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大瀑布の底のハーレム【一般公開版】 (R18版 日間76位ありがとうございます)  作者: 黒瀬 量衡
第二十三章 普通Ⅰ

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第百六十四話 普通が来たと思ったら、スキルはあった

滝壺から館へ戻ることになった。


歩き始めてすぐ、エヴァがレティシアを見た。


「レティシア」


「何でござる?」


「長いな」


「何が?」


「名前」


レティシアが嫌そうな顔をした。


「嫌な予感がするのでござるが」


エヴァは気にしなかった。


「レティでいい」


「何故、そなたが決めるのでござる!」


「呼ぶのが面倒だ」


「面倒という理由で人の名を縮めるな!」


「レティ」


「もう呼んでおる!」


少し前を歩いていたリーゼが振り返った。


その顔に、妙な懐かしさが浮かんでいた。


「……懐かしいな」


「何がでござる?」


「小官も同じだった」


「同じ?」


「リーゼロッテは長い。リーゼでいい、と」


エヴァが頷いた。


「長いからな」


「貴様が言うな!」


リーゼは額を押さえた。


「小官もいままで何度も同じ目に遭った!」


レティシアが少し真面目な顔になる。


「……苦労されたのでござるな」


「ああ」


二人は静かに頷き合った。


エヴァが呆れる。


「名前を短くしただけだろ」


「原因が言うな!」


「原因が言うなでござる!」


声が重なった。


スージーの猫耳が楽しそうに揺れる。


「大尉、仲間が増えてよかったじゃない」


「何の仲間だ!」


「勝手に名前を縮められた仲間」


「そんな仲間はいらん!」


「拙者もいらぬ!」


レティシアが腕を組む。


「そもそも、拙者はレティと呼ばれることを認めておらぬ」


エヴァが言った。


「レティ」


「聞いておるか!?」


ルヴァナが笑っていた。


聖者はいつも通り、かなり離れた場所にいる。


滝壺で回収した大きな流木を担ぎ、女性陣とは距離を保ったまま、別の位置から館へ向かっていた。


館の姿が木々の向こうに見え始める。


リーゼが息を吐いた。


「今度こそ何も起きないな」


ネイラがリーゼを見る。


ルヴァナもリーゼを見る。


リーゼが睨み返した。


「何だ」


「何も言ってません」


「うん、何も」


「その顔をやめろ!」


その時だった。


館へ続く道の先。


そこに、人がいた。


さっきまで誰もいなかった場所だった。


全員が止まる。


鎧。


鉄の胸当て。


鎖帷子。


籠手。


脚甲。


革帯。


外套。


腰には剣。


背には盾。


装備はどれも実用品らしく、余計な飾りは少ない。


その人物は女だった。


成人した女。


兜の隙間から髪が見える。


角はない。


翼もない。


尻尾もない。


耳も普通。


身体から何かが光っていることもない。


空中に文字も出ていない。


ただ、本人だけがひどく混乱していた。


右を見る。


左を見る。


後ろを見る。


空を見る。


地面を見る。


また周囲を見回す。


「……どこだ、ここ」


低い声だった。


女は腰の剣へ手を置いた。


こちらに気づく。


一瞬で姿勢が変わった。


半身。


剣をいつでも抜ける位置へ置く。


「何者だ!」


リーゼが目を閉じた。


ネイラが静かに言った。


「さすが一級」


ルヴァナが吹き出した。


「これ二度目、ウケる」


「黙れ!」


リーゼが叫んだ。


鎧の女がびくりとする。


「何だ!」


「貴様に言ったのではない!」


「じゃあ誰に怒鳴った!」


「そこの二人だ!」


ネイラは平然としている。


ルヴァナはまだ笑っていた。


「だって、さっきもこんなだったじゃん」


レティシアが振り向いた。


「拙者の場合は転送罠でござる!」


「でも突然出てきて、こっち見て武器出して、『何者でござる!』って」


「真似するな!」


鎧の女がレティシアを見る。


巫女装束。


日本刀。


頭には龍の角。


女の手が、剣の柄を強く握った。


「……お前は何だ」


「その反応も先ほどの拙者と似ているのでござるが」


「レティ、少し黙ってろ」


「エヴァ殿まで!」


シズクは鎧の女を見ていた。


剣はまだ抜いていない。


こちらの人数を確認している。


周囲も見ている。


逃げ道も確認している。


警戒はしているが、問答無用で襲ってくるつもりではないらしい。


シズクは肩の力を抜いた。


両手を相手から見える位置へ出す。


一歩だけ前へ出た。


「驚かせてしまって申し訳ありません」


女の視線がシズクへ向いた。


「私たちに、あなたを傷つけるつもりはありません」


「……本当か」


「はい」


シズクはゆっくり頭を下げた。


「私はシズクと申します」


女は剣の柄へ手を置いたまま、シズクを見る。


少しだけ姿勢が緩んだ。


「シズク」


「はい」


「ここはどこだ」


「谷底です」


「どこの領地の谷だ」


「領地ではありません」


女の眉が寄った。


「……何?」


ルヴァナがまた笑った。


「ほんと二回目」


「笑うなでござる!」


シズクまで少しだけ笑った。


「確かに、今日は同じ説明を二度していますね」


「シズク殿まで!?」


女がレティシアを見る。


「お前も突然ここへ来たのか」


「つい先ほどでござる」


「その角は何だ」


「龍神ゆえ」


「……龍神?」


女の顔が固まった。


レティシアが深く頷く。


「正常な反応でござる」


「何の話だ」


リーゼも頷いた。


「正常だ」


女がリーゼを見る。


「お前たちは何なんだ」


シズクが話を戻した。


「まず、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」


女はしばらくシズクを見た。


それから周囲を見る。


こちらから攻撃してくる気配がないことを確認したらしい。


ゆっくりと剣の柄から手を離した。


「アデライード・ド・ヴァレーヌ」


「アデライードさんですね」


「ああ」


女は胸を張った。


「俺はヴァレーヌ家に仕える騎士だ」


シズクがもう一度、軽く頭を下げる。


「よろしくお願いいたします、アデライードさん」


「俺も、少なくともお前が敵じゃないことは信じる」


「ありがとうございます」


警戒が完全になくなったわけではない。


だが、話はできる。


リーゼが名乗った。


「リーゼロッテ・ヴァイスだ。リーゼでいい。帝国航空隊大尉」


「航空隊?」


リーゼの目が少し輝く。


「飛行機を知らないのか?」


「ひこうき?」


さらに輝いた。


スージーが横から見る。


「大尉」


「まだだ」


「何がまだなのよ」


スージーも軽く手を上げた。


「スージー。考古学者よ」


アデライードがスージーを見る。


そして猫耳で止まった。


「……その耳」


ぴくり。


猫耳が動いた。


アデライードが一歩下がる。


「動いたぞ」


「耳だからね」


「本物なのか」


「本物よ」


「人間じゃないのか?」


「私はこういう種族なの」


アデライードの表情が強張った。


「人間以外に、人の言葉を話す種族がいるのか」


リーゼの期待がまた少し膨らんだ。


「貴様の世界にはいないのか?」


「いない」


「よし」


「何がよしなんだ」


次にティセラが前へ出た。


「ティセラです。魔法学を研究しています」


アデライードは、まず耳を見た。


長い。


明らかに人間の耳ではない。


「……お前も耳が長いな」


「私はエルフですから」


「えるふ?」


ティセラが瞬きをした。


「エルフをご存じない?」


「知らない」


「本当に?」


「ああ」


アデライードはティセラの耳をじっと見る。


「それ、生まれつきなのか」


「当然です」


「切ったり伸ばしたりしたわけじゃないんだな」


「そのようなことはしません」


アデライードが感心したように息を吐く。


「人間に似てるのに、違うんだな」


レティシアが横から口を挟む。


「拙者の世界ではエルフは普通に暮らしておるぞ」


「お前の普通は、もう信用しない」


「何故!?」


ティセラが続けた。


「先ほど魔法学と申しましたが」


「魔法?」


アデライードがまた止まる。


「はい」


「本当にあるのか?」


「あります」


「物語じゃなく?」


「現実に」


アデライードの顔に、素直な驚きが浮かぶ。


リーゼは拳を握った。


「いいぞ」


スージーが横を見る。


「何がいいの」


「反応が普通だ」


その次はネイラ。


「ネイラです」


アデライードは少し警戒しながら見る。


だが、普通の人間に見える。


背は高い。


それだけだった。


「……背が高いな」


「よく言われます」


「でも人間なんだな」


「見た目について言えば、そうですね」


「その言い方が少し怖い」


そしてルヴァナ。


「ルヴァナ。よろしくー」


アデライードが止まった。


ネイラとは別の意味で止まった。


黒く焼けた肌。


明るく作った髪。


化粧。


中世の騎士には馴染みのない服装。


全体から漂う、あまりにも違う雰囲気。


「……お前」


「ん?」


「何だ、その格好」


ルヴァナが自分を見る。


「格好?」


「それに、その肌」


「日焼け」


「ひやけ?」


「日に焼いてんの」


アデライードが眉を寄せた。


「何でわざわざ焼くんだ」


「その方が好きだから」


「好きだから?」


「うん」


アデライードは理解できない顔をした。


さらに化粧を見る。


「顔にも何か塗ってるな」


「メイク」


「戦化粧か?」


ルヴァナが吹き出した。


「違う違う。普通のメイク」


「普通?」


「可愛くするため」


「戦いもしないのに顔へ色を塗るのか」


「そこからなんだ」


ルヴァナが面白そうに笑う。


「アデラ、マジで昔の人じゃん」


「誰がアデラだ」


「まだアデラじゃないよ」


エヴァが横から言った。


「まだ?」


アデライードが嫌な顔をした。


次にクロエ。


アデライードの警戒が明らかに強くなった。


褐色の肌。


銀髪。


長い耳。


ティセラと似ている部分もある。


だが、雰囲気はかなり違う。


身体には見慣れない構造も見える。


「……お前もエルフか」


「違う」


クロエが答える。


「クロエ。ダークエルフだ」


「だーくえるふ」


「そうだ」


「エルフとは違うのか」


「違う」


アデライードがティセラとクロエを見比べる。


「どこが違う」


クロエが少し考えた。


「種族が違う」


「説明が短すぎる」


リーゼが深く頷いた。


「分かるぞ」


クロエがリーゼを見る。


「何が」


「小官も何度も同じ目に遭った」


レティシアがアデライードへ言う。


「拙者の世界では、ダークエルフは魔王の手先でござる」


「魔王?」


「そこからでござるか」


「物語に出てくる悪い王みたいなものか?」


レティシアが頭を抱えた。


「世界が違いすぎる!」


最後にアスラ。


青い肌。


紫の髪。


角。


アデライードの手が再び剣へ伸びた。


「……何だ、お前は」


アスラが腕を組む。


「アスラ。魔族だ」


「魔族?」


「そうだ」


「人間じゃないんだな」


「違う」


「魔物か?」


アスラの眉が動いた。


「違う」


「じゃあ何だ」


「魔族だ」


アデライードがリーゼを見る。


「説明になってないぞ」


「小官に言うな!」


アスラが不満そうに言う。


「何故リーゼに聞く」


「お前より話が通じそうだからだ」


「貴様」


アデライードの手がまた剣へ行った。


シズクが静かに言う。


「アスラも、今はあなたへ危害を加えるつもりはありません」


「今は?」


「言葉の綾です」


「この場所、言葉の綾が怖いな」


リーゼの顔が明るくなった。


「そういう反応だ!」


「だから何なんだ、お前は!」


リーゼはもう確認を始めていた。


「アデライード」


「何だ」


「貴様の世界には魔法はない」


「ない」


「人間以外の知的種族もいない」


「いない」


「魔物は?」


「熊や狼なら人を殺す」


「そういう意味ではなく、怪物だ」


「物語なら」


「ゴブリン」


「知らない」


「オーク」


「知らない」


「オーガ」


「知らない」


「龍」


「物語」


「死者の復活」


「あるわけない」


「身体を機械へ繋ぐ」


「何を言ってる」


クロエが少し視線を逸らした。


リーゼはさらに続けた。


「空を飛ぶ馬」


「いない」


「四メートルの馬」


「いるわけないだろ」


リーゼの肩が震えた。


スージーが嫌な予感のする顔をする。


「大尉」


リーゼはアデライードを指差した。


「やったぞ、スージー。普通だ、普通が来た!」


「大尉」


「普通の人間だ!」


「聞こえてるぞ」


アデライードが言った。


リーゼは止まらない。


「普通の騎士! 普通の鎧! 普通の剣! 魔法なし! 魔物なし! 人間以外の知的種族なし!」


「俺の世界を普通普通言うな!」


「素晴らしい!」


「何がだ!」


スージーが苦笑した。


「大尉、かなり追い詰められてたからね」


「今だけは喜ばせろ!」


アデライードがスージーを見る。


「こいつ大丈夫なのか」


「基本的には」


「基本的には?」


「谷底に来る前はもっと大丈夫だったと思う」


「本人の前で評価を下げるな!」


エヴァが聞いた。


「騎士なら戦えるんだろ」


「ああ」


「剣は?」


「使える」


「槍」


「使う」


「弓」


「得意じゃないが使える」


「馬」


「乗る。騎士なんだから当たり前だ」


リーゼが何度も頷く。


「普通だ」


「まだ言うのか」


「子供の頃から訓練を?」


「ああ。剣も馬もな」


「普通だ……」


リーゼは幸せそうだった。


スージーが念のため聞いた。


「本当に、それだけ?」


「何がだ」


「何か特別な力とか」


「特別な力?」


「魔法とか、不思議な能力とか」


「魔法はないって言っただろ」


リーゼが大きく頷く。


「そうだ」


アデライードは続けた。


「剣技スキルなら使えるけどな」


リーゼが止まった。


スージーの猫耳が立った。


沈黙。


「……大尉」


リーゼは動かなかった。


スージーが苦笑する。


「スキルってのは使えるみたいよ」


リーゼがゆっくりアデライードを見る。


「……何?」


「剣技スキル」


「何だ、それは」


「剣技を使うためのスキルだろ」


「普通の剣術ではないのか!」


「普通の剣術も使う」


「ではスキルは何だ!」


「だからスキルだって!」


レティシアが食いついた。


「ステータスに表示されるのでござるか?」


「ステータス?」


「レベルはいくつでござる?」


「レベル?」


「冒険者ギルドで――」


「何の話だ?」


レティシアが止まった。


「知らぬのでござるか?」


「知らない」


「ではスキルはどうやって覚えたのでござる」


「剣を使ってたら、ある時使えるようになった」


「誰が判定した?」


「誰も」


「数値は?」


「ない」


「一覧は?」


「ない」


「レベルアップは?」


「何だ、それ」


レティシアが呆然とする。


「……スキルだけ?」


「そうだ」


リーゼが顔を上げた。


「本当にスキルだけなのか」


「ああ」


「魔法なし」


「ない」


「ステータスなし」


「知らない」


「レベルなし」


「知らない」


「冒険者ギルドなし」


「そんなものもない」


リーゼは黙った。


しばらく考えた。


そして深く息を吐く。


「……許す」


「何をだ」


「スキル一個くらいなら、もう誤差だ」


アデライードが顔をしかめた。


「誰の許可を得る必要があるんだ、俺は」


スージーが笑う。


「大尉、普通の基準がまた壊れてるわよ」


「壊したのは谷底だ!」


再び館へ向かって歩き始める。


リーゼはその道すがら、何度もアデライードを見ていた。


普通の鎧。


歩けば金属が鳴る。


普通の剣。


腰へ吊っている。


普通の盾。


背負っている。


空間から出したりしない。


アデライード自身も、ごく普通の大きさの人間だった。


角はない。


翼もない。


尻尾もない。


耳も長くない。


首を落としても復活するとは言わない。


魔法もない。


機械もない。


「……普通だ」


リーゼが噛み締める。


スージーが横を見る。


「スキルあるけどね」


「それくらいは、もういい」


「さっき叫んでたじゃない」


「考え直した」


「何を?」


「スキル一個だけだ」


「うん」


「一個だぞ、スージー」


リーゼの声には感動すらあった。


「たった一個だ」


スージーの猫耳が少し伏せた。


苦笑する。


「大尉、本当に基準が変わったわね」


「変わったのではない」


リーゼは遠くを見る。


「変えられたんだ」


「はいはい」


少し前では、エヴァがアデライードを見ていた。


「アデライード」


「何だ」


「長い」


レティシアが即座に振り返った。


「またでござるか!」


アデライードが眉を寄せる。


「何が長い」


「名前」


「俺の名前に文句あるのか」


「アデラでいい」


「何でお前が決めるんだ」


「呼ぶのが面倒だから」


「また同じ理由でござる!」


レティシアが叫ぶ。


エヴァは構わない。


「アデラ」


「もう呼んでるじゃねえか」


「嫌か?」


アデライードは少し考えた。


「俺だと分かるなら別にいい」


レティシアが立ち止まった。


「受け入れるのでござるか!?」


「何でそんなに驚く」


「拙者はいまだにレティを認めておらぬ!」


アデライードがレティシアを見る。


「レティ」


「アデラ殿まで!」


「呼びやすいな」


「裏切りでござる!」


エヴァが笑う。


「決まりだ。レティとアデラ」


「勝手に二人まとめるな!」


アデライードはもう気にしていなかった。


しばらく歩いてから、レティシアがアデライードの隣へ並んだ。


「アデラ殿」


「何だ、レティ」


「レティと呼ぶな!」


「面倒だな」


「そなた、もうエヴァ殿に染まっておらぬか!?」


「で、何だよ」


レティシアが少し真面目な顔になった。


「先に言っておいた方がよいことがある」


「何だ」


「ここは普通ではない」


後ろでリーゼの足が少し止まりかけた。


レティシアは続ける。


「拙者が先ほど落ちたのは、あちらの滝壺でござる」


「滝壺があるのか」


「巨大な滝壺だ」


「大きな滝くらいなら俺も見たことがある」


「そういう大きさではござらぬ」


レティシアは首を横に振った。


「水面から魚が跳ねた」


「魚くらいいるだろ」


「頭だけでも、人より遥かに大きかった」


アデライードが足を止めた。


「……何?」


リーゼも止まった。


レティシアは続ける。


「空には巨大な鳥も飛んでおった」


「どれくらいだ」


「少なくとも、拙者の故郷で見たどんな鳥よりも遥かに大きい」


アデライードの眉が寄る。


「そんな大きさで飛べるのか?」


リーゼの口元が震えた。


スージーが横を見る。


「大尉?」


「まだだ」


「何がよ」


レティシアはさらに続ける。


「馬もおる」


「馬なら普通だろ」


「四メートルほどある」


「……は?」


「四メートル級でござる」


「馬が?」


「うむ」


「そんな馬がいるわけないだろ」


リーゼが両手で口を押さえた。


肩が震えている。


「しかも鳴き声がおかしい」


「どうおかしいんだ」


「ぶひひーん、と鳴いた後に、ヴォー、と鳴く」


アデライードが真顔になる。


「それ、本当に馬なのか?」


リーゼの目に涙が浮かんだ。


スージーが気づく。


「大尉」


リーゼは首を振る。


レティシアは最後に言った。


「だから、アデラ殿」


「何だ」


「拙者も来たばかりではあるが、これだけは分かる」


館の向こう。


さらにその先にある滝壺の方角を見る。


「ここは普通ではない」


アデライードもそちらを見る。


巨大魚も。


巨大鳥も。


四メートルの馬も。


今いる場所からは見えない。


だからこそ、まだ信じきれない。


「……そんなことが、本当にあるのか?」


ぽろり。


リーゼの頬を涙が流れた。


アデライードが振り返った。


「……何で泣いてるんだ?」


リーゼは目元を押さえた。


「普通だ……」


「は?」


「普通の反応だ……!」


もう一筋。


「巨大な魚を聞いて驚いた!」


「そりゃ驚くだろ!」


「巨大な鳥が飛べるのか疑った!」


「当たり前だ!」


「四メートルの馬を信じなかった!」


「信じる奴がいるのか!」


リーゼは涙を拭った。


「そうだ!」


「何がそうなんだ!」


「それでいいんだ!」


「何の話だよ!」


リーゼは笑いながら泣いていた。


「普通だ……普通の人間がいる……」


スージーが苦笑する。


そっとリーゼの背中を叩いた。


「よかったわね、大尉」


「ああ……」


「スキルはあるけど」


「今それを言うな」


アデライードがスージーへ尋ねる。


「こいつ、本当に大丈夫なのか?」


スージーは少し考えた。


「たぶん」


「たぶん?」


「普通を見ると元気になるから」


「意味が分からん」


リーゼが顔を上げた。


「アデラ」


「何だ」


「その感覚を絶対に失うな」


「何の感覚だ」


「普通だ」


「だから何なんだよ!」


館はもう目の前だった。


普通の女騎士。


普通の中世世界。


普通の驚き方。


剣技スキルだけはある。


だが。


今のリーゼにとっては。


それくらいなら。


涙が出るほど、普通だった。

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