言った。
「長いからな」
アデライードが振り返る。
「お前が勝手に決めたんだろ」
麗華は二人を見る。
レティシア。
アデライード。
どちらも、この館の住人ではないらしい。
アデライードが肩をすくめた。
「だからまあ、俺たち三人は仲間みたいなもんだ」
麗華の眉が少し動く。
「仲間?」
「今日いきなり、訳の分からない場所へ放り込まれた仲間」
レティシアも頷いた。
「拙者たちも、こちらの皆とは知り合ったばかりでござる」
麗華を見る。
「ゆえに、麗華殿だけが事情を知らぬわけではない」
アデライードも言った。
「俺なんか、まだここが何処なのかもよく分かってない」
麗華は二人をしばらく見た。
それから。
ほんの少し。
肩の力を抜いた。
「……そうですの」
レティシアが微笑む。
「まずは、同じ境遇の者が二人いると思えばよいでござる」
「勝手に仲間にされましたわね」
「嫌でござるか?」
麗華は少し考えた。
「……今は、ありがたく受け取っておきますわ」
アデライードが頷いた。
「それでいい」
麗華は改めて周囲を見る。
知らない場所。
知らない館。
知らない人々。
そして。
同じ日に突然ここへ来たという二人。
聞きたいことはいくらでもある。
だが。
まずは。
自分の話をしなければならないらしい。
シズクが尋ねた。
「麗華さんは、どうしてここへ来たのか、覚えていますか?」
麗華の表情が変わった。
「分かりませんわ」
「直前のことは?」
「覚えております」
麗華は館から外へ張り出した、屋根付きの食事場所を見る。
三方が外へ開いている。
先ほどまで。
自分は、あそこで寝ていた。
「あちらで目を覚ましましたの」
「食事をする場所で?」
「ええ」
麗華の目が細くなる。
「何故わたくしが、他人様のお食事場所で寝ていたのかは存じませんけれど」
リーゼが聞いた。
「その前は?」
麗華は黙った。
一瞬だけ。
それから。
「処刑台ですわ」
誰も声を出さなかった。
スージーが確認する。
「……処刑?」
「ええ」
麗華は自分の首へ触れる。
「わたくし、処刑されたはずですの」
アデライードの顔つきが変わった。
「どういうことだ」
麗華は答える。
「婚約していた第一王子との結婚発表の舞踏会で、婚約を破棄されました」
レティシアが目を丸くする。
「結婚発表の舞踏会で?」
「ええ」
アデライードも眉を寄せた。
「何でそんな日に」
「わたくしが一番知りたいですわ」
麗華は腕を組んだ。
「妹に第一王子を奪われましたの」
「…………」
「その上、妹を害した、毒を盛った、階段から突き落とした、学園で孤立させたなどと、次々と身に覚えのない罪を並べられまして」
アデライードが聞く。
「本当にやってないんだな」
麗華の目が鋭くなる。
「やっておりませんわ!」
「確認しただけだ」
「聞き方というものがございますでしょう!」
アデライードは肩をすくめた。
「それで?」
「捕らえられました」
麗華の声が低くなる。
「裁判を受け、有罪となり」
一度。
自分の首へ触れる。
「ギロチンで処刑されました」
沈黙。
レティシアも何も言わない。
アデライードが尋ねた。
「首を落とされたのか」
「ええ」
「覚えてる?」
「刃が落ちるところまでは」
「それで」
アデライードが食事場所を見る。
「次に目を開けたら、あそこ?」
「そうですわ」
麗華は自分のドレスを見る。
「しかも、処刑時の服ではありません」
「そのドレス?」
「ええ」
麗華は裾を摘まむ。
「婚約を破棄された、あの舞踏会の時に着ていたものです」
レティシアが不思議そうに見る。
「処刑までの記憶はあるのに?」
「ございます」
「身体は?」
「舞踏会の時の状態らしいですわ」
アデライードが腕を組む。
「……分からんな」
麗華が睨んだ。
「わたくしもですわ!」
スージーの猫耳が少し伏せられた。
シズクが静かに言う。
「ひとまず、お身体に問題がないか確認した方がよいと思います」
麗華は少し考えた。
「そうですわね」
「今日は色々ありましたから」
シズクはレティシアとアデライードも見る。
「お二人もです」
アデライードが答える。
「俺は平気だ」
レティシアも胸を張る。
「拙者も問題ないでござる」
シズクは二人を見た。
「確認はします」
「はい」
二人とも妙に素直だった。
麗華はその様子を見ていた。
それから。
改めて館と、その前に集まっている人々を見る。
分からないことばかりだった。
だが。
レティシアとアデライード。
自分以外にも。
今日。
突然ここへ来た者がいる。
それだけでも。
一人で目を覚ました時よりは、ずっとましだった。
麗華は背筋を伸ばした。
「では」
いつものように。
きつい目つきのまま。
「まず、事情を最初から説明していただけますこと?」
シズクが頷いた。
「はい」
アデライードが小さく言った。
「俺も聞きたい」
レティシアも頷く。
「拙者も、まだほとんど聞いておらぬ」
麗華が二人を見る。
「あなた方」
「何だ」
「何でござる?」
「仲間と言いましたわね」
「ああ」
「左様」
麗華は小さく息を吐いた。
「本当に三人とも、何も分かっておりませんのね」
アデライードが答えた。
「だから仲間なんだろ」
レティシアも頷く。
「うむ」
麗華は少しだけ目を伏せた。
「……それなら」
また二人を見る。
「よろしくお願いいたしますわ」
アデライードが笑う。
「おう」
レティシアも微笑んだ。
「よろしく頼むでござる、麗華殿」
その日は。
谷底へ。
一日のうちに三人。
新しい来訪者がやってきた。
龍角の巫女侍。
レティ。
スキルだけが存在する世界の女騎士。
アデラ。
そして。
第一王子との結婚発表の舞踏会で。
妹に婚約者を奪われ。
断罪され。
ギロチンで処刑されたはずなのに。
その舞踏会のドレス姿で。
館の食事場所に寝ていた。
鷹司麗華。
三人とも。
まだ。
自分たちが、どんな場所へ来たのかを知らなかった。




